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漂う白花  作者: 渡部ひのり
第二部
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52の話~二羽の鳥~

 二頭立ての馬車が裏門の近くに回され、少ない荷物を持ったロメオが、ビアンカの後に続く。ところどころにある残雪が半月の光を受け、暗い夜道を明るく彩っている。

 地味な麻色のコートを纏い、ビアンカは見送りに来たステラ達を振り返って微笑んだ。

「道が滑りやすいから、くれぐれも気をつけてお送りしてくれ」

 ステラが御者に言い、それから手にしていた包みをビアンカに渡す。これは、と尋ねるビアンカに、

「護身用です。今後、肌身離さず持ち歩いて下さい。例え馬車の中であってもです」

 と答え、横目でロメオをちらりと一瞥した。ロメオはステラを無視し、荷物を馬車に乗せた。


「今まで皆さんにはお世話になりました。お役に立てなくてすみませんでした」

「いえ、充分過ぎるほどです。それに、アンジェラも随分あなたに懐いていたし、寂しがるであろうな」

 男泣きに泣くバスカーレとは対照的に、ステラは引き締めた顔をビアンカに向けた。

 ビアンカは、ステラの服の裾をぎゅっと握り締め、うつむいているエミーリオに声をかける。

「学校、楽しんでくださいね」

 はい、とエミーリオは頷いた。

 

 それからビアンカは、女官長のマルタに近づき、そっとその皺の刻まれた手を取った。

「私の為に、今までありがとうございました。これで少しは気苦労も減るとよいのですが」

 マルタはビアンカの手を握り返し、優しく微笑んだ。

「あなたならいつでも大歓迎です。修道院に飽きたら、また戻って来てもいいのですよ。いくらでも仕事はありますから」

 ビアンカは答えず、ただ苦笑していた。


 

 遠くから、ばたばたと足音が近づいてくる。来るなと言ったのに、結局こうなるか、とステラは不安げに足音の方を振り返った。

 ランベルトに手を引かれ、メイフェアが転げるように走ってくるのが目に入った。

 息を切らし、メイフェアが倒れこむようにビアンカに抱きついた。


「なんで私を置いていくの。ずっと一緒って言ったじゃない」

「おばあちゃんになるまで一緒なんて、おかしいわ。メイフェアには、メイフェアの人生があるのよ。私とは、違う」

 違わない、とビアンカの細い首に腕を回し、メイフェアは強く力を込めた。


「どうして行っちゃうの。ここに居ればいいじゃない」

 メイフェアの言葉は、かろうじて聞き取れたが、もはや言葉になっていなかった。

「私の役目は、終わったの」

 ビアンカは、メイフェアの背中を何度も撫でた。


「メイフェアのおかげで、少しわかった事があるのよ。自分の気持ちだけでは、いつまでたっても大人になれないって、あなたを見て気付いたの。私の為に、嫌な思いをたくさんさせてごめんなさい。いつも護ってくれて、ありがとう。私も、大人にならなきゃ」

 メイフェアはふるふると首を横に振り続ける。いつだって感情的な振る舞いをして、迷惑をかけていたのは自分の方だ、とメイフェアは思う。


「また会えるわ。すごく遠い所でもないし、落ち着いたら遊びに来てね」

 あなたも、とメイフェアは呟き、しばらくその体から離れようとしなかった。 

 無言で抱き合う二人を、一同は無言で見ていた。

 それからしばらくして、首に回した両手がゆっくりと、ビアンカから離れていく。


「何かお伝えする事は」

 固い口調で問うランベルトに、ビアンカはその意味を少し考えてから、ランベルトの手を取り、彼の大きな手を握り締めた。

「お世話になりましたとお伝えください」

 わかった、と言い、ランベルトはぎゅっとビアンカの細い体を抱きしめた。



 もう一度深く頭を下げ、ビアンカは静かに馬車に乗り込んだ。暗闇に紛れるように、馬車の姿がだんだん遠ざかっていく。メイフェアと手を繋いで、いつまでも馬車を見送っていたランベルトは、今一度強い力を込めて、その手を握り続ける。



***



「今夜じゃなくてもよかったのに。なんだか夜逃げみたいだよ」

 今更何を言っても無駄だろう、とロメオは思うが、それでも言わずにはいられなかった。

「なるべく早く出たかったんです。こんな遅くに、すみません」

 ビアンカは、またもや頭を下げる。

 いや、とロメオは言うと、窓の外に目を向ける。馬鹿な子だ、と思う。

「なんでこんな事するのさ。放っておいても、そのうち出してくれたよ」

 再び口を開くと、先程より本音に近い言葉が出てきてしまう。


「弱虫」

 からかうような口調で、ロメオが言った。

「偉そうに言ってたけど、全然違うね。大人なんかじゃない。君は逃げたんだ」

 ロメオの皮肉な言い方に、そうですね、と寂しげに微笑み、ビアンカは壁にもたれかかる。

 

 朝まで走り続ければ、一番最初の船に乗れそうであった。寝たら、と素っ気無くロメオは言い、ゆっくりと目を閉じた。



***



「ゲーム終了だ。出ろ」

 エドアルドの言葉に、心底ほっとしながら、ヴィンチェンツォはゆっくりと立ち上がった。思ったより宰相府の仕事がきつかったのか、エドアルドも疲れ切っているようであった。

「明日から来い。俺は過労で、しばらく休む」

 エドアルドは素っ気無く言い捨て、先に外へ向かって行った。

 ヴィンチェンツォは、いまだに壁に向かって微動だにしないロッカに声をかけた。

「俺は先に行くぞ。お前はもう少しここにいるのか」


 十日ほどかけて、チョークだけで書かれた壁画が、あと少しで完成するところであった。

 ステラはため息をつき、白い二羽の鳥を眺めた。鷹が壁いっぱいに翼を広げ、少し離れた所には雀のような小鳥がいる。

「何か物足りないんです。このままでもいいんですが、なんでしょう、他の動物でも散らしてみたらいいのかな」

 勝手にしろ、とステラは腹を立てた様子で立ち去ってしまった。


「それにしても、明日から出仕しろとは、人使いが荒い。出してくれるなら、もっと明るいうちに出してくれればよかったのに」

 凝り固まった首を回しながら、ヴィンチェンツォがぶつくさと言った。

 そんなヴィンチェンツォを、いつになく真剣な表情でランベルトが見つめているのに気付き、ヴィンチェンツォは照れくささ半分で、事務的に言った。

「変わりは無いか」


 ランベルトは、何と言ってよいのかわからなかった。誰かが、いつか言わねばならないのだが、陛下にお願いするしかないだろうか、とランベルトは、ビアンカが居なくなった事を伝えるのが、とてもためらわれた。


 疲れた、とヴィンチェンツォは正面に立つランベルトの肩に頭を乗せ、軽くため息をついた。なんだかいい匂いがする、と肩の下で呟く。

 両の拳を握り締め、ランベルトは、奥底からこみ上げてくるものを必死で抑え、静かに言った。

「行きましょう。皆があなたを待っています」




 その後、更に二日ほどかけられて、ロッカ・アクイラの『二羽の鳥』の壁画は完成する。翼を広げた鷹が、小鳥を見据え、それは小鳥を捕食しようとしているのか、護ろうとしているのか、専門家の間で意見が別れた。

 後に、王都プレイシアの観光の目玉の一つとして世に知られるのだが、それはずっと遠い未来の話である。






~第二部終了~







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