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漂う白花  作者: 渡部ひのり
第三部
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61の話~再会~

 夜が明けても、一向に騎士団の面々が解放される事はなく、夜通し行われた強制捜査に皆が疲れを見せ始めていた。

 宰相府の一室に押収品が山のように運び込まれ、ひと段落着いたのは昼すぎであった。

 珍しくランベルトも愚痴をこぼさず、黙々と確認作業を手伝っていた。疲れたなあ、とふと顔を上げ、何気なく辺りを見回す。

「そういえばヴィンス様はどちらに」

「知らない」

 意味もなくロッカに睨まれ、ランベルトは凍りついた。誰が見ても、機嫌が悪いロッカである。この忙しい時に、ヴィンス様は姿も見せずにどうしたんだろう、と今頃ランベルトは宰相の不在に気が付いた。


 昼食くらいはとっておこう、と殺気すら感じさせるロッカから遠ざかり、ランベルトは静かに部屋を後にする。

 騎士団の食堂へ行くと、バスカーレとステラは既に食事中だった。ご苦労、と声をかけるバスカーレの隣に座り、ランベルトはスープを一気にかきこみながら「ヴィンス様はどこです」と尋ねた。

 バスカーレは口ごもり、無言でスープを口に運ぶ。辺りを見回すと、小声でランベルトに言った。

「王宮にはいらっしゃらないんだ。三、四日は留守にされるんじゃないかな」

「この大変な時期に?どちらに行かれたんです」

「スロ」

 具の野菜が詰まりそうになり、ランベルトは大きな目を一層見開く。


 目を白黒させているランベルトに、バスカーレは気の毒そうな顔をした。 

「まあ、そういう事だ。もう心配でたまらないんじゃないか」

 そうですか、とようやくランベルトは言葉を発し、ゆっくりとパンを口に入れた。

 ロッカが怒っているのもそのせいか、と理解したランベルトは、早く帰ってきて、と心の中で呟いた。


「だが困った事に、まだ陛下には話してないんだよ。誰が報告する」

 誰ってあんたしかいないだろ、とランベルトは即座に思うが、バスカーレの弱気な態度を見ると、出来るだけ引き伸ばした方がいいのかな、と自分も弱気になる。

 ステラ、と反対側に座る副団長にバスカーレは愛想笑いを浮かべるが、ぎろりと睨まれ、無理か、とうなだれる。


「聞かれたら答えればよろしいんでしょう。あくまでも聞かれたら、ですが」

 ステラが、まだ少し怒気をはらんだ声で言った。おお、やってくれるか、とバスカーレは単純に喜んでいた。

「仕方ないでしょう。他にいないのなら」

 と、男前な返答をするステラに、本物の男二人は頭が上がらないようだった。

 もっとも、既にロッカが話していれば私は関係ないけど、と安心して食事を続ける二人を、ステラはちらりと見た。

 


***



 その機会は意外と早くにやってきた。

 宰相府の廊下で、エドアルドがうろうろしているのを見つけ、騎士三人は顔を見合わせた。ステラ、頼む、と小声でバスカーレが言った。

 エドアルドが三人に気付き、近寄ってくる。

「ロッカの機嫌が悪くて、話しかけられなかったよ。どうしたのかな、すごく恐いんだよ」

 ステラは何食わぬ顔をして言った。

「お疲れなんでしょうね。何か御用ですか」


「ヴィンスはどこに行った。誰もわからないと言っていて、北の庭園にもいないようだし、お前達はどこかで姿を見たかな」

 期待に満ち溢れた眼差しで、二人はステラの頼もしい後姿を見つめていた。

「さあ、私も今日は姿をお見かけしておりません。何か急用でしょうか」

 え、と後ろにいたバスカーレとランベルトが、息を飲んでステラの背中を見つめた。


「いや、いいんだ。簡単な調査書でいいから、出来たら持って来てくれるか。ロッカに頼めばいいのか」

 殺気立つロッカの姿に、珍しくうろたえているエドアルドを落ち着かせるかのように、ステラは過剰なまでの微笑みを浮かべた。

「いえいえ、それくらいは私共でも大丈夫です。ロッカはすごく忙しいので。二、三日ほどお時間いただいてもよろしいでしょうか。なにせ、部屋を埋め尽くすほどの資料ですので、分類作業が大変なのです」

 今思いついた適当な言い訳がすらすらと、ステラの口をついて出てくる。

 そうか、とほっとしたようにエドアルドは言い、自分の執務室へ戻っていった。


「ステラ何やってんだよ!なんで知らないとか言っちゃってるの」 

 ばつの悪そうな顔をしたステラだったが、すぐにいつもの真面目な顔つきに戻る。

「今言ったとおりだ。何よりあの資料の山をどうにかしないと、正直ヴィンス様どころではない。陛下に怒られて、話がややこしくなるのも面倒だ。とりあえず、忙しいふりをしてやり過ごそう。いいですね」

 ステラの主張に異を唱える事もできず、二人はうん、と頷くしかなかった。確かに、これ以上のやっかいごとは避けたかった。


 本当に私は知らないし無関係だし、とステラは、ヴィンチェンツォの件は完全に自分とは切り離す事に決めた。

 ランベルトは、ヴィンス様はビアンカに会えただろうか、と遠いスロにいると思われる上司の身を案じつつ、午後の作業に取りかかるのであった。



***



 初めてのスロ行きで、ヴィンチェンツォは道に迷い、船着場にたどり着いたのは真夜中近くであった。さすがに、船を出してくれそうな人間はどこにも見当たらなかった。

 仕方なく朝一番の船を待つことにし、岸辺の宿屋で少々の仮眠を取る。

 

 日が昇ると同時に慌しく宿を出ると、湾の遠い対岸にうっすらと見えるスロの町並みを桟橋から眺めていた。

 馬を飛ばしながら、ずっと考えていた。思えば半年近く、まともに会話をしていない。最初にどんな言葉をかければよいのだろうか、と幾つか考えてみるが、どれもぴんとこなかった。

 久しぶり、なのか、話がある、なのか、いったいどうすれば今の状況にふさわしいのだろう。

 時折不定期に波しぶきを受けながらも微動だにせず、ヴィンチェンツォは水面を凝視していた。



 ヴィンチェンツォはあまりに緊張しすぎていたせいか、海が少々荒れていたのも気付かず、船酔いなどものともせずにスロに着いた。

 桟橋にいる漁師に道を聞き、それほど大きくもない港町で唯一天に向かってそびえ立つ修道院に向かった。


 ビアンカが毎日髪に差していたのと同じような、磨き上げられた貝細工がはめ込まれた扉や窓枠の建物を幾つか通り過ぎ、修道院の鐘楼を見上げて歩き続ける。

 うっすらと額に汗を浮かべながら、傾斜のきつい町並みを過ぎると、景色はオリーブや柑橘類の畑や、野原に変わる。その先には、白壁の背の高い建物が見えた。

 ふと振り返ると、真っ青な海を背にして白い家々が眼下にあった。

 ここに別宅があればよかったのに、と丘の上から久しぶりの海の美しさに目を細め、ヴィンチェンツォは一時心が洗われるような気がした。


「別に君が行かなくても、薬だけなら僕が届けるから、今日はおとなしくしててくれる?」

 と、近くで聞き覚えのある声がする。

「いえ、一応確かめてみない事には。完全に自作のものは、自分も初めてですから、効き目が知りたいのです」

 穏やかな口調ではあるが、意志の強さが溢れる若い女の声が聞こえた。


 ヴィンチェンツォは足を止め、その懐かしい声の持ち主が姿をあらわすのを見た。



***



 ロメオは道の真ん中で立ちつくす男に気付き、すばやくビアンカを自分の背に隠すと、腰に差した剣に手をかける。それが嫌というほどよく知る人物だと分かり、残念そうに手を離した。


 ロメオの後ろから、少しだけ顔を覗かせたビアンカは、その男が誰なのかおそるおそる眺めていた。

 見覚えのある氷の刃を思わせるような美しい瞳と目が合うと、途端に身を震わせ、かごを取り落とす。

「閣下……?」

 見慣れぬビアンカの修道服姿に驚くのは、ヴィンチェンツォも同じであった。

 無言で見つめ合う二人の間に立ち、ロメオもどうしてよいのか分からず、途方に暮れる。


 沈黙を破ったのはビアンカだった。

 突如、純白のスカートをひるがえして、脱兎のごとく駆け出すビアンカに、ロメオとヴィンチェンツォはあっけにとられていた。

「逃げたくなるほど嫌われてるんだ。可哀相」

 心の底から同情するような声で、ロメオがぼそりと呟いた。


「上等だ!」

 ヴィンチェンツォは遠ざかるビアンカをめがけて、意を決したかのように後を追う。

 野原を駆けてゆく、兎と獅子のような二人を見送り、ロメオはしばらくその場で待つ事にした。


 なんでそんなに逃げ足が速いんだ、とヴィンチェンツォはビアンカの健脚に驚きながら、それでも無我夢中で追いすがる。くるぶしまで伸びたスカートは、どう考えても逃げるには不利なはずである。なのに何故、いつまでたっても追いつかないのか、とひたすら走るビアンカを追いかけ、ヴィンチェンツォの闘争心に、一層火がついた。


 何かにつまずき、一度ビアンカが顔から地面に倒れ伏す。素早く身を起こすと、振り返らずに再び走り始めるビアンカの原動力は、一体どこから来るのか。

 最近運動不足を感じていたヴィンチェンツォは、どこまで行く気か、と息を切らしはじめていた。


「ビアンカ、待つんだ!逃げるな!逃げてどうする!」

 お願いだから止まってくれ、とヴィンチェンツォは必死で声をかけた。

「閣下が追いかけてくるからです!」

 そう叫び返しながらも、ビアンカのスピードが落ちる気配はない。

「あなたが先に逃げ出したんだろう!」

「そんな恐いお顔をされたら、誰でも逃げたくなります!」

 二人の叫び声は、風に乗って港まで届きそうであった。


 転んだ時に捻ってしまったのか、足が思うように動かなかった。ビアンカは泣きそうになりながら野原を抜け、その周りを取り囲むオリーブ畑の手前で、どうしたものかと混乱しながら辺りを素早く見渡した。その間にも、ヴィンチェンツォは自分との距離を詰めてくる。

 振り返ると、すぐそばにヴィンチェンツォが迫ってきていた。

 足がもつれ、またもや顔から転びそうになるビアンカの体を、間一髪でヴィンチェンツォが後ろから抱きとめた。


「ありがとう、ございます」

 ビアンカは何か言わねば、と頭の中が真っ白になりながら、かろうじてお礼を言う。ヴィンチェンツォの荒い息遣いを耳元で感じ、ビアンカの体はすっかり硬直していた。がくりと膝が落ち、ヴィンチェンツォがビアンカを抱えたまま、草むらに膝をつく。

 息が落ち着くのを待っているのか、ヴィンチェンツォは何も言わずに、ただひたすらビアンカの腰に回した手に力を込めた。



 背中から、ヴィンチェンツォの心臓の鼓動が伝わってくる。このまま二人で触れ合っていると気がふれてしまいそうだ、とビアンカはヴィンチェンツォの腕の中から逃げ出そうとするが、がっちりと抱きとめられてしまい、身動きできなかった。

「苦しいです。離してください」

「離したら、また逃げるんだろう。人の話も聞かずに」

 ビアンカだけに聞こえるような小さな声で、ヴィンチェンツォがささやく。

 いつの間にかビアンカの手のひらは引き寄せられ、ヴィンチェンツォの手に重ねられていた。




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