44の話~あなたが、いない~
「それで、いったいいつになったら、宰相様は謝罪にお越しになられるのかしらねえ?」
騎士団の詰所でランベルトの帰りを待っていたメイフェアは、ねぎらいの言葉も無く、彼の姿を見つけるやいなや、開口一番にそう言い放つ。
「無茶言うなよ。ビアンカのビの字も言えない感じだったぞ。今、下手に刺激したら、絶対殺される」
「情けないわね」
メイフェアの心無い一言に、ランベルトはむっとしたようであった。
「だいたいなあ、そんなのどっちが悪いわけでもないだろ。ヴィンス様が頭下げるなんて、ありえないから。犯罪人にも家族がいるとか、そんな当たり前の事言ってたら、世の中が滅茶苦茶になる」
いつになく強気のランベルトに、メイフェアはあからさまに面白くない、といった顔をした。
「そんなことわかってるわよ。私は宰相様の言い方が気に入らないのよ。いつも人を見下したような態度じゃ、ビアンカじゃなくても腹が立つわ」
「誰かが嫌な役まわりを引き受けなきゃいけないだろ。全員いい人でこの国守れると思ってんのか。ヴィンス様だって好きで憎まれ役やってるわけじゃねーんだ。近すぎてわからないかも知れないけど、宰相なんだよ。どういうことかわかってる?」
ランベルトはメイフェアの、ヴィンチェンツォに対する数々の暴言を思い出していた。
メイフェアは、ヴィンチェンツォを擁護し続けるランベルトを小ざかしい、とばかりに思い切り睨みつける。
「結局あっちの味方なんじゃない」
一瞬、ランベルトは返答に窮する。
「いや、そういうことじゃなくて。ヴィンス様だって、ビアンカに大事なことを隠されて、裏切られた気がしてショック受けてるんだぞ」
「隠してたわけじゃないわ。自分達の都合で被害者ぶった解釈しないでくれる。本当、何様なのよ」
メイフェアは怒りをあらわにし、ありったけの嫌悪感をランベルトにぶつけていた。
「一方的な解釈は君達の方だよ。非礼な言葉は慎むんだ」
穏やかな口調ではあったが、これだけは絶対に譲れない、とばかりにランベルトは語気を強めた。珍しく固い表情をするランベルトを、メイフェアはしばらくの間、無言で見つめた。
「わかりました。もういいわよ」
ふん、と顎をわざとらしく上げ、メイフェアは扉へ向かっていく。
「いや、わかってないだろ。全然」
「そんな大きな声出さないでよ。…あんた達はそうやって一生、人の恨みを買い続けて生きていけばいいのよ。ろくな死に方しないんだから」
語尾に重なるように乱暴な音を立て、メイフェアが扉を思い切り開け放った。唖然として、ランベルトは立ち去るメイフェアの後姿を見つめていた。
「詰所も老朽化が進んできているゆえ、今度会ったら、もう少し丁寧に扱って欲しいとメイフェア殿に伝えてくれるか」
黙って二人の言い合いを聞かされていたステラは、仏頂面のまま、ぼそりと呟いた。
***
エドアルド主催の春待ちの宴が催された。家族同伴で出席する者が多いせいか、いつものこじんまりとした宴より華やかであった。引っ切り無しに娘を連れて挨拶に訪れる貴族達にヴィンチェンツォはうんざりしながらも、無碍にするわけにもいかないようで、形だけでも丁寧に応対していた。
誰もが自分の気を引こうと、美辞麗句を並べてとっておきの微笑みを浮かべる。なにげないふりをして辺りの様子を伺うが、気を利かせて助けに入ってくれそうな者の姿は無かった。バスカーレも欠席していたし、ロッカも「絶対に嫌です」と言って珍しく早々に逃げ帰ってしまった。唯一、バスカーレの代理で出席していたステラであったが、何やら機嫌が悪いのか、声をかけるのもためらわれるような、あらゆる物を射るような目で虚空を睨みつけている。
遠くから、面白そうに女性達に囲まれたヴィンチェンツォを眺めているエドアルドと目が合う。この人にだけは助けて欲しくない、とヴィンチェンツォは自ら視線を外した。
これほどまでに時間の無駄を感じさせる宴もないな、とヴィンチェンツォは諦めにも似た気持ちで、美しい姫達のお相手をするしかなさそうだった。
ヴィンチェンツォは踊る人々の輪から逃れて、こっそりと中庭で一息つく。普段であれば、程よく酔いが回った頭に、ざわざわした空気は心地よいものであったが、蓄積した疲れも残っており、酔えそうにもなかった。あまり飲みすぎては、帰り道に馬から転げ落ちるかもしれない、と疲れた頭でヴィンチェンツォはぼんやり考えた。
「そのようなお姿では、お風邪を召されます。ヴィンチェンツォ様はお疲れなのですから、人一倍お体に気をつけねばなりません」
鈴を転がすような柔らかい声が、背後から聞こえてくる。振り返ると、カタリナが眉根をほんの少し寄せて、佇んでいた。
「そうおっしゃるあなたも、私より薄着のようにお見受けしますが。女性は大変ですよね」
時折、冷たい風が中庭に吹き込み、木の葉が渦を巻いて舞っていく。
「とても、暖かい生地で出来たものを仕立てていただいたんです。お暇だからと言って、イザベラ様が」
山葡萄のような、濃い赤のビロードで仕立てられたドレスには、金のレースや刺繍が施され、まだ幼さの残るカタリナを大人っぽく見せていた。
「とてもよくお似合いです。そうですか、あの方が。雪が降るかもしれませんね」
「そんな。…私、とても恐い方だと思っていたのですけど、お話してみると、お優しい方でした。他の女官達が噂していたような方ではありません。きっと私に遠慮して、皆イザベラ様を悪く言っていたのではないでしょうか」
どうやったらそんなおめでたい解釈ができるのだろうか、とヴィンチェンツォはカタリナのお人好しっぷりに呆れ返っていたが、カタリナがビアンカに好感を持っているのは、悪い気はしなかった。
ヴィンチェンツォは何も語らず、ぼんやりと空を見上げている。そんなヴィンチェンツォを少し離れた所から見つめ、カタリナは片手をぎゅっと握り締めた。
「あの」
「なんでしょう」
ためらいながら、カタリナが上目遣いにおずおずと口にする。
「お邪魔ではありませんか」
そのあどけない可愛らしい仕草に、ヴィンチェンツォは苦笑し、カタリナに向かって手招きする。
「いいえ、お気になさらず。頭が働かないせいか、気の利いた事も言えませんが。なにせ陛下が次々と私に仕事を押し付けてくるので、忙しくて仕方が無い。あなたから陛下にお伝えいただけませんか。さっさと休暇をいただいてのんびりしたいのです」
カタリナは恥らうようにわかりました、とだけ答え、ヴィンチェンツォの見ている方向を、隣に並んで自分も仰ぎ見る。
「あの」
再びカタリナが、意を決したように声をかける。自分から誰かに話かけるというのは、カタリナにとっては大層勇気のいることであった。
「なんでしょう」
そんなカタリナの心情を慮ってか、ヴィンチェンツォは優しく答えた。
「休暇を取ったら、何をなさるんですか。何処かへ旅に行かれるんですか」
「それもいいですね。何年か前に、陛下と港町へ旅したきりです。ロッカが船酔いして死にそうになっていました」
カタリナは、横にいるヴィンチェンツォを見上げ、真剣な顔をして言った。
「私も、いつか何処かに行ってみたい」
「あなたは自由なのですから、いつでも好きな所へ赴けばよいではないですか」
カタリナの意外な言葉に、ヴィンチェンツォは不思議そうに、隣に佇むカタリナの瞳を見つめて言う。
「それは、わがままではないのでしょうか」
目を反らさず、カタリナはヴィンチェンツォを見上げ続ける。
「いいえ全然。お妃なのですから、したいようにすればいい」
カタリナは黙りこくって、暗い木々に目を移す。
「カタリナ様。そろそろ中にお入りになりませんか」
フィオナが、侍女を連れて静かに二人に歩み寄ってきた。ヴィンチェンツォは軽く頭を下げて挨拶する。
「珍しい取り合わせですこと。陛下のおっしゃるとおりだったでしょう、カタリナ様」
怪訝な顔をするヴィンチェンツォに、いたずらっぽい笑みを浮かべてフィオナが言う。
「何のお話か皆目見当もつきませんが、聞かなかった事にしてもよろしいでしょうか。どうせろくでもないことでしょうから」
お妃二人を見送り、ヴィンチェンツォは静けさを取り戻した木々の中、大きな木の幹に隠れるように座り込む。
今日一日で、一年分の女性との会話をしたような気がする。
誰もが、カタリナでさえも、ここにいる女性達は自分の機嫌を伺うような態度しか取らない。わかりきっていたこととはいえ、今日のような日は特に、自分の存在が疎ましく感じる。
そんな女達の中、彼女だけは違った。
恐れを知らず、本音で自分にぶつかってくる女は、後にも先にも彼女しかいなかった。
けれど今、彼女はいない。
ヴィンチェンツォは今日初めてため息をつき、髪にかかった落ち葉を振り払った。




