35の話~悪童たちの余暇~
バスカーレは、いくつかの大きさの違うねじ回しを手にとり、扉の取っ手を外すべく、一つずつ試していた。
どうやら、内側から鍵をかけてあるようだった。
「錆付いていて、なかなか動きませんが、たぶんこれでいけます」
ふん、と力を込めて、バスカーレがゆっくりとねじ回しを動かした。
皆が、固唾を飲んで見守っている。ややあって、がちゃり、と重たい音を立てて、古い錠前が取っ手ごと床に落ちる音を聞いた。
扉が開かれると中は一見、人が二人ほど入れる大きさの物置のようであった。
「奥の壁が、二重扉になっているはずだ」
ランベルト、行け、とヴィンチェンツォが犬に号令するかのように命令する。
「いやだなあ、何か出てきたらどうするんですか」
「心配せずとも、骨は拾ってやる。扉を一番に開ける名誉をくれてやるから、さっさとやれ」
ヴィンチェンツォに急かされ、ランベルトはいやいやながらも明かりを片手に暗い小部屋に入り、手探りで壁を確かめる。
確かに、扉らしき造りになっている箇所を見つけた。隙間風が吹き込む場所がある。
「…いいですか、開けますよ」
いいから早くやれ、とヴィンチェンツォがうながした。
重々しい音を立てて扉を押すと暗闇から、生暖かい空気が衣裳部屋まで入り込んできた。
明かりで奥を照らすと、石段が螺旋状に続いているのが見える。
「魔界への入り口かもしれませんよ。人骨の山とか、隠された拷問部屋とか、俺やだな」
なおも、ランベルトは弱音を吐いているが、後ろはすっかり準備万端で、年長者達はランベルトに往生際が悪い、と罵声を浴びせる。最後尾はバスカーレであった。
エミーリオとステラは、その場で待機となった。
「皆さん、お気をつけて」
不安を隠せないエミーリオの頭を、ヴィンチェンツォとロッカはいつものようにぐしゃぐしゃと撫で回した。
「団長、よろしく頼みます。御婦人方もいらっしゃいますから」
ステラの表情も、相変わらず固かったが、バスカーレは子どものような笑みを見せた。
「大丈夫だ。むしろ、この後の方が我らは忙しくなりそうだ。そこで茶でも飲んで待っていてくれ」
ステラとバスカーレの関係も、以前よりしっくりくるようになっていた。バスカーレの、ステラへの信頼は確かなものになりつつあるようだった。
我ながら良い女房役を見つけたものだ、とヴィンチェンツォは満足していた。
豪快にバスカーレは笑い、やや強すぎる力で、エミーリオの背中を叩いた。
***
一同は無駄口も叩かず、黙々と階段を下りていった。あっという間に、踊り場らしき所に出る。石造りの通路は、真っ直ぐに伸びている。終わりは、見えそうもない。
そのまま、突き進むしかなさそうだった。
いくぶん慣れてきたのか、当初は情けないほどに怯えていたランベルトも、ようやく落ち着きを取り戻していた。
「いったい、いつ頃造られたものなんでしょう。抜け道にしては、かなり整備されておりますね」
バスカーレが感心して辺りを見回している。
ロッカは、内務省のみではなく、知り合いの歴史研究者のところからも、いくつか資料を借りていた。
「先日、クライシュ先生にご意見を伺ってきました。後宮の建物は、四代目国王の世代に大掛かりな増築を行ったそうで、おそらくその辺りではないかと。北の庭園も、その頃に作られたそうですよ。詳しいことは庭師のファビオが知っているかも、とおっしゃっていました」
「ファビオ?まだ生きているのか」
ランベルトのすぐ後ろを歩いていたヴィンチェンツォが、その名を聞くと、途端にいやな顔をした。
「そのようです。時間が足りず、訪問することができませんでしたが、後ほど伺ってみようと思っています」
ヴィンチェンツォは子どもの頃に、王宮の果樹園でエドアルドら悪友達と、王専用の果物を頻繁にかすめとっていた。
そのたびに造園技師長のファビオに追いかけ回されていた事を、今頃思い出す。
あの頃でも既に、老ファビオは相当年をとっていたような気がする。
「クライシュ先生も息災にしておるか。奥方にはお会いしたか」
エドアルドが、のんびりとロッカに訊ねる。クライシュは、アカデミアの講師をしており、みな彼の生徒であった。
「ええ、お二人ともお元気でしたよ」
落ち着いたら、改めて二人に礼を言いに行こう、とロッカは思っていた。
ビアンカはメイフェアと手を繋ぎ、エドアルドのすぐ後ろを歩いていた。
後方にはロッカとバスカーレが控え、なんとなく心強い。
このような暗い一本道をイザベラが歩いていたとは、意外と豪胆な方だ、と思った。
途中ところどころの横道が、大きな石で埋められていたりしていた。
「この上は、庭園、もしくは外堀の辺りになると思われます。まだ通路は続いていますから、やはり城下町まで伸びているかもしれませんね」
相当かかるぞ、とヴィンチェンツォは若干くたびれたような声を上げた。
「いい運動になるとおっしゃったのはヴィンス様でしょう」
先程の弱気な態度はどこへ行ったのか、今ではすっかり楽しそうなランベルトがいる。
更に一行は突き進んでゆく。しばらくすると石畳の通路は終わり、むき出しの土へと変わった。
「本当に、この道を使っていたのか。イザベラ妃の悪巧みにかける情熱は桁違いだな。遊びの為とはいえ、見上げた根性だ」
ヴィンチェンツォは、何気なく後ろの女性達に目を配った。
白い頬が上気し、桃の肌になったビアンカの顔をみて、以前より確かに元気そうではあるな、と思った。
「俺達の脚についてこれるとは、なかなか健脚だな。途中で背負う必要もなさそうで、よかった」
何か言い返そうとしたビアンカの声に、ロッカの静かな声が被った。
「下に、轍の跡が見えます」
ランベルトは奥がよく見えるように、明かりを高く掲げた。確かに、ほどよく湿った土の上を、何か荷車のようなものが通った形跡がある。
その轍の跡をたどるように、真っ直ぐ進む。いったいどれくらい時間が経ったのだろう、とメイフェアは息をはずませた。
やはり、一緒に来るのではなかった、と後悔する。
もうこれ以上歩きたくない、とメイフェアが弱音を吐きそうになったころ、通路は広い踊り場のような形状に変わった。真ん中に、荷車が打ち捨てられていた。
ここが終点のようだ、と誰にともなくエドアルドは言った。
端では、地上に上がる出口なのか、石段が上に向かって伸びていた。
メイフェアはほっとしたように、荷車の端に腰掛けて休憩する。
ランベルトに代わり、バスカーレが石段の一番上にある木の蓋を手で持ち上げてみた。
鍵はかかっておらず、ゆっくりとバスカーレの手によって、地上の光が入り込んでくるのが見えた。
一度バスカーレは姿を消し、しばらくしてから上から顔を覗かせた。
「誰もおりません。林の中に出たようです。近くに、狩猟小屋らしきものがあります。行ってみますか」
念の為、バスカーレとヴィンチェンツォが外を確認することになった。残りの人々は、休憩を兼ねて、穴の中で待つ事にした。
***
一見、雑木林のような場所に二人は立っていた。
長い時間暗闇の中にいたせいか、外の景色がやけに眩しく感じられた。後から、エドアルドとロッカが穴から這い出てくる。
「この景色に見覚えはあるか」
ロッカは眩しげに辺りを見渡し、遠くに王宮があることを確認した。無言で木々をかき分け、王宮の見える方向へ進んでいく。
しばらくすると、王宮と城下町を繋ぐ街道に出た。ここからだと、城下町は目の前だった。
「なるほど、これは便利ですね」
バスカーレは感心して言った。
王宮の周辺一帯は、王領となっていた。
今は、狩場として使用することもあまりない。狩猟小屋は誰もおらず、後日管理人を訪ねることにした。
あまり人目につくのもやっかいだ、と彼らは早々に王宮に戻る事にして、穴の方向へ向かった。
エドアルドから水をもらい、ビアンカも瑞々しい力が体内に蘇ってくるのを感じていた。
「いざというときは、ここから逃げてもよいぞ。ただし、その前に私にきちんと教えてくれ。ヴィンスには内緒で逃がしてやるから」
「そうならないように、努力したいと思っています」
あやふやな答えを返しつつ、ビアンカははにかんだように微笑んだ。その微笑みも、後から石段を降りてきたヴィンチェンツォの姿によって、元の無表情に戻った。
ビアンカ達にちらりと目をやると、ヴィンチェンツォは戻るぞ、と一言残し、自分が先頭になって歩き出した。
「もう歩きたくない。荷車があるじゃない。私達はこれに乗るから、あんた達引きなさいよ」
ぶんむくれた様子で、メイフェアが駄々をこね始める。遠くから、置いていくぞ、というヴィンチェンツォの怒鳴り声が聞こえた。
「下手に動かすと、ここに私達がいた事がばれてしまいますから、そのままにしておきませんか」
と、ロッカがなだめた。
「きっと、帰りは楽よ。歩く距離がわかっているのだから」
ビアンカにも諭され、メイフェアも渋々歩かざるを得ない。暗闇をうろうろするだけで、ちっとも楽しくなかった。とんだ遠足だ、と心の中で思うが、意外にビアンカが楽しそうにしていた。
「ビアンカ様、どうなさいました」
いつのまにか歩調が乱れてきたビアンカの様子に気付き、メイフェアはビアンカに駆け寄る。わずかに顔をゆがめていたのは気のせいか、とメイフェアが不審に思うと同時に、いつのまにかヴィンチェンツォが二人の側に戻って来ていた。
「足を痛めたのか」
「…いえ、大した事はありません。靴が合っていないようで、少し靴擦れが。もうすぐ着きますので、大丈夫です」
ヴィンチェンツォが跪き、ビアンカの足を手にとって確かめた。ビアンカは最初、若干抵抗を見せるが、他の者の手前、何でもないように取り繕うことにした。ヴィンチェンツォは、その姿がおかしかったが、かかとの擦り傷を見ると不快そうな顔をした。
「何故、合わない靴を履いている。…イザベラ妃の物か」
「わざわざ新調するのも手間がかかりますので、問題ありません」
「帰ったら、アルマンドを呼べ。無理に合わんものを使う必要もない」
ですが、と言うビアンカをさえぎり、ヴィンチェンツォは無理やり決めた。
「俺も、アルマンドに少々用があるからな。丁度よかった。呼び出す手間が省けた」
申し訳ありません、と珍しく素直に謝るビアンカに、ほんの少しだけヴィンチェンツォは裏のない笑みを見せたようだった。
「背負うと言っても、どうせあなたは拒否するだろうからな。もう少しだけ、我慢してくれ。駄目なら遠慮はいらない」
「大丈夫です。お気遣い痛み入ります」
言葉は相変わらずよそよそしいものであったが、ビアンカの表情も、普段よりは柔らかなものになっている。
ランベルトの腕にしがみつくようして歩いていたメイフェアは、二人の様子を伺いながら、小声でランベルトに耳打ちする。
「どう思う?」
ランベルトはいくら恋人の前とはいえ、うかつな発言は避けたかった。ヴィンチェンツォの事であれば、なおさらである。
「そんな事言われてもね、俺にわかるわけないでしょう。暖かく見守るのが一番だと思うけど」
「若いって、素晴らしい」
しみじみと頷くバスカーレを無視して、再び二人は歩き始めた。




