34の話~扉の向こう~
イザベラ、もといビアンカがつい最近まで使用していた部屋は、たいそう騒々しい事になっていた。ヴィンチェンツォを筆頭に、ロッカやランベルトにエミーリオ、ステラにバスカーレといった面々が集い、そして何故か、国王エドアルドの姿まであった。
ロッカが自ら作成した地図を広げ、みなと何やら話し合っている。彼らに呼び出されたビアンカとメイフェアは所在なさげに、柱の隅で身を寄せ合っていた。
「検証した結果、ここから王都の外れまで続いている可能性が高いです。何せ建国以前から、掘ったり塞いだり、繋げたりの繰り返しのようですし、正直、何が出てくるかわかりませんが」
プレイサ・レンギアの王宮は、もともとは、その地の豪族が造った小さな砦であった。王宮として初代の国王が入城して以来、300年ほどの間に繰り返し増改築され、現在の姿となっている。
「私の知っている、他の隠し通路にも繋がっているのかな」
エドアルドが感心したように、ロッカの地図を眺めている。
「一応、わかる限りの出入口は確認しましたが、数箇所を残してほとんどが埋まってしまって、今は使えません。ここが一番、現役かつ長い通路のようですね」
***
ヴィンチェンツォの意見を最終的に受け入れ、ビアンカは表向きはイザベラ、という扱いになっていたが、ほどなくして、国王の知るところとなってしまった。
突然のエドアルドの訪問を受け、ビアンカ達は生きた心地がしなかった。女官達は、何か事件では、と不安そうに顔を見合わせていた。陛下が、イザベラ様のお部屋をお訪ねになるとは、いったい最後はいつのことだったか、と廊下でひそひそ話していたが、女官長のマルタに睨まれて静かに解散していった。
エドアルドはビアンカを見るなり、「なるほど、似ているな」と、かちこちに固まってしまっているビアンカを、面白そうに観察していた。
「なかなか気が強いところも似ているのではないでしょうか」
ヴィンチェンツォが、いつもの調子で憎たらしい事を言う。ビアンカはぎい、と音を立てんばかりの視線をヴィンチェンツォに向け、ドレスの裾を握り締めた。
「いちいち、ヴィンスの言うことに反応していたら身が持ちませんよ」
ロッカがビアンカを思わず本音でいさめた。
すみません、とロッカに何故か謝るビアンカの様子を見て、エドアルドは「素直でよろしい」と屈託のない笑顔を見せた。
俺の話は、半分以上流されているのか、とヴィンチェンツォは少々傷ついた。
ひとしきりビアンカ達から話を聞いた後、イザベラはどこへ行ったのだ、とエドアルドは訊ねた。当然ビアンカとメイフェアは知らぬ存ぜぬの一点張りであったが、他に何か思い当たる事があれば、余すことなく正直に述べるように、と微笑む、ヴィンチェンツォの凄みのある美しい微笑に怯え、一生懸命二人は考えた。
そんなことを言われても、いっそこちらが聞きたいくらいです、とメイフェアは投げやりに言う。
役に立たん奴らだ、とのヴィンチェンツォの言葉に、メイフェアも頭の中が沸騰しそうになるが、イザベラ様のここでの生活を振り返ってみてはいかがでしょう、とロッカが助け舟を出してくれた。
「そうは言われても、自分は下っ端の雑用係ですし、お忍びに同行するのはいつもサビーネ様でしたから」
そいつは誰だ、とヴィンチェンツォがすかさずロッカにたずねる。ロッカは書類を読み上げるように、よどみなくすらすらと答えた。
「カプラの出身でしたね。ご両親が、コーラーから移住してきた交易商だったはずです。出仕したのは、イザベラ様がお城に上がられた時からで、目元にほくろのある、きつい巻き毛の女性です」
なるほど、とヴィンチェンツォはうなずき、手始めにその女を捜すのが手っ取り早いな、と言った。
「そうだ、衣裳部屋に隠し扉があって、いつもそこからイザベラ様達が消えてました」
と、メイフェアは、唐突に古びた木戸の事を思い出した。
ヴィンチェンツォ達は、顔を見合わせた。
メイフェアはこちらです、と衣裳部屋に彼らを案内し、きらびやかなドレスの影でひっそりと佇んでいる、秘密の扉を指し示した。
「鍵はイザベラ様がお持ちのようです。あの日以来、一度もこの扉が開いた形跡はありません」
ヴィンチェンツォは、扉に耳を当て、向こう側の様子をうかがったが、ねずみ一匹うごめいているような気配も感じられなかった。
「一見、物置のように見せかけて、隠し通路への扉であったか。そういう扉は、あちこちに存在している。子どもの頃にかくれんぼして遊んだだろう」
エドアルドは感心したように、あごに手を当てた。
「陛下が一番、隠れるのがお上手でしたね。迷子になる事もしばしありましたが」
とロッカが、緊張感の欠片もない感想を述べた。
もちろんビアンカもメイフェアも、その扉がどこに続いているのか、確かめた事もないので、結局それ以上の情報を提供できなかったが、ならば開けて調べよう、とこともなげにヴィンチェンツォは言った。
「その扉を使って、部外者が出入りしていた事実はあるか。…あるだろうな、当然。大量の荷物も消えたというからには、女の手で運べる量でもあるまいに」
ヴィンチェンツォに訊ねられ、さあ…どうでしょう、と苦し紛れに答えつつも、メイフェアは何度かイザベラの部屋に、知られざる訪問者が来ていたのは知っている。
今日は遅くまでお休みしたいそうなので、用があればこちらから頼みます、と侍女のサビーネに追い払われた事が数回あった。
庇う義理もなかったが、後々、大問題になりそうで、自分の胸に収めておく事にした。
「いずれにせよ、ビアンカ殿には他の部屋に移っていただくとして、この扉をこのままにしてはおけない。王宮の警備問題にも関わる」
と、厳しい顔つきで、エドアルドはヴィンチェンツォに向き直った。御意、と一言発すると、ヴィンチェンツォは当然のように、ロッカに指示を下す。
「なるべく早く、王都と王宮周辺を結ぶ最新の地下道の地図を作れ。内務省の総務部に、王宮の設計図があるだろう。古いものから、片っ端から借りてこい」
***
それから一週間ほど、いつものようにロッカは徹夜の日々を過ごした。
そして満を持して今日、隠し通路の調査という名目で、ヴィンチェンツォ以下の者たちが、扉の前に集っていたのである。
しかしながら、ロッカはできることなら、このまま調査隊に同行せず、自分は家に帰って眠りたかった。みなは何故か楽しくて仕方が無い、といった顔をしているが、暗くて狭い所も、ロッカはあまり好きではない。
ランベルトに手招きされ、ビアンカとメイフェアは、遠慮がちに彼らに近づいた。
「何か他にご意見などありましたらお聞かせ下さい」
とロッカが神妙な面持ちで二人に言う。
これ以上、自分達が手伝えそうな案件でもなかったので、「ご苦労様でございました。一日も早い解明を待ち望む次第にございます」と答え、寒さで身を寄せ合う雀のように、二人は小さくなっている。
時折まばたきするだけで、彫像のようにかしこまってしまっているビアンカをちらりと見ると、ヴィンチェンツォが意味ありげな笑みを漏らした。
「お引越しなどでお疲れのようではあるが、体調を崩してはおらぬか。私の風邪を移してしまったのではないかと、心配していたのだ」
「お気遣いいただいてありがとうございます。ご覧のとおり、ぴんぴんしております」
またもや、ビアンカが怒気をはらんだ瞳で一瞥すると、ヴィンチェンツォにそっけない返答をする。ビアンカの琥珀色の瞳が、いっそう濃い色合いになったような気がした。
「ならば今日同行していただいてもよろしいかな」
軽い口調で、ヴィンチェンツォが言う。
「何のお話でしょう」
ビアンカは、まさか、と不安げにヴィンチェンツォを見上げた。
「決まっている。俺達と一緒に、地下道探検だ」
メイフェアは、即座に拒否を示した。
「私達では足手まといになりましょう。ご遠慮させていただいたほうが、よろしいかと」
ビアンカはヴィンチェンツォの気が変わるのを待っていたが、いまいち自分達の主張が弱すぎるのはわかっていた。
「女の足で本当に歩ける場所か検証する意味合いもある。どうせ暇なんだろう。たまには運動した方が健康的だ。そのような軽装なら問題あるまい」
イザベラではない、とばれてしまってからビアンカは、今までの派手な装いをやめた。
わざわざこの人の前でおめかしする必要もない、と明らかに手抜きであった。
本当かな、とランベルトは思った。何かとヴィンチェンツォが理由をつけて、ビアンカの所を訪れている。
会えば喧嘩腰な返答しか返ってこないわりには、ヴィンチェンツォは楽しそうだった。
どうしたものかな、とランベルトは考えるが、あまり確信をつくのもどうかと思い、そこには触れないことにした。
「大丈夫だよ、俺もいるし」
「当たり前だ、お前が先頭だからな」
ええっ、とランベルトがひるんだ様に大きな声を上げた。
「最近、風当たりが強いですよね。意外と根に持つタイプだったんだなあ」
「まだまだ貸しだらけだからな、お前にはしっかり働いてもらう」
先日の事件を収める為に、ヴィンチェンツォがそれなりに裏で働いてくれたことには感謝している。
傷害罪で数日の謹慎と少々の減俸で済んだのも、宰相と騎士団長のおかげだった。
「私の監督不行き届きは否めません。私も処罰されてしかるべきかと」
バスカーレは頑なに譲らず、自分も減俸処分を主張した。
司法局は、「身内同士の行き過ぎた諍いということで、書記官殿もあまり事を荒立てたくないと申しておりますしね、その辺で手を打ちましょう」と、ランベルトの逃走事件に関して、早く終わりにしたがっていた。
いくらなんでも、団長にまで責を負わせるのは気が引けます、と真面目に言うランベルトに対して、アンジェラに、可愛いポニーを買ってやるのが少し遅くなるだけだ、とだけバスカーレはランベルトに答えた。
「疲れたら、途中で私がおぶってもよい。一緒に遊びに行こうではないか。滅多に経験できぬ事だぞ」
エドアルドがヴィンチェンツォの言葉を後押しする。この人はどっちの味方なのか、とビアンカは困惑を隠せない。
陛下、遠足ではありませんよ、とロッカが釘を刺す。
「そこまで皆様がおっしゃるなら、ご一緒させていただきます」
ビアンカは諦めて、またしても彼らの意見にのることになった。
いつもこうだ。自分の意見はことごとく却下されて、選択肢などないのだから。




