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漂う白花  作者: 渡部ひのり
第三部
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78の話~幸福のかたち~

 翌日ロッカ達は、アメリアの部屋から持ち出した、ウルバーノの書簡をあらためていた。

 同時に、彼女の靴の中から怪しげな粉末の入った小瓶を幾つか見つけ、ロッカは「今ここであなたに全て順番に飲んでいただいてもよろしいですか」と、取調べ中のアメリアに突きつけた。

 思わず恐怖で身を硬直させ、アメリアは取り乱しながら何度も「死にたくない!」と憔悴しきった顔を振り続ける。


「コルレアーニ様や、狩猟小屋の男に毒を盛ったのは、あなたでしたか。お手紙、拝見させていただきました」

 アメリアは声にならない声を上げ、もはや発狂寸前であった。

 後生大事に保管されていた、ウルバーノの書簡の数もさほど多くはなかったが、何度も読み返したのか、指先でインクが滲んだ跡がところどころに見受けられた。

 自分が不在時の指示と、最後にほんの少しだけねぎらう言葉が記され、『時が来たらまた会おう』と結ばれていた。


 指示された内容は、さほど難しい事ではなかった。

 まずは、以前からウルバーノによって、薬物中毒に仕立て上げられていた狩猟小屋の管理人に、毒物を混ぜた麻薬を手渡した。

 ウルバーノからの定期的な薬物提供が途絶え、禁断症状の体を見せていた男は、何の疑いもなく飛びつき、薬を直接鼻から吸入した。

 一方、コルレアーニ男爵の場合は、牢番の酒瓶にこっそり睡眠薬を忍ばせ、頃合いを見て再び牢へと赴き、差し入れた菓子の間に、毒薬を仕込んだだけであった。

 目撃者は、誰もいなかった。


 そんな恐ろしい事を、愛人の為とはいえ言いなりになるとは、哀れな女だ、とステラは思うが、同情する気にはなれない。

 何よりも、女性を使い捨てるような男は、女の敵、とステラは怒りの矛先をウルバーノに向けた。

「宰相閣下が、ウルバーノを嫌いだと申していたのがよくわかりました。似た者同士かと思っていましたが、閣下のように開き直った悪者ならともかく、伯爵はやる事が卑怯です」


 バスカーレはステラの言葉に苦笑をもらす。

「今回はよりによって、カタリナ様の侍女だという先入観からか、アメリアの存在が盲点になっていたようだ。後宮内も安全とは言い難い。他の方々が無事だったのは幸いだが、安全が前提だからな、慰めにもならん」

 


 新しい詰所の完成を間近に控え、バスカーレ達も相変わらず多忙だった。

 加えて、見習い志願者が気が付けば予想より遥かに多く集まり、編成作業にステラも追われていた。

 今のところ百五十人です、とステラはバスカーレに報告し、「今の何倍だと思ってるんだ。多すぎやしないか」と、思わず消極的になってしまっていた。

 アメリアの件もあることだし、身元の確認を万全にする必要があるな、とバスカーレは弱りきった顔で、顎をなでた。


 ビアンカを訪ねてきたクライシュに遭遇すると、「そんなわけなので、大変人手不足です。復帰していただいてもよろしいでしょうか」と有無を言わせぬ調子で、ステラはクライシュに王宮騎士団への復帰を促した。

「冗談じゃありませんよ。今はビアンカ様の教育係ですから、金獅子騎士団ならまだしも、こちらに常勤などと、そこまで私の手が回るはずないでしょう。それに、学校があるんです。無茶を言わないで下さい」

 自由を愛する異国の学者は、ステラの迫力に気圧されつつも、自分の自由を逃すまいと必死で抵抗を続けた。


「僕でよろしければ、何かお手伝いします。雑用しかできませんけど」

 クライシュと一緒に王宮を訪ねてきたエミーリオが、おずおずと協力を申し出た。

 良いのか、とステラは嬉しそうに目を輝かせる。その二人の間に、慌ててクライシュが割って入る。

「それこそ冗談じゃありませんよ。この子は優秀な子です。将来は私の後継者となるべく運命にありますから、今のうちに教える事が山ほどあるんですよ。彼を巻き込まないで下さい」

 クライシュは目の色を変え、エミーリオをかばうように何度も首を振った。

「でも結構、僕の同級生達も騎士団に志願している者が多いんです。僕にも、何かさせて下さい」

「そうだな、それに比べてお前の先生は酷いな。ご自分の事しか考えておられぬようだ」


 こんな若者でさえ国を憂い、行動しようとしているのに、とステラは付け加え、クライシュをじろりと見た。

「正直、他国の政変に関わるような事はしたくないのですよ。わかるでしょう、私にもいろいろ事情があるんですけど」

 涼しい顔をしてステラが、弱々しく言い訳するクライシュに言った。

「先生一人のお力で、国がひっくり返るわけでもなし、考えすぎです。ちょっと事務処理を手伝って下さればいいだけなのです。それに、ビアンカ様の件で、既にあなたは当事者でもあるんですよ」


 言っている事が無茶苦茶だ、とクライシュは頭を抱える。

 昔は皆、素直な子ども達だったのに。今はああ言えばこう言うのお手本のようになってしまった。

 ロッカもステラも、明らかにヴィンチェンツォの影響に違いない、とかつての教え子達の成長ぶりを複雑な心境で実感するのであった。


 エミーリオの手にしたかごが、逆らうように縦横無尽に揺れ続けている。

 中の子猫はまた大きくなり、窮屈そうに暴れていた。

 それより、このかごを早くお届けしないと、ふたがそろそろ壊れそうです、とエミーリオが焦りながら言う。

 猫の凶暴さを目の当たりにしていたクライシュは一瞬怯み、そうでしたね、と言い、ステラには「考えておきます」と渋々返すのであった。



***



 思いがけない子猫との再会に、ビアンカは心から喜んでいた。

 猫はビアンカの声に早速反応し、早く出せと言わんばかりにかごの中で暴れていた。

 決死の覚悟で猫を捕獲したエミーリオの腕は、傷だらけだった。

 ありがとうございます、とエミーリオに礼を言い、ビアンカは傷の手当を致しましょう、と少年を気遣った。 


 それまでの暴れっぷりは何処へ消えうせたのか、猫は何度もビアンカの足元にすり寄り、甘えた声を出す。

 恐ろしい、と改めてクライシュは身を震わせた。

「なんだか、ヴィンスにそっくりではありませんか。誰かに似ていると思っていたのですが、このわがままぶりが、彼と一致するようにしか思えません」

 そうでしょうか、とビアンカは困ったように微笑み、つぶらな瞳で自分を見上げる猫を見た。


 クライシュはようやく、今日の目的を思い出した。猫の宅配ではなかった。

 猫から若干離れた所で、クライシュはビアンカに声をかける。

「ご所望の詩篇ですが、集められる限り、集めてきました。全てではないのが、残念です」

「仕方ありません。口承のみで、代々受け継がれてきたものですし、私も遊びの一環でしかありませんでした。うろ覚えの記憶も、どうにかこれで解決すると私も安心です」


 先日、オルドの巫女のみが知ると言われている、詠唱聖歌の話になり、エドアルドは「あなたはいくつご存知なのか」と目を光らせた。

「百にも満たないと思います。母は、三百程あると言っていました。ただ、旋律は二十種でそれは全部覚えています。詩はそれとの組み合わせになります」

 それで充分だ、とエドアルドはビアンカに満足そうに言い、クライシュに何かよい手立てはないかと相談する。


「口伝と言いつつも、実際はあちらこちらに書き留められたものを何度も目にしています。お役に立てるなら、編纂して参りましょう」

 そしてクライシュは今日、満を持して、徹夜で編集した詠唱聖歌の本を持参したのであった。


 歌が歌えるだけで、巫女だと認めてもらえるようになるのだろうか、とビアンカの不安は拭えなかった。

 それでも神秘性のある、今は存在しないはずのオルドの巫女になるには、これが一番効果的なのではないか、とエドアルドは主張していた。


 ビアンカは、モニカから借りたオルドの巫女の帳面の中に、古オルド語で書き残された詩篇の一部を見つけていた。

 それをビアンカに見せられ、クライシュは喜びを隠し切れないようだった。

「自分の方こそ、是非お借りしたいくらいですが、いずれ暇になったらということで、それまでお預けにしておきます。こんなものが残されていたなんて、なんて素晴らしいのでしょう」 


 普段は物腰柔らかい青年が、古オルドの話となるとたちまち興奮して自分の世界に入り込んでゆくさまは、ビアンカにとっては未知の世界に生きている人であった。

 変わった方だが、この方の協力なくては、エドアルドの計画は初めから頓挫していたであろう、とビアンカは思う。


「それにしても何故、巫女様はわざと紙に残されたのでしょう。禁じられていたはずなのに、誰かに見てもらう為に書き残したとしか思えません」

「もしかしたら、ご自分が一番、巫女である事に違和感を感じていたのかもしれませんね」

 ビアンカは、不思議そうにクライシュの顔を見上げた。


 俗世間に触れてしまい、本来の人としてあるべき姿について、葛藤があったのには違いない。

 実際宮廷を抜け出した後、その巫女は普通の女性として、ひっそりと世間に紛れて暮らしていたようであった。


「所詮、巫女も人である、と精一杯我々に語りかけているようにも見えます」

 クライシュはぽつりと言い、最後の頁に書かれている小さな文字に目を落とした。

「これは何でしょう。古オルド語のようですが、暗号のような、略語の羅列ですね」

 腕を組み、クライシュはまた一つ楽しい作業が増えました、とにやりと笑った。



***



 後日、アメリアの様子を伝え聞いたメイフェアも、ステラと同じ感想を述べた。

「殺人者に同情はいたしませんわ。よくよく考えれば、利用されていただけだと気付くものでしょうに。それだけ、ウルバーノ様を信じきってらしたのでしょうけど。奴はとことん女性の敵ですわ」

 むしろメイフェアは、カタリナを心配していた。

 あれから沈み込んだまま、部屋から一歩も外に出ようとしなかった。

「今更ですが、私も場所を選ぶべきでした。何も知らないカタリナ様を傷つけてしまって、浅はかでございました」

 

 フィオナは落ち込むメイフェアの肩をぽんぽんと叩き、くすりと笑った。

「大丈夫ですよ。気を利かせて、ロッカがカタリナに差し入れをしてくれたんです。最近流行りの、なんとかという女流作家の小説をいただいて、どうやらそれを読みふけっているだけのようよ。読み終えたら、また出てくるでしょう」

 そうなんですか、とメイフェアは面食らったように答える。


「確かに、アメリアの事で落ち込んではいるようですけど、詳しくは私達も知らせていないのよ。あの子には出来れば、陰謀などには無関係の生活を送らせたいわ。実際あなたと違って、そういった話には向いていない性格ですし」

 褒められたのか、けなされたのかわからないわ、とメイフェアは怪訝そうな顔をした。


「だからあの子が箱入り娘なのね。私達は本当に、甘やかしすぎてるわ。王族の一員としては、それでは生きていけないのだけど」

 でも、お気持ちはわかります、とメイフェアは言った。

「今までが、あまり良い家庭環境ではなかったせいか、あの子自身の自己評価も低いですし。あの子が必要としているものをたくさん与えて、埋めてあげたかったの。それもきっと、子どものいない私の勝手な思い込みかもしれませんね」


 カタリナの実母は、どちらかというとイザベラのような享楽的でプライドの高い女性であった。

 元王族の両親の間に生まれ、受け継いだ王族としての誇り高さを捨て去る事が出来ずに成人し、カタリナを産んだ。

 カタリナにはあまり関心を示さず、相変わらず華やかな生活を好んだ。

 カタリナの父親であったフラヴィ伯爵は、母親とは四十も離れていた。


 この結婚は明らかに、伯爵の財産目当てでしかなかった。

 当時、広大な荘園を所有しており、何一つ不自由なく暮らしていた伯爵に唯一足りなかったのは、自身の家族であった。

 早くに流行り病で妻子を亡くし、自分は孤独な晩年を送るであろうと想像していた矢先に、若く美しい女性と出会った。

 伯爵は、王族の血を引く女性を妻に迎える事に、この上ない喜びを見出していた。


 母親の思惑どおり、伯爵はカタリナが幼い頃に病で亡くなり、母親は残された財産を湯水のごとく散在した。

 気が付けば、無一文に近いありさまであった。

 現在は、王宮から派遣された財産管理人のおかげか、どうにか母親は死なずに済んでいるようである。


「伯爵様が、もう少し長生きしてらしたら、カタリナの人生も変わっていたかもしれませんね。なにせお母様は、若い愛人にばかり夢中で、カタリナを邪魔者扱いしてましたから」

 フィオナは遠い目をして呟き、メイフェアは黙ってフィオナを見ていた。


「カタリナがいつか、本当に自分が幸せだと感じられる日が来ると、いいわね」

 ええ、とメイフェアはうなずき、お茶にいたしましょう、と明るく言った。

 そしてビアンカにも、彼女自身の幸せを手に入れて欲しい。けれどそんな日が、いつやって来るのか、メイフェアにはまるでわからない。

 

 早くお帰りになって下さい、とメイフェアは遠く離れたヴィンチェンツォの帰りをひたすら願う。

 そうしたら、宰相様はどうなさるのだろう。

 ビアンカを連れて、遠くに逃げたりなさるんだろうか。

 廊下に出たメイフェアは一人、わからない、と無言で首を振った。







~第三部終了~







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