91の話~背中合わせの獣達~
自分に集まる視線に驚き、フィオナは少しだけうつむいた。
「それは確かですか」
「この王宮に、龍の石像など何処にもありませんでしょう。ですから、当時とても驚いたのは覚えています。あれは本物の怪物だったのではないかと、しばらく夜は震えておりましたわ」
「以前お話されていた、探検中に見つけた隠し通路のことでしょうか」
眉間に皺を寄せて考え込んでいたメイフェアが、思い出したように言った。
「そう、それです。行き止りの扉を開けたら、目の前に龍がいたのよ」
「地下道や隠し通路は全て洗い出してあるはずではなかったのかな。漏れがあるのは仕方のないことだが、場所が場所だけに、放置しておくのもやっかいだ」
エドアルドの言葉に、ヴィンチェンツォが思わず視線を泳がせる。
「目の前に龍、ですか」
ロッカがわずかに眉根を細めた。
「そうね…あの隅の明かり取りの隙間から光が見えて、龍が見えて…私は何処からそれを見たのかしら?」
「動かしてみたらいいんじゃないか。フィオナ様の話では、おそらく石像の台座の裏辺りだろう」
獅子と龍が背中合わせになっている大きな石像を指差し、ヴィンチェンツォが足を組み直す。
バスカーレがすぐさま台座に取りつき、移動させるべく奮闘するが、そう簡単には動きそうになかった。
ほんのわずかにある隙間を覗き、バスカーレは「やはりここのようです。あまりよく見えませんが、扉があると思われますし、下から風が吹いています」と言った。
お前らも手伝え、と面倒くさそうにヴィンチェンツォが言い、ランベルトとロメオがバスカーレに加勢した。
「押してみたらいいんじゃないかな。俺らよりでかすぎるし、持ち上げるのは無理ですよ」
ランベルトの提案に、バスカーレは「そうだな」と同意すると、一方から三人で台座を押すことにした。
バスカーレとランベルトは勢いよくかけ声を上げ、台座を押す両手にありったけの力を込めた。
「ちょっと待って、なんだか上だけぐらぐらしてるような気が」
ロメオがいい終わらないうちに、台座の上がぐらりと傾き、ゆっくりと石像が転げ落ちるのを皆無言で眺めていた。
鈍い音を立てて、獅子と龍が床に落下する。
砕けた龍の頭部が、ごろりと床の上を転がっていった。
「…首がもげたぞ」
龍を下敷きにして、天井を見上げる獅子を眺めながら、ヴィンチェンツォがぼそりと呟いた。
「ですね」
ロッカがわずかに二、三度まばたきをした。
「何やってんだよ!片方から押したら、こうなるに決まってるじゃないか!これだから、がさつな騎士は嫌いなんだよ!」
「なんで俺のせいなんだよ!それに、こんな簡単に落っこちるなんて誰も思わないだろ!」
ランベルトとロメオが互いの胸元を掴み、睨み合いながらわめき散らした。
バスカーレは、一人その場にしゃがみ込んで頭を抱えている。
団長、お怪我はありませんか、とステラが気遣わしげに言った。
「風に侵食されて、不安定な場所が更にぐらぐらしてしまったようですね。正直、自分ならこんな作り方はしません。バランスが悪すぎます」
散らばる破片を検分しながら、ロッカが不満そうな声を上げる。
「これも国宝級ではないのか。最も、もう既に半身は原型をとどめていないが。名のある匠の作品だったらどうするのだ」
ステラの低い声に、今度はロメオ達が石像のように硬直する。
自分を無言で見つめるメイフェアの目が、殺意を帯びているのは気のせいだろうか、とランベルトは背筋が凍る思いだった。
「いえ、作風も、これといって特徴のあるものではありません。材質も不適切ですし、なんといっても、全体のバランスがよくありません。あの造りでは、最初から龍の方に傾いていた可能性は高いです。設置した場所も悪いですし、やっつけ仕事のようにしか見えませんね。骨董品という意味では、多少価値はあったかもしれませんが、今となってはただの廃材です」
ロッカの分析結果を聞きながら、そうか、となぜか残念そうに呟くステラであった。
「まあ、何にせよ、誰も怪我がなくてよかったではないか」
エドアルドのよく通る声が、地下室に響き渡る。
よかった、お咎めなしみたいだ、とランベルトとロメオが安堵した様子でうなずき合う。
心なしか、先程よりもメイフェアの表情が、幾分和らいでいるかのように見える。
「それよりも、裏の扉はどうなっているのだ」
石像の価値などまるで気にとめる様子もなく、ヴィンチェンツォが鋭い声で言った。
「あります。先ほどまでは龍で隠れていましたが、確かにあります」
ランベルトが主を失った台座に飛び乗るとその下を覗き、その場を取り繕うように慌てて言った。
「まあ、では私はやはり、そこからこの部屋を見たのですね。夢でなくて、よかったわ。乳母は『龍なんて、悪魔の化身です』などと言うものだし。自分は悪い子なのかしらとあの頃は本気で悩んだのよ」
心の底から、フィオナは安心したようであった。
「原始オルド教は今と違い、翼を持つ龍も信仰の対象でした。龍が聖オルドゥの使徒であったのも、遠い昔の話です」
クライシュが、少し悲しげに言った。
私の国では、龍は神獣なのですけれど、と瑠璃も黒い瞳を曇らせながら、憂いをたたえた声で言った。
「毎度のことではあるが、あれがどこに繋がっているのか、確認せねばならんな。検討はついているが、お前ら行って確かめてこい。俺たちはそんな暇もないし、先に戻るぞ」
ヴィンチェンツォの素っ気無い物言いに、うう、とランベルトが恨めしそうに唸っている。
「いくら価値が無いとはいえ、年代ものの石像を壊したのは事実ですし、彼らに行ってもらいましょうか」
追い討ちをかけるように、ロッカが冷たく言う。
他に暇で一緒に行ってくれる人は、とロメオが尋ねるが、挙手する者は皆無だった。
「皆様のお手を煩わせてしまって申し訳ありません。お忙しい中、朝からお呼び立てしてしまって」
思い詰めたように目を伏せたビアンカの姿に、ヴィンチェンツォがわずかに動揺する。
そうだ、嫌われろ、とロメオが人の悪い顔で二人を眺めていた。
「いや、いいんだ。あなたのおかげで、いろいろ助かっている」
言葉を選びながら言い訳するヴィンチェンツォを、一同は興味津々で観察している。
そんな二人の間に、楽しそうにフィオナが割って入った。
「あら、私の事は褒めてくださらないの。今日は私も、役に立っているでしょう?」
はい、と気まずそうにうなずくヴィンチェンツォを、カタリナは黙って眺めていたが、エドアルドに促され、地上に向かう出口へと歩き出した。
「中央の回廊の辺りに出るはずです。私の記憶だと、ですけど」
ありがとうございます、とフィオナに礼を言い、ヴィンチェンツォは横目でランベルト達に合図を送った。
「俺こんなのばっかりだな、なんでだろう」
言いかけて、当然のように出口に向かうバスカーレの姿を見つけ、ランベルトは「卑怯だ」と叫ぶ。
すまないな、とバスカーレが苦りきった顔で謝罪すると、「団長は多忙ゆえ、後は任せた。幸運を祈る」とステラが、急き立てるようにバスカーレの背中を押した。
泣きそうな顔で、ランベルトが去っていく人々の背中に懇願の視線を投げかける。
「俺やだよ。二人だけなんてやだ。血を吸うコウモリとか出てきたらどうするんだよ」
「王宮でコウモリを見たという報告は一切無いから安心しろ」
ヴィンチェンツォがすたすたと歩き出し、ロッカがそれに続いた。
クライシュが瑠璃を軽く抱き寄せた後に一度振り返り、「上で会いましょう」と言うとさっさと踵を返す。
「ひいきだ。元はといえば、団長が力いっぱい押したりするからこんなことになったのに」
悔しさを滲ませて、ランベルトがステラの後姿を凝視していた。
「あれでもロッカは気を遣っているんだよ。…廃材とか言ってたけど、本当は、結構なものだったんじゃないのかな。ヴィンスはそういうことには疎いみたいだし、エドアルドですら壊れた石像なんかどうでもいいって感じだけど」
こっそりと耳打ちするロメオの声に、再びランベルトの顔面から血の気が引いていった。
「あの…よろしければ、ご一緒しましょうか。お役には立てませんけど、少なくとも二人ではありませんし」
ビアンカが遠慮がちに口を開いた。
遥か遠くから、「二人で行ってこい」というヴィンチェンツォの怒鳴り声が聞こえてくる。
地獄耳だ、とロメオは観念したように呟いた。
「いつまでも煮え切らないわね。さっさと行ってくればいいのよ。ここで待っててあげるから、きちんと報告してちょうだいね。ここは大事な、獅子の尾なんだから」
メイフェアの殺気立った表情に反論できず、ランベルトは明かりを受け取ると素直に「はい」と言った。
頼りない二人の後姿を見送りながら、メイフェアは大丈夫かしら、と呟く。
「ええ、大丈夫です。ここは安全な場所ですもの。むしろ、早く風を通してほしいって獅子も言っているような気がするんです」
瑠璃の不思議な言い方に、メイフェアは小首を傾げていた。
***
「なんでお前の奥さんはあんなに恐いの。もうちょっと他にいなかったのかよ」
「人の奥さんの悪口を言うな」
何でもよいから、会話をせずにはいられなかった。
こんなに王宮の地下が複雑だったなどと、今日まで僕は聞いていない、とロメオはぶんむくれていた。
ロメオが明かりを掲げながら、壁づたいに先頭を歩く。
「だって最近壁越しにきいきい言う声が聞こえてくるし」
言葉に詰まり、ランベルトが無言になった。
「そうなんだよ、最近妙に怒りっぽくて。前はそれほどでもなかったような気もするんだけど…」
「そうかなあ、あまり変わらないと思うけど」
やめろよ、とランベルトが上ずった声を出す。
「まあどうでもいいけどね、うちにまで被害が出るのはやめてよね。僕の部屋が一番君達の家に近いって覚えておいて。喧嘩するなら屋根の上でやってくれるかな」
一方的な言われように、ランベルトはそれなりに傷ついていたが、先へ先へと一目散に突き進むロメオから離れまいと、必死で後を追う。
「それよりさ、結構普通だよね、あの人達」
相変わらず続く暗がりの中で、ロメオが再び口を開く。
「ん?」
「ヴィンスだよ。無理してるのは丸わかりだけど、あいつにしちゃあ上出来じゃないの。あんまり執着されたら、ビアンカも迷惑だろうし」
うーん、とランベルトは少し考えていたが、すっぱりと突然明るい声になる。
「あの二人は大丈夫だと思う。よくわからないけど、そんな気がする」
「適当だねえ。…人のことはいいから、自分のことをどうにかしなよ、本当に近所迷惑だから」
嫌味たらしく言うロメオに向かってひたすら、すいません、と謝るランベルトであった。




