56の話~庭師と妃~
ロッカは久しぶりに、母校であるアカデミアの門をくぐった。教官室で挨拶をすませ、中庭の掲示板へと向かう。
手には『近衛及び王宮騎士団見習い急募』と書かれた紙を持っていた。
指定された場所に、鋲を使ってとめてみる。もう少し大きい字の方がよかっただろうか、と遠めに確認しながら少しだけ首をかしげた。それとも、最後は『大募集』の方がよかったのだろうか、と腕組みをして掲示板を眺めていた。
「その後、調子はどうですか。日記は読み終わったなら返してくださいね」
授業が終わり、クライシュが教科書を片手にこちらへ歩み寄ってきた。
「エミーリオはどうしていますか」
「心配いりませんよ。素直ないい子で、同世代の子どもと仲良くやってます。数少ない女子生徒にも人気あるんですよ。そっちの方が心配かも」
ロッカは、クライシュの話をそっちのけで、エミーリオの置かれた状況に思いをはせていた。
宰相閣下の小姓など、煙たく思う子ども達も多いだろう、とロッカは心配していた。ただでさえ飛び級などして、ライバル心むき出しの年上の子達にやられていないだろうか、と自分の学生時代と重ね合わせてしまう。
自分でそう望んだわけではなかったが、ある日親に連れられて、何かの試験を受けさせられた。そして特別興味もなかったアカデミアに入学させられた。どこまでも浮いてしまう、浮世離れした天才少年をかばってくれたのは、幼馴染であるランベルトだった。
最初の頃は年上の生徒と、喧嘩もしょっちゅうであった。というか、いちいちロッカに絡んでくる生徒に、ランベルトが率先してやり返すという構図が多かった。
ちなみに取っ組み合っている子ども達を最後には、今と変わらぬ調子で叱責して引き剥がしていたのはヴィンチェンツォである。
無駄に付き合いの良いランベルトは、最後は何故か同級生となり、一緒の年に卒業した。
クライシュはロッカの隣に並んで、掲示板の新しい告知に目をやる。ロッカはぼうっとしていた事に気付き、気を取り直して、クライシュに尋ねた。
「これはと思われるような人材はおりませんか。急募なんです」
そうですね、とロッカの問いにしばし無言になるクライシュであった。
「言いにくいのですが、最近の若者はのんびりしてまして、純粋に騎士になりたい子も少ないんじゃないでしょうか。昔に比べたら、需要があまりないでしょう。戦争でも起こす予定なんですか」
クライシュの皮肉っぽい言い方に気を悪くすることもなく、ロッカは静かに答えた。
「そんなことは絶対に、ヴィンスがさせませんよ。ですが、絶対に起こらないとは自分にも断言できませんし」
「でも妙にきな臭いですよね。以前、私に制服を用意しておけと言ったではないですか。本気なんですか」
ロッカは辺りを軽く見回し、クライシュの耳元でささやく。
「念の為、です。オルドに風が吹いているそうですよ。オルドに駐留している方の報告では、禁止されている旧オルド教徒の集会が摘発されたりしているとか。下火になるように、彼等に頑張っていただかねばならないのですが、どうでしょうね」
その為にわざわざ私まで、とクライシュは嘆いた。
申し訳ありません、と頭を下げるロッカに、思い出したようにクライシュが声をかけた。
「そういえば、以前おっしゃっていた古オルドの方の話ですが、会わせていただけないですかね。純粋に会ってみたいのです」
困ったような顔をするロッカが珍しく、クライシュは更に追求した方が面白そうだ、と思った。
「ここにはいらっしゃいませんよ。遠い所です」
ぽつりとロッカが言い、黙り込んでしまった。
「じゃあ、会いに行くから場所を教えてください。私、有給休暇をようやく有意義に過ごせる気がします。瑠璃と一緒に、のんびり遊びに行ってきますよ」
明らかに隠そうとしつつも、すっかり困り果てているロッカの反応が楽しかった。
「ヴィンスに聞いてみないと、わかりません。たぶん、ものすごく嫌がると思います」
ここで少し引き下がってくれるとありがたい、とロッカは平静を装いつつ、クライシュの反応を待った。
「じゃあ、ヴィンスにお願いして下さい。頼みましたよ。じゃなきゃ、私もこれ以上協力しないと言っておいて下さいね」
無茶苦茶だ、とロッカは憮然としたが、再び頭を下げ、帰途につく。
上機嫌で、クライシュは薄い煉瓦色の髪が揺れながら遠ざかるのを眺めていた。
いつもと何かが違うような気がする。しばらくロッカの後姿を眺めながら考える。そう、あんなに表情豊かだったかな、と少しの驚きと共に、かつての生徒の変わりゆく姿は、大層興味深いものだった。
***
「駄目。不必要に、外部と関わりあう必要もない」
ロッカはヴィンチェンツォにクライシュの伝言を伝えたが、即座に却下された。
だいたい自分ですら会えないというのに、何故先生が、と口には出さなかったが、ヴィンチェンツォは不機嫌になって首を横に振る。
「まだ戻ってから日が浅いんだ。あちらでの生活が落ち着くように配慮してやってほしい」
偽善者だな、と自分が疎ましくなるヴィンチェンツォであった。
そうですよね、とロッカはそれ以上クライシュの話題を続けず、ではそのようにお伝えします、とだけ言った。
手伝わないなどと脅迫していたが、先生には、まだちらつかせるべき餌は残っているし、どうにかなるだろう、とヴィンチェンツォのように結論を出すロッカであった。
本当にその話は終わり、とロッカが作業中の井戸の一つに目を向けた。大きな石が大量に詰め込まれていたが、どの井戸も底は浅かった。石の撤去作業も、ほぼ終了であった。
白骨死体が出てこなくて本当によかった、とランベルトは心の底から安堵したものである。
水脈とはまるで違うところに掘られた、井戸にしては幾分浅い穴は、結果として地下通路に繋がった。
少し休憩にいたしませんか、とモニカが皆に声をかける。丁度お茶の時間のようであった。フィオナが届けてくれたお菓子が、作業員達に振舞われた。
見てるだけで、あまり役に立っていないランベルトが、真っ先にりんごのパイに噛り付く。喉に詰まりそうになり、お茶を探しているランベルトの目に、王宮では滅多に見かける事のなくなった、華奢な老人の姿が映った。
杖をつき、一歩ずつ大地を踏みしめるかのように歩んでくる老ファビオに、他の者も気付き、固い表情で見守っていた。
***
「おじいちゃん、どうしてここへ」
モニカが青ざめながらも、不安定なファビオに駆け寄った。先代の宮廷庭師は、孫の手をじゃけんに振り払い、炎のような眼差しをその場に向けると、しゃがれてはいたものの、年のわりには通る声で言った。
「職人共が妙に騒がしいのでな、問い詰めたら、お前ら何ということを。前にそこにいる鷹匠の息子に言っておいたはずだが。ここを触ったらいかんと」
「それは、あなたの隠しておきたい事が暴かれないようにですか」
ヴィンチェンツォが、静かに問いかけた。
「お前か。相変わらず陰険そうな目つきだな。何を企んでいる」
「何も。今更、何も出来ませんよ。あなたは老いて、ここにいたオルドの巫女も、もはや存命かどうかわかりませんし」
遠まわしな言い方は、ヴィンチェンツォは嫌いだった。要点だけ話せばいいだろう、と老人の一挙手一投足を逃すまいと、正面から見据えた。
「全ては、あなたから真実を聞き出す為です。こうでもしないと、あなたはお話してくださらないだろうと思いまして」
そうだったの、と驚いてランベルトがロッカを振り返る。いいから黙っててくれ、とロッカが素っ気無く言う。
「遠い昔に終わった事だ。それを蒸し返して、どうするつもりだ」
「私達にとって、終わった事ではありません。我々はそれを、未来に繋げねばならないのです。どんな事でもよいのです、オルドの巫女の話を、お聞かせ願えませんか」
ヴィンチェンツォは、老人に向かって膝を付き、頭を垂れた。
「王宮一の悪ガキが、一人前にそんな気障な真似も出来るようになるとはな」
感心したように、ファビオが鼻で笑う。
「残念ながら、中身はあまり子どもの頃から変わっていないようです。最近気付きましたが」
にやりと笑うヴィンチェンツォの姿は確かに、いたずら盛りの頃と変わっていない、とランベルトとロッカは思った。
***
ヴィンチェンツォ達はあずま屋に移り、ファビオを椅子に座らせた。お茶を飲み、喉を湿らせると、ファビオは静かに口を開いた。
「おぬしらの知っているとおり、確かにここには、オルドの巫女様がお妃としていらっしゃった。故郷に帰れず、毎日お嘆きの様子であったが、この庭園は巫女様に与えられたものだった。彼女の心を慰める為に、私は趣味で収集していたオルドの植物などを植えた。唯一、外出とも呼べぬような散歩だけ、彼女には許されていた。ここでよく私に、古オルドの歌などを歌ってくださった。意味はわからぬが、素晴らしい歌だった」
目を閉じたまま、老人はゆっくりした口調で思い出を語る。
ヴィンチェンツォは何も言わず、一呼吸おくファビオが、話を続けるのを待っていた。
「だがそれも、長くは続かなかった。心を病んで、痛々しい巫女様のご様子を見る限りでは、これ以上ここに置いてはいけない、と私は思った。幸い、あの頃はまだ、オルド教徒も王宮に出入りできたからな、協力者がほどなくあらわれ、私達は建国期からあったと言われる地下通路に繋げるための穴を、この庭園でいくつか掘った」
「最後にお会いした時の巫女様は、本当に幸せそうだった。今でも時々、別れ間際の事を思い出す。あの方が残りの人生を、お幸せに過ごせたのであったらよいのだが。彼女が無事に脱出した後、その穴はすぐにまた埋めてしまった」
なにかを探すような仕草をするファビオに、モニカがすかさずお茶の入ったカップを渡す。モニカが老人の震える手を支えて、お茶を飲むのを手伝った。
「幽霊話は、人をここに近づけない為だったのですか」
ロッカが、静かに尋ねた。
「そうだな、だがあながち間違ってはおらんよ。巫女様の身代わりで、身投げを装って顔を潰された女の死体がここに捨てられたからな」
その言葉を聞き、ランベルトが悲鳴を上げる。なんてことを、と体をがくがくと震わせるランベルトを、一同が何故か冷たい目で見る。
「その方に対して、ご先祖が起こしたかつての過ちを、取り消す事はできません。我らはこの国で、オルド人と共存していく道を選びました。ですがまた、オルド教徒達は再び、異教徒とみなす我らに、反旗を翻そうとしているようです。最後の巫女が復活する、とごく最近、オルド教徒達がとうとう口にし始めました」
そうか、とファビオはヴィンチェンツォの方を向き、その真剣な表情を見つめた。
「私はよく知らんが、最後の巫女は自害なされたと聞いているぞ」
「とある女性が、古オルド語の歌を歌えるのです。彼女は両親と、各地を転々として暮らしていたと言っていました。おそらく、オルド教徒から逃げる為だったのでしょう。彼女の母は、彼女を修道院に預け、数年前から行方不明です」
ロッカは淡々とした口調で説明した。
「私はどちらの宗教が正しいかなど、わからん。だが、その最後の巫女様は、既にオルド教徒のもとにいらっしゃるのだろうか。だとしたら、この先やっかいな事になるだろうな」
ファビオは再度目を閉じ、その先が見えるような言い方をした。
「全力で探します」
ヴィンチェンツォは短く言い、ファビオに向かって頭を下げた。
モニカがファビオを連れ、王宮を去ったのは夕刻であった。ランベルトは口を尖らせ、いかにも不満そうだった。
「結局、何の為の穴堀りだったんですか。最初から、無理やりじいさんに吐かせればよかったのに」
ロッカが意外そうな顔をして言った。
「まさか、あんな虚言を本気で信じてたのか。ヴィンスも俺も、そこまで考えていなかった。穴掘りはあくまで整備の一環だ」
老人の、これまで誰にも話す事のなかった秘密を暴いてしまい、ロッカから心苦しさは消えなかった。彼はおそらく、墓まで持っていくつもりだったのだろう。これでよかったのだろうか。古傷をえぐるような真似をしていないだろうか、と感傷的になってしまう自分がいた。
結果よければ全てよし、と言い切り、ヴィンチェンツォは椅子から立ち上がる。
直立不動で佇むロッカに近づき、意地の悪い顔をしてヴィンチェンツォが問う。
「歌ってなんだ。俺は聞いてないが。ビアンカの事なのか」
「そうですけど、お話してませんでしたっけ」
焦りを隠せないロッカの肩に腕をかけ、ヴィンチェンツォが顔を近づける。
「聞いていれば、もう少しこちらとしてもやり方があったが。参ったな、また心配事が増えた」
それは申し訳ありませんでした、と謝罪するロッカの横で、ヴィンチェンツォはウルバーノの言った言葉を思い出す。
本当の価値、それが上辺だけの言葉で無いとすれば…




