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漂う白花  作者: 渡部ひのり
第三部
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75の話~イザベラ~

「以前から、あなたには是非お会いしたいと思っていたのですよ。それをヴィンスが何かと理由をつけて、会わせてくれませんでしたが、今日はお会いできて本当によかった」

 ヴィオレッタの在籍していた一座の人々のように、艶やかな褐色の肌を持つクライシュ・エクシオールは、喜びを全身であらわし、何度もビアンカの手を上下に振る。

 クライシュの後ろでは、クライシュとはまた違う国の出身らしき、美しい黒髪の女性が辺りを払うような不思議な佇まいを見せていた。


「妻のルゥです。以後お見知りおきを」

 瑠璃は優雅な物腰でビアンカに挨拶する。

 綺麗な人、とビアンカは何故か自分の顔が赤くなるのを感じていた。

「ヴィンスが、私にあなたを会わせたくなかった理由がなんとなくわかります。瑠璃に似ているんですね。でも、まさか私が瑠璃以外の女性に目を向けるなど、ありえないとわかっていそうなものなのに。ねえ、ルゥ」

 妻の腰を抱き寄せ、クライシュは上機嫌で彼女の頬に唇を寄せた。


 戸惑うビアンカに、「いつもああですから、お気になさらずに」とロッカが無表情で呟いた。

 ビアンカは滅相も無い、と慌てて首を横に振るが、似ていると言われて、悪い気はしない。

「彼女も、かつては巫女だったのです。今は私の妻ですが祖国にいた頃は、神に仕える身分にありました」

 クライシュの言葉に、ビアンカは驚いた顔を瑠璃に向けた。

 瑠璃は少し苦笑いをしつつ、クライシュの腕の中から、ビアンカに柔らかな微笑みを投げかけた。


「そういうわけなので、仲良くなれるといいですね、私達。あなたがご両親に再び会えるよう、私達も協力させていただきます」

 クライシュは、救い上げた瑠璃の髪に自分の唇を触れ、にっこりと微笑んだ。



 その日ビアンカは、クライシュ達と昼過ぎまで歓談し、時間がある時には王宮へ通ってくれる、と約束してもらった。

「一度に、全てを理解しようとする必要はありません。ただ、あなたの心構えには深く感銘を受けました。私も、優秀な生徒が増えて嬉しいです」

 始終、上機嫌なまま、クライシュは瑠璃を連れて自宅へと戻って行った。

 クライシュ達を馬車庫まで見送り、ビアンカはたった半日で、既に一日分の体力を消耗したような気分だった。


 客室のそばまで戻ってきたビアンカとロッカの前に、ふいに人影が現れた。

 ロッカがとっさにビアンカの身を隠すように立ちはだかるが、その人影がとある少女のものだと気付き、ご無礼致した、と頭を下げた。

 ビアンカも目を伏せたまま、慌てて身をかがめて挨拶をする。


 お一人でございますか、といぶかしがるロッカに答えず、カタリナは顔を伏せているビアンカに声をかけた。

「フィオナ様の、お客人ですね。一度お目にかかりたいと思っていたのです。私も、是非お仲間に加えていただいてよろしいでしょうか。…イザベラ様」


 ビアンカはうつむいたまま、その場を動けなかった。

「カタリナ様は、何か勘違いをなさっているのでは。この方は、ビアンカ・フロース殿というお方です」

 静かに説明するロッカを、カタリナは今までに見た事もない形相で睨みつける。

 たじろぐロッカを押しのけ、後ろにいたビアンカの腕を引っ張ると、下からビアンカの顔を覗きこんだ。


「私は知っています。ビアンカ・フロースはイザベラ様のお針子だったそうですね。…それにあなたには、両の手のひらに傷があるはずです。見せていただいてもよろしいですか」


「このような所で騒ぎを起こしてはなりません。ひとまず、お部屋にお戻りになられた方がよろしいかと」

「お黙りなさい」

 カタリナに一喝され、ロッカは思わず息を飲んだ。

 拳を固く握り締めたままビアンカは、カタリナのいつになく強い力を放つ瞳に気圧され、その目から自分の瞳を逸らす事が出来ずにいた。


「私を騙しおおせるとでも思っていたのですか。私の知っているイザベラ様は、あなたなんでしょう。答えてください」

 いけません、とロッカは後ろからカタリナを引き離そうとした。

 大声を出すカタリナに驚き、何事かと人々が、あちらこちらから顔を覗かせる。


「私に優しくして、心の中であざ笑っていたのですか。噂は嘘だっておっしゃったのも、当然ですよね。イザベラ様ではなく、あなたがあの方の心を捕らえていたのです。…お針子風情が、身の程をわきまえなさい!」


 泣きながら絶叫するカタリナを、人々は呆然として眺めていた。

 ビアンカが思わずふらつき、床に崩れ落ちそうになるのを、ロッカが慌てて支える。

 ロッカは誰かいないのか、と辺りを見回し、自分の背後で青ざめるフィオナ達に気付いた。

「メイフェア殿、至急です。陛下をお呼びして下さい」

 メイフェアは何度もスカートの裾につまずきながら、一目散に宰相府に繋がる階段へと向かった。


「私のお客に対して、無礼な振る舞いは、たとえあなたでも許しませんよ」

 フィオナは、精一杯の威厳を持って、ぼろぼろと涙を流すカタリナに話しかけた。

 女官長の「皆、持ち場に戻りなさい」と言う、有無を言わせぬ強い口調は、廊下に浸み込むように響き渡った。


 フィオナにうながされ、カタリナは泣きじゃくりながら、フィオナの部屋へと入っていった。 

「大丈夫、ですか」

 とビアンカに声をかけるロッカの表情も、若干動揺が走っていた。

 大丈夫なはずはなかった。わかっているのに、こういう時、自分はいつも気の利いた言葉を発する事ができずにいる。


「私はよいのです、けれど、陛下や、宰相様や、他の方達が…。皆が今までに築き上げてきたものが、崩れてしまう…」

 気丈にも、ゆっくりと立ち上がるビアンカの姿は、誰の目にも痛々しかった。 

 後宮中に、いや王宮中にこの話が広まるのは半刻もいらないだろう。

 私のせいで、国王達が糾弾されるような事があってはならない。

 この国は今、一枚岩でなければならなかった。ひび割れた部分は、万に一つもあってはならない。


 とりあえず中に入りましょう、とこちらを振り返るフィオナに向かってロッカは無言でうなずいた。


***



 三人はひたすら馬を走らせる。初日からこんなに張り切ってどうするんだか、とうんざりしながらロメオが時折、馬に鞭を入れる。

「少しゆっくり行こうよ。そんなに慌てなくても、充分間に合うって」

 息を切らせ、ロメオが先頭を切るヴィンチェンツォに大声で呼びかける。

 少しだけ距離を縮めるように、ヴィンチェンツォはゆっくりとしたスピードでロメオに近づいてきた。

「少なくとも、一日は余裕を持たせたいんだ。アディと打ち合わせもあるし」

 ロメオに文句を言われつつも、今日のヴィンチェンツォはどことなく機嫌がよさそうに見えた。


 正反対に、ロメオはアデルの名を聞き、動揺する事この上なかったが、どうにか顔には出さないように努めていた。

 いったい自分の身に何が起きたのか、未だに理解できずにいる。

 何より理解できないのは、アデルの心境の変化だった。



 許さない、とアデルは言いながら、いきなりロメオをベッドに突き飛ばし、まるで敵の首を一息にかき切るかのように馬乗りになった。

 殺される、と青ざめるロメオを見下ろして、アデルは凄みのある笑みを浮かべていた。


 女の力といえども日頃から諜報員として鍛えて抜いているからなのか、アデルの動きに隙は無く、どうあがいてもロメオは逃げられそうになかった。

 頭の中が真っ白になるロメオをおかしそうに眺め、神経質な笑い声を立てると、アデルは乱暴な手つきで上着に手をかけ、ロメオの胸元をはだいた。

 思いがけないアデルの行動に、ロメオはええええ、と怯えた声を上げ、自分の上半身を捕らえているアデルを凝視していた。

 

 結局、そんな状況でも己の欲望には勝てず、アデルには為すがままにされ、ロメオは今までに感じた事のない敗北感を抱えたまま朝を迎えた。 

 なんなんだろう、この状況は。


 男と女として、二人でやり直す、という感じでもなかった。

 弱みにつけこんで、あてつけがましく僕を弄んでいただけのような気がする。

 もうやめて、と喘ぎながらひたすら懇願するロメオを無視して、アデルは容赦なく自分を玩具のように扱っていた。

 

 ロメオはまたもや暗くなりながら、とぼとぼとヴィンチェンツォの後を追う。

 なんだか、あの日を境に、状況が一変してしまったようだった。

 次に会う時には、どんな顔をすればいいんだろう、と思うと、無意識にうめき声が出るロメオだった。


「そんな調子で大丈夫なのかよ。使い物にならないようなら、帰っていいぞ。足手まといだからな」

 年下のランベルトが偉そうに言うが、ロメオの耳には入っていなかった。

 ヴィンチェンツォの計画には、アデルの協力も不可欠らしかったが、自然とロメオの足どりは重くなる。

 心が折れそう、とロメオは悲壮感を漂わせ、死への旅路に向かう心境で馬を進めていた。


 真っ青になっているロメオに気付き、ヴィンチェンツォは眉根を寄せた。

「本当に大丈夫か。ものすごく顔色が悪いぞ。何か変なものでも食ったのか」

 自分が食ったんじゃなくて、むしろ貪り食われた、とは言えず、ロメオは「大丈夫だよ」と弱々しく返した。

 今朝のロメオの様子では、別段おかしなところもなさそうだったが、遅れてきた夏ばてだろうか、とヴィンチェンツォは首をかしげていた。


「まあ、無理はしないで、気楽に行こう。少し急がせてすまなかった」

 この状況で、どうやって気楽になれというのか、とロメオは何も知らないヴィンチェンツォの首を絞めつけたくなる。

「当分、国王が離宮を離れる心配はないだろう。奴等がどんな反応をするか、楽しみだな。せいぜい寵姫を侍らせて、宴三昧でその呆けた頭を腐らせているがいい」

 行きたくない病にかかっているロメオの気も知らず、ヴィンチェンツォは不敵な笑みを浮かべて二人を振り返った。


「本気なんですか、ヴィンス様。これだけの人数では、結構難題だと思いますけどね。だからといって、多ければよいというわけでもありませんが」

 ランベルトの問いかけに、ヴィンチェンツォは躍動感溢れる声で言った。

「本気だ。これくらいは奴等にやり返さないと、俺の気が済まない。勝手に人の国をかき回した報いを受けさせるのだ。必ず、イザベラを捕獲する」

 負けず嫌いですねえ、とランベルトはため息をつき、雲ひとつ無い空を見上げた。





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