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漂う白花  作者: 渡部ひのり
第三部
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60の話~理由なんて、いらない~

 国境の警備隊に至急連絡を、とヴィンチェンツォは即座に言った。先程までの打ちひしがれた様子は微塵もなかった。

 ロッカが矢が放たれたかのごとく、執務室から駆け出して行った。

「奴はもう完全に終わりだ。陛下の温情を無視して背くなど、本来なら奴に情けをかける必要などなかったのに」

 バスカーレは黙ってヴィンチェンツォの話を聞いていた。

 自らビアンカの信頼を裏切るような真似をして、この話を耳にすれば、彼女はどんなに悲しむだろう、とヴィンチェンツォは苦々しい気持ちでいっぱいになる。


「早馬でも、もう既に二日ほど経っていますよね。…間に合わないかもしれない」

 ヴィンチェンツォの言葉に、すまない、とバスカーレは自分の責任ではないものの、悔しさを滲ませていた。

 ウルバーノは既に、コーラーの国境を越えてしまっているのかもしれない。国内に潜伏するよりは、何かと知り合いの多いコーラーに逃げてしまうのが、距離的にも自然だった。だが、何か引っかかるのか、心の不安は拭えない。


 このところ不審者がビアンカのそばにあらわれたのも、単なる偶然なのだろうか。

 ヴィンチェンツォは、再び、最後に会った時のウルバーノの様子を思い起こす。

 ヴィンチェンツォが邪魔をしなければ、奴は自分の計画の中で、ビアンカを王宮から去らせて、何をする気だったのか。 


「まさか、オルド教徒に」

 今回とは関係ないと思われる単語を耳にし、バスカーレは怪訝そうな顔をした。

「団長、コーラーから武器を流した者達と、ウルバーノは繋がっていました。武器はまだ見つかっていません。大砲五門と、大量の火薬です」

「信じられんが、輸送の痕跡がオルド地方なだけに、奴等の手に渡っている可能性が高いな。最近やたら強気に出てくるのも、そのせいか」

 バスカーレの言葉にヴィンチェンツォはうなずいた。


 目的はどこにあるのか、いまだ掴めずにはいたが、ウルバーノは自分とは違ったやり方で、手当たり次第になんでも利用する人間だ、とヴィンチェンツォは思っていた。

 人の心の隙間に入り込み、本人の気付かぬうちに奥深くまで進入する。ビアンカに、自分が善人であるかのような印象を植え付けたように。


 彼は、ヴィンチェンツォの知る限り、盲目的に神を信じる人間ではなかったと思う。それなら手段として、オルド教徒までも利用するのだろうか。そして、ビアンカも。


 ヴィンチェンツォは、静かに目を閉じると、ややあって口を開いた。

「俺は留守になります。後の事はロッカと、あなたにお任せしてもよろしいでしょうか。今一度、イザベラのリストを洗い直してください。オルド教徒との繋がりを至急解明しないとなりません。ありったけの人を使ってください」


 しばしの沈黙の後、わかった、とバスカーレはうなずき、いいから早く行け、と強い口調で言った。

「それから、クライシュ先生にお伝えください。聖都に向かい、オルドの巫女を探せと。詳細は現地でフェルディナンド様にお聞きしていただければ」

「お前は一人で行くのか」

 ええ、とふいにヴィンチェンツォは笑顔で答えた。

「ロッカでは足手まといですから」



 正直なところ、会う心構えなど全く出来ていないも同然だったが、そうも言っていられなかった。

 すばやく身支度を済ませ、ヴィンチェンツォは宰相府を後にする。馬屋のそばには、ピアを見送ったばかりのフィオナ達がいた。

「姉上はお帰りになられましたよ。あなたはどちらへ」

 何と答えてよいのか、ヴィンチェンツォはわからなかった。エドアルドの了承も得ずに出ていこうとしていたが、聞いたところで、自分が直接行く事には反対されそうだった。


 すみません、と言うと、フィオナ達を振り返らずに馬屋へ向かう。あらあら、何かあったのかしらね、とフィオナは一目散に駆けていくヴィンチェンツォの後姿を目で追っていた。

「まさかとは思いますが、お逃げになったのでは」

 メイフェアが呆れたように言う。先程、満面の笑顔を浮かべて、フィオナのところへ報告にやってきたカタリナを思い出した。

 カタリナの頭の中は、どこまでもお花畑が続いているようだった。

 

「私は、一日も早くヴィンチェンツォ様にふさわしい女性にならないと。それまでお待ちいただけるそうです」

 と、うっとりとした口調になるカタリナに引いていたメイフェアであった。

 あのような調子では、相手が誰であろうと、うまくかわすのはなかなか難しい気がした。

 いい加減現実を見なさい、とメイフェアは説教したくなるが、かと言って偉そうに言えるような経験も無し、と思う。


「よくはわかりませんが、あの子の様子と先程の宰相様では、随分反応が恐いくらいに違うわね。あの子が宰相様に何らかの打撃をお与えになったのは間違いないと思うわ。どうされるのかしらね」

 フィオナは楽しげに呟き、戻りましょう、とメイフェアに声をかけた。



 最後の船に乗らねば、とヴィンチェンツォは懸命に馬を走らせる。日が長くなり、出航時刻も遅くなっているはずだった。駄目なら、その辺の漁師に金を握らせて、無理にでも船を出させるしかあるまい、と思っている。

 何としてでも、今日中にスロまで行く、とヴィンチェンツォの手綱を握る手に、自然と力が入るのであった。



 ヴィンチェンツォが、城下町の外壁を兼ねる水道橋の辺りまで差し掛かった頃、アカデミアで授業を終えた、帰宅途中のエミーリオとすれ違った。

 声をかける間もなく、風のように走り去った方は、間違いなくヴィンス様だ、とエミーリオは思った。

 あのご様子では、今晩はお帰りではなさそうだ、残念に思うが、それにしてもどこへ行かれたのだろう、といつまでもヴィンチェンツォの去っていった方向を見つめていた。



***



 王宮騎士団は二手に別れ、ウルバーノ・マレット伯爵邸とコルレアーニ男爵邸を強襲した。

 

 ステラは、部下達とコルレアーニ男爵邸を包囲し、誰一人逃げ出す隙も与えなかった。

「存分にやれ」

 ステラを先頭に、騎士達は館へ踏み込み、書斎の中から根こそぎ運びだそうとしていた。

 度重なる非合法の夜会の場を提供したとして、軽い罰金で済んでいたコルレアーニである。


 ウルバーノの左遷と共に、この男から何もかも取り上げるべきではあったが、ヴィンチェンツォの意向もあり、今日まで泳がせておいた。それが吉と出ればよいが、とステラは焦燥感と戦いながら、押収品が運ばれていくのを見守っている。

 ステラにしてみれば、ウルバーノが動くのは遅すぎたくらいであった。

 その一方で、団長はうまくいっているだろうか、と心配する余裕もあるステラだった。


 

 伯爵邸の執事が、ウルバーノの不在の間に管理をまかされており、いつ戻るともわからない主人の留守を守っていた。突然の騎士団の訪問に、老執事は精一杯の威厳を保って応対するが、騎士達に強引に踏み込まれ、為すすべを失っていた。

「これ以上、我らから何を奪おうとするのか。主は王都を追われ、充分に報いを受けております」


 哀れな老人の哀願に耳をかす事もなく、バスカーレは極めて冷静であった。

「宰相閣下のご命令です。屋敷の中をあらためさせていただく」


 淡々と、目ぼしい資料が運び出されていくのを、執事は呆然と眺めている。

 ランベルトがバスカーレに近寄り、遠慮がちに進言する。

「私でよければ、王宮に一足先に戻って警護にあたります。いかがなさいますか」

「何の為に近衛騎士団があると思うか。我らがなくとも、王宮一つ守れぬ奴等ではあるまい。余計な気を回さずともよい」

  失礼しました、と引き下がるランベルトの心遣いは嬉しかったが、ここはヴィンチェンツォの望んだ騎士団としての役目を果たすまでだ、とバスカーレは思った。


 この先、伝統的な騎士団としての形を残すのか、それとも影の諜報集団としての役割へ本格的に移行してゆくのか、バスカーレにもわからなかった。

 宰相の不在時に任された大役を終えるのが、今の自分達に出来る事、とバスカーレはあらためて自分に言い聞かせるのであった。



***



 自分のもとへ、ヴィンチェンツォが刻々と近づいているなど夢にも思わず、ビアンカはその日も慌しい一日であった。

 眠りにつく前の、最後の祈りを終え、今日は早く寝よう、と思いながらも、ウルバーノに書く手紙はなかなか終わらなかった。

 少しずつ書き溜め、迷い、書き直しているうちに、随分と日が経ってしまったように思える。

 諦めて、その日も完成を見ずに就寝する事にした。


 自分は今、とても穏やかな日々を過ごしています。この気持ちを、ウルバーノ様や、王都の皆にも分けてあげられたらよいのに、と書かれた手紙は机の上に置かれたままであった。






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