2の話~友人~
今日はお疲れのご様子なので、夕食は早めに済ませたいそうです、とメイフェアは料理番に告げた。
食事の支度が整うまでビアンカは外の景色を眺め、無関心を装った。イザベラのように。王宮の西側に位置するイザベラの居室は夕暮れ時になると、沈みかける太陽に部屋の中を薄紅色に照らされてたいそう美しかった。
月に何度かこの部屋で過ごすたびに、いくつかの発見があった。
ここに来たばかりの頃はまだ肌寒かったが、新緑の時期が過ぎ、汗ばむ季節を越して、いつのまにか季節は秋も終わろうとしていた。
手入れの施された王宮の庭園にも、冬の影が忍び寄っていた。味気なさ過ぎる、とイザベラは憤り、自室から見える場所に、たくさんの冬バラを植えさせた。いったいどんな色の花を咲かせるのだろう、と穏やかな瞳でビアンカはバラ園を見つめていた。
あとはわたくしが、とメイフェアが給仕係を下がらせてビアンカを食卓につかせた。
「これもどうぞ」
と、メイフェアがゴブレットにぶどう酒を注いだ。
戸惑いを隠せぬビアンカの様子見逃さず、いたずらっ子のように、メイフェアはささやいた。
「イザベラ様が飲みすぎるって料理長が嘆いてたらしいわ。今日は少ししか召し上がらなくて、逆に喜ばれるんじゃないかしら」
「…そうね、せっかくだから少しだけいただくわ。不審に思われても困るし。あなたも遠慮しないでね」
「遠慮なんかしませんとも!」
ビアンカはできたてのビスケットを一口食べて、うっとりと顔をほころばせた。
「私たちの出来損ないの堅いビスケットとは大違いね。こんなふかふかのをあの子達にも食べさせてあげたかったわ」
「成功した日もあるじゃない!…滅多になかったけど。仕方ないじゃない、いつも慌しくて、焼き加減が毎日いい加減なのも全部不可抗力よ」
言い訳をするメイフェアがおかしくて、くすくす笑いながらビアンカは他の料理にも手を伸ばす。
二人はイザベラの側にあがるまで、王都の北東にある修道院で孤児達の世話をしながら、見習い修道女として五年ほど一緒に暮らしていた。院長の人徳のおかげか、修道院の財政状態は比較的恵まれた方ではあったが、それでも清貧を旨とする院長の下、質素ながらも栄養のある食事を、二人は子供達に作り続けてきたのであった。
「見てて御覧なさい、いつか城を出るときがきたら、院長達に、王宮仕込みの極上の腕をふるってあげるんだから」
持ち前の要領の良さから、メイフェアは王宮の使用人達にも気に入られ、料理番にいくつかのレシピを伝授してもらっていた。
ただし教師が一流であっても、生徒の素質に問題があるのか、一年経っても一向に進歩がみられなかった。
おそらく彼女の舌は自分達とは異なる性質なのだ、と料理長は結論づけた。
「この前いただいたスグリのケーキ、とてもおいしかったわ。昔みたいに、私も一緒にできたらよいのだけどね…」
寂しげに笑うビアンカを見て、ほんの少しメイフェアは悲しくなった。自分に言い聞かせるかのように、メイフェアは声をひそめてながらも力強くビアンカに言った。
「けど、永遠じゃないわ。いつかここを出て行くのよ」
「素敵な殿方を見つけるっていう計画?」
ありきたりな身の振り方ではあるが、若い二人にとって、どこか良い所にお嫁に行く、というのは単純な憧れがあった。長い修道院生活のせいで、いまだ二人には恋愛がどういうものかなど、ぴんと来なかった。
その割には、女官達に混じって王宮内での醜聞を耳にしているうちに、今ではメイフェアはすっかり耳年増となってしまっている。
ただ本人はこれと言って、よさそうな男性とお近づきになるという機会にも恵まれない。王宮には、星の数ほどの男性がいるはずなのだが、いったいどうしてだろう、とメイフェアは首をかしげることしきりであった。
「なかなか難しいのよね。男性に頼らずとも、自立した生活を送れたらいいんだけど。……そうよ、お金を貯めて、二人でお店をやるとかいう方法だってあるわ。あなたの腕なら、きっと世界中の王族から依頼が舞い込むわよ」
できることならそんな平穏で、実りのある生活をしてみたい。しかし、ビアンカには王宮に留まらねばならない理由があった。
「無理よ。この状況が続く限り、あの方が私を手放す事はないと思うけど。籠の鳥ね」
いつしか二人は声ひそめ、ありきたりな乙女らしからぬ内容の会話になっていた。
「それならあの方がのん気に、今の生活を楽しめないようにすればいいのよ。……ばらすとか」
ここに居ないイザベラに見立て、もごもご言いながらメイフェアは鴨肉にフォークを勢いよく付きたてる。
そんなメイフェアの言葉に、ビアンカは怯えたように顔をあげた。
「それこそ無理よ。お願い、そんな恐ろしい事言わないで。私が願っているのは、いつかあの方が御自分の行いを悔い改めて、誠意を込めて陛下にお仕えしていただくことなのよ。あの方だって、本当はわかっていらっしゃるはずだわ」
悔い改める気があれば、とっくにそうしているはずだ、とメイフェアは思う。
だがこの一年、イザベラの身勝手さは、日増しに手に負えなくなってきているではないか。
ビアンカの言葉を遮るように、メイフェアは片手を挙げて制した。
「あなたは優しすぎるのよ。あんな女、かばう必要ないわ。いっそ不貞で首でも刎ねられてしまえばいいものを。私達はここから早く出る方法を考えるべきよ」
ビアンカは、仮とはいえ、自分の主をあの女呼ばわりするメイフェアを、恐ろしい子だ、と思った。また、ここにきてから、メイフェアに嫌な思いをさせているのは自分自身のせいなのだ、と悲しい気持ちになる。
本来、イザベラの下に上がるのは、ビアンカ一人のはずだった。だが、メイフェアはビアンカの側を離れたくない、側で支えてあげたい、と必死で院長に食い下がり、明朗快活なメイフェアを気に入ったイザベラの二つ返事で、後宮にあがってきたのであった。
ところが、イザベラ直々に声がかかった高級女官のはずが、城に来てみればビアンカは質素なお針子部屋をあてがわれ、滅多に人前に出ることもない。一方メイフェアはイザベラの侍女として、彼女の身勝手なわがままに振り回される日々を送ることになってしまった。
こんなはずじゃなかった。もっとこんなはずじゃなかったのは、ビアンカが時折イザベラの替え玉として、こうして悪事の片棒を担ぐことだった。はじめからこうするつもりでビアンカを後宮に呼び寄せたのだ、と気づいた頃には手遅れであった。
いつかあの女を地獄に落としてやる。
無言でゴブレットの中身を飲みほす。
メイフェアには、王の妃だろうとなんだろうと関係なかった。自分の親友を苦しめるあの下品な女は、妃と呼ぶには値しなかったのである。