69の話~父の告白2~
「ウルバーノの所在は突き止めたのでしょうか。今まででも、自らは直接手を下さず、実に狡猾としか言いようがない。ですが、修道院の一件に関しては、奴にしては少々強引に出たような気がいたします。それだけ焦っているのかもしれませんが」
ヴィンチェンツォは、マフェイの静謐さをたたえる顔を見据えた。
「正直なところ、まだわかってはいない。オルドかコーラーの、どちらかではあろうが。こちらも人手不足だ。コーラー国内に至っては、民間人を装った密偵に頼るしかないし」
オルド戦役の頃、その混乱に乗じるかのように、コーラーとプレイサ・レンギアの国境において数ヶ月、意味の無いお互いの軍の睨み合いが続いた。
その事を踏まえてなのか、エドアルド自身も、敢えてコーラーと武力衝突になるような事を避けたがっていたのは事実だった。
ヴィンチェンツォに言わせると、さまざまな外交面でも、相手に舐められすぎなのは否めなかった。
だが、実際に戦の経験が無い身では、あまり強引に出るのも気が進まなかった。
結果論ではあるが、押せ押せで構わなかったようだ、とヴィンチェンツォは苦々しく思う。
「なにしろ、ウルバーノは知りすぎている。当初は、急死したオネストの代わりに、従姉妹を助けるために、我らの盟友となったふりをしていたようだが、純粋な父親の意思は引き継がれなかったようだ。残念だが、私達の思惑など、コーラーには筒抜けだったのだ」
マフェイが苦々しい顔をする。
「それでは尚更、ウルバーノの裏切りは捨て置けません。ですが、一つわからないのは、奴の目的は何処にあるのかという所です。まさか本気で、祖国を異教徒に売り渡すつもりなのでしょうか。いくらウルバーノといえども、狂ったオルド教徒が束になって暴走すれば、制御しようがないとしか思えませんね」
一同は無言で、ヴィンチェンツォの言葉に耳を傾けていた。
「その件で、バスカーレ達から何かあるか」
国王にうながされ、ステラから凜とした声が発せられた。
山のような押収品もどうにか一通り整理され、ステラはそれだけで満足していたふしもあるが、目的はそこではなかった、と気を取り直す。
「コルレアーニ男爵は、ウルバーノの手足となり、オルド教徒へ武器を横流していたのは明らかでございます。オルドの軍務省には既に通達済みでして、増兵が決定しているようです」
ステラの言葉に付け足すように、バスカーレが重々しく口を開く。
「本人から聞き取り調査も行いましたが、残念ながら、獄中で毒を仰いで死亡いたしました。監視の目が行き届かなかったようで、誠に申し訳ございません」
バスカーレが、深く頭を下げた。
コルレアーニのような欲深い男が、何よりも大切な自らの命を絶つのは誰の目にも不自然だった。
狩猟小屋の管理人が不審死を遂げた事といい、おそらくウルバーノによって消されたのだろう、と皆思っていた。
口には出さなかったが、王宮内ですら、ウルバーノの息のかかったものに蝕まれている、とヴィンチェンツォは、徹底的に粛清すべきであったと悔やんでいた。
彼を泳がせた責任は、自分にあると痛感する。
「我らが目を光らせている状況で、危険を冒してまでウルバーノに協力するのも無理な話だ。どのみち、男爵の命運はとうに尽きていた。気に病む必要はない」
エドアルドは感情を消し去り、事務的な口調で言った。
「ただ、毒を盛った人間が王宮に出入りしているのは無視出来ないな。調査はしているのか」
「はい、皆様の安全にも関わる問題です。必ず、突き止めます」
ステラの固い表情に、皆の心も引き締まる思いだった。
それから更に二時間ほど、話は進み、何度かランベルトがあくびをし始めたところで、エドアルドが解散を告げる。
「まだまだ話は尽きぬのだが、今日のところはここでお開きとしようか。明日の晩、また召集するから予定をあけておいてくれ」
エドアルド自身も疲れていたようで、思ったより早く終わってよかった、とヴィンチェンツォはひとまず安堵した。
「そういえば、あの短剣はビアンカ殿に渡してくれたのだろうか」
マウロが孫娘に尋ねた。
「ええ、遅くなってしまいましたが、一応お渡ししておきましたよ。焼け出された時に無くされてしまった可能性もありますが」
今日初めて、王都に戻ってきたビアンカに会えて、ステラも感慨深いものがこみ上げてきていた。
会いに行こうにも時間がなく、おまけにヴィンチェンツォが「何故か邪魔ばかりだ」と呟いているのを小耳に挟んでいた。
自分達は初対面のはずなのに、この方は私を知っている、とビアンカは恐れ多さに思わず先代の宰相に向かって頭を垂れた。
「それだけはいつも肌身離さず持ち歩いておりましたから、今でもあります。あまり役には立っていないのですが。でも、何故クロトーネ様が」
「御両親の、馴れ初めのきっかけとなった短剣なんだよ。ステラから渡すのが、一番自然かなと思って、クロトーネ様にお願いしておいたんだ」
マフェイの声が、後ろから聞こえる。
マウロ達の話に混ざり、いつの間にかビアンカの後ろにはマフェイが立っていた。
驚くビアンカに、またマフェイはご機嫌な様子で微笑みかけた。
「聞いたことがあります。命を絶とうとした母を、父が助けたと」
素敵、とメイフェアが瞳をきらきらさせる。
物語みたいだね、とロメオは無感動に言った。女性は、そういう話は大好きなのだろうが、どことなく胡散臭い話だと思っていた。
うーん、と口ごもるマウロやマフェイの様子に、ビアンカは真顔になる。
「違うのですか」
「そうだなあ。言ってしまっていいのだろうか」
そこまで言っておいて、今更隠すのもどうかとランベルトに突っ込まれ、マフェイは何故かごめんね、とビアンカに言った。
***
「大主教を探せ。この包囲網を抜けて、外に出るのは不可能だ」
マフェイ・バーリ達は、当時将軍であったマウロの指揮下で、聖都のはずれにある砦に最終攻撃をしかけ、攻防戦は三日ほど続いた。
圧倒的な数のプレイサ・レンギア軍によって確実に兵を削り取られ、オルド教徒達は風前の灯であった。
三日目に門が突破され、砦に侵入したマフェイ達は、大主教の姿を探していた。
篭城していた者達の反応はさまざまで、自害する者もあれば、命を乞う者もあった。
まだ大主教はどこかに隠れている、と彼らから聞き出し、マフェイ達はそれらしき場所をしらみつぶしに探して回った。
「最悪、死んでるかもしれんな。それでもかまわん、探せ」
ジョナサン・エイヴリーやデメトリ・マレットは部下を連れ、くまなく砦の中を探索した。
一つの扉に手をかけると、鍵がかかっており、中に誰かいるのは明白だった。
巨漢の部下に命じ、無理やり扉をこじ開けさせる。
壊れた扉の奥は暗闇の中であり、人の気配は感じるが、中の様子はよくわからなかった。
「俺が行こう」
デメトリがそっとささやき、凛とした声を張り上げながら、少しずつ歩みを進める。
「もうお前達は終わりだ。もはやこの砦はプレイサ・レンギアの手に落ちた。抵抗するだけ無駄だぞ。悪いようにはしないから、大人しく出てきた方が身のためだ」
中の人物に向かって言い終えると、デメトリはわずかに緊張しながら、一歩さらに踏み出た。
その時、強い衝撃を全身に受け、デメトリは思わず肩を震わせた。
腹部に激痛が走り、デメトリは油断した、と自分を叱責する。
その場に倒れそうになるが、どうにかこらえて、自分の胸元に飛び込んできた人間の手首をしっかりととらえた。
そのまま引きずるように、廊下に転がり出たデメトリは、一人の少女が血走った目で自分を睨んでいるのを見た。
「恥知らずの異教徒め、一人でも道連れにしてやる。殺すなら、とっととやれ!」
デメトリの血が、荒い息を吐く少女の白い服にもべっとりと染み付いていた。
デメトリは、自分の呼吸がだんだん浅くなるのを感じながらも、少女の手を離そうとしなかった。
「あなたは誰だ。オルドの巫女か。ちょうど同じくらいの年ではあるな」
「だったらどうする。国王から生きたまま捕らえろとでも言われたか。お前ら汚い異教徒に辱めを受けるくらいなら、死んだ方がましというもの。もっとも、お前も終わりだ」
狂犬のような眼差しで自分を睨みつける少女に、苦しい息の下で、デメトリはゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
「そんなつもりはない。もうやめるんだ。我らは、これ以上の流血も、暴力も望んでいない。だから、そんな事を言ってはいけない」
ジョナサン・エイヴリーが、慌てて少女を引き離そうと駆け寄る。大丈夫だ、とデメトリはなおも手首を握り締めたまま、少女に向かって語り続けた。
「君は何も知らない。俺達は異教徒かもしれない、でも同じ人間なんだ。これから先、君の人生は長い。オルド教徒に縛られず、自由に、真実を見て欲しい。まだ子どもじゃないか。君にそんなふうに言わせる国など、俺は許せない」
次第に青ざめていくデメトリを、少女は震えながらも、美しい琥珀色の瞳で睨み付けていた。
意識が遠のき、ゆっくりと崩れ落ちてゆくデメトリに、エイヴリー達は駆け寄り、デメトリの名を呼ぶ。
少女はその場にへたり込み、自分の手についた血を眺めていた。
ジョナサン・エイヴリーは目を閉じたままのデメトリを見つめ、「マフェイを探してきてくれ」と部下に言った。
「この男が死んだらどうしてくれる。それこそ、お前も縛り首だ。子どもだろうと関係ない」
茫然自失となっている少女の目を見ずに、白銀の髪を振り乱し、吐き捨てるようにエイヴリーは言った。
ジョナ、やめろ、と目を閉じていたデメトリが息も絶え絶えに呟いた。
「それほど深くない、大丈夫だ。この子が軽かったおかげだろうな。止血を手伝ってくれ」
確かに、それほど深々と突き刺さっているようでもなさそうで、エイヴリーは少しだけ安心してうなずいた。
「心に迷いがあったな。君だって恐い思いをしたんだ。だから、もう二度と、こんな事をしてはいけない」
すすり泣く少女を見上げ、デメトリはかすかに微笑んだ。
あの足音はマフェイだ、と思いながら、デメトリは知らず知らずのうちに、少女の手を握り締めていた。
***
「言ってはいけなかったかなあ、でも喋っちゃったし、本当の事だし」
マフェイの話に、ビアンカは無言になる。事実は、聞いていた話とはだいぶ異なるようだった。
「殺されかけた相手と結婚する方がよっぽど恐いよ。すごいな、狂気の愛だ」
ロメオは何故か自分の腹が痛くなるような感覚を覚え、おなか痛い、と身震いする。
「妙な話だが、ソフィアが、自分が刺した相手を献身的に介護してくれたおかげで、デメトリも生き長らえる事ができたんだよ。感染症を起こしかけて、少し大変だったけど」
マフェイの話に今度こそ、ヴィンチェンツォの中の麗しい巫女像は粉々に砕け散った。
怖すぎる、俺には無理だ、と呟く男性陣であった。
ヴィンチェンツォは、自分からソフィア・フロースの話をふるのはやめることにした。
いろいろと衝撃的過ぎて、話題にする気になれなかったのもある。
とりあえず帰ろうか、とビアンカをうながし、回廊を歩く。
ビアンカの手の甲の傷に気付き、ヴィンチェンツォはすかさず「あいつか」と言った。
「あの子が、御使者の方に飛びついてしまったのです。引き離すのに手間取ってしまって、少し引っかかれてしまいました。でも、怒らないでやってくださいね。私を守ろうとしてくれたんです」
今日も絶好調のようだな、と暴れる子猫の様子を思い浮かべて、ヴィンチェンツォは苦笑いをした。
自然とビアンカの手を取るヴィンチェンツォの後ろ姿を、浮かない顔で眺めるメイフェアであった。
隣に自分の夫がいることを思い出し、メイフェアはその腕にしがみつく。
「落ち着いたら、ランベルトのお父上に会いに行ってもいいかしら。もしかしたら、嫌かもしれないけど」
二人の結婚があまり大々的ではなかったせいもあるが、ランベルトの両親には一度挨拶しただけだった。
あまり良く思われてないのかも、と以前フェルディナンドに会った時の印象からか、後ろめたい気持ちが勝ってしまっていた。
「そんなことないよ。きっと、歓迎してくれるよ。いっぱい、話せるといいね」
月並みな言葉しか、ランベルトの口からは出てこなかったが、メイフェアは嬉しそうに、その絡めた腕に力を込めた。




