3の話~冬バラの男~
翌朝目をうっすら開けると、目にした光景がいつもの自分の部屋の天井ではないことに気づいた。ゆっくりと身を起こすと、ビアンカは眩しい光が差し込む窓辺に目をやる。ビアンカの自室は北の奥で薄暗いことこの上なかったが、修道院時代の習性からか彼女はその日も早起きであった。
お昼にはお戻りになるだろうか、自分も早くあのドレスを仕上げてしまいたいのだが、とぼんやりビアンカはそろそろとベッドから降りると、美しい刺繍の施された部屋靴に足を滑り込ませ、そのまま窓辺に近寄った。
昨晩軽く降ったらしい雨露が、庭の木々の間を縫うように、真珠をちりばめたかのようにきらきら輝いている。きれいね、とビアンカはつぶやいて窓の外を見下ろした。
いつまでもこうしていたい気もするが、元来働き者の彼女はなにやら落ち着かない様子で、所在なさげにソファに浅く腰掛けた。
メイフェアが来るまでこうしていようか。でも着替えくらいなら一人でもできるし、そこまでメイフェアにさせる必要もなかろうと、寝室から続く衣裳部屋に足を運び数々のドレスを眺めた。
自分が丹精こめて作り上げたドレスが、所狭しと並んでいる。淡いクリーム色の、レースをふんだんに使ったドレスが目に入った。
ビアンカや他の侍女達はこの出来栄えに満足していたが、当のイザベラは、自分の黒髪に似合わないし何より地味すぎる、と不満をもらしかろうじで一度袖を通したかどうか、という可哀相なドレスであった。
お気に召さないなら私が着てもよいわよね、とビアンカはこれを着て今日のイザベラになることにした。
黒いかつらを被ってみると、確かにあまり似合っていないような気がする。
ちょうどその時、メイフェアが衣裳部屋にやってきたばかりであった。
背中のボタンを留めてもらいながら、「これ、やっぱり失敗だったわね。でもあの方のお気に入りに袖を通すのも気が引けるし、今日はこれでいいかしら。どうせ誰にも会わないのだし」と微笑んだ。
「ビアンカの栗色の髪なら似合うのよ。でも仕方ないわ、あの方には毒々しい色がお似合いよ」
と、裾を整えながらメイフェアがさらりと言ってのける。
朝からメイフェア全開ね、とくすりと笑みをこぼすと、ビアンカは化粧を手伝ってもらうことにした。
すっかり慣れたこととはいえ、普段化粧をしないビアンカには、イザベラの顔はかなりの厚化粧のように感じる。
「バッチリね」
唇に引いた紅の付き具合を確かめ、メイフェアは鏡の中のビアンカを見つめた。
メイフェアにしてみれば今日はまだ、ばれない程度にではあるが、薄化粧にしあげたつもりであった。
紅の色も、イザベラの使わない、数段薄い色である。
「朝化粧、ってことでよいんじゃないかしら。ねえ、せっかくだから散歩でもいかがです?まだ早い時間ですし、少しくらい外に出てもよろしいんじゃないでしょうか」
間近でバラを見に行くのは願ってもないことであった。
だが大丈夫だろうか。誰かに話しかけられでもしたら、イザベラになりきる自信など皆無である。
少し不安げに振り返るビアンカに、メイフェアはにっこりと微笑みかける。
「大丈夫ですって。だってあなたはイザベラ様ですもの」
***
つぼみの可愛らしさに目を細め、ビアンカは可憐な花に見入っていた。
自分の、真の主であるビアンカのくつろいだ様子を、メイフェアは嬉しそうに見守っていた。
余計なことはするなと言われているが、これは別に余計なことではない。
もう少ししたら部屋に戻ればよいだけなのだ。
「あら、他の方々も冬バラを植えてらっしゃるのね」
他の妃たち用の庭にもバラらしきつぼみを見つけて、ビアンカはゆったりと遠くに目をやった。
イザベラ以外にも二人、国王であるエドアルド二世には妃がいた。
一人はバルバドス公爵家のフィオナ姫と、エドアルドのまた従姉妹であるカタリナ姫である。
フィオナは国王が王太子であった十年前から後宮入りしており、エドアルドと同じ二十五歳であった。
二人に子はなく、三年前に当時十二歳であった幼いカタリナ姫が保険として嫁ぐことになった。
だが幼すぎるゆえに王にとっては妹のような存在であり、誰の目にも世継ぎを産むには程遠い少女である。
重臣たちは頭を抱え、今度は数年前より頭角を現してきたマレット伯爵家の娘、イザベラを迎えるに至る。
しかしながら輿入れより数ヶ月経つと、もともと国王がこの縁組にあまり乗り気ではなかったせいもあり、エドアルドとイザベラの間には深い溝が出来上がっていた。
輿入れ当初はおとなしく振舞っていたイザベラであったが、次第に傍若無人な性格を隠すこともなくなり、あちらこちらで遊びほうけるようになった。
王が新しいお妃に無関心なのをいいことに、自分に媚びへつらう貴族を重用する。
むろんイザベラに政治的な権限はないので、兄のウルバーノにお気に入りの貴族達を登用すべく進言する。
それから一年も経たないうちに、マレット家の息のかかったものが宮廷内に蔓延るようになってしまった。
イザベラの兄であるウルバーノも、妹によく似た大変野心家の男であった。
だからこそ妹を国王に売り込むことに成功したのだが、彼をよく思わない他の貴族達には、『もう少し妹君が賢ければ、宮廷を牛耳ることも出来たかもしれない』と酷評されている一面もあった。
そんな噂話を仕入れてきては、メイフェアはたびたびビアンカに話して聞かせた。
確かに陛下に非はありませんけどね、と妃達の話題が出る度にメイフェアの口からお決まりの言葉が出る。
「運が悪いのか、趣味が悪いのか」
バラを眺めながら、以前メイフェアがずばりと言い切った言葉を、ビアンカはぼそりと無意識にもらしていた。
ぷっと吹き出すメイフェアに釣られてビアンカも笑う。
だがその愛らしい笑みも、あっという間に凍りついたようになる。
メイフェアは不思議そうに、ビアンカの視線の先を追った。
「珍しく意見が一致するようですね、イザベラ様」
耳慣れない男の声を耳にして、メイフェアは恐る恐る振り返った。
そして男の姿を見て二人とも思った。
まるで冬のバラのようだ、と。