5の話~蜂蜜~
ヴィンチェンツォは執務室に戻ると、先程までの優雅な身振りとは程遠い仕草で、どさりと窓枠に腰掛けた。
ちらりと窓に目をやるが、すでに庭園に二人の若い女性の姿はなかった。
無言でしばし外を眺める。寝不足のせいか、どこを見つめればよいのか本人にもわからぬほどの疲労であった。
とはいえ、普段と変わらぬ冷ややかな表情ゆえに、わずかな体調の変化など誰にも判別できるはずもなかった。
簡単な朝食を運んできた部下に礼を言い、盆から無造作にビスケットを取り上げると、口にくわえる。
くわえたまま再び椅子に腰を沈め、処理中の書類に再び目を落とした。
「ヴィンス様、その資料汚さないでくださいよ。お茶はこちらに置いておきますから、絶対に、絶対に飲みながら読んだりするのはやめてください。折角のいい仕事が台無しです」
ヴィンチェンツォは、わずかに苦笑をもらし、若い部下の方を向いた。
資料を放り投げると足を組み直し、残りのビスケットをほおばる。
「少し甘くしてくれ」
と、ヴィンチェンツォはポットを指差したまま、もぐもぐと口を動かした。
「どうしました、お気に召さなかったみたいですね。これでも結構、頑張ったんですけどね」
床に散らばった資料をまとめて、部下は軽く肩をすくめた。
「もう充分だ。お前にしては上出来だよ。……だから甘くしてくれ」と、彼の上司は急かすように言う。
はいはい、とうなずきながら部下はその若々しい指先をお茶の入ったポットに伸ばした。
「ランベルト、悪いが今夜も頼むぞ。それが終わったら、一度戻って仮眠してきてもよい」
「大丈夫ですよ、まあ、暇を見つけて騎士団の詰所でも使わせてもらいます」
蜂蜜の小瓶をかかえて、あっ、と小さく叫び声をあげたのを彼の上司は見逃さなかった。
ひとさじすくって入れればよいものを、瓶ごと傾けたせいで多すぎる蜂蜜がカップに滝のごとく吸い込まれていった。
その蜂蜜と同じような色をした癖のある頭を振りながら、ランベルトはため息をつく。
「全然大丈夫じゃないじゃないか。いいから帰れ。じゃなきゃ今すぐそこで寝ろ。柄にもなく真面目に仕事をすると、途端に限界だな」
と、ヴィンチェンツォは隅に置かれている寝台を指差した。
宰相の秘書官も兼任するようになってから、自宅に帰る日も数えるほどである。
王宮でも一人で眠れる場所が欲しいと思い、簡易的なものを用意させたのであった。
「嫌ですよ、誰に何を言われるかわかったもんじゃない。というかお断りさせていただきます」
ヴィンチェンツォの口調を真似て、冷ややかにランベルトは返した。
何事も無かったかのように取り繕うが、不慣れな手つきでカップの中身を乱暴にかき混ぜる。
新しいものに入れ替えてくれないのだろうか、とひそかに期待をよせていただけに、ヴィンチェンツォは少々の悲しみを覚えながら、ティーカップをぼうっと見つめていた。
横着しやがって、とランベルトから乱暴にティーカップを奪い、諦めて口に含む。
喉が焼け付くような甘さにむせながら、ヴィンチェンツォは悲しげな声を漏らした。
「お互い、本気で少し寝たほうがいいかもしれない」




