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漂う白花  作者: 渡部ひのり
第一部 修正版
35/136

32の話~悪の淘汰とは~

 敗北を重ねていた大主教達が籠城する砦に、ビアンカの母もいた。

 プレイサ・レンギア軍が攻め込んできた時、もはやこれまでと命を絶とうとした母の命を救ったのが、父デメトリであった。

 その二人は恋に落ち、母を連れて戦場を離れると、人目を避けるように暮らしていた。そんな中で生まれたのが、ビアンカであったのである。


 どこかで聞いたような話だな、とヴィンチェンツォはつまらなそうに言った。

「聞きたいのは、あなたの認識だ。替え玉とわかっていて出仕したのか」

 ヴィンチェンツォの口調は柔らかだったが、表情は険しい。

 メイフェアが、ビアンカに代わってすぐさま反論する。

「そうではありません。単に、侍女が足りないから王宮に上がらないかとおっしゃられただけです。やっとめぐり合えた肉親に、それなりに報いたいとおっしゃって。それに」

「それに?」

 ヴィンチェンツォがメイフェアの顔をじっと見る。

「…王都なら、ビアンカのお母様の行方を捜すのも容易いだろうと。イザベラ様も協力してくださるとおっしゃって」

「で、あなたがたが王宮に上がってから、ほぼ一年経つが、何か母君の事で進展したのか」

「…いいえ全く」


 メイフェアの声が小さくなった。ヴィンチェンツォは吐き捨てるように言った。

「馬鹿馬鹿しい。口車に乗せられ、あの女の言葉を鵜呑みにするなど、愚か者のする事だ。ただで協力するわけがない。というか、ただ同然でこき使われたようなものだ」

 そうは言われてもイザベラのひととなりなど、田舎暮らしの二人はほとんど知らず、高貴な伯爵令嬢なのだと、メイフェアもビアンカも当初は思っていたのである。

 本物の伯爵令嬢を見た事がなかった二人は、恐れ多いことだと思いながらも、甘い言葉に騙され、二つ返事で出仕した。それから長い時間もかからず、二人はイザベラの本性を知ることになるのだが。


「確かに、私の認識不足でございました。結果、このような悪だくみに加担することになり、申し訳ございません」

 ビアンカは不本意ながらも、ヴィンチェンツォに向かって謝罪した。

「ビアンカは可哀相だよ。洗濯させられたり、ねずみみたいな色の服とか着せられて、あんまり人に顔見せるなとか、明らかに冷遇されてたもんな。あの女は悪魔だよ」

 ランベルトがビアンカを庇うような発言をするが、無言でヴィンチェンツォに睨まれ、押し黙る。

「それでも、信じるしかなかった、と」

 ヴィンチェンツォが、自分の顎に手をかけ、机に肩肘をつく。

「はい」

 消え入るような声で、ビアンカが呟いた。


「イザベラ様がいなくなったのは、いつのことでしょう」

 ロッカが、黙り込んでしまったヴィンチェンツォに代わり、尋問を続ける。

「宰相様の任命式の夜に、おそらく。次の朝には、もう姿はありませんでした」

 女官長が静かに答える。

「あの日から、偽り続けるように進言したのはわたくしです。イザベラ様がお戻りになるまで隠し通せればと、浅はかにも考えてしまいました。彼女達に責任はありません」

 メイフェアが、うるんだ瞳で女官長を見た。ビアンカはうつむき、黙って女官長の発言を聞いている。

「お咎めなら、どうかわたくし一人で。お願い申し上げます」

 女官長は深々と頭を下げた。一同は、重々しい空気に包まれる。

 

 ようやく、ヴィンチェンツォは口を開いた。

「今まで通り、何もなかったことにはできぬ。あれだけの騒ぎを起こしたのだからな。王宮内で捕物など、聞いた事がない。おそらく陛下のお耳にも入っているだろう。その件に関しては、ランベルト、傷害罪で十日程の謹慎、三ヶ月ばかりの月俸引き下げが妥当かな。その辺りは、司法局に任せる。示談にできればよいが、王宮中に知れ渡っている以上は無理だろう」

 えええ、とランベルトは非難の声を上げるが、またもやヴィンチェンツォに睨まれ、たちまち静かになった。

 それから、とヴィンチェンツォは続けた。

「替え玉の件に関してだが」

 ビアンカは相変わらずうつむいたままで、ぴくりとも動かなかった。握り締めた両手を、知らずしらずのうちに、いっそう固くする。

「責任は、イザベラ・マレットにある。戻り次第、追って沙汰するとしよう。当然、ウルバーノも処罰を免れぬな。どこか辺境にでも行ってもらうか」

 最後に、自分に優しい言葉をかけてくれたウルバーノの事を思うと、ビアンカの心は痛んだ。しかし、自分は口を挟める立場にもない。


「以上だ」

「…ヴィンス、今何とおっしゃいました」

 その場の反応は鈍かった。しばらくして、みなに代わって、ロッカが問いただした。

「ビアンカ殿達はどうされるのです」

「何も変わらぬ。今まで通りだ」

 意味がわかりません、とロッカは問いただす。面倒くさそうにヴィンチェンツォが言った。

「イザベラがいないなどと騒ぐのもどうかと思う。ならばこのまま、身代わりとしてお勤めいただければ、丸く収まる。本人が戻り次第、沙汰すると言ったではないか。何もない。後宮は今日も平和だ、ということで」

 

「私に選択肢などない、ということでしょうか」

 ビアンカは改めて、自分の非力さを感じていた。

「ないわけではない、ただそうせざるを得ないのでは」

「お断りしたら」

「私としても不本意ではあるが、牢にぶち込むしかなかろう。イザベラ妃誘拐及び偽称罪で。イザベラ妃は誘拐され行方不明、犯人は捕まり、めでたしめでたしという筋書きもあるが」

 涼しい顔をして、ヴィンチェンツォが酷い事を言う。もちろん本心ではないが、この人こそ悪党、とメイフェアは心底思った。

 

「替え玉とわかったからには、相応の役どころがあるというもの。ただし、こちらもそれなりに貴方に報いる気はある。母君をお探しなら、本気で我々が探し出そう。交換条件だ」

 次々とよくもまあ思いつくものだ、とロッカは少し呆れるが、自分は何も言わず、ビアンカの反応を待っていた。

「少し考えさせていただけませんか」

 ビアンカは、苦し紛れにそう言うのがやっとである。

「そうされるといい。急かすつもりは無い。陛下には、退出の話は保留ということで報告しておく」

 その間、イザベラとして王宮にとどまる時間も長くなる。ヴィンチェンツォにとっては好都合であった。問題は、どのように陛下に納得していただくか、であるが。今更気が変わった、などと言うのもどうかと思うが、そもそも気まぐれなイザベラの発言なのだから、それも有りかもしれぬ、とヴィンチェンツォは安易に結論を出した。


 いずれにせよ、この女に断る事などできるはずもないのだから。



 解散してよし、とヴィンチェンツォは最後に言い、立ち上がった。無力感に襲われ、ビアンカは椅子に座りこんだままであった。

 ヴィンチェンツォは、自分の足をビアンカの前まで進めると、彼女の前で立ち止まる。

「近寄らないでと言ったはずです」

 うつむいたままの格好ではあるが、ビアンカは精一杯、威嚇するように低い声を出した。

 そんな彼女を無視して、ヴィンチェンツォはしれっとした顔で言う。


「その程度でイザベラのふりをしていたのかと思うと、少々呆れる。色仕掛けも上手に真似る事が出来たら、完璧だったかもな」

 重い椅子を払いのけるように、ビアンカが突然立ち上がる。ふいの出来事に、ヴィンチェンツォは、なんだ、という顔をしてビアンカを見下ろした。

 次の瞬間、派手な音を立てて、ヴィンチェンツォの頬を思い切り叩くビアンカの姿があった。まさかのビアンカの反撃に、誰もが目を点にしていた。

「あなたみたいに、不道徳で恥知らずな最低の人間にそんなこと言われたくありません!」


 部屋の中が、水を打ったように静まり返る。

 ヴィンチェンツォの表情は変わることなく、無言でゆっくりとビアンカの肩を掴んだ。ビアンカの肩を掴む手は、小刻みに震えている。二人のやり取りを、死んだ魚のような目で傍観していたロッカが、いけません、とヴィンチェンツォに向かって叫んだ。

 ビアンカは、恐怖で思わず目をつぶった。

 その場に居た者は、ずるり、とヴィンチェンツォの体が、ゆっくりと床に沈んでいくのを目撃した。


「な、何したんだ。オルドの秘術か」

 ランベルトが、怯えたようにビアンカを見た。

「そんなものありません」

 ビアンカも、まさかヴィンチェンツォが倒れるとは思っていなかったので、大いに焦っていた。たかが、か弱い女性の一撃で倒れるほど、ヴィンチェンツォがひ弱なはずはない。

 ロッカと女官長がすばやくヴィンチェンツォの半身を起こし、うめいているヴィンチェンツォの様子を確かめた。


「かなり熱が高いようですが。流行の風邪でしょうか」

 ヴィンチェンツォの額に手をあて、女官長が顔をしかめている。

「このところ、お忙しかったですし、お疲れが一気に噴出したのかもしれませんね」

 ロッカが同情を込めて、ヴィンチェンツォに語りかけた。


 うっすらと目を開け、ヴィンチェンツォはかすれた声を絞り出す。

「貸しひとつだな、ビアンカ・フロース。後に返していただくが」

「いいえ、今ので相殺したはずです」

 冷水を浴びせるように、ビアンカがヴィンチェンツォを見下ろした。怒りに燃えるビアンカの、美しく上気した顔を見ながら、ヴィンチェンツォは自分の体が、どこか深い所に落ちていくような気がした。


 

 

 

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