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漂う白花  作者: 渡部ひのり
第三部
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71の話~人間~

 その日、ロッカは帰宅途中に、ビアンカのもとを訪ねた。

 かごいっぱいに摘まれた北の庭園の薬草に、ビアンカは満面の笑顔で微笑んでいた。

「自分はあまり詳しくありませんので、モニカに手伝ってもらいました」

 ロッカの真後ろに立っているモニカは、小さすぎてすっぽりとロッカの背中に隠れてしまっていた。

 デオダード造園の跡取りであるというモニカは、想像していた男勝りな女性とも違い、逆に子リスを連想させるような愛らしさに、ビアンカの表情も自然と柔らかくなった。


 モニカは、宰相閣下の使用人だというビアンカの不思議な佇まいに、ただ者ではないような違和感を感じていたが、緊張の為か、小さな体を、更に小さくしていた。

 緊張しながらも、自分の目的を思い出し、一冊の古い帳面らしきものを取り出した。

「こちらは、オルドの巫女様による調合法が書かれた本です。おじいちゃんから借りてきました。オルド語がおわかりだそうですね。よろしければ、お使いください」

 ビアンカが母の教えを少しずつ書きとめていたメモは、既に修道院で灰になり、手元に残っていなかった。

 ありがたく借りる事にし、ビアンカは二人にお茶を勧めた。


 残暑の色濃く、いまだに太陽の照りつけが衰えない王都である。二人は礼を言い、ビアンカの申し出を受けた。

 気をきかせて、わざわざお茶を冷やしてくれていたようで、ロッカは申し訳なく思った。

 しばらく、お茶をじっと眺めていたロッカに、ビアンカは何かまずかっただろうか、と不安になる。

「お半下仕事も、全てあなたがなさっているのですよね。買い物はなるべく、どなたかと一緒に行かれるようにしていますか」


 たまに一人、などと言ったらどうなるのだろう、と思いつつ、「ええ、まあ。それに、王都のお店は、宰相様が子どもの頃から顔見知りだという所ばかりなので、安全だと…思います。氷屋さんも、いらっしゃった時にはメイフェアが声をかけてくれるので、その時に二人で買いますから」と、言った。


「行商人などには気をつけてください。むやみに近寄ったりしないように」

 ヴィンチェンツォはもちろんのこと、ロッカまでが親のように口うるさくなっている。

 若干面倒な気もするが、自分に気をかけてくれるのはありがたい事だと思わなくてはいけない、と、ビアンカは「お気遣いありがとうございます」と返しておいた。


 二人のやりとりを、黙って聞いていたモニカは、単なる使用人だというビアンカに対して、ロッカが重要人物のように接している事に驚く。

 オルド語を解するというこの女性は、いったい何者なのだろう。

 モニカの視線に気付き、ビアンカは暑さを払うような清々しい笑顔を向けた。

 ビアンカに見つめられて、自分の顔が赤くなっていやしないだろうか、とモニカは恥ずかしくなりながら「また、入り用な物がありましたら、遠慮なくお申し付けください。今の時期は、伸びるのも早いので、まめに庭園に通っていますから」と言った。


「助かります。私の、趣味のようなものですけれど。お言葉に甘えて、次回お時間があったらで構わないのですが、石鹸草も欲しいです。夏の石鹸草は、とてもよい香りですし」

 では必ず、とモニカは請け合い、少し考えてから言った。

「うちの庭のものでもよろしければ、お持ちしますね。おじいちゃんが使い切れなかったり、用途不明なものもあるのです。それだけお詳しいのでしたら、うちにいらっしゃいませんか。薬草だけでなく、いろいろ栽培してますから、お花も見に来てください」


 ビアンカは即座に嬉しそうな顔をしたが、向かいに座っている無表情なロッカに、思わず居ずまいを正す。

 ヴィンチェンツォが乗り移ったかのように、厳しい顔で「駄目」と言われるかもしれない、とビアンカは困ったようにロッカを見ていた。

「ヴィンスがいいと言えば、いいのでは。お一人でここにいられるよりは遥かに安全でしょうし、あなたも安心ですよね」

 はい、とほっとしたようにビアンカがうなずいた。


 それから、今のうちに頼んでおくべきかもしれない、とビアンカはもう一つロッカにお願いをする。

「ロッカ様は、オルド教にお詳しいのですよね。少しでよいので、私に教えていただけないでしょうか。何も知らないのは、正直不安です」


「自分より、クライシュ先生の方が専門ですから、先生にお会いするのが一番かもしれませんね。…ヴィンスがいいと言えばですが」

「たまにお話に出てくる、アカデミアの先生ですか」

 ロッカはうなずき、お茶を飲むと、思い出したように言った。

「そういえば、先生に借りた本を返すのを忘れていました。その時に、ご一緒するのはどうでしょう。あなたを先生にご紹介するのも、今更ヴィンスだって駄目とは言わないと思います」


 いったい何がどうなっているのかさっぱりわからない、とぶつぶつ言いながらも、無理やり聖都まで行かされ、クライシュは機嫌が悪かった。

 しまいには、あやうく暴動に巻き込まれそうになったり、正直巫女どころの話ではない、と王都に戻るなり、ロッカに不機嫌に語っていた。

 その件も含めて、クライシュには説明する必要がありそうだ、とロッカは思っていた。

 

 この先も、先生には手伝っていただく事になるだろうし、とロッカは結論づけ、ヴィンスに話をつけておきます、と言った。

 その時、夕暮れ時の涼しげな風と共に、外から戻ってきた猫が、ロッカの声に気付き、にゃあ、と一言鳴いた。

 また大きくなった、とロッカは自分の膝に飛び乗る猫を撫で、猫はかつての主人の膝の上でぐるぐると喉を鳴らしていた。



***



「あの方は、オルド人なのですか。会話の内容がとても込み入っているようで、私などがお聞きしてもよろしかったのでしょうか」

 モニカが帰り道の馬上で、ロッカに聞いてみた。

 ロッカは立ち止まり、すぐ後ろで自分の腰に手を回しているモニカに問いかけた。

「あなたは今日聞いた話を、他人に話したりするのでしょうか」


 丁寧な口調ではあったが、ロッカの言葉のその先には、意図するところは一つしか有り得ない、と言われているような気がした。

 とんでもない、とモニカは見えないながらも、ロッカの背中に向かって首を振った。

 じゃあいいです、とロッカは言い、再び馬を進める。


 この方の事は、正直よくわからない。

 涼しげな容貌とは裏腹に、宰相閣下の片腕に相応しい、恐ろしい人だと耳にする事もあったが、必要以上に尾ひれのついた話のような気がしていた。

 けれど、もし自分が敵であれば、その人形のような表情を変える事無く、迷わず切り捨てるのだろう。

 おそらく、あの女性のために。


「…一方的に私に聞かせておいて、そのくせ口止めするような事をおっしゃるのは、どうしてですか」

 何故、自分がそのような発言をしたのか、モニカにもわからなかった。

 生意気な女だと思われるのだろうか、とモニカは、地上に蓄えられた熱気も相まって、吹き出る汗を抑える事ができなかった。


「もしかして、怒っているのですか」

「違います、すみません、余計な事を」

 自分の腰に回した手が、自然と緩んでくるのを感じ、ロッカは思わずその手を引き寄せた。

 思わず息を飲むモニカに、ロッカはいつもの淡々とした口調で言った。

「落ちたら危ないですよ」


「思えば我々が勝手に、あなた方を巻き込んでいるのです。腹立たしく思われても仕方がないですよね。正直なところ、あまりにもあなたが自然だったので、何も気に留めていなかったのは自分の落ち度です。これからは、気をつけます」

 モニカの意見も聞かず、ロッカが自分の中で結論づけてしまうのは、ここ数ヶ月の付き合いでは当たり前だった。

 そういう方なのだ、とモニカは寛容に理解を示していたが、それも自分の思いあがりなのかもしれない。何しろ、自分とは立場も身分も違う。


「最初に、お手伝いしたいと言ったのは私ですから、巻き込まれているとは思っていません。少し、面食らっている部分はありますけど。ただ、私に何ができるのか、…何を求められているのか、わからないのです」

 ロッカは何も言わず、一つ鞭を入れると、黙々と馬を走らせる。

 黙っていろという事なのか、とモニカは心の中でわだかまりのような物を残したまま、ロッカの背中にしがみつく。

 

 デオダード造園の入り口まで一気に走りぬけ、馬を止めると、すみません、とロッカは一言呟いた。

「自分は欠陥人間のようですから、人の細やかな心情をおもんばかる事が不得手なのです。今更、得意になれるとは思っていませんけど、あなたを不快にさせて、残念には思っています」

 言い終えてからロッカは馬から降り、モニカを降ろすべく、両手を彼女に向けて伸ばした。

「仕事であれば、別のようですけど。本当に不得手であったなら、そこまでお仕事できませんよね」

 モニカがかすかに微笑み、自分の体をロッカに預けた。


「私の方こそ、先程は無礼でした。…ビアンカ様にお会いして、少し混乱してしまいました。普通の方ではないと思ってしまったので」

 そうですね、とロッカは呟き、モニカを地上に降ろした。

「隠すつもりもありませんけど、何しろ、ヴィンスがいろいろと彼女の事に関しては行き過ぎなくらいにうるさいのです。もしもビアンカ殿の身に何かあれば、それこそ彼の気が狂うかもしれませんね」 


 はあ、とモニカは曖昧にうなずいた。

 普通に、ぴんとこなかった。あのように華やかな方が、小道に咲く小さな花のような女性をお好みという事なのだろうか。

 意外ではあったが、不思議とふんわりとした気持ちにさせられた。自分が思うより、宰相閣下とやらも、名より実を取るような人間なのかもしれない。


「どういった方なのかと、疑問に思います。単に、宰相様の愛人というわけでもなさそうですし」

 あまり詳しくはないが、モニカから見れば、一般的な貴族の愛人の枠からは、ビアンカは遥か遠い位置にいるように感じた。


「本人から、直接聞いてみたらどうでしょう。そういえば自分は、あの方が自分自身を語るのを、さほど聞いた事がありませんが、女性同士であれば話しやすいと思います。後で、自分に教えていただけると助かります」

 自分も彼女に対して、どうしていいのかわからないのです、とロッカは間をおいてから付け加えた。


 どうしていいのか答えが出ないまま、それでもビアンカのために、ロッカは何かをしようとしている。

 主君の、恋人のために。

 けれど、ロッカにそれ以上の事を聞くのは、何かが壁を作っているかのようで結局為しえない。

 代わりの言葉を発し、モニカは微笑んでみせた。


「ええ、今度お招きさせていただきます。とても素敵な方ですよね。私、お友達になってもいいでしょうか。実はどこかの国の姫君であったなどと言われれば、大変恐れ多い事ですけど」

 カタリナ姫が好きそうなお話だ、とロッカは思わず微笑む。

「そうですね、姫ではありませんけれど、自分の印象では、天女のような、妖精のような、人に在らずといった雰囲気を感じる時さえあります」


 今日で二度目だ、と気付いたロッカの笑みは、モニカは先程までの不確かな戸惑いさえ打ち消すような力があった。

「あなたも、そうですね。どこかに飛んでいってしまいそうな、妖精のように見える時があります」

 モニカは不意打ちを喰らい、心構えも無いままに、ただ赤面していた。


 けれど、その妖精の手は子どものように小さくて暖かく、自分と同じ人なのだと、ロッカは無条件で安心させられた。

 それをモニカに言うべきなのかどうか、ロッカにはわからなかった。

 自分には、わからない事が多すぎる。

 特にここ数ヶ月、目まぐるしく変化していく状況の中、未消化な自分の心の動きが蓄積されたままであった。


 目には見えない葛藤がロッカなりにあるらしく、モニカはそれを今すぐ聞く気分にもなれなかった。

 全てに答えを求めてはいけないよ、と祖父がいつだか語った事を思い出し、モニカは明るい日差しの下の花のように、笑顔を見せる。


「さすがは宰相様です。天女に恋をされるなど。そうと聞けば、お守りせずにはいられませんよね」




***



「私は大きな間違いをしたようです。あなたは、味方だと思っていました。それが、私達を売るような真似をなさるなど、何が目的なのです」

 女の、無理に搾り出すような低い作り声に、ウルバーノは思わず歪んだ笑みを返した。


「人聞きの悪い事を申される。私は何も偽ってはおらぬ。あなた方の、身の安全を保障すると言ったのは、今でも同じはずですが」

 最後まで聞き終える事無く、女は激しい口調でウルバーノをさえぎった。


「いいえ、あなたは私達を、祖国を裏切ったのです。あなたに良心は無いのですか。充分おわかりのはずです。なのに何故、古い悪しき亡霊を呼び起こすような真似をなさるのです」

 女の必死の言葉は、ウルバーノには何一つ響かない。


「理解していただけるとは思っておりませぬ。僭越ながら長い時をかけ、あなた方が胸を張って暮らせる環境を作るべく、微力ながらも尽力しておりました。何かを得る為には、犠牲が付きものです。ましてや、あなたのような方の為であれば、尚更のこと。祈れば願いが叶うなど、所詮おとぎ話ですよ。あなたこそ、充分それをご存知のはず。ソフィア様」




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