47の話~オルドの巫女~
いつの間にか、稽古場にはヴィンチェンツォとエドアルドの二人きりであった。まだ肌寒い季節ではあるが、二人は汗を拭いながら、並んで石畳に座り込む。
「お話とはなんでしょう。姉の手紙の件ですか。なにやら余計な事をして陛下のお手を煩わせているようで申し訳ない」
「いや、迷惑などとは露ほども思っていないぞ。逆に、いい機会だと思ってな」
ヴィンチェンツォは聞かずとも、話の内容はわかる気がした。だが、エドアルドが口を出すのも珍しく、面倒な事にならなければよいが、とヴィンチェンツォはエドアルドが本題に入るのを待っていた。
「カタリナの事だ。以前話したと思うが、そろそろ嫁にもらわないか」
ヴィンチェンツォの、汗を拭う手が止まった。
「ご冗談でしょう。陛下は酔うと誰にでもそう言っていたではないですか。だいたい、カタリナ様のお気持ちを尊重して差し上げないと。臣下に払い下げなど、酷い話ではありませんか」
「カタリナはいいと言っていた。それに、だいぶ前に養子縁組を済ませているので問題ない」
聞いていませんよ、とヴィンチェンツォはやっとのことで言い返した。
「前例がありませんよね。妻から養女とは、倫理的にもどうかと思いますが」
「前例がないからこそ、そういった法が定められてない。何も問題はない」
「表向きとはいえ、お下がりは誇り高いお前には我慢ならないだろうか」
困ったようなヴィンチェンツォを見ると、エドアルドがほんの少し、厳しい顔つきになる。
「そういう問題ではないのです」
論破するつもりが、逆にエドアルドに論破されそうな勢いであった。
「カタリナの意志を尊重して、このような結論になった。よかったな」
滅多に見ることの無い、ヴィンチェンツォの弱気な態度に、ここぞとばかりにエドアルドが次々と切り込んでくる。
「何がよいのですか。カタリナ様が今後、肩身の狭い思いをして生きていかねばならないではないですか」
「だから、お前なら安心だと言っているのだ。フィオナもお前ならよいと言っていた」
当然、フィオナが首を縦に振らなければ、この話を持ち出すわけも無いので、二人はこの話を練りに練っていたのだろう、とヴィンチェンツォは自分の鈍さを呪う。
「少しお時間をいただけませんか」
「ということは、少しは前向きに考えてもらっていると受け取ってもよいのかな」
ヴィンチェンツォは答えられなかった。だが、ここで絶対に駄目とも言えず、汗を拭っていた布切れで、顔を覆う。
「何より、今はそれどころではないというのが本音です。片付ける事案が山ほどございまして、自分は落ち着きません」
両手の下から、ヴィンチェンツォがくぐもった声を出す。
「逆に、嫁がいた方が落ち着いて仕事に専念できるかもしれんぞ」
「それはむしろ、俺ではなくてランベルトの方なのでは」
さりげなく、ヴィンチェンツォは話題を変えようとした。まだ子どもっぽいところのあるランベルトではあるが、案外早めに所帯を持った方が奴も落ち着くのでは、とヴィンチェンツォは幾度となく思っていた。
「話をすり替えようとしているな。まあいい、今日はここまでにしておくが、いずれ返事を聞かせてくれ」
エドアルドは上機嫌で立ち上がる。護衛も連れず、エドアルドは誰の目から見ても軽く浮きだった足取りで、稽古場を去っていった。
困った事になった、とヴィンチェンツォは膝を抱えてうずくまってしまった。
***
モニカから連絡を受け、ロッカは一人、デオダード造園を訪ねた。おじいちゃんは風邪を引いていて、今日は会えないがむしろその方がいいと思います、と言いながらモニカは古い図面を差し出した。
「王宮の地図ですね。ですが、ところどころに囲みの印が付いておりますが、これは?」
「古い井戸の位置です。今ある井戸と比べたらわかると思います。こっそり物置を探していたら、鍵付きの衣装箱から出てきたのです。何かお役に立てそうならよいのですが、駄目でしょうか」
不安げに、モニカは首が痛くなるほどロッカを見上げた。
無言でしばらく地図を眺めた後、ロッカは元通りにくるくると巻きなおした。
「これを見せたい人がいるのです。よろしかったら、ご一緒しませんか」
ええ是非、とモニカは喜んでロッカに従った。自分の後ろにモニカを乗せ、二人は急いで街道を駆けていく。振り落とされないように、モニカは必死でロッカの背中にしがみついた。身を切る風が頬に当たるたびに、モニカはその広い背中に顔をうずめた。
アカデミアの恩師であるクライシュ・エクシオールの館に着く頃、モニカの短い髪はこれ以上ないほど逆立ち、まさに金の綿毛のようになっていた。モニカを降ろそうと先に地面に降り立ったロッカは、その姿を見て、思わず吹き出した。
「申し訳ない、フードをお貸しすればよかった」
いえ、と顔を真っ赤にしてモニカは、慌てて髪を撫で付ける。毛を逆立てた猫のようだ、とロッカは思った。
「連絡も寄越さず、いきなり来られても困るんですよ。これからルゥと一緒に出かけようと思っていたのに」
「それは申し訳ありませんでした。奥様にもご迷惑をおかけして申し訳ありません」
不機嫌そうに、クライシュは言うが、ロッカの背中に隠れるようにしているモニカの姿に、たちまち笑顔になる。
クライシュの妻のルゥが、濡れた黒鳥の羽のような艶やかな髪をなびかせ、お茶の用意をすばやく終えて、客間に入ってくる。彼女の桃色の肌とのコントラストに、モニカは思わず見とれていた。少年のような可愛らしいモニカに微笑みかけ、ルゥは椅子を勧めた。どうやったら、あんなに真っ直ぐで綺麗な髪になるのかしら、とモニカは自分のふわふわの癖毛が恥ずかしくなってしまった。
「まあ、いいです。私も君に用があったので。教えるべきかどうか迷ったのですが、やはり聞きたいでしょう」
機嫌が直ったのか、横にいる妻の手を取りながら、クライシュが楽しそうな声を上げた。
「なんのお話かわかりませんが、今後役に立ちそうな話ですか」
人前でも平気で妻にべたべたするクライシュを無視して、ロッカは鋭く言った。
「必ずしもそうとは限りませんが、私にとっては面白い話を見つけました。先々代の王に仕えていた貴族の日記がありましてね。面白い記述があるんですよ。オルドの巫女についてです」
「先々代の国王の下へ、聖都フィリユス・サグリから大主教の名代として、オルドの巫女が王都へやってきました。その彼女の美貌に心を奪われた王は、巫女をお妃の一人として無理やり後宮に閉じ込めてしまった…らしいです」
驚きもせず、ロッカは淡々とした口調で返した。
「悪名高き先々代ですから、そのようなこともあったでしょうね」
暴君、の一言に尽きる先々代の国王は、酒と女性に溺れ、非公式ながらも晩年は廃人のようであったとも言われている。
「ですが、二年もたたぬうちに、その巫女は王宮から姿を消しています。理由はわかりません。ただ日記には『あの方が居なくなってから、庭園に人気は無く、もはや亡霊の住処のようになってしまった』という記述があるのみです」
古い日記の一文を指し示し、クライシュは小麦色の自分の顔を撫で付けた。
「それが、幽霊庭園の女官なのでしょうか」
ロッカが、日記に目を通しながら言う。
「いろいろな人々の誇張を含め、百年前の女官の幽霊などと言われていますが、実際は、六十年ほど前まで、普通に北の庭園は使われていたということになりますね。ごく最近とまではいきませんが、当時を知る人もいるでしょう。例えば、ファビオとか」
クライシュの言葉に後押しされ、モニカは顔を上げた。
「たぶん、そうだと思います。だからおじいちゃんは、北の庭園の話になると不機嫌になってしまうのでしょうか」
ファビオにしかわからない、苦い思い出があるのだろうか。
「オルド戦役の発端も、先々代の悪行のつけですね、巫女を奪われた事をオルド人は忘れませんでした。大主教と共に、若く美しい巫女は、象徴であり彼らの心の拠り所であったのです。結局、最後の巫女もオルド戦役で自害したそうですね、まだ十代の少女だったそうですが」
「ひとつ、先生にお聞きしたいことがあります」
ロッカは静かに口を開いた。
「なんでしょう」
「古オルド語の聖歌を歌う女性がいます。古オルド語の歌というのは、オルド人の庶民に根付いたものでしょうか」
あまり聞いたことがないですね、とクライシュは興味深そうな視線をよこした。
「祭祀用の、祈祷文のようなものですから、誰でも知っているわけではありません。文では残されている物があっても、口伝なのでメロディーまでは難しいですね。何処にその方はいらっしゃるのです」
おもむろにロッカは立ち上がり、ありがとうございました、と唐突に挨拶する。
「私は返事をいただいていないが」
クライシュは軽くロッカを睨む。
「申し訳ありません、後ほど落ち着きましたらご説明させていただきます。必ず。それとこの日記はお借りしますね」
ロッカの固い表情からは、何も読み取れなさそうであった。だが、かなり面白いことになりそうだ、とクライシュは後の楽しみに取っておくことにした。自分が探究心を抑え、我慢が出来れば、の話であったが。
「それから、ヴィンスから伝言です。いつでも出動できるように準備しておいて欲しい、とのことでした。正直、今の状況はそこまで大事ではないと思うのですが、念のため」
「どこに仕舞ってあったかな、制服にカビが生えてるかもしれません。洗濯が間に合いそうならいいのですが」
クライシュは片目をつぶり、別れを告げた。
モニカも慌てて頭を下げ、ロッカの後を追う。
「地図の件はよろしいのですか、見ていただくはずでは」
「それは後でじっくりと。まずは、王宮に戻ります。…その前にあなたをお送りするのは忘れていませんよ、先程まで忘れそうでしたが」
後ろのモニカを振り返るその顔は、かすかに笑ったように見えた。
「なんだか、隠し事されてしまったな。しかも今日の外出も潰れてしまうし、さんざんだ。悪かったね、瑠璃」
クライシュは座ったまま申し訳なさそうに呟き、妻の腰に腕を回すと、自分の体を彼女に預ける。
「その割には、楽しそうよ」
瑠璃はクライシュの頭をそっと撫でた。
「そうだ、洗濯しないと。後で一緒に探してもらえるかな」
顔を上げ、クライシュは妻に微笑む。はい、と瑠璃は頷くともう一度クライシュの髪をふわりと撫でた。




