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漂う白花  作者: 渡部ひのり
第二部
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37の話~忘却の深淵~

 ファビオ・デオダードの自宅は、通年、多くの造園職人や弟子達が出入りしており、日暮れまで毎日活気づいている。息子のサンドロが、引退したファビオの跡を継ぎ、デオダード造園の親方として職人達をまとめている。サンドロは、既に四十も半ばを超えていた。サンドロの娘のモニカも、父の手伝いをして王宮に顔を出すこともよくあった。

 その一方でかつての宮廷庭師は、奥の広い自室で大きな灰色の猫を膝に抱き、一日中暖炉の前で過ごしている。


「お父さん、お客様ですよ。昨日お話したでしょう、宰相秘書官のアクイラ様達ですよ」

 その言葉にも老人の反応は無いが、「今日は機嫌がいいみたいです」とサンドロは言う。機嫌の良し悪しは、ロッカ達にはまるでわからなかったが、どうやら会話は可能なようであった。サンドロは一つ礼を残し、自分は温室の方へ去っていった。

「おじいちゃん、おばあちゃんが去年亡くなってから、急にぼけちゃって、わけのわからない事を言ったりするんですけど、不思議と昔の事は覚えてるみたいで、何か教えてくれるかもしれません」

 小声で、モニカはロッカ達にささやいた。十七歳になるモニカは少年のように短く髪を切っている。その愛らしい姿は、ふわふわした金の綿毛の妖精のように見えた。お茶を、というモニカをさえぎり、すぐ終わりますので結構です、とロッカは返した。


「大丈夫かな。寝てるんじゃねえの」

 ファビオの皺だらけの顔を見て、ランベルトは不安そうにメイフェアを振り返った。

「お寛ぎのところ、失礼いたします。宰相閣下の秘書官を務めております、ロッカ・アクイラと申します。こちらはランベルト・サンティとメイフェア・ランカスターでございます」

 いつもより大きめの声で、ロッカは挨拶した。だが、老人も猫も、身じろぎ一つしない。

「マエストロ、お忘れかもしれませんが、ロッカとランベルトでございます。今日はマエストロにいくつかお聞きしたいことがありまして、参りました」

 三人が老人に歩み寄り、ロッカはさらに大きな声を出す。灰色の猫が、自分の主人とほぼ同時に薄目を開け、ゆっくりとロッカの顔を見上げた。

「聞こえとるよ。王宮の子ども達だろう。少し大きくなったかの」


 そのしわがれた声も、想像していたよりしっかりとしたものだった。

「珍しい客人だ。お前のところの鳥達は、元気か」

「はあ、おかげさまで」

 ランベルトは不思議そうな顔をしているメイフェアに、ロッカの父ちゃんが鷹の調教をしてるんだよ、と説明した。

「エドアルド様はお元気にしているか。あと何だったかな、目つきの悪い、黒髪の悪ガキがおったな。奴は一緒じゃないのか」

「ヴィンチェンツォ様のことでしょうか。ですから、今はヴィンチェンツォ様が宰相でございます」

 目つきの件を否定しないロッカの態度に、メイフェアは思わず吹き出しそうになる。


 そうか、とファビオは呟き、おもむろにランベルトの顔を見上げて、にやりと笑った。

「おい、落ちこぼれ。さぼらずに学校に通っておるか。あまり遊んでばかりいると卒業できんぞ」

「だから俺はもう、とっくに卒業したよ!あの時はじいさんもまだ現役で、俺に祝い酒くれただろ」

 ランベルトが若干苛立ったように、ファビオの発言を訂正する。やっぱり落ちこぼれだったのね、とメイフェアの目が無言で語っている。

 そうだったかの、とファビオはもう一度呟くと、膝の上の猫を撫でた。猫はファビオの膝の上で伸び上がると、すとん、と床に降り立った。


 ぼけている、とモニカは言っていたが、どうやら忘れて欲しいことだけは、何故かしっかりと覚えているようだった。これ以上、昔の数々の悪事の思い出話などされてしまっては、なんとも居心地が悪い。ランベルトはさっさと本題に入るべきだ、と思った。


 ランベルトの隣に立っていたメイフェアの腰の辺りを、ファビオが突然緩慢な手つきで撫で回す。メイフェアは悲鳴を上げ、とっさに手が出そうになった。

「おじいちゃん、お客様に何やってるの!」

 モニカが慌てて、ファビオからメイフェアを引き離す。メイフェアは荒い息をはきながら、ランベルトの後ろに隠れた。

「そんなに怒らなくてもいいじゃないか。いつもの冗談だよ。ねえ、アンナさん」

「だから、この人はお母さんでもなくて、女官のメイフェア様です!」

 息子の嫁にいつもそんなことしてるのか、とランベルトはくたびれたように独り言を言った。

 モニカの母親に間違えられたのが気に障ったのか、メイフェアは鬼の形相で老人を睨みつけた。いくらなんでも、老人に手を挙げるのはまずいです、とロッカがメイフェアをいつものようになだめている。


「くそじじい、ふざけるのもいい加減にしろよ。俺達も暇つぶしにここに来てるわけじゃないんだ」

 すみません、とモニカは何度もロッカ達に頭を下げた。

 そこでようやく、ファビオは真面目な顔つきに変わった。

「今更、この老いぼれに何の用か。答えられれば、よいのだが。どういった用件だ」

「王宮の、庭園の地下にある通路のことです。マエストロは、あの通路の存在をご存知でしたか」

 ロッカの問いは、直球であった。

「知らんな。伝説ではないのか」

 つまらなそうに、ファビオが答えた。ロッカはファビオの様子をうかがいながら、控えめな声を出した。


「私達は、この目でその通路を確認しております。どうやら、四代目の国王の頃に造られたものだろう、と聞きました。マエストロがお造りになった宰相府前の庭園は、すでに数十年以上経っておりますがその頃、工事中に古い隠し通路が発見された事実はありませんでしたか」

 ファビオはわからん、と首を横に振った。

「このたび大規模な、庭園の改修をエドアルド様がお考えのようなのです。むろん北の庭園も、改修して欲しいとお妃様よりご要望いただいております。それにあたって、旧時代の建造物も整備する必要がありまして、当時のお話をお聞かせいただければと思った次第でございます」

 

 申し訳ないが役立つような話は記憶に無いな、とファビオは短く言った。

 猫が、ロッカの足元に擦り寄ってきて、じっとロッカを見上げた。そして勢いをつけてロッカの体によじ登り、肩の辺りにしがみつく。少しよろめきながらも、ロッカは猫を肩に乗せたまま、そうですか、と一言言った。 

 疲れた、とファビオは言うと、ゆっくりと目を閉じた。

 これ以上、今日のところは収穫がなさそうだ、とロッカは悟った。老人の機嫌を損ねる前に帰ったほうがよさそうだった。


 眠ったように目を閉じていたファビオが、突然静かに口を開いた。

「北の庭園は、手をつけると大変な事になるぞ。おぬしらも知っているだろう、呪われた女官の話を。あれは、嘘ではない。あのまま、眠らせてやるが良い」

 ランベルトは思わず、背筋が寒くなる気がした。エドアルド達は、無邪気に基地だなどと言って遊んでいたが、自分はあの庭園には絶対に何かいると感じていた。そのたびに、弱虫、とエドアルド達にからかわれていたものだった。

 また来ます、とロッカは頭を下げ、猫をそっと床に下ろした。

 猫はその姿を見送ると、もう一度主人の膝の上に飛び乗り、丸くなった。


「おじいちゃんはああやって知らない、って言ってますけど、庭園の井戸を埋めた話は、引退した他の職人さんから聞いたことがあるんです。うちの中を探せば何か出てくるかもしれませんし、私でよければ喜んでご協力致します」

 モニカは、玄関で三人を見送ると、両親とそろって頭を下げた。

 頼りになりそうね、とメイフェアが陽だまりのように微笑んだ。

 


 明朗な返事が返ってこないのを除き、別段ファビオに怪しいところはない。正直、ぼけているのかふざけているのか判別しがたい部分が多く、ロッカにしてみれば、なかなか食えない方だ、といった再印象をもった。

 ランベルトは、俺もメイフェアも、今日は何をしに行ったのかまるでわからない、とぶつくさ文句を言っている。以前よりも外出の機会が増え、メイフェアは嬉しかった。人手不足ゆえ、お前も手伝いの頭数に入っている、とヴィンチェンツォに言われた事は無視し、自分なりにそれを利用すればよいと考えていた。


「何百年も前のことなんか、今更わからないんだし、今やるべきことはそこじゃないんだろ?むしろ、問題なのは狩猟小屋の管理人だよなぁ…。絶対イザベラに手を貸してるはずだ。勿論捕まえて、吐かせるんだろ」

「いや、ヴィンスが、あのままにしてしばらく泳がせると言っていた」

「なんでそんな危ないことを」

 エドアルドは、あのままにしてはおけない、と言っていたはずだ。ヴィンチェンツォが、何かまた良からぬことでも思いついたのだろうか。



***



 ヴィンチェンツォはイザベラに届いた手紙を読み終わると、人の悪い笑顔をビアンカに向けた。ビアンカは長椅子にちょこんと座り、うつむいている。

 ビアンカの新しい部屋は、イザベラのものよりもこじんまりとしていたが、丁度よい大きさで、かえってくつろぎやすい。

「そろそろ、夜会のお招きに応じる頃だな。準備は出来ているのだろう」

 浮かない顔で、ビアンカはうなずいた。何より不安ではあるが、これが自分に課せられた仕事である。

「何が出てくるか、非常に楽しみだ」

 ヴィンチェンツォは手紙をたたむと、ビアンカの隣にどっかりと深く座り、椅子の背に身を預けた。

「大丈夫でしょうか。ばれたらどうしようかと、そればかりが不安で」

「大丈夫だ。ついでに、何人か潜り込ませる予定だからな。身の危険はないだろう」


 ビアンカは黙り込んで、窓の方を向いてしまった。ヴィンチェンツォはそんなビアンカの、白いかんざしに手を伸ばし、その手は軽く首筋に触れる。思わずビアンカは反射的に顔をヴィンチェンツォに向けた。

「堂々としていればよい。幾分、以前よりぎこちなさも減って、ましになったではないか。踊りもだいぶ上達したようだし」

 それより、その手を離して欲しいんですけど、とビアンカは言いかけ、廊下から聞こえてくる話し声に耳を傾ける。


「やっぱりここだったんですね。ご所望の蜂蜜、買って来ましたよ」

 ランベルト達が、騒々しく部屋に入ってくるのと同時に、いまいましそうな顔をして、ヴィンチェンツォはビアンカの顔から手を離した。 

「近すぎです。離れてください」

 挨拶もそこそこに、メイフェアがヴィンチェンツォの前で腕組みした。油断も隙もあったもんじゃないわ、とメイフェアは冷たい視線を宰相閣下に向けた。

「大事な話をしていただけで、その態度はいただけないな。いつだって紳士的に接しているというのに、ちっとも伝わっていないようだ」

 ヴィンチェンツォは同意を求めて、ビアンカの方を向くが、そろりとビアンカが立ち上がり、お茶にしましょうか、とランベルト達に話しかけた。

 こちらはビアンカ殿のぶんです、とロッカがもう一つの蜂蜜の小瓶をビアンカに手渡した。それから、デオダード造園からお土産をいただきました、と温室栽培のオレンジ色の花の鉢をビアンカに見せる。冬の寒さを和らげるような、暖かい色あいに目を細め、ありがとうございます、とビアンカはにっこり微笑んだ。 




 

 

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