表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
漂う白花  作者: 渡部ひのり
第三部
66/136

63の話~アデル・バイオレット2~

 のどかなスロの町で、修道院の放火は大事件であった。

 ロメオが司法局の役人を連れ、ビアンカを連れ去ろうとした男二人を拘束する。

 隣の孤児院に飛び火することがなかったのは幸いだった。修道院自体は、礼拝堂の一部分だけ焼け残った。

 夏の早すぎる夜明けが、煤に汚れたビアンカ達を包み込む。

 妹分らしき少女達が、ビアンカの無事な姿に号泣する。


「これで、決心していただけるとありがたいのだが。もとより、選択肢は無い」

 修道院の再建で、院長達に苦労をかけることになるのが心苦しかった。ビアンカはうなだれ、はい、と言うが、後ろ髪を引かれる思いであった。


「恐ろしい目に合われて、心から残念に思います。ですが、陛下が再建のために力をお貸ししてくれましょう。何も心配はいりません」

 初めて見る宰相閣下とやらに、院長は目を白黒させていた。ただでさえ、修道院が燃えてしまって、とてつもないショックを受けていた。しかも放火犯は、ウルバーノの使いで幾度か修道院を訪れている男であった。

 おまけに、宰相自らビアンカを迎えに来るとは、いったい何が起きているのだろう、と心労で倒れる寸前だった。


 すみませんでした、と謝るビアンカに、院長はわずかに微笑んだ。

「あなたも元気で。嫌な事があれば、いつでも帰っていらっしゃい」

 そうします、と答えるビアンカの瞳に涙が浮かぶ。

 こんな大変な時に王都に戻るなど薄情ではないか、と自分を責める。

 だが、ここに自分がいれば、また迷惑がかかるのは分かっていた。

 何も事情を聞かない院長に心から感謝し、ビアンカは今日中にも王都に向けて出発する事に決めた。


 修道女達の個室にも火が回り、何も残らなかった。ほんの少しの自分の持ち物ではあったが、全て燃えてしまい、ビアンカは悲しかった。 

 自分には、もう自分以外何も残っていない。



***



 ヴィンチェンツォはビアンカを連れて、石畳の坂道を下っていく。夕食抜きで空腹だったヴィンチェンツォは、どこかで朝食を取りたかった。

 ヴィオレッタのいる娼館のそばに来ると、ビアンカは思い出したように言った。

「ヴィオレッタ様にお礼を言いたいのです。今なら、いらっしゃると思うのですが、少し立ち寄ってもよろしいですか」

「彼女はどこにいるんだ」

 あそこです、とビアンカが指差す先に、ヴィンチェンツォはいぶかしげな顔をした。


「すごいな。もう言葉が出ない」

 ヴィオレッタの部屋に通され、ヴィンチェンツォは居心地悪そうにしていた。

 誰の命令で密偵のような真似をしているのかわからなかったが、まさか娼婦に成りすましているとは予想外だった。本当にアデルなのか、とさえ思う。


「私は王都に戻らねばなりません。まだジュリアの治療も終わっていないのに、本当にすみません。代わりに、王都からお薬を送らせていただきます」

「気をつけて帰るのよ。ヴィンス様が一緒なら、きっと大丈夫ね」


 パン屋に買い物に出かけていた他の娼婦がやってきて、ヴィオレッタに包みを渡すと、何事か囁いていた。

 ありがとう、とヴィオレッタは礼を言うと、扉を閉め、反対側の鎧戸を半分ほど開けると外を見た。

 朝食用のスープと先程買ってきてくれたパンを振舞われ、ヴィンチェンツォはほっと一息ついた。


「まだ、あなた方を探してる怪しい者がいるそうです。いったい何人いるのやら。私が行って、倒してきましょうか」

 外の様子を伺いながら、ヴィオレッタが言う。

「いや、あまり派手に動くと、あなたもここにいられなくなるな。と言っても、ビアンカが王都に行くなら、あなたも移動するのか」

「主に聞いてみないとわかりません。とりあえずひと段落したら、私もほどよい所で、ここを去ります」


 スロの町では、主に漁師達が中心となって自警団を組んでおり、司法局の役割もさほど重要視されていなかった。

 司法局の役人も、この小さな町では数えるほどしかおらず、特に今日のような日は、警護に割いてもらえそうな人員は望めなかった。

 

 自力でどうにかする、とヴィンチェンツォは言い切る。

 ビアンカをじっと見つめて、何事か考えているヴィオレッタだった。

 すみれ色の瞳を煌かせ、ヴィオレッタは楽しそうに言う。


「ビアンカ、その服脱いで。目立って仕方が無いわ。私が代わりにそれを着て、あなた方が船に乗るまで、奴等を引き付けます。どこに敵が待ち構えているかわかりません。明るいうちになるべく遠くまでお逃げ下さい」

 ビアンカの白い修道服に手をかけ、さっそく脱がそうとするヴィオレッタだった。

「いいんですか」

「いいのよ。一度着てみたかったし。今度は修道院に潜り込むのも楽しそうね」

 ヴィンチェンツォは何か言いたげであったが、着替え始める二人から目を逸らし、やりにくそうにしていた。


「聞いても教えてもらえないんだろうな。あなたは誰に命令されたのか。どこまで話を知っている」

 もう一度尋ねるヴィンチェンツォに向かって、ヴィオレッタは軽く肩をすくめてみせた。

「そのうちわかりますって。陛下ではありませんよ。もっと他の、自由な方です。ビアンカ殿の身を案じておられる方は、他にもおります」

 白いベールを被れば、完璧な修道女だった。

 

ヴィオレッタの私服に着替えたビアンカを見て、ヴィンチェンツォは、初めて見る薄い栗色の髪に驚いていた。

「確かに、そちらの方がしっくりくるな。あなたによく似合っている」 

 ありがとうございます、と恥ずかしそうにしているビアンカを、ヴィオレッタは不思議そうに観察している。

 王都でのいきさつは、ヴィオレッタも知ってはいたが、どことなくぎこちない二人の様子に、なんとも言えない歯がゆさを感じた。


「船頭には話をつけてあります。あなた方お二人だけで船を出してくれるそうです。もう少ししたら、私は先に出ますから、折を見て桟橋まで行ってください」

 ヴィオレッタは、ポケットに入っていたナイフを取り出し、ビアンカに忘れ物、と言って手渡した。

 感謝してもしたりないくらい、ヴィオレッタには世話になった。

 ビアンカはどうかご無事で、とヴィオレッタの手を取る。



***



 男の声がする、と扉の前でロメオが立ち尽くす。別におかしい事ではない。

 けれど、ヴィオレッタの所に朝まで居座ることを許された男は、自分以外にいないと思っていたロメオは、軽い衝撃を受けていた。

 このまま帰った方がいいのかもしれない、と思いつつ、何故か吸い寄せられるように扉に耳を当てるロメオだった。


「本当に大丈夫なのか」

「あなたの方こそ、たまに暴走すると聞いていますから、そちらの方が心配です」

 聞いたこともないような、柔らかな声を出すヴィオレッタがいる。

 どういうことだ、とロメオは寝ていないせいもあってか、頭の中がぐるぐる回る気がした。


「王都に来たら、会いに来てくれ。改めて礼をするから」

「そうですね、お約束はできませんけど、そのうち」

 ヴィンスの声だ、とロメオは気付き、ごくりと喉を鳴らした。

 どうして奴がここにいるんだ、とロメオは数秒の間に、すっかり絶望的な妄想をしていた。


「では行きますね。ごきげんよう」

 ヴィオレッタの涼やかな声が扉越しに響く。

「アディ、無理はするなよ」

 名残惜しそうなヴィンチェンツォの声もその後に続いた。

 ビアンカほったらかしで、お前は何をしてるんだ、とロメオは扉の前で、ぶるぶると震えた。


 だが、何故か頭の中で、ヴィンチェンツォの声が引っかかった。

 ヴィンスは今、ヴィオレッタではなく、アディと呼んだ…


 勢いよく扉が開き、修道服姿の女性があらわれた。その後ろに、ヴィンチェンツォとビアンカの姿があった。

 ロメオの突然の訪問に、ヴィオレッタは一瞬驚いた顔を見せたが、何も言わずにロメオの横をすり抜け、階下に向かっていった。

 

「そんな格好で、何をしてるんだ」

 震える声で、ロメオが言った。

「ビアンカの代わりよ。私が奴等を巻いている間に、二人を船に乗せてあげて。何を仕掛けてくるかわからないし、頼んだわよ」

 足を止めたヴィオレッタは静かに言い残すと、風のような身のこなしで消えていった。


「彼女はヴィオレッタだろう。なんでお前がアディなんて呼ぶんだよ」 

 混乱するロメオの様子に、ビアンカは驚いて絶句していた。

「聞いていたのか」

 冷ややかな顔をするヴィンチェンツォに向かって、ロメオは思い切り睨みつけた。

「すみれ色の瞳だ。思い出せないか」


 アデル・バイオレット…


「嘘だ。全然違う。アデルなわけがない」

「確かに卒業する前と、見た目は全然変わっているから分からないだろうが、ビアンカを助けてくれたのはアディなんだ。お得意のショートボウで奴等を倒してくれたのはアディだよ」

 絶句するロメオの様子が、ビアンカを不安にさせた。彼女が、アデルではいけない何かがあるのだろうか。


「俺達はもう行く。悪いが、俺も事情はよく知らないんだ。後で本人に直接聞くんだな」

 黙りこんだままのロメオに、ヴィンチェンツォは静かに言った。一応、気を遣っているつもりではある。

 このまま内緒で王都に帰るつもりだったのに、最悪のタイミングで、ロメオがあらわれてしまい、ヴィンチェンツォにもどうにもならなかった。


 行こう、とビアンカを促し、ヴィンチェンツォは部屋を後にする。

 裏口から通りに顔を覗かせ、一見不審そうな者の姿は見当たらない。アデルが引き付けてくれたのが、どうやらうまくいったらしかった。

 ビアンカの手を引き、ヴィンチェンツォは桟橋まで走る。

 

 浅黒い顔をした壮年の男が、二人に気付き、小さな漁船に乗せてくれた。

 その男の顔付きや身のこなしも、単なる漁師ではないように見えた。

 俺の知らないところで、いろんな人間が動いている。ヴィンチェンツォは複雑な気持ちであったが、敢えて男には何も聞かなかった。


 しばらくしてから、金色の髪を振り乱して追いかけてくるロメオの姿が見えた。

 ゆっくりと桟橋から離れていく二人の姿に、ロメオが無言で手を振る。

「そうだ、宿代を払っておいてくれ。司法局宛に明細を出してもらっていいぞ」

 思い出したように、ヴィンチェンツォが言った。

「当たり前だろ!」

 怒ったように怒鳴り返すロメオに、ヴィンチェンツォは笑っていた。

 深々と頭を下げたビアンカに向かって、ロメオはキスを投げる。


「あいつも、案外打たれ弱いところがあるんだな」

 小さくなっていくロメオの姿を見つめたまま、ヴィンチェンツォは笑いが止まらない。

「笑い事じゃないと思いますけど。ものすごくショックを受けていたような…」

 非難めいた口調のビアンカに向かって、ヴィンチェンツォは人の悪い笑顔を向けた。

「自業自得だ。女性は恐ろしい。あの様子では、何も知らずにさんざん貢いだんだろう」


 過去に、二人の間に何があったのだろう、とビアンカは思うが、ロメオの反応を見る限りでは、あまりよい出来事ではなさそうだった。



***



 ロメオは、去ってゆく漁船に背を向け、岸壁からヴィオレッタの部屋を見上げた。


 スロに来たばかりにもかかわらず、暇を持て余し、桟橋をふらふらしていたロメオは、宝石のような瞳で、開け放たれた窓から、気だるそうに海を見つめる女性の姿に気付いた。

 いつもの癖で思わず、窓辺の美女に愛想よく手を振るロメオを、ヴィオレッタはあっさり無視して、部屋の奥に消えてしまった。

 

 お高いのは嫌いじゃない、とロメオはがぜんやる気になった。

 初めはあまり歓迎的ではなかったヴィオレッタも、長い時間がかからずに、ロメオを受け入れてくれた。

 それが客としてなのか、それとも彼女にとって特別な存在としてなのか、ロメオも深く考えた事はなかった。

 全てが、計算されていた事だったのだろうか。

 

 アデルは僕に、復讐したかったのだろうか。




 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ