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漂う白花  作者: 渡部ひのり
第四部
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80の話~あなたに、伝えたい~

 サントロワの町は夜の帳に包まれ、湖畔にはいくつもの明かりが揺れていた。

 国王に面会予定のアルマンドに便乗したヴィンチェンツォ達も、目立たぬように離宮内で待機中である。

 王への献上品だという、螺鈿の埋め込まれた燭台や杯などをおそるおそる箱から取り出すと、アルマンドはその美しさに、改めて感嘆のため息を漏らす。

「壊れてなくてよかったわ。そうじゃなきゃ、はるばる来た意味も無いもの」

 コーラー国王は、アルマンドにとって大口の顧客の一人である。

 継続的な商いの為、こうしてアルマンドは足しげく他国の国王の下へと通うのであった。


「ロメオの方はどうなってるのかな。今のところ、問題ないみたいだけど」

 窓から湖畔の船を眺めつつ、ランベルトが落ち着き無く部屋の中をうろうろとしていた。

 ヴィンチェンツォ達とは別行動で、ロメオはアデル達旅芸人の一座に紛れ込んでいた。

 この中で、イザベラに一番接触しやすいのはロメオしかいない。ヴィンチェンツォ達はひたすらここで動向をうかがうしかなかった。


 湖に浮かべられた舞台で、一座は舞を披露する予定になっている。

「端っこで、適当にしていればいいわ」

 と、アデルがいとも簡単に言ってのけたが、ロメオは「ばれても知らないからね」と相変わらず恨みがましい目でヴィンチェンツォを睨んでいた。


「もっと側に、近づけないものかな。どうしたらいい」

 船を眺めつつ、腕組みするヴィンチェンツォに、アルマンドは慌てたように言い返す。

「これ以上はお薦めできないわね。暗闇に紛れて、湖畔まで近づくのは出来るかもしれないけど。その後の事は責任持てないわよ。それに、あそこでイザベラ様に接触するのは危険過ぎるでしょ」

 そうだな、ともどかしそうにヴィンチェンツォは呟いた。


 正直、今更イザベラが戻ったところで、何がどうなるわけでもないのに、とランベルトは思っていたが、ヴィンチェンツォなりの考えがあるのだろうか。

 それでも最近は、宰相閣下があまり深く考えず、思いつくままに行動するのが目立つ。

 今回も、単なる意地の張り合いじゃなければいいんだけど、とランベルトは無言でヴィンチェンツォを見つめていた。


「もしよければ、お聞かせ願えませんか。イザベラを連れ帰って、どうなさるんです」

 このまま行動に移るのは、不安だった。ランベルトの真剣な口調に込められた思いに、ヴィンチェンツォも気付いたようである。

「あの女を捕まえたところで、ウルバーノに揺さぶりをかけられるとは思っていない。むしろ、奴なら妹だって使えないとわかれば、即座に切り捨てるだろう。いや、もう既に見捨てているような気もするしな。目的じゃないんだ。この状況で何が効果的か、いろいろ考えてる」


 それって、つまりは何も考えてないんじゃ、とランベルトは一気に脱力しかけるが、宰相様は、具体的な話から遠ざかろうとしているようにも感じ取れた。

「それに、一度どんな国か見てみたかったんだ。間違いなく、いずれコーラーは敵になる。俺としても、全面的な争いは避けたいところではあるが」

 そうですか、とランベルトはため息混じりの声を漏らし、ようやく椅子に座った。


「やっぱり駄目だ。国王のご尊顔を是非拝見したい。何処かでこっそり、見てみたいんだが。アルマンド、何か策はないか」

 ヴィンチェンツォの、氷を連想させるような美しい瞳に釘付けになりつつも、アルマンドは煮え切らない態度で首を振る。

「船から降りた後なら、機会はあるかもしれないけど。でも、寝室周りなんて、それこそ警備も厳しいんじゃないかしら」


「それなら既に、手は打ってある。ロメオいわく、『ものすごく強い酒』をアディ達が大量に差し入れてくれたらしいからな。公演前に、下々の者まで振舞うのが恒例らしい。今回は薬も仕込んであるから、多少は時間稼ぎが出来ると思う」

 そんなんで大丈夫なのかな、とランベルトは未だに不安を消せずにいたが、ヴィンチェンツォがいつになく緊張しているのも伝わってきた。


「手早く済ませましょう。船から降りた後のタイミングを見計らって、イザベラを捕らえます。ロメオ次第な部分もありますけどね」

 建設的な意見を述べるランベルトを、意外そうにヴィンチェンツォは眺めていた。

「何です」

「いや、今のお前の姿を見たら、ステラが倒れるんじゃないかと思って。手早くなんて、俺は初めて聞いたぞ」



***



 アデル達一行を乗せた船が、湖に設えてある舞台に寄せられた。

 こんなところで踊るの、と、足元のおぼつかないような舞台を目の当たりにし、ロメオは狼狽しきっていたが、本番前で自分の世界に入り込んでいる無表情のアデルの横顔に、自然と身が引き締まる思いだった。

 ちらりと、王達を乗せた船に目をやると、その中には懐かしいイザベラらしき女性も同伴していた。

 自分が知っているイザベラと違い、今の彼女は豪奢な金髪をなびかせ、年老いた国王の耳元で何事かささやいていた。


 あんな今にも死にそうな老人に取り入ってまでして、あの子はいったい何がしたいんだろうね、とロメオは虚しさを感じつつも、持ち場の一番端で、舞姫らしく淑やかな仕草をみせる。

 隣にいるアデルが、低い声でささやいた。

「舞台から落ちないでよ。今まで落ちた人なんか、いやしないんだから。たちどころにばれるわよ」

「わかってるよ。僕、泳げないし」


 信じられない、と目を見開くアデルを無視して、ロメオはベールに包まれた顔を伏せた。

 まあいいわ、とアデルは呆れたように呟き、「打ち合わせどおりに頼むわよ。わからなかったら、私の真似をしてくれればいいわ」と言った。

「僕に不可能は無い」

 その格好じゃなければ、結構説得力あったのに、とアデルはもう一度残念そうに呟いた。



 遠くから、楽器を奏でる音が漂ってきた。

 始まったな、とヴィンチェンツォは言うと、窓の外を遠眼鏡で覗いてみる。

 アデルの隣に、ロメオらしき舞姫の姿が目に入った。

「どうにか、さまになっているようだ。宴が終わるまで、しばらく仮眠でも取るか」

 唐突に言うと、ヴィンチェンツォは長椅子に体を投げ出し、「後は頼んだ」と一言残してまぶたを閉じる。


 ランベルトは何か言いたげな顔で、ヴィンチェンツォの端正な寝顔を眺めていた。

 俺だって疲れてるんだけどな、と心の中でランベルトは呟いた。

 そしておもむろに、自分の奥さんは今頃何をしているんだろう、と椅子に腰を降ろしながら、遠い目で天井を見上げた。 

 なんだか、普段自宅にいる時と、さほど状況は変わらないように感じる。

 一緒にいる相手が違うだけだったが、ヴィンチェンツォもメイフェアも、行きつくところは同じ人種のようだ、とようやく確信しつつあるランベルトだった。



***



 夢を見た。

 いつものように、儚げな微笑みをたたえたビアンカの姿に、ヴィンチェンツォは思わず手を伸ばす。

 黙って悲しそうに首を振るビアンカに、何故かその手は届かなかった。

 彼女の愛らしい唇から漏れる言葉も、何一つ聞き取れない。


 そして自分の体も、いつのまにか麻痺してしまったかのように硬直したまま、身動きが取れずにいた。

 自分に背を向けてゆっくりと去っていくビアンカに、ヴィンチェンツォは喉の奥が千切れるような声を振り絞る。

 まだ何も、あなたに伝えていない。

 心だけで、充分伝わっていると思っていた自分は、相変わらず傲慢だった。


 今なら全てを伝えられるのに。

 重ねた唇だけで伝わらないのなら、全てをさらけ出してもいい。

 なのに何故あなたは、自分を他人のように扱うのか。


 それすらも、ビアンカに届くことはない。

 絶叫は音にならず、ただ自分の心の中でのみ暴風のごとく荒狂っていた。

 そんなはずはない、と振り返らないビアンカの姿を受け入れる事が出来ずに、ひたすら叫び続ける自分を遠くから眺め、そうだ、これは夢だ、とヴィンチェンツォは悪夢の奥底から脱出しようとあがき続けていた。



***



「すごい汗ですよ。そのままにしたら、風邪を引きます。看病してくれる優しい女性も見当たらないし、自己管理しかありませんからね」

 ランベルトは、ものすごい勢いで長椅子から飛び上がったヴィンチェンツォに驚きつつ、着替えを勧めた。

「どれくらい、寝ていた。随分寝たように感じるが」

「せいぜい、二十分ほどでしょうか。少しは疲れが取れた…ようには見えませんけど。大丈夫ですか」

 問題ない、と気遣うランベルトに短く返し、ヴィンチェンツォは汗にまみれた絹のシャツを床に脱ぎ捨てた。


「かごがあるのは、ご存知ですよね。手当たり次第に散らかすのは、いただけません。猫が服の上に粗相をしても知りませんよ」

 ある日、耐えかねたビアンカが半分怒ったようにヴィンチェンツォを諌めた事があった。

 素直に「すまなかった」と答えるヴィンチェンツォに、ビアンカも居心地悪そうに「こちらこそ、余計な事を」と口ごもっていた事を思い出す。


 床に一度捨てたシャツを無意識に拾い上げながら、ヴィンチェンツォはぼんやりと窓の外を眺めていた。

 嫌な夢だった。今まで生きてきて、あそこまで後味の悪い夢を見たのも、ヴィンチェンツォの記憶に無かった。

 同時に、自分がとてつもなく弱い生き物のようにさえ感じ、思わずビアンカの姿を思い浮かべる。


 あまり考えないようにしていたはずが、こうやって夢の中に現われるとは、結局自分も何処にでもいる男の一人でしかない、とヴィンチェンツォは今一度自虐的になる。

 自分はどうしてしまったのか。

 彼女と一緒にいればいるほど、自分の心を保つ事が難しくなっている。

 けれど、それが嫌だと思う事は無かった。

 ただ、自分の人としての足りなさを、歯痒く感じ続けていた日々だった。


 それも、言葉が足りないせいなのだ。

 自分も、彼女も。

 戻ったら、伝えたい事があった。


 今までの女性達のように、焦らしたり、謎かけをしたり、言葉遊びをするような戯れは、今となっては時間の無駄でしかなかった。

 本当に大切な人ならば、そんな必要もない。


 早く帰ろう、と掴んだシャツで顔を拭い、ヴィンチェンツォは風に揺れる松明の灯火を、射る様な瞳で見据えていた。

 




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