53の話~新しい生活~
四月になると、ランベルトは城下町に部屋を借り、メイフェアと二人で引越しをした。大家は、アルマンドであった。大通りの一本裏道にある三階建ての建物は、アルマンドが所持しており、倉庫の一階以外は空いている、と格安で貸してくれた。アルマンドは、年明けから不動産投資に力を入れているようであった。
メイフェアは、フィオナ付きの女官として、通いで出仕していた。ランベルトも夜勤などがあり、他の一般的な夫婦のような新婚生活を満喫できているかは疑問であったが、少なくとも王宮で顔を合わせる事も相変わらず多かったので、それなりに満足していた。
春らしい色とりどりの花に囲まれ、王宮も人に優しい季節へと変わっていた。日課となっているバラ園の手入れに付き合い、メイフェアはフィオナと共に王都の春を堪能する日々である。
その日は、バラの苗の植え付けを手伝う、デオダード造園のモニカも一緒であった。真剣な表情で、モニカの慣れた手つきをじっと見つめるフィオナがいた。
「当分こちらに通うことになりますから、いつでもお声かけ下さい」
モニカはこの後ロッカと、王宮内の井戸の調査の下見に同行する事になっていた。本来なら、クライシュ・エクシオールと会った次の日に、打ち合わせをする予定だったのだが、ロッカが行方不明になり、長らく連絡が取れなくなっていたのである。
不思議そうに行き先を尋ねるモニカに、宰相府の書記官は困惑した表情で「休暇中です」とだけ答えるのであった。
モニカが立ち去り、フィオナが自分で残りの苗の植え付けを行う。器用な手つきで軽く土をならしながら、フィオナが世間話を始める。
「井戸の調査とは何でしょうね」
「私もよくわかりません。ただ、古い地下通路と繋がっている地点を明確にしたいそうですよ」
そう、とフィオナは相づちを打ちながら、手は止めなかった。
「私でも、その地下通路とやらを見に行ってもよろしいのかしら」
「あまりお勧めはしませんが、どうでしょうね」
フィオナは、何処から見ても気品溢れるお妃以外には見えなかったが、内面はかなり、好奇心旺盛な方であり、メイフェアを何度か驚かせていた。
ビアンカとはまた違った大らかさを持ち合わせており、フィオナに仕える気楽さは、イザベラに比べると雲泥の差であった。
「私も子どもの頃、王宮探検中に、何処かの隠し扉に入って、迷ってしまった事があったのよ。それはもう、泣いて泣いて、泣いて歩き回って自力で戻ったのだけど、あれは何処だったのかしら」
そうですか、と返しながら、メイフェアはひとつ閃いた事があった。
***
その日はランベルトも夕方に帰宅し、いつものように軽やかな足取りで二階の居間へと駆け上がってきた。先に戻っていたメイフェアは、慣れない料理に苦戦しているようだった。それでも、新婚夫婦の為の一ヶ月メニューなるものを、料理長から貰い、そのメニューも半分ほどは消化していた。
ランベルトは、鍋の前で鬼のような形相で立っている自分の妻に若干引くが、「帰ったよ」と言うと後ろから抱きつく。
「邪魔だからあっちへ行って。何か足りないのよ」
と、新妻は悲しくなるほど素っ気無い口調で言うのであった。
「うまくいってないの?大丈夫だよ、いつもおいしいよ」
と、半分お世辞でランベルトは言う。
「なんだか、お隣がやけに騒々しくて、気が散るったらないわ。なんなのかしら」
料理の失敗を、お隣のせいにしてメイフェアが口を尖らせた。
「隣には、誰も住んでなかったと思うけど」
首をかしげながら、ランベルトが上着を脱ぎ、長椅子に寝転がる。
「隣も、アルマンド様の持ち物だったわよね。やけに早いけど、お帰りになられたのかしら」
アルマンドは、数日前からコーラーへ買い付けに行っていた。ついでに最近では、こちらから工芸品の輸出も手がけるようになっていた。もちろん、ヴィンチェンツォの入れ知恵であった。
どうにかなるわ、とメイフェアはぐしゃぐしゃと鍋の中身をかき回し、乱暴な手つきで塩をふる。何かの煮込みのようである、とだけランベルトにはわかった。
不意に、突き上げるような振動が、二人のいる部屋を揺らす。
メイフェアは手を止め、思い切ったように顔を上げた。
「文句言ってくるわ。夜中までこの調子じゃ、寝られないわよ!」
ランベルトが止めるのも聞かず、メイフェアは階段を勢いよく駆け下り、隣の入り口へと勇み足で近寄った。
見慣れた人影が目に映る。
大きな箱を抱えてよろめくエミーリオの姿があった。
「すみません、ちょっと手伝っていただいてもよろしいですか、これは落としたら怒られそうなんです」
戸惑うメイフェアに向かって、エミーリオが珍しく大声を出した。慌てて駆け寄り、箱を持つのを手伝う。
「あんたがここに引っ越してくるの?言ってくれれば、手伝ったのに」
「僕もですけど、ヴィンス様が今日からこちらにお住いになるんですよ。急に決まったんです。朝から大忙しでした」
その言葉に、思わずメイフェアは箱を取り落としそうになる。
「なんで?嫌がらせ?」
思わず本音の出るメイフェアであった。
「家出ですよ。ご実家に戻ればピア様と喧嘩ばかりで、最近はほとんど帰ってなかったんです。家なき子のようでお可哀相でした。以前からアルマンド様が、こちらを使ってよいとおっしゃってくださっていて、今日やっと引越してきたんですよ。あ、これからよろしくお願いしますね」
二人で階段を慎重に上りながら、エミーリオが説明してくれた。二階に上がると、会いたくない人が仁王立ちして部屋をぐるりと眺めていた。
上がってきたエミーリオに気付き、その後ろにいるメイフェアに向かって、彼はにやりと笑う。
「今日からお隣同士、よろしく頼む」
その笑顔は、メイフェアにとっては悪魔の微笑みのように見えた。
心配したランベルトが、遠慮がちに挨拶がてら迎えに来ると、ヴィンチェンツォやエミーリオの姿にさして驚く様子もなく、ただ一言だけ「鍋が焦げたよ」と言った。
***
結局、メイフェアの作った夕食が駄目になり、引越し作業がひと段落してから、四人で近くの食堂へと赴いた。
時折、ちらりとヴィンチェンツォの様子を伺うメイフェアであったが、彼は至って上機嫌であった。お会いした事はないが、姉上との関係はかなり険悪であると聞いていたので、解放されてさぞかし嬉しいのだろう、とメイフェアは思った。
「あそこなら王宮からかなり近くなるし、便利だ。エミーリオもアカデミアに通うのに丁度良い距離だろう」
アカデミアは、借家から徒歩で通える距離であった。授業の無い日は、自分も出仕すると言い張る、働き者のエミーリオだった。
「エミーリオだけで大丈夫なんですか。下女でも雇った方がエミーリオの負担にならないと思いますけど」
ランベルトが未来ある少年を気遣い、ヴィンチェンツォに提案する。
麦酒に口をつけながら、ヴィンチェンツォは相変わらず機嫌がよかった。
「そうは言っても、男二人の気楽な生活だからな。別に食事は作る必要もないし、大丈夫じゃないのか。帰って寝る場所があれば、俺はそれでいい」
こんなに生き生きしたヴィンス様を見るのはいつ以来だろう、とランベルトは思った。ビアンカが王宮を去ってから既に二ヵ月は経とうとしていた。
表向きは、ランベルトの十数年来見慣れた、ふてぶてしくも切れ味鋭いヴィンチェンツォになんら変わりはなかったが、唯一変わったのは、短く切られた髪だった。
今では束ねないと収まらないような長かった髪が耳の辺りまでばっさりと切られ、もともと親戚同士であるヴィンチェンツォとエミーリオは、二人並ぶと兄弟のように見えた。
意外と女々しい、とそのさっぱりした姿を見て、メイフェアが嘲笑したのは本人には内緒である。
「ところで、フィオナ様とは上手くやっているか。どうにか慣れたかな」
ヴィンチェンツォにかかると、どこまでも仕事の延長でしかない世間話である。
「そうですね、私に言わせると、フィオナ様はかなり使えると思います」
悪い顔をして、メイフェアがヴィンチェンツォに負けないような邪な笑顔を作る。
お妃様に対して、無礼にもほどがある、とランベルトは思ったが、黙って麦酒を一気にあおる。
面白そうな顔をしてヴィンチェンツォがメイフェアを見すえた。
「あの方は、裏表がありませんから、言いたい事は全部包み隠さずおっしゃいます。逆に、信頼を得て全ての情報を仕入れる事が出来れば、陛下に対しても弱みを握るのは決して不可能ではありません。今日もなにやら子どもの頃の思い出話などをされていましたよ」
皿の上のチーズを一切れつまむと、メイフェアは口に入れた。余計な体力を使ってしまい、何でもいいからお腹を満たしたかった。
以前は、何かと反発しあうヴィンチェンツォとメイフェアであったが、いつの間に同志のようになっているのか、とランベルトは腑に落ちないながらも、隣で逞しい発言を続ける妻を、呆然と眺めるのであった。
そうか、とヴィンチェンツォは呟き、それから隣のエミーリオに料理や酒を勧める。
「あなたも大概許せないですけど、陛下も、もっと許せないですわ。人畜無害を装って、目障りなビアンカを自発的に仕向けて追い出したようなものです。一発ぎゃふんと言わせてやらないと」
常に敵がいる事によって、自分の存在価値を見出すタイプなのだろうか、とランベルトは不安げにメイフェアを見た。
「いずれにせよ、情報は多ければ多いほど良い」とだけ答え、ヴィンチェンツォは運ばれてきた料理に意識を移した。
宰相閣下は、ビアンカの話になると、途端にはぐらかすのは先月からちっとも変わらない、とメイフェアは不満だった。
白身の魚を丸ごと蒸し焼きにした料理が、最後に運ばれてきた。歓声を上げて喜ぶメイファ達に対して、ヴィンチェンツォは思い出したように、
「そういえばあの家で一つ難点があるが、壁が薄いせいか、お隣の声がよく響くのだ。お互い、気にしないということでよいかな」
とさらりと言ってのける。
むせ返るランベルトを気遣って、エミーリオは階下の給仕係に向かって「お水下さい」と大声を出した。




