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漂う白花  作者: 渡部ひのり
第三部
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64の話~十年目の対決~

 丘の上から、ヴィンチェンツォとビアンカらしき人を乗せた船が、スロから遠ざかっていくのが見える。

 ヴィオレッタは、うまくいったみたい、とほくそ笑んで、さてこれからどうしようか、と考える。

 ヴィオレッタが、ビアンカのふりをして外に出ると、釣られるように後をつけて来る男達がいた。裏道を知り尽くしているヴィオレッタは、彼等をまきながらも、見事に桟橋からなるべく遠くへ誘導した。

 もう少し、追いかけっこを楽しむのも悪くなさそうだった。

 ヴィオレッタは町の中をもう一回りすることにした。


 それから、船の様子を確認しつつ、船が完全に豆粒のように小さくなるのを最後に、自分も一度、娼館に戻ることにした。

 裏口から入ると、ジュリアが慌ててヴィオレッタのもとへ駆け寄る。

「あの人が来てるんだよ。あんた大丈夫なの?痴情のもつれとか、笑えないよ」

 本気になった客と娼婦の、身の毛もよだつような事件は、しばしば耳にする。

 ジュリアはヴィオレッタの身を案じていたが、そんなんじゃないわよ、とヴィオレッタはジュリアの言葉を受け流し、二階の自室へ向かった。


 扉を開けると、腕組みしたまま、海を見つめるロメオがいた。

 珍しく、真剣な顔をしている。

「そんな顔も出来るんだ。初めて見た」

 後ろ手で扉を閉めると、ヴィオレッタはそこから動こうとしなかった。


「聞きたい事が、山ほどありすぎて、何から聞こうかな。君は誰なの」

 ロメオは精一杯、余裕のある笑みを作ってみせるが、ヴィオレッタの妙に迫力のある、艶かし過ぎる微笑みには敵わなかった。

「もう知ってるんじゃないの。あんたがさんざん馬鹿にしてた、珍種のはつかねずみよ」

 と、ヴィオレッタは鼻で笑う。


「昔の面影が、欠片も見当たらないんだけど。そんなカラスみたいな髪じゃわからないよ。思い当たるのは、その目くらいかな」

「当たり前よ。どこの誰だかわかるようじゃ、こっちも困るのよ」

 恐い顔、とヴィオレッタは言った。昔から、軽薄そうにへらへらしているか、皮肉っぽい表情を浮かべているロメオしか知らなかった。


「どんな仕事をしているかは答えられないわ。ただ、ビアンカを守れと言われたのは確かだけど」

「その為に、こんなところに潜り込んだのか」

 アデルにそんな勇気があるはずない、と言いたそうにしているのが、嫌でもわかる。

 ヴィオレッタにとっては、そんなロメオの態度は、先入観の塊でしかなかった。

「そうよ。少しだけカプラにいた事もあるのよ。旅芸人だった時もあるわ。今度は修道女かもね」


「本当にアデルなのか」

 ロメオは、自分が今にも泣きそうな顔をしている事に気づいていなかった。

「信じたくないでしょうけど、アデル・バイオレット・エイヴリーよ。痩せっぽちで、いつも青白い顔した、さえないアデルよ。あたしなんかに騙されて、悔しくてたまらないって顔してるわ」



***



「僕とわかっていて、どうして寝たの。心の中では、何も知らない僕を馬鹿にしてたのか」

「昔から馬鹿だと思ってるわよ。あんたがここに来たのは計算外だったけど、いいお客だったから、別にどうでもよかったわ。精神的な慰謝料としては、物足りないけど、いつまでも気付かないあんたは、本当に面白かったわよ」

 酷すぎる、とロメオは心底傷ついたようだった。


「酷いのはどっちよ。あんただって、カプラじゃやりたい放題だったじゃない。あんたの話は、他の女の子から聞いてるわよ。利用して、ごみくずみたいに捨てて、相変わらず最低な男だって思ってたわ」

 思わず言葉に詰まるロメオを睨みつけ、ヴィオレッタは構わず続けた。

「今日まであたしのことなんかすっかり忘れてたくせに、騙されたなんて言わないで」


 思い出すはずなんかないのよ、とヴィオレッタは呟いた。


 西方の島国の人々の血を引くと言われるアデルは、銀の月を溶かしたような、白銀色の髪をしていた。肌も透き通るように白かったが、体は棒切れのように痩せていた。

「珍種のはつかねずみみたい。ねずみだって、もう少し肉付きいいんじゃない」

 と当時十六歳のロメオは、年頃の少女の心を深く傷つけた。


 彼女は、外国人であるという引け目からか、アカデミア内でも浮いており、人見知りも激しかったせいで、あまり周囲と打ち解けている様子もなかった。

 生まれた時から、人目を引く派手な外見のロメオからしてみると、アデルのような陰気で地味な人間は、単純に見下す対象のようであった。


 ただ、傭兵隊長だった父親仕込みの弓の腕前だけは、女さながらに抜きん出ていた。

 ロメオも弓は得意だったが、とある大会で、アデルに大差をつけられ、あっさり負けた。

 己の力を過信しすぎたロメオではあったが、悔し紛れに、アデルに負け惜しみを言った。

「ねずみちゃんにも、取り柄があったんだ。弓の練習しかする事ないんだろうね」

 ことあるごとに、アデルを見下すような態度をとるロメオに、当然彼女が良い印象を抱くはずもなかった。

 その時にアデルが受けた、数々の心の傷は、全てロメオの付けたものである。


「あんたのおかげで、むしろ吹っ切れたわ。さんざん劣等感を植え付けられたせいで、今のあたしがあるのよ」

 自嘲ぎみな笑みを浮かべるヴィオレッタに、ロメオは取り繕うように言う。

「そんな十年も前の事を蒸し返さなくても。それに冗談だったんだし、悪気は無かったって、それくらいわかるだろ」

 うろたえるロメオに向かって、ヴィオレッタはぴしゃりと言った。

「冗談ですって。言ったあんたは忘れてても、言われた方は忘れないわ。あたしは根に持つタイプなの。冗談で済まそうなんて、都合よすぎるのよ」


 

 ロメオに会うたび、思春期の苦い記憶がよみがえってきた。それをおくびにも出さず、任務のためとはいえ、互いに一人の男と女である日々だった。

 いつでも追い返そうと思えば拒否することも出来たのに、アデルはロメオの、ヴィオレッタであり続けた。

 それも、今日で終わる。


「用が済んだなら、出て行ってくれる。あんただって、仕事が山ほどあるんじゃないの」

 ヴィオレッタは自ら扉を開け、ロメオが出て行くのを待っていた。



***



 ヴィンチェンツォ達は無事に船を降り、王都を目指して馬を走らせていた。ビアンカが馬に慣れていないせいもあり、帰りは休憩を何度も取りつつ、比較的ゆっくりと進んでいた。

 このまま、ひたすら馬を進めるしかなかったが、ビアンカの体力も持ちそうにない、とヴィンチェンツォは気が気ではなかった。

 どこかに宿を取るべきではあるのだろうが、いつ襲撃されるともわからない身で、それも避けたかった。


「無理ならはっきり言うんだ。火は焚けないが、どこかで体を休めた方がいい」

 手頃な場所はないかと、月明かりを頼りに、ヴィンチェンツォは辺りに注意をはらう。

 自分の身を案じるような発言しかしないヴィンチェンツォに、ビアンカは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。話題を変えるべく、ビアンカは穏やかな口調で言った。

「ヴィオレッタ様の話を聞かせてください」


「そうだな、さっきも言ったように、今とは見た目も違うし、なんというか、どちらかというとあなたのように控えめな子だったな。よくロメオがいじめていた」

 当時、見かねてロメオの発言を咎めるヴィンチェンツォの反応を、ロメオ自身が面白がっていたふしもある。

「信じられないお話です。ヴィオレッタ様はお強くて、とても素敵な方だと思います」

「あの頃とは随分違うように見えるが、確かに芯の強さは、変わらないと思う。あんな仕打ちをされて、俺だったら、アカデミアなんかとっくに辞めてるだろうな」


「みんな、子供の頃からお友達なんですね。私は一つの所に長くいた事がないので、とても楽しそうに思えます。メイフェアが唯一、数年一緒にいてくれましたが」

「彼女も、西方の出身なのだろう。ご両親はどうされたのか知っているか」

 ヴィンチェンツォが以前から不思議に思っていた事を聞いてみた。

「私がスロに行く数ヶ月前にご両親を亡くされて、修道院に入ったと言っていました。彼女の両親も、各地を回る商人だったと聞いています。遺産があるので、一人でも生きていけるようでしたが、なにぶん後ろ盾もない女の独り身では大変だったのでしょう」

 根っからの明るさで、そのような過去はみじんにも見せなかったが、メイフェアなりに苦労をしているようだった。


 そうか、とヴィンチェンツォは言うと、森のように木々の生い茂る方へ向かった。水があるようだ、とささやく様な声で言う。

 耳をすますと、確かに小川のせせらぎが聞こえる。

 小さな川の流れではあったが、馬の喉を潤すには丁度よさそうだった。二人は馬から降りると、休憩を取る事にした。


 馬が水を飲むのを眺めながら、ヴィンチェンツォは大きな木に身を預け、座り込んだ。しばらくしてから、ビアンカも隣にそっと座る。途中で誰も追って来ないのは助かったが、油断はできそうになかった。

 ヴィンチェンツォは、腰に下げていた水筒をビアンカに渡し、水を飲むように勧める。

 ありがとうございます、とビアンカが口をつけ、水筒を戻す手に、思わずヴィンチェンツォは見入っていた。


「まだ傷が残っているんだな。あれだけ深い傷では、そんなすぐには消えないだろうが、女性にそのような傷を負わせて、申し訳なかった」

 月明かりにかざすように、ヴィンチェンツォはビアンカの手をとり、その一筋の刀傷を眺めていた。

「もういいんです。私も、あの頃は少し気が高ぶっていたようなので、気にしないでください」

 ビアンカの知っているヴィンチェンツォではないような優しい言葉に戸惑いつつも、力強くも優しい月のせいか、心は穏やかであった。

「あなたは時々、誰にも予測が出来ないような行動を取る事があるからな。突然スロに帰ってしまうし」

 非難しているつもりはなかったが、ヴィンチェンツォの口から出た言葉に、ビアンカの心はかすかな痛みを覚える。


「それが一番いいと思ったのです、でも、こうしてわざわざ閣下のお時間を取らせる結果になってしまって、お詫びのしようがありません」

 ヴィンチェンツォは、ビアンカの手を握り締めたままだった。

「いいんだ。俺が勝手に無理やり連れ帰っているだけのようだし。もう少し我慢してくれ。あなたは不本意かもしれぬが、心穏やかにあなたが過ごせる日が来るよう、皆で協力する」

 はい、と答えるビアンカの琥珀色の瞳が、月明かりを受けて不思議な光を放っていた。


 ビアンカの手を握る大きな手に、少しだけ力が込められたような気がした。

 ふとした瞬間、二人の目が合い、ヴィンチェンツォが丸い月を背に、自分に近づいてくるのを、ビアンカはぼんやりと見つめていた。


 互いの柔らかな唇は溶け合うように、いつしかゆっくりと重ねられていた。





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