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漂う白花  作者: 渡部ひのり
第三部
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57の話~すみれ色の彼女~

 やる気がないにも関わらず、とりあえず桟橋で釣り糸を垂れ、飽きてくると昼寝を始めるのはロメオの日課であった。咎める者もおらず、司法局の他の役人も似たようなものだった。

 天国だなあ、と自由を満喫して、今日も昼寝にいそしむ。

 さぼっているように見えても、実際はご奉仕とやらで町中をうろつくビアンカの警護も兼ねているのだから、何も問題はない、とロメオはいざという時の言い訳を考えていた。


「そうやって昼寝して給金貰えるんだから、いいご身分よね。あたしでもお役人になれるんじゃないの」

 ヴィオレッタが呆れたように隣で座り込み、ぶつくさ言っている。彼女は、すっかり馴染みとなった娼館で働いている。名前のとおり、すみれ色の瞳をしていた。

 商売上は二十歳だよ、とだけ言い、本当の年齢は教えてくれなかった。

「そう見えるでしょ、でもこれも仕事なんだよね。信じてもらえないと思うけど」

 ロメオは目を閉じたまま、投げやりに答える。


「あんた最近来なかったからさ、教えてあげようと思って。よそ者の男がよく来るんだよ。何か嗅ぎまわってる感じがしたね。修道院の事も聞かれた」

 ふうん、とロメオは呟き、うっすらと目を開ける。

「具体的にはどんな事を」

「春先に入った、見習いの女の子の事聞かれたけど、あたしなんかが知るわけないだろ、って言っておいたよ。そいつ、まだこの町にいるんじゃないかな」


 ヴィオレッタの快活そうな瞳が、水面の光を受けて煌めいている。ゆっくりと身を起こし、ロメオはその宝石のような瞳を見つめた。

 その瞳は、見覚えがあるようなないような、どこか懐かしさを感じさせる淡い色あいだった。

「わざわざありがとう。それとも、僕に会いに来る口実?」

 小ばかにしたような視線を送り、ヴィオレッタは素っ気無い態度を取る。

「寝すぎで頭が腐ってるんじゃないの。上客は特別扱いしろって言われてるからね」

 素直じゃないなあ、とにやにやするロメオを無視して、ヴィオレッタは立ち上がった。


 振り返らずにさっさと立ち去るヴィオレッタの後姿に、ロメオは少々の寂しさを覚える。

 この子も、大概変わった子だ、と思っていた。

 言葉はあまり丁寧とは言いがたかったが、王都出身らしく、訛りのない綺麗な話し方をした。媚びない性格と、その美しい声の響きが客受けするのか、まだスロに来てから半年もたっていないというわりには、売れっ子の仲間入りをしているらしかった。

 今日あたり、ご機嫌取りに遊びに行った方がいいかもしれない、とロメオは思い、再び桟橋で身を横たえた。



***



 ヴィオレッタのいうとおり、確かにビアンカも、少々の異変に気付いていた。外に出ると、妙な視線を感じる。警護がついているのは知っていたが、また違う人が増えた、とビアンカは最近思っていた。

 ビアンカ抜きで、奉仕活動から戻ってきた少女達に一度、「いつもの女性は一緒ではないのか」と見知らぬ男に聞かれた、と気味悪そうに言われた事もある。


 修道院の入り口にも警護兵が毎日立っており、当初はものものしさに気が引けたビアンカは「そこまでしなくても」とロメオに伝えたが、適当にはぐらかされた。

 その頃とは、少し事情が違うような気がする。気にしすぎかもしれないが、ロメオに一度話してみよう、とビアンカは思った。


 まずは薬を届けに行こう、と早めに昼食を終えたビアンカは、身支度をする。念の為ステラに持たされた護身用のナイフも言われたとおり、スカートの大きいポケットに入れた。

 入り口の兵に軽く挨拶をし、繁華街へと向かう。時折、顔見知りの商店主などと立ち話をしつつ、目指す場所へ向かった。


 スロの町で唯一の娼館ではあるが、ビアンカは臆する事もなく出入りしていた。他の少女達を連れてくるのは、さすがに気が引けるので、ここに来る時はたいてい一人だった。

 裏口からそっと入り、台所にいる中年女性に声をかけた。

「こんにちは。皆さんいかがですか」

「いつもありがとうね。あんたのおかげで、よくなってきてるよ」

 そうですか、とビアンカはほっとしたように微笑み、二階の個室へと向かった。


 半分以上の娼婦達はまだ寝ているのか、廊下は静かであった。奥にある部屋の扉を叩き、そっと中に入る。

 彼女は既に起きており、開け放たれた窓から、海を見ていた。部屋に入ってきたビアンカを振り返り、にこりとした。

 彼女、ジュリアという名の女性は、ビアンカと同じ年だと言っていた。ビアンカはこんにちは、と言い、手にしていた籠を小さなテーブルに置いた。


「見てもよろしい?」

 どうぞ、とジュリアは肩にかけていたショールを外し、薄い下着姿になった。

 胸元や耳の辺りには、まだ薄く紅斑が残っているが、一時期腕や背中に出ていたものは、消えているようだった。


「お薬を続ければ、胸元も綺麗になるわ」

 茶色の小瓶に入っている液体を籠から取り出す。それは薬草を煮詰めて作った塗り薬であった。

 娼館では、こういった伝染性の病気が流行るのは仕方のないことである。王都の花街では、予防薬が手に入りやすく、それほど酷くなる事もなかったが、大勢の人間が行き交う場所がら、根絶は難しいと聞いていた。


 田舎のスロではなおさら、薬が手に入りにくいらしく、ビアンカが治療を始めた頃のジュリアの容態も、決して問題ないとはいえなかった。

「熱はまだ頻繁に出る?」

 ビアンカは薬を塗り終えると、ジュリアの額や脇に手をあて、体温を確かめる。

「前より全然いいのよ。あんたの薬、すごいね。物語の魔女みたい」

 ビアンカは苦笑いをして、今度は別の包みを取り出した。こちらは粉末にした飲み薬である。


「母が魔女みたいなものだったから。何でも知っていたわ。でも最近では、王都で開発してるお薬の方が効き目が早いみたいだし、そちらも手に入るように手配します」

 無理を言うようだが、エドアルドに薬を送ってもらうように手紙を書こう、とビアンカは思っていた。

「お薬、続けてくださいね。また一週間後に来ますから」

 ありがとう、とジュリアは微笑み、小さく手を振った。


 廊下に出ると、ヴィオレッタがビアンカを待っていたようだった。壁に寄りかかり、こちらを見ている。

「他の方も診ます。どなたか、酷くなっている方はいらっしゃいますか」

 いや、とヴィオレッタは軽く首を振った。

「治療が早かったせいか、皆治りも早いよ。あんたこそこんな所に来て、もらわなくていい病気もらったらどうするの」

 年上らしい口調で、ヴィオレッタが言う。ビアンカは大丈夫です、と小さな声で言い、飲み薬の包みをヴィオレッタに手渡した。


「足りなそうでしたら、いつでもまた届けに来ますから」

 階段を下りかけるビアンカに、腕組みしたヴィオレッタが再び声をかけた。

「一人は危ないよ。桟橋にロメオがまだいるようだったら、送ってもらうといい。いつも夕方まであそこにいるみたいだし」

 ありがとう、と答え、ビアンカは静かに階段を下りていった。変わり者だ、とヴィオレッタは自分を棚にあげて、白い修道服の女性の後姿を見つめていた。



***



 裏口から石畳の通りに出ると、遠くで人影がうごめき、すばやく視界から消えるのをビアンカは見た。

 やはりおかしい、と反対方向に歩き始める。いざという時は、大声を出せばよい、と早歩きで桟橋を目指した。角を曲がる時、誰かが自分と同じ方向に歩いてくるのがわかる。

 どうして自分が見張られているのか、皆目見当がつかない。今までの警護の者は、こんな不安にさせる視線を送ってくる事はなかった。


 目の前に大きく海が開け、片付けをする漁師達の姿が目立った。いくぶん安心感が増し、ビアンカは遠くの桟橋で帰り支度をしているロメオを見つけた。


「あからさまに見張られると、気持ち悪いよね。あんまりしつこいと嫌われるよって、ヴィンスに速攻で伝えておくから」

 帰り道にビアンカから相談され、ロメオはヴィンチェンツォのせい、と決めつけるように言ってのける。

 いえ、そういうわけでは、と困っているビアンカは可愛らしかった。だけど、大人の女性としての自覚が少し足りない気もする、ともロメオは思った。

「なるべく一人で出かけないようにした方がいいよ」

 宮廷帰りとはいえ、自分がこうも重要人物扱いされる意味がわからなかった。問い詰めても、本当の事は教えてくれないとわかっていたので、ビアンカは「はい」とだけ答えるしかない。


 修道院の入り口まで来ると、夕日は沈みかけ、今日の残りの光を最大限に放っているように見えた。

 じゃあね、と手を振り、ロメオが仕事場に戻っていった。

 ビアンカの言ったとおり、面識の無い男が先程から、実に不慣れな様子で修道院を伺っているのが確かにわかる。 

 尾行があまり上手とはいえないな、とロメオはその男を気の毒にすら思った。


 

 

 

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