68の話~父の告白~
夕闇が広がりつつある頃、ヴィンチェンツォは王宮の馬車庫に繋がる回廊を、急ぎ足で歩いていた。
ロメオがビアンカを連れ、小走りに駆けて来るのが目に入る。
新しい服だ、とヴィンチェンツォは思った。
ビアンカは涼しげな薄いラベンダー色のドレスで身を包み、妖精のように軽やかな足取りで駆けて来る。
ヴィンチェンツォに気付いたロメオが、「お姫様の到着だよ」とくたびれた顔で言った。
「遅くなって申し訳ありません。アルマンド様が、平服は駄目だとおっしゃって、このようなものをお借りしたのですが、おかしくないでしょうか」
王宮からエドアルドの使者という者があらわれ、ビアンカに今から登城するようにと厳かに言った。
はじめ、ビアンカは誘拐犯ではないかと怯えていたが、その場に居合わせたアルマンドが知り合いだったらしく、大丈夫だからお行きなさい、と支度を手伝ってくれた。
不安げに自分を見上げるビアンカの姿に、ヴィンチェンツォの先程までの固い表情がわずかに崩れた。
「過不足ない装いだ。それに、とてもよく似合っている」
ヴィンチェンツォはビアンカの手を取り、その琥珀色の瞳を見つめた。
「みんな待ってるんだから、そういうのは後にしてくれよ。僕だって、早く帰ってお風呂に入りたいんだよね」
汗と埃まみれの服を着替える間もなく、ロメオは大層機嫌が悪かった。
いつになく全体的に薄汚れているロメオの姿に、ビアンカは何があったのだろう、と不思議に思っていた。
ロメオの小言を無視して、ヴィンチェンツォはビアンカの手を引き、さっさと前を歩く。
「俺の父が来ているんだ。なんだかよくわからないが、あなたの保護者だと言い張っているから、適当に合わせておいてくれ。悪いようにはしないと思う。多分」
声をひそめるヴィンチェンツォに、ビアンカはまたもや不安を覚えた。
「どうしてお父上が。何かご存知なのでしょうか」
「何か、どころではないな。後で全部説明してくれるはずだが、俺も大雑把な話しか聞いていないんだ」
ヴィンチェンツォは、いきなりビアンカが話を聞かされて動揺するのではないかと心配していた。
会議が始まる前に、少しでも彼女に心の準備をさせておきたい、と思っていた。
足を止め、自分を静かに見下ろすヴィンチェンツォを、ビアンカは憂いを帯びた瞳で見上げる。
「父はあなたのご両親の事を知っていた。オルド戦役で、ご両親を逃がしたのも父達だそうだ。その件で、父から説明がある」
しばらく間があり、そうですか、とビアンカは呟いた。こみ上げてくるものを抑えるかのように、ビアンカは唇をぎゅっと引き結んだ。
「もっと早くに教えてくれていれば、こんな回り道をせずに済んだものを。その点では、父に対して非常に腹を立てている」
「お父上にも立場というものがありましょう。それに父達を助けてくださったんですもの、私は感謝しております」
そうか、とヴィンチェンツォは呟き、ビアンカの手から伝わってくるかすかな震えを感じながら、その手を強く握り締めた。
「でも、よかったです。もっと恐ろしい事が待っていたらどうしようかと思っていました。閣下ですら陛下は投獄しておしまいになるから、私も捕らえられてしまうのかも、と思いながら来たのです」
「あなたを捕らえる理由も無いのに、そんな訳ないだろう」
それ以上くっつくな、とロメオは鬼の形相で二人を睨みつける。
「だから、そういうのは全部終わってからにしてよ!今日は特に、滅茶苦茶イライラする!」
ロメオが見つめ合う二人に向かい、回廊で絶叫する。
***
ビアンカが宰相府の会議室に通されると、既に見知った顔が集まっていた。その中でも、優美な雰囲気をまとった紳士の姿は、ビアンカの目を自然と釘付けにした。
おそらく、あの方が閣下のお父上、と初めて見るマフェイは、どこか懐かしさを感じた。
ヴィンチェンツォに似ているからだろうか。
マフェイは少し白髪の混じった頭をわずかに傾け、ビアンカに向かってにっこりと笑みを見せる。
大きな円卓の中には、メイフェアの姿もあった。緊張しきった様子で、ぎこちなくビアンカに微笑みかけるメイフェアだった。
庭園でお会いした男性が宰相様のお父上だったとは、とメイフェアは何故かがっかりする。
赤毛の女の子も関係あるからね、とマフェイに言われ、ヴィンチェンツォは、これ以上無理に憶測するのは止めよう、と諦めて、父の説明を待つ事にしている。
ヴィンチェンツォが更に驚いたのは、引退した前宰相のマウロ・クロトーネの姿だった。
「もう驚きませんけど、そういう事ですか」
マウロは気まずそうに何度も汗をぬぐい、すまないな、とだけ言った。
ヴィンチェンツォ達が着席すると同時に、エドアルドとロッカが最後に入室してきた。
一斉に立ち上がり、一同は無言で深々と礼をする。
静かにエドアルド達が着席し、「多忙な身で、皆ご苦労だった」と言う。
「今宵お集まりいただいた理由は、マフェイが帰ってきたのでな。あちこちで勝手に動かれても統制が取れないし、そろそろ方向性も一本化すべき時期にあると思う」
エドアルドの険のある言い方に、ヴィンチェンツォは無言で下を向く。
ロッカ、進行を、とエドアルドは短く言い、ロッカはおもむろに口を開いた。
***
「まずは、バーリ公爵からご説明いただいた方がよろしいのではないでしょうか。なにしろ話が散らかり過ぎていますから」
ロッカに提案され、無言でエドアルドはマフェイに目配せした。
暑い、と扇でしきりにあおいでいたマフェイは、皆の視線が集中し、何食わぬ顔で扇を閉じる。
「私が王宮にはせ参じた理由ですが、ビアンカ・フロースの件でございます。皆に今一度、ご協力を要請したい。我らは長い間、彼女の両親共々、遠くから見守って参りました。それが今は、御両親共に行方知れず、ビアンカ殿もあれから大変苦労をされた事と思う。我らの力不足、誠に申し訳なかった」
頭を下げ続ける公爵に向かって、ビアンカは「こちらこそ、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」と低い声で言った。
ヴィンチェンツォが怪訝そうな顔をして、父親に尋ねた。
「お父上の、デメトリ様はお亡くなりになったのではないのですか」
一瞬間があり、マフェイは「生死不明、と言った方が正しいかな。よろしければビアンカ殿、お父上と別れた時の状況をご説明いただけるか」と言った。
「スロの修道院に入る前の事です。スロに向かう途中、怪しい者に追われ、父が私と母を逃がしてくれて、それきりなのです。母が『父は死んだ事にしろ』とおっしゃったので、その通りにいたしました。ですが母は、私を修道院に預け、父を探しに行くから待っていて欲しいと言い残して、すぐに旅立ってしまいました」
自分の想像以上に、ビアンカの母親は胆の座ったお方のようだ、とヴィンチェンツォは思った。
「その後、私がビアンカ殿の母君、ソフィア様と再びお会いしたのは、三、四年前だったと思う。慌てて、デメトリと最後に別れたという場所を調べてみたが、その頃に付近で彼に該当するような男性が埋葬された事実はなかった。その時は逃げおおせたようであるが、その後の彼の足取りが掴めない。それから何日も経たず、ソフィアは私の目の前から姿を消した」
「今更言っても詮無き事ではありますが、その時に母君を引き止めておけば、ビアンカがこんな大変な目に合わずに済んだのですよ」
ヴィンチェンツォの鋭い視線にひるむことなく、マフェイは話を続けた。
「本当にすまなかったと思っている。丁度、ピアの事で家の中がごたごたしていたので、彼女なりに気を遣ってしまったのかもしれない。それに、ソフィアは突発的な所があるから、止めても無駄だったかもしれないけどね」
慎重すぎるほどなビアンカの性格は、無鉄砲な母が反面教師なのだろうか、とヴィンチェンツォは思った。
もっとも彼女も稀に、周囲が驚くような行動を起こす時があるのだが。
それに、とヴィンチェンツォはためらいながらも、父親に再び非難するような視線を向けた。
「見守っていたとおっしゃいますが、こうして家族が離れ離れになるような状況を作り出してしまって、あなた方はいったい何をしてらっしゃったのです」
隣に座っていたビアンカが、ヴィンチェンツォをいさめるように黙って首を振る。
マフェイは息子の言葉を受け止め、ゆっくりと口を開く。
「全て、我らの不手際だ。言い訳にしかならんが、あの時は情報が錯綜してしまって、後手になってしまった。ランカスター夫妻が海難事故で亡くなってしまうし、我らはその件で調査している時期であった」
メイフェアが顔を上げ、マフェイに「私の両親の事でございますか」と言い、両手を固く握り締める。
黙ってマフェイはうなずき、優しくメイフェアに語りかけた。
「あなたのお父上は、元は傭兵部隊出身だ。除隊してからは、商人として各地を回り、密偵というか、我らに協力していただいた。ビアンカの御両親の件も含めて」
メイフェアの、父親ゆずりの燃えるような緋色の髪に懐かしさを覚え、マフェイは瞳を潤ませている彼女をただ見つめていた。
「不思議なものだな。反目し合っていたサンティとランカスターの子ども達が一緒になるとはなぁ。お前の結婚について、お父上は何か言ってなかったのか」
マウロが感慨深げに呟き、ランベルトに向かって尋ねる。
「何も聞いてませんよ。好きにしろ、って言われただけで」
父親同士が知り合いで、なおかつ仲まで悪かったなど、今日は初耳だらけだ、とランベルトは思った。
「まあ、言えないだろうな。デメトリ達に関係する話は極秘事項ゆえ」
マフェイの言葉に、ランベルトは難しい顔をして唸っていた。
「今の話を軽くまとめさせていただくと、オルド戦役に出征していた方々が、その後も裏で暗躍していたという事でしょうか」
ロッカが抑揚のない声で問いかける。
「今更隠し立てしても、得にはならぬようだな。ここにおわすクロトーネ様以下、ランベルトの父君も、ロッカの父君も、そしてメイフェア殿の父君も、傭兵隊長のエイヴリーも長い事皆我らの協力者であった。全ては、オルドの巫女を守るために」
アデルの父親の名前に反応し、ロメオがすかさず口をはさむ。
「アデルを、スロに送り込んだのは誰です。バーリ卿ですか」
ロメオの不機嫌そうな顔に、マフェイはかすかに笑ったように見えた。
「まあね。彼女はしっかりしてるから、いろいろ助けてもらったろ。桟橋で昼寝ばっかりって聞いたけど、君もそこそこ頑張ってくれたようだし、私からも礼を言おう」
ますます不機嫌になり、ロメオはバーリ公爵に向かって率直に言った。
「女の子に、あんな汚れ仕事させるなんて信じられない。任務のためとはいえ、悪いけど、軽蔑に値します」
「私は別に、強制していないよ。確かに、心配がないと言えば嘘になるし、今後はあまり無茶をしないようにさせるから」
憤りを隠さないロメオに、マフェイは穏やかに言った。
「私達が卒業した頃に、お父上達が早すぎる引退を決められたのはそこにあるのでしょうか。俺もランベルトも、ロッカでさえ親の七光りとさんざん言われ、若輩には身に余るような地位をいただいたのは偶然ではありませんよね」
憮然とした顔になるヴィンチェンツォに、マフェイは否定しなかった。
「大主教の首を取ったものの、狂信的なオルド教徒を全て押さえ込んだわけではない。甘すぎたと言われればそれまでだが、当時はあまり禍根を残すような幕引きにしたくなかった。表向きは軍務省に任せ、我らなりに動いていたつもりだったが、今日までかもしれないな」
マフェイ・バーリ公爵は一同を見回し、意を決したように張りのある声で言った。
「我らは、自分達が残した負の遺産に対しての責務を果たさねばならない。だが、お前達若い者の助力が必要不可欠だ。もはや一刻の猶予も許されぬ。オルド教徒を煽り立てているのは、ウルバーノと、その背後にいるコーラーの人間だ」




