表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
漂う白花  作者: 渡部ひのり
第一部 修正版
32/136

29の話~急降下~

 次の日、ヴィンチェンツォは丸一日、自室で死んだように眠っていた。自分もバスカーレ達に混ざり、心置きなく酒を飲んでいたので、結局帰宅したのは明け方になってからであった。

 目を開けると、日は反対側に沈みかけていた。飲み過ぎたのか、体が珍しく重かった。夕食の時間なのだろうが、胃が受け付けない。エミーリオを呼んで、水を貰うことにした。

「どうだ、勉強は進んでいるか。今まで慌しくて申し訳なかったな。今日から試験まで、休暇を取ってよい。俺は一人で出仕するから」

 と、ヴィンチェンツォはエミーリオに向かって言った。

「大丈夫でしょうか。…明日の出仕を最後に致します。お気遣いありがとうございます」

 今日からと言ったのに、律儀な子だと思った。軽くエミーリオの頭をぐしゃぐしゃと撫で、「もう少し寝る」とヴィンチェンツォは言った。


 ロッカは、まだスロから戻っていなかったが、明日には戻るだろう、と天井を眺めながらヴィンチェンツォは考えていた。聖誕祭の後でもよい、とヴィンチェンツォは言ったのだが、「自分はあまり賑やかな場は得意ではありませんので、結構です」と、早々にスロへ旅立っていった。

 途中船に乗り換えるから、それほど時間はかからないと思います、とロッカは言っていたが、ロッカは船酔いする体質ではなかっただろうか。十代の頃、海辺で小舟に乗り、みなで釣りをしたことがあったが、普段隙のないロッカが、珍しくうつろな目で横になっていたのを思い出した。


 スロには何があるのだろう。ロッカが、どんな報告を携えて戻ってくるのか、ヴィンチェンツォにもわからなかった。

 昨日の、ビアンカの険しい顔が思い出され、何とも苦々しい気分になった。まるで、自分が小動物を虐めているかのような気もしたが、あくまでイザベラである以上、冷徹に接さねばならない。大方、昨日もビアンカなのであろうが、確信は持てずにいる。ただ、一緒にいても、不快感を感じる事はなかったのは事実であった。



***



 明くる日、ヴィンチェンツォはエドアルドに呼び出され、エドアルドの執務室を訪れていた。まだ重苦しい頭と体を引きずり、執務室に入ると、エドアルドに椅子を勧められた。断る事もなく、ヴィンチェンツォは重い体を椅子に沈めた。

「調子悪そうだな。飲みすぎか、過労か」

 エドアルドは、ヴィンチェンツォとは対照的に、実にすっきりとした顔をしている。のんびり、フィオナと一日過ごしたのだろうか。

「両方ではないでしょうか。私が死んだら、マウロに復帰してもらってください」

 ヴィンチェンツォは痛む頭に手をかけ、投げやりに言った。

「体調の悪いところ、申し訳ないのだが、少し聞いて欲しい事があってだな」

「なんですか」

「イザベラが、里に下がりたいと申し出た。彼女も、依然として病気がちのようであるし、返したらよいのではないかと私は思っている。お前の意見はどうだろうか」


 ヴィンチェンツォはゆっくりと顔を上げると、エドアルドをじっと見つめた。

「そのような話は、いつ」

「昨日、女官長から申し入れがあり、ウルバーノに確認すると同じことを言っていた。書面もある」

 エドアルドは、ウルバーノからの自筆の手紙を宰相に手渡した。手紙には、「なるべく早く静かに王宮を辞したい、と妹は申している」と書かれていた。

「なんでしょう…イザベラ様らしくないというか、殺しても死なないような方が、今更王宮を出たいなどと。後宮に見切りを付けられたのか。マレット伯も同じ意見なのでしょうか」

 静かに、エドアルドは頷いた。

「妹には後宮の水は合わないようだ、と言っていた。妹が出戻りでも構わないとまで言われた。ウルバーノなりに、自分の欲しい地位も手に入れつつあるようだし、そこまで妹の立場に固執していないように思える。逆に、潔いではないか」


 エドアルドにとっては、即答しないヴィンチェンツォがむしろ意外であった。

「お前も同意見なのだと思っていた。重臣と妃の揉め事は私も好かない」

 ヴィンチェンツォは返答に窮し、無言になった。黙り込んでしまったヴィンチェンツォから視線をそらし、エドアルドは穏やかな口調のまま言った。

「それに、私だけ最近蚊帳の外のような気がするが。お前達が、イザベラの事でいろいろ動いているのも知っている。ありがたい事ではあるが、秘密主義は大概にな」

 もう少し、まともに頭が働きさえすれば、いくらでも返事のしようがあったのだが、今日のヴィンチェンツォは馬に乗るのでさえ、いっぱいいっぱいであった。

「申し訳ありませんでした。陛下を不快にさせるつもりはありませんでしたが、配慮が足りなかったようです。…ただ、この件でもう少しお時間をいただけましたら」

 やっと、ヴィンチェンツォは返答した。


「揉め事は好かない、と先程言ったはずだが。静かに去りたいと申しているのだから、そうさせてやって欲しい」

 エドアルドの不興を買うのは本意ではない。だが、確かめなければならない。

 ウルバーノがいなくても、国は回る。無駄に臣下に対して、義理堅くある必要も無い。自分が王なら、誠実でない部下は切り捨てるが、実際のところ、エドアルドの計り知れない苦労を思いやると、そうも言えなかった。

「ご気分を害すると、敢えて承知して申し上げます。私なりに、宰相としての務めもありますゆえ、時と場合によります。ですから、時間をいただきたいのです」

 エドアルドは、不機嫌さを隠さなかったが、「それほどあちらも待てないだろうから、早めにな」とだけ言い、ややあってから、もう下がってよい、と言った。


 エドアルドの執務室を退室すると、ヴィンチェンツォは心に決めた。ロッカを待つ時間もない。早めに、と陛下がおっしゃっているのだから、早めに結果を出すしかない。

 ヴィンチェンツォは執務室に戻り、しばらく考えていたが、「イザベラ様を訪ねる。使いを出せ。すぐに行くと伝えろ」と部下に言った。



***


 すぐって何よ、相変わらず傲慢なんだから、とメイフェアは怒りながら部屋を整えていた。ビアンカも化粧台の前に座り、最近慣れてきたイザベラ仕様の化粧を、急いで施す。

 扉が叩かれ、ビアンカは慌てて寝椅子に座る。化粧は大丈夫だろうか、とさりげなく扇を口元で広げた。

「ようこそおいでくださいました」と、メイフェアは歓迎していない声で言った。ヴィンチェンツォの顔は、固い。じろりとメイフェアを睨み付け、メイフェアはその迫力に泣きそうになる。

「イザベラ様と、話がある。出ていけ」

 珍しく、ヴィンチェンツォの物言いも乱暴であった。メイフェアは、それでも臆せずに言い返した。

「あなたが何をするかわかりませんから、私はここを動きません。私はイザベラ様を守ります」

 ヴィンチェンツォはあからさまに舌打ちし、剣を部下に預けると、無造作に目配せした。書記官達がメイフェアを担ぐようにして退室していく。

「ちょっと何すんのよ、失礼ね。変なところ触らないで!」

 メイフェアの大声が、だんだん遠ざかっていく。


 今までに無く、ヴィンチェンツォは苛立っているようだった。今までだって、ここまで殺伐とした態度を取ることもなかっただろうに、さては、里帰りの件なのだろうか。ヴィンチェンツォも天敵がいなくなって、せいせいするはずだが、そのわりには何故か恐い顔をしている。

 ビアンカは、扇の下で、ごくりと喉を鳴らした。


「座ってもよろしいか。…飲みすぎのせいか、頭が重い」

 ヴィンチェンツォは椅子を一つ引き寄せると、ビアンカの目の前に座る。

「無理にこちらにおいでになる必要もありませんでしたのに、どういったご用件でしょうか」

 ビアンカの、迷惑そうな声が聞こえた。

「貴方が、里に下がりたいと申しているとお聞きした」

 ヴィンチェンツォは、静かに言った。ビアンカは改めて寝椅子にゆったりと座りなおした。

「そのとおりです。あなたも、その方が嬉しいのではありませんか。ご心配せずとも、私も引き際というものをわきまえております」

 けだるそうにビアンカが言う。

「意外な事をおっしゃる。もっと、力を欲していたではありませんか。私なら、あなたの望みをかなえて差し上げられるかもしれない、と言ったら」


 ビアンカは、怪訝そうな顔をして、ヴィンチェンツォの方を向いた。何を言っているのかわからなかった。責められているようでもなかった。

 ヴィンチェンツォは立ち上がると、ビアンカの寝椅子に歩み寄り、彼女の細い手首を掴む。とっさの出来事に、ビアンカは扇を床に取り落とした。

「あなたの、以前の申し出を受けてもよいと言っているのです。私とあなたが組めば、互いに更なる力が手に入る、とおっしゃってくれたのは貴方ではありませんか」

 ヴィンチェンツォの台詞と、ゆっくりと耳元に顔を寄せてくる仕草に、ビアンカは完全に言葉を無くしていた。

  


 

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ