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漂う白花  作者: 渡部ひのり
第四部
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86の話~秘書官R~

 かつてはエドアルド二世のお妃であったイザベラ・マレットは現在、王宮のとある一室に幽閉状態にあった。

 待遇は決して悪いわけではなかったが、イザベラは毎日のように不満を爆発させ、己の置かれた立場をはたして理解しているのか、とヴィンチェンツォは呆れ顔で呟いた。


「率直に申し上げるしかないようだが、このままではご自分の身に何が起こるか、全く理解できぬわけではなかろう。少しでも我らの心象を良くしたければ、それなりにご協力いただくしかない」

「回りくどいのは、あなたらしくありませんわ。はっきりとおっしゃったらどう」

 相変わらず態度がでかい、とヴィンチェンツォはいまいましそうにイザベラを睨み付ける。


「このまま知らぬ存ぜぬでは、間違いなく打ち首であろう。王宮から逃亡しただけでは飽き足らず、他国に機密情報を垂れ流し、あまつさえ諜報員の手助けをしていたなどと、反逆者以外の何ものでもない」

 打ち首、の言葉に、イザベラの声が明らかに震えているのがわかった。

「機密情報とは何かしら。私は何も」

「知らぬとおっしゃるのなら、それで結構。正直私もうんざりしている。あなたとこうして無駄に顔を突き合わせているのも、耐え難い苦痛だ」


「今のあなたに、誰が味方するというのだ。愛人や腹心の女官には裏切られ、頼みの綱の実兄でさえも、あなたの事は忘れ去っているかのようだ。それとも、どなたか助けに来てくれる算段がお有りなのか」

 黙りこむイザベラに向かって、ヴィンチェンツォは冷たく言い放つ。

 ロッカは二人の様子を、注意深く見守っていた。


「誰が来ようと、その頃には既に、あなたは処罰されているだろうがな。もはや陛下でさえも、あなたを庇う気は無いようだ。あの温厚な陛下を怒らせたのが決定的だったな」

 青ざめるイザベラに背を向け、ヴィンチェンツォは静かに歩き出す。

 そして、思い出したように言った。

「あなた方兄妹の亡き後は、伯爵家はビアンカのものになる。当然だろう。正統な後継者なのだから」


 それまで黙りこくっていたイザベラが、途端に激しい眼差しをヴィンチェンツォの背中に浴びせ、その美しい口を開いた。

「卑しい子。だからかしら、わざわざ宰相様が出向いて私を捕らえにいらしたのは。あの小娘にそそのかされて、ご苦労な事でしたわね。無事あの子が伯爵家を継いだら、あなたにはどんな見返りが待っているのでしょう。荘園を譲り渡すとでも言われたのかしら。何不自由ないお暮らしのご様子ですけど、あなたも大概、欲にまみれた人間のようね」


 馬鹿か、とヴィンチェンツォが一言呟く。

「あなたの洞察力は、その程度か。ウルバーノほどではないにしろ、もう少し頭が回ると思っていたが、俺の思い違いだったようだ。心の底から、残念に思う。もういい。あなたにこれ以上、用は無い」

 今度こそ、底冷えのするような瞳でイザベラを睨み付け、ヴィンチェンツォはその場を立ち去る事にした。


 待って、と震える声でイザベラがヴィンチェンツォを呼び止める。

「あの子に、ビアンカに会わせてちょうだい。話はそれからよ」

「どこまでも女王気分だな。それはこっちの台詞だ。まるでご自分が主導権を握っているかの物言いだ」

 辛辣な口調ではあったが、ヴィンチェンツォの表情は先ほどに比べると、幾分穏やかだった。

 いいだろう、とヴィンチェンツォは言い捨てると、風のように立ち去っていった。


「ビアンカ様に泣き付いて助命するようなお方とも思えませんが」

 後ろに控えていたロッカが、静かに口を開く。

「いくら足掻いたところで、あの女の運命に変わりはない。好きにさせろ。お前はビアンカに付いてやってくれればいい」

 御意、とロッカが応える。


「自分が口を挟む事ではありませんが、家督相続の件を、ビアンカ様はご存知なのでしょうか」

 いや、とヴィンチェンツォは短く答えたまま、早歩きで自分の執務室を目指していた。

「今話す事ではない。ただ、これから何が起こるかわからないし、彼女の為にできる最後の逃げ道を用意してやるとなれば、せいぜいその程度だ。せめて女性一人でも、安心して暮らせる土台を残してやりたい」

 あくまでも事務的な言い方のヴィンチェンツォの背中を見つめ、もう一度ロッカは御意、と呟いた。



***



 ロッカが珍しく、傍から見てもありありとわかるように、深く何事か考えながら歩いているのが、メイフェアの目に入る。

 北の庭園で、息抜きがてら散策をしていたビアンカとフィオナも、その姿に気付く。

 ロッカ様、と彼の様子に一切かまわず大声で呼び止めるメイフェアに、ロッカはぼんやりと視線を向ける。


「たまには、そのような時間を持つのも必要です。遠慮せず、お好きに王宮内でお過ごしになさっていただく方が、こちらも気が楽です」

 ありがとうございます、とビアンカはロッカに微笑む。それまでビアンカの足元に寄り添っていた猫が、ロッカの顔を見上げて、にゃあと鳴く。


「あなたも時々、ヴィンスが乗り移ったような顔をなさるのねえ。お忙しいのはわかりますけど、あなたこそ息抜きが必要ですよ。このところ、休暇も無しに働き詰めなのでしょう」

 フィオナが、ロッカに気遣わしげな視線を向ける。

「休暇など、今のところ必要ありません。毎日睡眠時間が確保できれば、自分はそれで結構です」

 猫を抱き上げ、無愛想に返答するロッカに、あらまあ、とフィオナが呆れたように呟き、それから思い出したようにのんびりと言った。


「そういえばつい先ほどまで、モニカが手伝ってくれていたのですけど、なにやら体調がすぐれぬようで、帰宅されるようでしたよ。いつも元気な子が、どうしたのかしらね。まだ王宮にいると思いますけど」 

 フィオナの隣でメイフェアが、真剣な顔でうなずいている。

 それまで虚ろな目で猫の喉元を撫でていたロッカは、丁寧に猫を下ろすと無言で頭を下げ、女性三人から遠ざかっていく。


「心配事が多すぎて、なんだかお可哀相ね。私、余計な事を言ったかしら」

「いいんですよ。ロッカ様もたまには、個人的に頭を使う必要があると思いますし」

 自然と急ぎ足になるロッカの背中を見つめ、メイフェアがしみじみとうなずいている。


 猫、とビアンカが呟き、他の女性二人が怪訝そうな顔をする。

 以前モニカ様の事を、猫みたいだとおっしゃっていたけれど、それも少しわかるような気がする。

 と、ビアンカは再び自分の側に戻ってきた猫を抱き、その柔らかい背中を何度もそっと撫で続けた。



 ロッカはほどなくして、馬車庫で荷造りをしているモニカを見つけ、とっさに呼び止める。

 その声に驚いて振り向くモニカは、確かに浮かない顔をしていて、普段のような快活さに欠けていた。

「お加減があまりよろしくないそうですが、大丈夫ですか」

 大した事はありません、とモニカの浮かべる微笑は、どことなく作られたもののように見える。

「あなたが、そのようなお顔をされるのは珍しいですね。何か問題でも」

 言い終えてから、尋問するような口調になる自分に気付き、ロッカは理不尽そうな表情を見せる。


 すみません、と謝罪するロッカに、モニカは自然な笑みをこぼす。

 そのモニカの笑顔に違和感があるのは何故なのか、とロッカが気付いた時には、モニカは素早くうつむいた。

 その小さな顔を両手で捕らえ、ロッカはわずかに顔を歪めていた。

「こめかみに傷がありますが、どうなさったのです。真新しい傷ですね。それに、ずいぶん大きな傷のようですが」

 転んで、と答えるモニカは、ロッカの目を見ようとしなかった。


「誰に傷つけられたのです」

 モニカが、誰かを庇っているのが、ロッカには手に取るようにわかる。

 違うんです、自分が勝手に転んだだけです、とモニカは傷を隠すようにロッカの手を掴んだ。

「あの、違います。本当に、家で、転んで椅子の角にぶつけただけですから」

 ロッカの大きな手を振り払うように、モニカは何度も柔らかな金の髪を真横に振った。


「では何故、後ろめたいような態度を取るのです」

 それは、と言葉に詰まるモニカを正面から見下ろすロッカからは、何ものにも例えようのない威圧感が感じられた。

 離してください、と潤んだ瞳で訴えるモニカに、ロッカは無言だった。


 モニカは、ロッカの手を掴んだまま、下を向いていた。

 ややあってから、モニカがぽつりと呟いた。

「私が、いけないんです。勝手に巫女様の本を持ち出したのがばれて、おじいちゃんが酷く怒ってしまって…。あまりの剣幕に驚いて、勝手に転んだのは私ですから、だから、おじいちゃんは悪くないんです」

 ロッカの手を握り締める小さな柔らかい手は、わずかに震えていた。


 本当に、と炎の宿るような瞳で問いかけるロッカに、モニカは、はい、と小さな声で返事をする。

「それにその後、おじいちゃんは急に気分が悪くなって倒れてしまいました。私が酷いんです。そうでなくても最近、あまりおじいちゃんは体調が良くないのに、私が興奮させてしまって」

「マエストロは、お加減がよろしくないのですね」

 はい、と言うモニカは、ひとつ鼻をすすりあげた。


「私も、おじいちゃんも大丈夫です、ご心配をおかけして、申し訳ありません」

 モニカは取り繕うようなぎこちない顔をして、ロッカを見上げた。

 帰ります、と、頬に添えられた両の手をそっと降ろし、モニカは荷馬車の馬に向かって足を進めた。


 モニカ、と囁いて、ロッカは後ろから風のような動作でモニカの細い肩を抱きしめた。

「マエストロにお伝え下さい。自分は、いつでも参上致すと。マエストロを怒らせたのはあなたではなく、自分なのですから」

 モニカの細い髪を撫で、ロッカは慈しむような声で言った。


 いいえ、と答えるモニカはその手を振り払う事無く呟いた。

「自分自身が隠し事ばかりだから、怒るんです。そうでなければ、何故あれ程まで祖父はオルドの巫女様の話になると、途端に感情を剥き出しにするのか。地下道の件だけではありません。まだおじいちゃんは、何か私達に隠しているんです」



***



 モニカと別れた後、再びロッカはビアンカのもとを訪ねた。具体的には、オルドの巫女の本の内容についてであった。

「そういう訳で、マエストロは知られたくない内容が、その中に記載されているようなのです。何か思い当たるふしはありますでしょうか」


「もし許されるのであれば、一度モニカ様のおじい様に、お会いする機会を設けていただけると助かります。ですが、あまりお体のご様子も芳しくないようですが」

 少し考えた後、ビアンカは静かに言った。

 問題ありません、とロッカは即答する。


「イザベラ様も、あなたにお会いしたいそうです。いかがなされます」

「断る理由もありません」

 ビアンカは硬い表情で呟いた。 

 自分に出来る事、出来る事、とビアンカは常に心の中で繰り返す。

 

 そうでなければ、自分はとっくに、壊れているだろうとの言葉を飲み、ビアンカはロッカに、挑むような瞳を向けるのであった。





 

 

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