6の話~愚者の宴~
二人が予想していたよりも早く、イザベラは王宮へ戻ってきた。
今朝の出来事にすっかりと怖気づいてしまったビアンカは、一刻も早く自室に戻りたかった。
けれどもそんな彼女の願いはいとも簡単に却下されてしまった。
「聞いたわ。晩餐会、あなたが出てくれればいいわ。私は疲れたから休むわね」
手早く夜着に着替えると、イザベラは裸足のままけだるそうに寝台に向かって歩いていく。
夜通しカードで遊んでいて、イザベラは疲れきっていた。
隣で青ざめている友人の姿にぎょっとし、メイフェアは慌ててイザベラに食い下がる。
「無理です。だいたい、今まではこの部屋に閉じこもっていればよいというお約束だったではありませんか。彼女には無理です。ばれてもよろしいんですか。それこそご気分がすぐれないと理由をつけて、欠席されたほうがはるかに安全です」
そんな必死なメイフェアの主張にも動じることなく、のんびりとイザベラはあくびをした。
「出ない方が不自然でしょ。大丈夫よ、適当で。どうせ陛下も私になど目もくれないのだから」
「いくらなんでも、無茶苦茶な!」
なおも食い下がってくるメイフェアに対して、ハエでも追い払うかのように、イザベラは頭上で手を何度か振った。
そして二人を正面から睨み付け、
「これは命令よ。勝手に支度して行きなさい。でも一言でもこれ以上生意気な口を聞いたら、ただじゃおかないわよ」
とお妃とは思えぬような、凄みをきかせた口調に変わる。
そもそも誰のせいでこうなったのか。
朝、いや昼帰りをしておきながら、本来の務めを軽視し、他人事のようにやり過ごそうとするイザベラの態度にメイフェアは憤りを感じていた。
だがビアンカが黙ってメイフェアの袖を引き、ふるふると首をふる。
イザベラは二人をもう一度ひと睨みすると寝台にもぐりこみ、頭からすっぽり寝具を被ってしまった。侍女のサビーネが寝台のカーテンを引いて、イザベラの姿を完全に隠す。
ビアンカ達は少し離れた所からイザベラの様子を見守っていたが、起き出してくるはずもなく、二人は衣裳部屋へと移動させられてしまった。
***
ビアンカは緊張のあまり、ろくに食事を味わう余裕もなかった。
拷問のような長い長い晩餐会であったがそれもどうにか終わり、一同は別室に移っていた。
異常に喉が渇く為、ビアンカは苦手な酒を何度か口に運んでいた。
ビアンカの隣に座っている、取り巻きらしき某伯爵の未亡人が、おせっかいにもなみなみとゴブレットに継ぎ足してくれる。
「どうなさいましたの、今日はいつになくお酒が進まないようですけど。…そんなに落ち込まれたら、フォーレ子爵様も気が気でないのではないかしら」
伯爵夫人は、扇で顔を口元を覆い隠しながら、こっそりとビアンカにささやいた。
コーラーから大使として派遣されていたギヨーム・フォーレ子爵が、任期半ばではあったが、近日中に本国に帰る事になっていた。
今宵は、彼を見送る為の宴であった。
「別に…どうもしませんわ。人生は日々、一期一会でございますもの」
素っ気無い返事をするビアンカも、だんだんとイザベラの口調が板についてきたようだった。
この伯爵夫人など、自分をすっかりイザベラだと信じて疑っていないようだ。それでも気は抜けない。
イザベラ様らしい、と伯爵夫人は艶然と微笑み、辺りを見回した。
大勢の貴族に囲まれたフォーレ子爵が目に入った。
彼は人のよい笑みを浮かべて歓談中である。
今年二十八歳になるフォーレ子爵は、コーラー国王の甥であるという。
涼しげな空色の瞳が印象的な美男子であった。
あまり油断していては、そのうちぼろを出すかもしれない。
フォーレ子爵とエドアルドに挨拶をする為、ビアンカは椅子からふわりと立ち上がった。
イザベラらしいふてぶてしくも優雅な足取りで、ビアンカは談笑中のフォーレ子爵とエドアルドの前まで歩み寄る。
「陛下、今宵は下がらせていただいてもよろしゅうございますか。他の皆様方には申し訳ありませんが」
ビアンカは、自分の頭一つ分よりも大きいエドアルドを、真っ直ぐ見上げた。
こんな間近で、国王の顔を見たのは初めてだった。
とっさに目が泳ぎそうになるが、イザベラのように含みのある笑みをたたえてみせる。
いつものビアンカであれば、縮こまって目を伏せたままになっていたであろうがほんの少し酔いが回り、恐怖心が小さくなっていたせいなのか、すっかりイザベラになりきっていた。
濃い金色の髪が揺れている。美しい獅子のようだ、とビアンカは思った。 こんな素敵な方に嫁いでいるのに、イザベラ様は何が不満だったんだろう、と酔いでふわふわする頭で考えた。
「そうだな、今宵はご苦労であった。ゆっくり休んでくれ」
そのよく通る声も心地よかった。
滅多に顔を合わすことが無いほど不仲とはいえ、大勢の臣下の前で冷たい態度を取ることもなく、エドアルドは穏やかな笑みを返してくれた。
そんな国王の態度に、純粋にビアンカは感激したが、国王の隣にたたずんでいるフォーレ子爵に気づいた。
もう一人、挨拶をしなければいけなかったのだった。
聞けばイザベラのカード仲間だったらしい。
ビアンカは、親しみを込めて子爵に語りかけた。
「短い間でしたけど、とても楽しい時間を過ごさせていただきましたわ。こちらにおいでになることがあれば、どうぞわたくしを訪ねてくださいませ」
「今日は踊って下さらないのですね、残念です」
「またすぐにお戻りになるんでしょう?その時までわたくしも楽しみにしております」
もったいぶった手つきで、ビアンカは扇で口元を隠す。
踊るなどとんでもない。
イザベラが見た目以外で唯一褒められる点といえば、見る者がため息をつくような、美しい踊りである。
ビアンカには、どう逆立ちしてもイザベラのように踊るのは無理であった。
「ええ、いろいろ国元が慌しいようで。私などの力、必要でもないでしょうに。国王の呼び出しゆえ、後ろ髪を引かれる思いで戻りますが…」
薄い光を湛えて、子爵の瞳がきらめいた。
くすりと笑みを浮かべ、ビアンカは二人に向き直った。
「それではごきげんよう」
子爵と国王がそれぞれにビアンカの頬に軽く接吻すると、ビアンカはゆっくりゆっくり、扉に向かって歩き出す。
途中、フィオナ姫とカタリナ姫らしき人影を見つけ、軽く会釈した。
初めて間近で拝見するお二人の姿は、とてもまぶしかった。
きちんとご挨拶すべきだったかしら。でも、もう限界かもしれない…。
触れられた頬が熱くなるのを感じながら、ビアンカは少しぎこちない薄笑いのまま、退室していった。
メイフェアはどこだろう、と回廊に佇み、ビアンカは辺りを見回した。
確かこちらの別室にいるとか言っていなかっただろうか。
こういう時は、誰かに侍女を呼びに行かせたりするものなのだったっけ。
うろ覚えながら、小部屋が続く辺りまで一人歩いていく。
試しに目に入った扉に手をかけ、施錠されていないことを確かめると、扉を開けた。
暗闇でよく見えないながらも、ここは小さなサロンらしくこじんまりとした調度品が目に入った。
ここでもない。誰かとすれ違ったら、メイフェアを呼び出してもらえば大丈夫かしら……
小部屋の扉を閉めようとした時、背後に何者かの気配を感じた。
扉にかけた手に無骨な手が重ねられ、気づいた時には小部屋に押し込まれていた。
驚いてよろめくビアンカを、先ほどの手の主が抱きとめる。
突然の出来事で声を出すこともできずにいるビアンカに、男は耳元でそっとささやいた。
「酷いお方だ。言葉ひとつなく、私を無視するなんて」