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漂う白花  作者: 渡部ひのり
第三部
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77の話~溢れる思い~

 メイフェア達は思いつくままに、後宮の中や外を歩き回っていたが、アメリアは何処にも見当たらなかった。

 中央の庭園では、額に汗を滲ませながらも、薔薇の手入れをするモニカに出会い、ロッカは一瞬和んだような表情を見せる。

 隣で無意味に殺気立つメイフェアの存在に気付き、「後ほど」とだけ言い残して、ロッカ達は再びアメリアを探しに王宮の裏門へと足を運ぶ。


 どうして何処にもいないのよ、と、耐えかねたメイフェアが爆発する。

 自分達が探し回っている事に気付いているのかもしれませんね、とロッカが彼女を落ち着かせるように分析する。

 その時、突如盛大に、メイフェアのお腹の音が周囲に鳴り響いた。

 思えば騒動のせいで、二人は昼食を逃しており、今頃になって空腹であったと気付く。

「少し、休憩されたらいかがでしょう。あまりお腹が空き過ぎても、精神的によくありませんから」

 と、ロッカは、いつも以上にカリカリしているメイフェアに声をかけた。


 メイフェアは女官用の食堂へ行き、ロッカの分も、お菓子があれば見繕ってこよう、とくたびれた体を引きずって扉を開けると、そこにはアメリアが、数人の女官達と茶飲み話をしているのに出くわす。

 あんなに探し回ったのに、こんなところでよくもまあ、のん気にくつろげるものだわ、とメイフェアは怒りがこみ上げてくるのを感じ、アメリアを睨み付けた。


「お疲れのご様子ね。無理もないわ、あんな事があった後ですもの。よろしかったら、クリームパイでもいかがかしら」

 アメリアの挑戦的な微笑みに、メイフェアは怒りで肩を震わせた。

「よくもそんな、他人事みたいに言えるわね。あなたが、カタリナ様を焚き付けた張本人のくせに。陛下だって、あなたが告げ口した事はご存知なのよ」


「私は、カタリナ様を心配していただけですわ。あなただって、自分の主人の周りを、どこの馬の骨ともわからない女がうろうろしていたら、それは心配で忠告したくなるでしょう?それに、今はともかく、どなたにも口止めされた覚えもありませんし、私が非難されるいわれもありませんわ」

 アメリアの態度は、何処吹く風であった。


「口を慎みなさい。あの方に、無礼は許しません」

 精一杯、冷静さを保とうと怒りを抑えるメイフェアに向かって、アメリアはふふんと鼻を鳴らす。

「替え玉が都合悪くなったら、今度は巫女ですって。それも怪しいものだわ。陛下はああおっしゃってましたけど、私たちがそんな茶番に付き合う義理などありませんわよ、ねえ、皆さん」

 カタリナの侍女達は、冷ややかな視線でメイフェアをじろりと睨み付けた。


 負けるもんか、とメイフェアは空腹のせいもあってか、いつも以上に鬼の形相で彼女達を負けじと睨み返す。

「負け犬の遠吠えは、見苦しいわよ」

「負け犬とは誰の事かしら。もしや私達に向かっておっしゃっているのかしら」


「宰相様を取られて悔しいんでしょうけど、あの二人に付け入る余地なんて、虫一匹入る隙もないんだから。そっちこそ、身の程を知ればいいのよ!あんな世間知らずな子、宰相様が相手になさるはずないじゃない!」

 話がずれてきた、とメイフェアは気付きつつも、今までの蓄積された鬱憤を晴らすかのように吼えまくる。


「虫ですって。こともあろうに、お妃様に向かって虫とは、それこそ聞き捨てならないお言葉ですわね」

「虫だから虫って言ったのよ!文句があるならかかってきなさいよ!」

 言い終えるやいなや、メイフェアは手直にあったクリームパイを一切れ掴むと、思い切りアメリアの顔に叩きつけた。


 女官達は、信じられない行動に唖然として、メイフェア達を呆然と眺めていた。

「何するのよ、野蛮な子ね!」

 アメリアが金切り声を上げながら、メイフェアに思わず掴みかかった。

 もはやお互いに、高級女官の面影は微塵にも感じられない。

「お肌に潤いが足り無そうだったから、直接塗りつけてあげたのよ!」

 大量に付着したクリームを、更にアメリアの顔に力任せに擦り付けながら、メイフェアもありったけの声で叫び返す。


「これだから、卑しい孤児は嫌いなのよ。よくもあなたみたいな子が王宮に潜り込めたものよね。人のいいランベルト様を騙していい気になるのも、目に余るわ!恥を知りなさい!」

「卑しい孤児がここにいるのも、あんたの愛してやまないウルバーノ様のおかげよ!」

 二人は悪態を付きながら、お互いの顔にクリームパイを投げつける。


 女官達は怯えながら、蜘蛛の子を散らすように逃げ出し、廊下で「どなたか!」と取り乱した様子で大声を上げる。

 あちらこちらの扉が開き、他の女官達が怯えきった顔を覗かせた。

 ビアンカの客室から、いつまでも戻ってこないメイフェアを待ち続け、空腹で弱りつつあるロッカも反射的に廊下に飛び出した。

 また何か事件ですか、とロッカはうんざりしたように独り言を言った。


 フィオナの部屋で、料理長のクリームパイを堪能していたらしきエドアルドも、後宮内の異変に眉をひそめ、かじりかけのパイを片手に、何事かと廊下に出る。

 エドアルドの姿を見つけた女官達が、青ざめた顔で息を切らして口々にわめき散らした。

「メイフェア様とアメリア様が、食堂で取っ組み合っているんです!どなたかお止めして下さらないと!」



 男二人がかりで、どうにか暴れる女官二人を引き離すと、改めてエドアルドとロッカは、荒れ果てた食堂を力の無い目で眺めていた。

 料理長のご自慢のパイは粉々に砕け、クリームはそこらじゅうに飛び散っている。

 乱れきった髪を何度も振り、メイフェアは「くそ女!」と高級女官にあるまじき台詞を吐き、一方アメリアは「小娘がいい気になるんじゃないよ!」と肩で息を切らしていた。


 この場にランベルトがいなくてよかった、とロッカは自分の友人を気遣い、二人が未だに睨み合っているのを横目に、食堂の椅子にどさりと座り込んだ。

「暴力はよくありませんね。ですが自分もアメリア殿に用がありましたので、これで片付きそうです、尽力いたみ入ります」

 ロッカは、アメリアと同じようにクリームまみれになっているメイフェアに頭を下げた。


「あなたは何処から、ビアンカ殿がイザベラ様の身代わりだという情報を手に入れたのでしょう。今更お尋ねする必要もありませんね。ウルバーノ様は、お元気でしょうか」

 アメリアは息を飲み、ロッカの狩人のような瞳から逃れる事ができなかった。

 気だるそうにロッカは続けた。


「ここでは場所が悪いようです。宰相府までおいでいただく事になりますが、何か弁明がお在りでしたら、聞かせていただけますでしょうか。他にもお聞きしたい件がありますが、ここで話すのもどうかと思われますし」

 ロッカは、自分の忍耐力は他の誰よりも強いはずだと自負していたはずだったが、今日は一刻も早く、知りうる限りの情報を手に入れたくて仕方が無かった。


 自分が思うより、カタリナの爆弾投下が心身共に堪えていたようである。

 早く帰って、猫を撫でながら寝たい、とロッカはガラス玉のような瞳で、動揺するアメリアを直視していた。



***


「すみません、今日は一日中休まる時間も無くて、お詫びのしようがありません」

 ビアンカは、メイフェアの分も兼ねて、いつまでもロッカに深々と頭を下げ続けていた。

 いえ、と短く答えるロッカの顔は、尋常ではない疲労が、ありありと色濃く残されている。

「何にせよ、メイフェア殿のおかげです。明日改めて尋問する予定ではありますが、まずは一段落着いたようです」


「今日はもう、お休み下さい。自分に気遣いは無用です。ヴィンスの代わりとはいきませんが、何も心配なさらずに大船に乗った気でいて下さると、自分も気苦労が減ります」

「何処までも、私はご迷惑でしかないのですね。この身が、正直疎ましく思えます」

 ビアンカの後ろ向きな発言はいつもの事であったが、ロッカは黙ったまま、自分の沸き起こる不確かな感情を抑えるように、拳を握り締める。


 二人共、必要以上に言葉を発する性格ではなかった。

 自分は、としばらくの沈黙の後、ロッカは搾り出すような声でささやくのであった。

「お守りできず、申し訳ありませんでした。自分は、いつまでも、ヴィンスとあなたが互いに寄り添う姿を見ていたかったのです。なのに結局は」

 ロッカが次第に激しい口調になるのを、ビアンカはただ驚いて聞いていた。


 ヴィンスの代わりですから、と言いながら、ロッカはビアンカを引き寄せ、その頼りない体を抱きしめた。

 申し訳ありません、と何度もロッカは繰り返し、その細い体からは信じられないような力でビアンカにすがりつくように、ひたすら腕の中から逃すまいとしていた。

「ありがとうございます。皆様のお気持ちに応えられるよう、偽者なりに、精一杯努力させていただきますね」

 ビアンカはロッカの大きな背中を何度も撫で、笑いを含んだような声でささやき返す。


「偽者ではありません。あなたは確かに、気高きオルドの巫女です」

「でも、いつだって、私は私ではありませんでした。そう思うと私も案外、柔軟性のある、使える人間なのかしら」

 ロッカは首を振り、ビアンカの目を見ずに呟いた。 

「自分は知っています。どんな時もあなたは、ヴィンスが愛した、ただ一人の女性です」

 ビアンカは何も答えず、そっと自分の目を閉じた。


 ロッカまでが自責の念に捕らわれている姿は、ビアンカには耐え難かった。

 そしてヴィンチェンツォも、真実を知れば同じように、いや、それ以上に激しく己を責め立てるのは容易に想像できた。

 それも当分、先の話になるであろうが、ヴィンチェンツォが自分に会った時に発する第一声が、果たして何なのであるか、ビアンカは想像したくなかった。


 戦いましょう、とビアンカは震える声で呟く。

 あの方も、今はきっと、同じ気持ちでいらっしゃるでしょうから。

 ビアンカは、さらりとしたロッカの赤毛に手をやり、かつて孤児院の子ども達にそうしていたように、優しく何度も撫で付けるのであった。



***



 何も知らない人間から見れば、北の庭園に佇むロッカの姿は、確かに亡霊のように映ったかもしれない。

 その亡霊が姿をあらわす前からだったのか、死者の庭園には、目の覚めるような美しい天使が先客で存在していた。

 力無く立ち尽くすロッカを見上げ、モニカがいつものように、控えめながらも花咲くような微笑みを向けていた。


 今日の騒動が混乱を極めたのか、王宮の門では、いつも以上に厳しい検問を設けていた。

 モニカはその混乱ぶりを目の当たりにし、いつの間にか帰宅時間を逃してしまっていた。

 脈絡のない「すみません」という言葉しか、ロッカの唇からは紡ぎ出される事はなかった。


「行ってしまいました。誰の手も届かない所に。いったい自分は、何をしていたのか。ヴィンスに何と詫びればいいのか、不甲斐無い事に、何も浮かばないのです」

 消え入るような、かすれるような声で呟くロッカの姿を、モニカは初めて見る。


「大事な方だったのですね。宰相様にも。…ロッカ様にも」

 いつの間にか、モニカはその大きな瞳に涙を溜め、憔悴しきったロッカを見上げ続けていた。

 あの方が、お立ちになる時が来た。  


 誰もが、知らないふりをし続けていた事実を、逃れようも無い距離で、目の前に突きつけられた日であった。

 何故こんなにも悲しいのか、モニカにもわからなかった。

 吸い寄せられるように、ロッカの大きな体に身を寄せ、モニカは黄金のふんわりとした髪を、その胸にそっともたれ掛けさせた。



 


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