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漂う白花  作者: 渡部ひのり
第四部
88/136

85の話~敗者達~

 ためらいながら、メイフェアはわずかに扉を開け、ビアンカの様子をうかがう。

 後ろからフィオナ達が押し合うように覗き込み、部屋の前は何とも暑苦しかった。

 ビアンカの後姿をちらりと眺め、ロッカは無言で踵を返し、立ち去った。

 もう終りなの、と名残惜しそうにアルマンドは言い、用があったのはヴィンチェンツォだったと思い出す。

 姿が小さくなるランベルト達を追い、アルマンドは小走りに歩き出した。


 一人にして差し上げた方がよろしいかもね、とフィオナは呟き、メイフェアの肩にそっと手を置いた。

 また出直します、とステラは気まずそうに誰にともなく言い残し、大股でもと来た道を引き返す。

 メイフェアは音を立てずに扉を閉めるが、しばらくその場を動けずにいた。

 そんなメイフェアの後ろに、カタリナが気遣わしげな視線で佇んでいる。

 ヴィンチェンツォ様は、と遠慮がちに問いかけるカタリナに、メイフェアは無言で首を振った。


 

 会話無く歩き続ける二人に追いつき、アルマンドは珍しく静かにランベルトの隣に並ぶ。

 無言で首を振るランベルトに、アルマンドも余計な事は言うまいとすました顔になる。

 しばらく黙っていたヴィンチェンツォが、ぽつりと呟いた。

「…ただ、後悔はしていない。言わずにいるよりは、諦めもつく」

 諦めるんですか、とランベルトは思わず言い、しまった、と慌てて口をつぐむ。

 ヴィンチェンツォは答えなかった。

 

 ヴィンチェンツォは階下の、宰相府に向かう回廊とは反対方向に体を向け、「少し散歩してくる」と言った。

 振り返らないヴィンチェンツォの背中を見つめたまま、「大丈夫かしら。自暴自棄にならなきゃいいけど」とアルマンドが言う。

 今回ばかりは打撃が大きすぎた、とランベルトは思う。

 詳細は知らされていないものの、ヴィンチェンツォはおろか、自分達が束になってかかっても、どうにもならない事態なのだと思い知らされる。


 メイフェアが言っていた、「二人で逃げる」案は、ヴィンチェンツォの中では選択肢に入っていないのだろう。

 結局のところ、ヴィンチェンツォは個人的感情を優先させる立場に無いのだ。

 俺だったら、あんなふうに受け止められるのかな、とランベルトは苦い思いを胸に、再び歩き出すのだった。



***



 ヴィンチェンツォは、相変わらず人気の無い北の庭園で自分の定位置に座り込み、ぼんやりと木々を眺めていた。

 鳥のさえずる声を遠くに聞きながら、放心状態でいるヴィンチェンツォの瞳には、何も映っていない。

 かさり、と茂みがわずかに音を立てて、小さな生き物が飛び出してくる。

 一瞬警戒したような顔を見せ、子猫がこちらを見ていた。

 ほんの少しだけ首を動かし、ヴィンチェンツォは子猫に「お前か」と言った。


 再び子猫を無視して、ぼんやりし続けるヴィンチェンツォに、子猫がわずかに歩み寄る。

「お前はいいな。いつでも側にいられるんだからな。もし来世があるなら、お前みたいに自由な生き物がいい」

 いつになく穏やかに話しかけるヴィンチェンツォに、子猫が近づき、その足元に体を寄せる。

 噛むなよ、と言うヴィンチェンツォを見上げ、子猫は一声鳴いた。

「ご主人のところへ早く帰ってやれ」

 真面目な顔をするヴィンチェンツォに、子猫はもう一度声を返し、ゆっくりと茂みに姿を消した。


 一方で、子猫より大きな音を立てる別の生き物がいた。

 ヴィンチェンツォが無表情でそちらを眺めると、カタリナが慌てた様子で口を開く。

「話し声がして、少し驚きました。お一人かと思ったので」

「意外でしたか」

 わずかに微笑をもらすヴィンチェンツォに、いいえ、とカタリナは口ごもり、しばらくうつむいていた。


「私のせいなのです。私が侍女の言葉に、自分を見失って、ビアンカ様を追い詰めてしまったのです。私こそ、お二人に恨まれて当然なのです。…ごめんなさい」

 震える声で、カタリナがもう一度、ごめんなさい、と謝罪する。

 ヴィンチェンツォは押し黙ったまま、足元の石畳を見ていた。


「誰のせいかなどと、責任転嫁するつもりはありません。あまりにも不安定な状況で、私自身、どこに転がってゆくのか検討もつきませんでした。これからもそうです、だからあなたも、あまりご自分を責めてはいけない。根本的な問題は、別のところにあるのだから」

 ヴィンチェンツォは、自分に言い聞かせるように、静かに言った。


 涙ぐむカタリナに「もういいから、あなたもお帰りなさい」とヴィンチェンツォは優しく語りかけた。

 カタリナは静かに頭を下げ、逃げるように駆け出していった。

 あまりにも自分が子ども過ぎて、ヴィンチェンツォ様も呆れ返っていらっしゃる。

 責を問われるほど、大人としても扱ってもらえないのは、自分が幼すぎるから。

 今更のように、自分の発言の重さが、ひしひしと自らの小さな心を押しつぶそうとしている。


 取り返しがつかないとはいえ、カタリナは、あんな事を皆の前で言うべきではなかったのに、と鼻をすすりあげる。

 周りは取り繕うような説明しかしなかったが、あの二人には、踏み込んでいけなかったのだと、改めて確信する。

 言われなくてもそれくらい、ヴィンチェンツォ様を見ていればわかる。

 どうしよう、とカタリナは止まらない涙をぬぐい、鼻をすすり続けていた。


 我ながら聖人のような物言いだな、とヴィンチェンツォは苦笑をもらし、仰向けに寝転がった。

 眩しい、と独り言のように呟き、ヴィンチェンツォは自分の瞼を覆うように両手を組み、容赦なく浴びせ続ける日の光をさえぎった。



***



 夕刻、ランベルトはいつもの食堂で、久しぶりに王都の食を堪能していた。

 やっぱり食べなれた味が一番、と鶏の煮込みや豆のスープを味わっていた。

 とはいえ今日の出来事に食欲をそがれている者が大半で、一同は言葉少なになり、あまり会話もなかった。

 そういえばロメオはどうした、とステラが思い出したように尋ねた。

 まさか今日まで忘れていたとも言えず、ランベルトは冷や汗をかきながら「そのうち戻ってくると思うよ」と言い、葡萄酒に口をつける。


「すごい綺麗な人が手伝ってくれて、ヴィンス様達と知り合いらしいんだけどね。アカデミアの同級生とか言ってたな。ロメオと仲よさそうに見えたけど」

 そうか、とステラは呟き、小さくちぎったパンを口に運ぶ。

 気が紛れるような会話をせずには、この場が持ちそうにないのは、ランベルトもどことなく感じている。

 時折、隣にちょこんと座るアンジェラの口元をぬぐい、「好き嫌いは駄目です」と、ステラはスープからさりげなく野菜をよけている少女に言った。


 珍しくあまり食事に手をつけないメイフェアを気遣い、ランベルトは「タルトでも頼む?」と優しく問いかける。

 さっき食べたわ、結構たくさん、とメイフェアは言い、代わりに葡萄酒をごくごくと飲む。

 そうか、じゃあよかった、とあやふやな返事をしつつ、ランベルトもつられるように葡萄酒を飲み続ける。


 メイフェアと同じように、あまり食の進まないエミーリオに葡萄酒を勧めるランベルトだった。

 少しだけ、と言うと、ややあってからエミーリオがぽつりと呟いた。

「僕、ヴィンス様と一緒に残った方がよかったのではありませんか。お一人で陛下にお会いになるなんて、もし僕がヴィンス様だったら、逆上して何するかわからないと思いますし」

 同感、と短くランベルトが言う。

 ほう、とステラが面白そうに声を上げた。


「お前が逆上するところなど見た事もないが、同じ男として、やはりそう思うのか。私も気にはなっていたのだが、なるようにしかなるまい。万が一そうなったとしても、閣下の人生はそこで終りだ。そこまで馬鹿じゃないだろう」

 わかるけど、なんだか、つまらないわね、とメイフェアが不満そうに言う。

「じゃあメイフェアは、二人が駆け落ちしてくれればいいわけ。さっきからそればっかりだ」

 かけおちってなに、と不思議そうに尋ねるアンジェラに、ステラは引きつったような笑顔を見せた。


「そうは言ってないけど、もう少し宰相様が粘り腰を見せてくれるものだと思っていたから、肩透かしだったのよ。…前もそうだったわ。ビアンカがいなくなっても、平然としてたもの。さすが宰相を務めるだけあって、凡人には理解できない思考回路なのかもね」

「平気なわけないだろ。我慢してるに決まってるじゃないか」

「だってあの人、変なところで引いちゃうんだもの、単にへっぴり腰にしか見えない」

 冷たい視線を送るメイフェアに、ランベルトも苛立ったような視線を投げ返す。


 子どもの前で喧嘩するな、とステラが低い声で言い、無理やり野菜を直接アンジェラの口に運んでやる。

 僕余計な事言ったかも、とエミーリオが恥ずかしそうに下を向く。

 メイフェアはふん、と一言言い捨てると、階下に向かって空になりつつある酒瓶を掲げ、「おかわり!」と怒鳴る。


「ちょうどよかった。俺も喉が渇いてるんだ。ついでに麦酒ももらおうか」

 皆は驚いて、声のする方を振り返った。

 バスカーレがよく通る声で「麦酒もな!」と階下の給仕係に叫ぶ。

 ヴィンチェンツォはランベルトの隣に勢いよく座り込み、手近にあるゴブレットに残りの葡萄酒を注ぎ込む。

 ヴィンチェンツォは驚いているランベルトに向かって「予約取るって言ってたじゃないか」と、さらりと言った。


 ええ、まあ、と言葉を濁すランベルトに目もくれず、一息に酒を飲み干すヴィンチェンツォだった。

 もうおなかいっぱい、とアンジェラは言い、椅子に座るバスカーレの膝によじ登る。

「陛下と話をしてきた。あまり長居すると殺意がわきそうだったからな、適当に切り上げてきた」

 そうですか、とランベルトは曖昧な笑みを返す。

 思ったより元気そうだ、とランベルトは思うが、これでも精一杯なのだろう、とふいに涙が出そうになる。


「お、お役に立てず、すみません」

 いつの間にか、ランベルトの隣でメイフェアが、涙でぐしゃぐしゃになった顔でヴィンチェンツォを見つめている。ランベルトがぎょっとして、慌てて妻の顔を拭う。

 なんだ、もう出来上がっているのか、とヴィンチェンツォは苦笑して二人を見ていた。

 お前らに泣かれたら、俺が泣けないだろうが、と憮然として呟く。

 

「泣いてもいいんですよ、誰にも言ったりしませんから」

 真剣な顔で訴えるメイフェアに反するように、ヴィンチェンツォは涼しい顔をする。

「飲ませてくれればそれでいい。今日は酔いつぶれても、見捨てずにいてくれれば、とりあえず嬉しいかな」

「変に騒がれても困りますから、きちんとご自宅まで送り届けますよ。団長が背負ってくれますから、問題ありません」

 ステラは冷静な表情を崩さずに、いつの間にか追加でもらった麦酒を飲んでいる。

 不思議そうな顔で自分を見上げるアンジェラの柔らかい頬を撫でると、バスカーレは苦笑いをしつつ、特大のゴブレットの中身を飲み干した。




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