#00 prologue
————人間、佐保姫、鬼神。
————人にして鬼の姫は神となり、その超人的に強靱な力を揮い、人を喰い給う。
————境界線と臨界点、許容量と限界超過、意識と無意識、虚無の烽火にて開宴とす。
————赫奕の業火で己を裁き、灼爛の劫火にて人を襲う〝鬼祕神〟と謳われる者なりや。
0.
西暦二〇二五年の仲春、某日。
ボロボロになっている廃墟ビルディング、階層は三階まで設えられていて、敷地面積もさほど大きくない。そこには似つかわしくない少女達が屯しており、どうしてこんな所に、と疑問に思わざるを得ない。
今では使用されていない建造物で、以前は貸出事務所だったようだが、今やその面影はもう殆ど残ってない。特徴としては事務的なインテリア等は殆ど処分され、残りは全て一部屋へ充てられており、三階にあるこの部屋にはない。建造物の随所に穿孔が見受けられる——が、肝心な場所はさほど損傷していないようだ。
「ねえ、今日の標的は誰だっけ?」
この廃ビルに常備されてある、黒もしくは紺スーツを着ている少女、難波美黎は尋ねた。
壊れた窓ガラスに腰を掛けている美黎の視線には数名の自分と同等か年端も行かない少女達が大部屋にはいる。最年少で十歳くらいだろうか。この建物の住人は少女だけで構成されており、少年や男性といった男っ気は誰一人として存在しない。
その傍らにいる最年少の少女、乙倉雛備は美黎と同様に衣裳はフォーマルだ。
「今日の標的は計十七人、中の六名が私と美黎さんの標的です——」
携帯量子端末機〝Horizaer〟を雛備は手短に操作し、そのデータを読み上げる。
その内容は小学五年の斎藤茉莉と河本浩海が二人、中学一年が土井悠香と岡本環、それから井上羽華の三人、そして最後に高校一年である龍門茜雫の一人で知人は一人もいない。このことは美黎にも送られてきているデータで既に知っている。この場で美黎が問いかけたのは恐らく、データを確認などしていない雛備へ、データの確認をさせるためであろう。
周りに屯している数名の少女達は、各々のラフな格好をしているだろう。
「ありがとう、もういいわ」と美黎は雛備へ告げる。すると雛備は「了解です」と応じ、そのウィンドウを閉じて消す。
不意に美黎は外の景色を一瞥するが、活気ある時間帯ではないので人波は閑散としている。
「今日入学したばかりの学生を四人も狙うなんてね……アナタはどう思うの、雛備。同学年を二人も襲うのよ、何も思わないの?」
「別に友達でもないですし、何とも思いませんよ。ただ、仲間が出来るのは嬉しいですね、みんな死んで逝っちゃいますし」
「相変わらず壊れてるわね、アナタ。あたしが言えた義理でもないことだけど」
「そうですかね……えへへ。でも普通のことだと思いますよ? 誰も知らない人には興味が気にならないものですよね。そんなことより、存在すら判らないですよね——きっと。それと同じことですよ、美黎さん」
「アナタ確実にあたしより頭のネジが外れているわ、それだけは判ったから。それにあたしはさっき褒めたつもりじゃないんだけどね」
すると雛備と呼ばれている、さっき拡張ウィンドウを読み上げてくれた最年少の少女は笑顔を絶やさず「え~、そうですか~?」と、無垢な表情で言ってくる。
本当に頭のネジが数本逝かれていると思うが、美黎とてその限りではなかった。一歩間違えれば雛備か、もしくはそれ以上にどうしようもなくなってしまうのだ。それだけは何としても避けないといけない。自分が自分で無くなってしまいそうだから、と美黎は律する。
「————にしても、今回は多いわね。まあ報道もされているし、ここで怯えてしまうのは逆効果にしかならないものね」
被験者が死ぬのは当たり前、たとえ運良く生き残ったとしてもそこからが地獄なのだ。なまじ力が強い分制御が出来なくなったら、あっという間に自分の身体が壊れて死んでしまう、という危険性がある。候補者は自分の中の爆弾を扱えなければならない、それがどれ程難しいのかを知っている、つまり彼女達もシフタだからだ。
彼女達は必然的に、ある一定の領域まで達しなければならない。それはつまり死にたくないならノルマをクリアしろ、ということに他ならない。
「現時点で壁を越えた人はいる?」
辺りが静まり返るということは、殺人衝動を抑制できる人物は更新されていない、ということなのだろう。美黎含め、他のメンバー全員もまだ達してはいないようだ。このどうにもやり切れない感の雰囲気が満ちる。それは他のメンバーが逝かれているのと他のことへの関心がないからだ。ガラス窓から立ち上がり、美黎は扉の前で立ち止まる。
「そろそろ行くわよ、雛備。仲間を造りにね」
仲間を造る機器〝Bellona(B) Factory(F) Interface(I)〟を、美黎は雛備へ投げ渡して退室し、出かける準備をする。
「は~い、了解です」
屈託のない笑顔で雛備は返事し、美黎から受け取っているBFIをスカートのポケットへ粗雑な手付きでしまい、美黎の後に続く。
このBFIはシフタの全員が所持しており、もちろん美黎もスカートのポケットに忍ばせている。横幅二センチで長さは六センチ弱の角張った無針注射器みたいな形状を成している、厚さは三センチ程度で重さもさほど感じない。
シフタは単独行動を慎まなければいけない、それは力の暴走があるからだ。
だから大抵はペア、もしくはチームを組んで行動するのが厳守としてあるのだが、美黎のパートナーである雛備は目を放した隙にいつも居なくなる、という魔物なので気を抜けない。
別に放って置いても良いのだが、殺人衝動をまだ上手く抑えられない雛備を一人にさせておくのは色々と面倒なことになる可能性が多分にあるので、おいそれと放って置くわけにもいかないのだ。
「雛備、アナタにはまだ武器携帯を許した憶えはないのだけど」
「いや、でも……ほらアレですよ。抵抗してきた時とか、チンピラさんとか居たら恐いですしね? だからいざと言う時の護身用ですよ、護っ身用ぉ~♪」
そう言いながら雛備はルンルン気分で今日は何を着て行こう、と言った気軽さで持って行く武器の品定めをしている。
「その護身用で昨日無防備の女性を一人携帯用の小型ナイフで殺しているのよ、忘れたとは言わせないわ。だから殺人衝動が抑えられるようにならないと、武器携帯は許可出来ないわ」
「そんなぁ~。酷いですよ、美黎さんは武器を携帯しているのに……」
「あたしはアナタとは違って。多少の分別は弁えているから良いのよ。さ、そんなモノいらないから、さっさと行くわよ」
さっきまでルンルンの笑顔だった雛備の顔は、涙眼になって目頭に涙の粒を溜めている。まるでオモチャが買って貰えない幼児のようだ。そんなことはさて措き、ズリズリと引摺って雛備を部屋から出し、ようやく観念して歩いてくれる雛備と共に美黎は標的の許へ向かう。
まずはビルディングの外へ出ると大通りを目指して闊歩し、迷子にならせない為の処置として雛備と手を繋ぐ。小学生と中学生、高校生や大学生などはまだ本格的に講義や授業が始まっていないので、午後には帰宅していると思われる。今は十一時二十分、これから帰りホームルームをしたりして学校から出てくる所ばかりだろうと思う。
「まずは小学生から行くわよ、雛備。子供は厄介だし気を付けて、間違っても殺さないでね」
そんなに危ないんですか? と雛備は疑問に思っていそうな表情を向けてくる。まだ雛備は小学生が一番厄介なことを知らないのだろう、と思いながら美黎は横目で雛備を見やる。
美黎は前に何度か小学生の候補生を担当したことがあるが、そのどれでも美黎は悲惨な目に遭った。まずは不審人物として疑われるのが日常茶飯事で、警戒されてまともに近づくことすらなかなか出来ない。まあ子供だから隙はいくらでもあるのだが、強引にことを運ぶと後々面倒なことになりかねないので避けておきたいのだ。
そこに関して今日は問題ないだろう、雛備がいるのだから。
そして何とか出来たとしても今度は興奮状態の力の暴走がある、これはどうしようもないことで、最初は必ずと言って良いほど興奮状態に陥る。暴走した場合、何も知らない子供は焦って際限なく力を解放してしまう、それを止める術は今のところないので見ていることしか出来ない。そうなるとどうなるか、身体のキャパシティを超えた力はただのエネルギーにしかならないことは明白だ。
その力を扱い切れるはずもなく臨界点を超え、最悪の場合死に至らしめる。その光景を傍から見たら無惨としか言いようが無い、そこまで思考した所で美黎はこう口にする。
「いえ、今回はそんなに難しくはならないと思うわ。今回はアナタがいるからね、雛備」
大通りに出て数分歩くと目的地の市立二伊野小学校はある、全校生徒は約七〇名の学校ここら辺にしたら人数の多い学校だ。来年度には紘渡小と庄賀茂小、二伊野小とで廃統合され一つの学校となる予定だ。
「二伊野小学校……ここね。じゃあ雛備、頼んだわよ」
「アイアイサー! ……ったい、何するんですか美黎さん」
「ふざけない、ちゃんとしないとアナタのご飯は今日無いわよ」
「りょ、了解であります隊長——っっ!」
雛備はそう言うと誰もいないグラウンド目掛けて走っていく。
いつもながらに明るい子供である、ただ心配なのはくだらないネタをどこで仕入れてきているのか、だ。場が和むのは悪いとは言わないが、多少の緊張感が欲しい、と雛備を見ていて美黎はつくづくそう思うようになった。
あ、と気付いたときにはもう遅かった。雛備はセキュリティーのセンサーに引っ掛かってしまっていたのである。警報が嵐のように鳴り響く。すぐさま警報機を携帯していた刀剣で討ち墜とし、雛備を連れて学校から離れる。
「何をしているの、雛備。セキュリティーに引っ掛かって……」
「普通に入っちゃダメだったの?」
「当然でしょ、セキュリティーがあるんだから。こうなったら正攻法じゃ無理ね、仲間を呼ぶしかないわ」
ホライザーを起動させてアドレス帳を開く、仲間の一人にタッチして電話を掛ける。
呼び出し音が三回鳴ったところで通話が開始された。
『何かな、今忙しいんだけど』
「大至急頼みたいことがあるの、雛備がバカやっちゃってね。セキュリティーに姿を捉えられたから、大至急セキュリティーをハックして改竄して欲しいのよ」
『二人とも姿は人に見られてないの? 見られてたらバレない保障は出来ないよ』
「誰にも見られてはいない、とは思うけどね……念のためにお願い」
『やれやれ、まあ大体わかったからこっちは任せてもらうから戻って良いよ。念のため二十分は待機してて、それからなら入っても良いから』
プツリと小さく音を起てて通話を切る。
ここで二十分のタイムロス、早くしないと生徒達が帰宅してしまう。ともあれ今のとこは一安心ね、一回でも姿が露顕してしまえば動き難くなり、今後に影響してくるのはまず避けられないのだろうしね。まあそれでも痕跡を処理してくれる仲間がいるから、幾らか大丈夫ではあるのだけれど、と美黎は安堵の念が込み上げる。
「軽率な行動は慎みなさいよ」
ほとほと呆れながら美黎はため息を吐く。雛備とパートナーになってからというもの、確実に叱っている回数が増えている、これは軽視出来ない事実だ。
ことさら今になって、パートナーを解消することも難しいが。
「そんなことを言われましても、私にはどうすることも出来なかったり……あ、出てきたみたいですよ、生徒たち」
小学校のグラウンドの方を見ると「そうね、これからどうしようかしら。まあ、後を付けるしかないけどね」
自嘲的な笑みを零して美黎は呟き、雛備のセミロングな躑躅色の髪へ手を添わせ撫でる。
そろそろ行こう、と思い直して途中で撫でるのを止め、標的に向かって歩き始めた。