45の話~家族~
次の日、ヴィンチェンツォは久しぶりに朝食の席へと顔を出した。姉のピア・イオランダは、普段あまり姿を見せない弟の顔を見ると、自然と説教じみた口調になってしまうのだった。
「昨晩の宴はいかがだったかしら。素敵な方達がたくさんいらしていたのではなくて?」
そうですね、と気の無い返事を返し、ヴィンチェンツォは嫌々ながらも二人だけの食卓につく。
「父上達はどちらに」
ピアの気を逸らすように、ヴィンチェンツォが話題を変える。
「二週間以上も前からオルドの別宅ですよ。あなたがなかなか家に戻ってこないので、宰相府に手紙を送ったはずですが」
見たような、見ていないような、ヴィンチェンツォの記憶は曖昧だった。どちらにしろ、ピアが離縁して実家に戻ってきてから、両親も気の強い娘を扱いかねてか、留守がちである。いつもの事だと、ヴィンチェンツォはさして気にも留めていない。
二人の父親のマフェイ・バーリ公爵は、ヴィンチェンツォとは対象的に、実にのんびりとした人物であった。公爵領の管理も、今は娘のピアに任せきりで自分は毎日好き勝手に遊んでいた。
「仕事熱心なのは結構ですけど、あまり人の恨みを買うようなやり方は感心しないわね。私のお友達も幾人か、迷惑をこうむっています」
ほぼ食事も終わり、お茶を飲んでいたピアであったが、席を立とうとはせず、いつものように小言が始まった。
ヴィンチェンツォはコルレアーニ男爵邸に潜入したのち、禁制品を取引していた他の貴族の館に踏み込み、数名が拘束されていた。館を捜索したところ、さらに転売を狙ってなのか、大量の禁制品が発見された。
「姉上もお気をつけ下さい。あのような者達とお付き合いされていては、あまり賢い選択とは言えませんよ」
スープに口をつけながら、ヴィンチェンツォはさらりと言った。この件に関しては、姉に関わって欲しくなかった。いくらなんでも、身内から犯罪者が出るのはいい気分ではない。
私の話は全然聞いていないのね、とピアは不満げに呟いた。
「私の口から言いたくはありませんが、父上ものんびりしすぎているので、私が代わりに言うしかないでしょう。そろそろ身を固める準備をした方がよろしいのではないの」
ピアはお茶の入ったカップに口をあて、美しいが温かみの欠ける視線でヴィンチェンツォを見つめた。
「またそれですか。私の心配より、ご自分の心配をされたらいかがですか。まさか死ぬまでここに居座る気ではないでしょうね」
ヴィンチェンツォは少々心が痛むが、朝から不機嫌な内容の会話になってしまったせいか、それくらいのことは言っておかないと、気が済まないようである。
その言葉が、余計に火に油を注いでしまい、ピアはヴィンチェンツォに似た切れ長の美しい目で、弟を睨んだ。
「私の事はどうでもよいのです。あなたも跡継ぎなのですから避けては通れない問題ですよ。昨晩も、せっかく陛下にお気遣いいただいて、目ぼしい方々をお招きしていただいたというのに、なんて張り合いの無い」
ピアのわざとらしいため息が感にさわったのか、ヴィンチェンツォは更に、姉の触れられたくない部分を針でつつくような態度を取る。
「それこそ余計なお世話です。陛下まで巻き込むのはやめてください。みな、それどころではないんですから。姉上のお相手を探す方が先なのでは」
エドアルドの話を持ち出されると、反射的に苛立ってしまうヴィンチェンツォであった。
「言うに事欠いて今度は私を非難するの。相変わらず、人の気も知らずに勝手な子ね」
「私の心配はご無用です。なんなら、姉上が婿でももらって家督を継いだらよろしいのでは。今ならまだ間に合うのではないでしょうか。私は王宮からの給金があれば生きていけますから、ご心配なく。よろしければどなたかご紹介しましょうか」
ピアに婿だの結婚だのの言葉は禁句であった。屈辱的な事を言われ、ピアのカップを持つ手はぶるぶると震えている。
「いくらあなたでも、そのような発言は捨て置けません。そのような調子だから、どなたとも長続きしないのではないのかしら」
「そっくりそのまま、姉上にお返しします」
パンをちぎっていた手を止めると、姉の言葉に動じることも無く、冷たくヴィンチェンツォは言った。
かわいくない子、とピアは言い捨てると乱暴にカップを皿に戻す。
ピアは、憎らしい弟を殴りたい気持ちでいっぱいであったが、子どもの喧嘩ではない、と自分に言い聞かせて耐えるのであった。
「誰に似てそんなに性格が悪いのかしら」
と最後に一言言うと、ピアはようやく席を立ち、腹立たしそうに部屋を出て行った。私も全くもって同意見です、というヴィンチェンツォの言葉を背に受けながら。
***
ヴィンチェンツォがいつもより少々遅い時間に出仕すると、執務室には来客があった。ランベルトの一番上の兄であるフェルディナンドが、赴任先の聖都フィリユス・サグリからはるばるやってきたのであった。
オルド戦役の後も、聖都には王都プレイシアより派遣された軍人が数多く駐留している。今では主だった衝突は無いものの、先の戦では、見えない部分でオルド人に禍根を残した。なぜか去年あたりから、じわじわと旧教国へと原点回帰を叫ぶ過激な者も現れ始め、微妙な緊張感が漂いつつあった。
「お久しぶりです。お呼びだてして申し訳ない」
敬愛する年長者の姿に、ヴィンチェンツォの晴れやかな笑顔がほころぶ。
「痩せたなあ、お前。そのような体では、刺客などに襲われたらあっという間にとどめをさされるぞ」
フェルディナンドの遠慮ない言い方は、いつでも曇り空を払拭するかのように心地よかった。
「ロッカに盾になってもらうので問題ありません」
書き物をしていたロッカは眉一つ動かさず、そのままペンを走らせている。
「今日はたくさん昼食を食って、その後稽古をつけてやる。仕事は無しだ」
ヴィンチェンツォは苦笑してフェルディナンドの言葉に耳を傾ける。
「ランベルトはどうしている。ご迷惑をおかけしていないだろうか」
「ええ、まあ、相変わらずですよ。ですが最近は上に立つ自覚が出たのか、真面目に仕事しているようです」
本当だった。さぼり癖も影をひそめ、ランベルトは熱心に巡回したり他の騎士達に稽古をつけたり、気持ち悪いほど真面目に生活しているらしかった。
「奴も呼び出して、どれだけ上達したか確認せねばな。俺に言わせればまだまだひよこだ」
ランベルトの家系は代々軍人を数多く輩出している。現在でも、七人いる息子達は全員、ランベルトを除いて軍務省付きでそれぞれの赴任先に赴いている。
「ええ、ですがその前に、片付けたい案件がございます。よろしいでしょうか」
むろん、とヴィンチェンツォに対して鷹揚にうなずくフェルディナンドであった。ロッカが立ち上がり、フェルディナンドの座る椅子のそばへ歩み寄る。フェルディナンドの目の前にヴィンチェンツォも座り、真面目な顔をして両肘をつき、手を組んだ。
「最近、王都ではコーラーと手を組んだ商人や役人達が、眼に余るのです。先日、その件でウルバーノを左遷しましたが」
「聞いた。あのウルバーノがねえ。真面目な奴だと思っていたが」
「その時に芋づる式に、何人か検挙したのですが、コーラーから武器の密輸が発覚いたしました。それがどうやらオルド地方に運ばれたらしいのです」
武器、と聞いてフェルディナンドの笑顔が消え、執務室に緊張感が走った。
「それはまずいな。行き先はわかっているのか」
いいえ、とロッカは答えた。
「途中まで追跡したのですが、なにぶん王都からも離れておりますし、やはり聖都で調査をしていただきたいのです。あまり大きな声では言えませんが、このところ妙に旧オルド教徒が強気なのも関係しているやもしれません」
ロッカはいくつもの書き換えられた伝票などを指し示し、フェルディナンドの目の前に広げた。
「わかった。早々に取り掛かろう。どうやら、オルドの残党共から目が離せぬようだ。めんどくさい奴らだ。元は同じ聖オルドゥを崇拝する人間同士、細かい事にこだわらずともよいものを、わざわざ平地に乱を起こすとは、どこまでも迷惑な奴らだ」
神の系譜は復活する、と街中で叫んで捕らえられる者を、フェルディナンドは何度か目撃していた。彼らの言う神とは、もはや聖オルドゥではなく、前大主教を指していた。
旧オルド教国では、聖職者達が贅沢の限りを尽くし、民は抑圧された生活を強いられた。それを解放し、自由貿易を推奨して国を作り変えるべく努力してきたつもりではあったが、根本的なところで、オルド人はプレイサ・レンギアを快く思わない部分があるらしかった。
「私の治世が悪いのか、現状に不満なのかもしれませんね。人々の暮らし向きも、明らかに併合前よりも良くなっているはずなのですが」
ヴィンチェンツォは自虐的にぼそりと呟く。なあに、たかだか数ヶ月だ、気にすることはない、とフェルディナンドはランベルトと同じ蜂蜜色の髪を揺らし、明るく言う。
それから、とロッカは一言ののちに間をおいてフェルディナンドに向き直る。
「フェルディナンド様は、オルド戦役に出征しておりましたよね。デメトリ・マレット様とは面識はおありでしたでしょうか」
古い記憶をたぐりよせ、フェルディナンドはゆっくりと答えた。
「俺などまだ子どもで、一介の兵士にすぎなかったからな、あまり関わりはなかったが勇敢な方であった。ウルバーノの叔父だろう。彼が何か」
「いえ、ご存じないのでしたらよいのです。どなたか他に、親しかった方はご存知ですか」
フェルディナンドは少し考え込んでから、唐突にぽんと放り投げるように言った。
「私より父上か、もしくはヴィンチェンツォの父上の方がご存知なのでは」
「父ですか。そもそもあのように、のほほんとした方が無傷で帰還できたことが我家では不思議でたまらないのですが。オルドの話はほとんど聞いたことがありません」
ヴィンチェンツォは、フェルディナンドの言葉に半信半疑であった。本当に親子か、と他人から指摘されるほど、父親のマフェイとは性格が正反対であったからである。
「そこが公爵様の本質なのだよ。ああ見えて、お前と腹黒さはさして変わらん。あの時軍の中心に居た方々は、我等などには到底分からぬご苦労があったからな、思い出話すらしたくないのが本音なのではないか」
そうか、困ったな、とヴィンチェンツォは呟く。
「最近父上も、家に寄り付かないのです、姉のせいで。今は聖都の近くの別宅にいるらしいのですが」
なるほど、とピアの人となりを理解しているフェルディナンドは、にやりと笑った。
「帰りにお訪ねしてみよう。ついでに、早めに王都にお帰りくださいと伝えておく」
「よろしく頼みます」
ヴィンチェンツォは、浮かない顔をして頭を下げた。




