28の話~宴は終わる~
踊る人々を掻き分けるように、ビアンカはヴィンチェンツォから離れようとした。後ろからすべるような動作で、だが力強くビアンカの手をもう一度取ると、ヴィンチェンツォは窓際の空いている椅子にビアンカを座らせた。
「まだ何かありまして?」
ビアンカは、ヴィンチェンツォの目を見ず、窓の外に視線を泳がせる。
「いいえ。ただ、先日は私もなかなか楽しかったですよ。私との約束を守ってくださったようで、少し意外でしたが」
ビアンカは答えず、そのまま窓の外を見るふりをしていた。この男は、常にイザベラを追い落とす機会をうかがっているのだろう。あのように変装して近づくなど、やり方が汚い、と思った。
「わざわざお忙しい中、宰相様にご足労頂いて、申し訳ありませんでした。あなたが望むような結果にならず、残念でしたね。私も、友人達と楽しい時間を過ごしました」
イザベラなのだから、信用されていないのは充分承知していたが、それでもビアンカは、なぜかむっとしていた。この男も、イザベラも、不快だ。
ビアンカは突然立ち上がり、「帰ります」と言った。
この男に会うたび、自分は、違う、私を責めないで、と何度も言いたかった。だが、それもできない。せいぜい、睨み返すくらいのことしか出来ずにいるのも、辛かった。
会うたびに、辛かった。
軽やかな動作で去っていくビアンカの後姿を、ヴィンチェンツォは無言で見送った。
***
部屋に戻るなり、寝椅子に思わず倒れこんでしまうビアンカであった。あの男と対峙するたび、身も心も削られていくのを感じる。
メイフェアが淹れてくれたお茶を飲み、ほうっとため息をついた。
「お疲れのご様子ですね。もう少ししたら、お着替え手伝います」
メイフェアも、早朝から目の回る忙しさであったが、ビアンカが宴に出ている間は、女官達と楽しい食事会もあり、さほど疲れてはいなかった。
王宮騎士団の詰所を訪ねると、ランベルトは警護で詰所を不在にしていたが、基本ビアンカが優先なので、あまり残念とも思っていなかった。
そのとき、軽く扉を叩く音がして、女官長の声がした。寝椅子から身を起こし、ビアンカは乱れた髪を撫で付けた。
女官長の後ろには、ウルバーノ・マレット伯爵がいる。イザベラによく似た、人目を引く美貌を持ち、ヴィンチェンツォとはまた違った鋭い瞳を持っていた。
かなり長いこと、体調不良だと面会を断っていたが、さすがに今日は聖誕祭であり、無下に「兄」の来訪を断るわけにもいかない。
「久しぶりだな。今日は式典にも出席できたようだが、体調はどうだ」
ビアンカは、ウルバーノも苦手であったが、妹を気遣う兄の言葉は、素直に嬉しかった。
「申し訳ありませんでした。久しぶりの宴は、疲れましたが、大丈夫です」
実際、疲労は極限に達していたので、ビアンカの言葉も精彩を欠く。
女官長がメイフェアに手招きすると、メイフェアは不安げに退出する。だが、扉の向こうで待機することに決めた。部屋にはビアンカとウルバーノのみである。
どのみち、ウルバーノには近々会わなくてはいけないと思っていた。今日を逃したら、もっと遅くなってしまう。ビアンカは、ためらいながらも口を開いた。
「兄上もご存知かと思いますが、私、依然として体調がよくなりませんの。里下がりを申し出たいと思っていたのですが、兄上は反対なさるかしら」
ウルバーノは、驚く様子もなく、淡々と言った。
「好きにするといい。陛下も、無理に引き止めるようなこともなさらないだろうし」
意外だった。こうもすんなりとビアンカの提案を受け入れてくれるとは、心境の変化があったのだろうか。
「あらかた、地固めも終わった。この先、方法はいくらでもある」
含みのある言い方に、ビアンカは何を意図するのかわからなかったが、結局のところ、兄の野望に妹が乗ったということなのか。
「あなたにも苦労をかけた。わがままな妹に付き合わせてしまって、申し訳ないと思っている」
ビアンカは驚きを隠せなかった。怜悧な表情は崩れることはなかったが、ウルバーノはその後、無言で頭を下げた。
「ご存知だったのですか」
ビアンカの問いに、ウルバーノはようやく表情を崩し、苦い笑みを浮かべた。
「私にわからないとでも。むしろ気付かない方がおかしいだろう、兄妹なのだから。あなたと妹では、全然違う。様子を見させてもらっていたが、いつ言い出そうかと思っていた」
そうですか、とビアンカはがっかりしていた。あれだけ頑張ったのに、すぐにわかってしまっていたとは。他の人々も気付いていないとよいのだが、と落ち込んでしまう。
「私も、どうすべきか迷いあぐねていたが、返ってあなたが提案してくれたおかげで、次にすべき事も見えてきたようだ。礼を言わねばならんな」
ウルバーノとは、さほど会話をしたことがなかったので、このように踏み込んだ話をするのも予想外であった。
「とりあえず、私の屋敷に滞在されるとよい。今後の事は、ゆっくり考えればいいだろう」
思いがけない労わるような言葉に、ビアンカは驚きつつも、感謝の気持ちで心が満たされていった。これでようやく、解放されるのか。
「ウルバーノ様は、イザベラ様がどちらにいらっしゃるのか、ご存知なのですか」
ビアンカが、一番聞きたかったことだった。
「残念ながら、私も探している最中だ。重ね重ね、申し訳ない」
そうですか、とビアンカは肩を落とした。
大事な聖誕祭に、たった一人の家族とはいえ、兄にも姿を見せないなど、いったいどうしているのだろう、とビアンカは思った。
***
騎士団用の食堂では、国王主催の宴から戻ってきたバスカーレを囲み、遅い乾杯をしようとしていた。
ステラの手伝いをしつつ、お留守番をしていたアンジェラは、「おそーい」と口を尖らせ、机の上で足をぶらぶらさせた。
ヴィンチェンツォから差し入れてもらった葡萄酒もあり、バスカーレはご機嫌だった。既に出来上がっているバスカーレを除いて、みな交代で警護に当たっていたので、騎士達の機嫌は悪い。そのぶん、たくさん飲むぞとランベルトは麦酒の入ったゴブレットを握り締めていた。テーブルには数々の料理が並び、ようやく一同そろって、夕食の時間であった。
バスカーレの乾杯の音頭もそこそこに、騎士達は大騒ぎしている。
お父様は既に酔っ払っているけど、今日はおうちに帰れるのかなあ、とアンジェラは眠い目をこすった。
メイフェアが大量に差し入れてくれた、後宮の総料理長の卵パイをほおばり、ランベルトはすっかりご機嫌だった。
そんな賑やかな面々をゆっくりと見回しつつ、ステラは麦酒の樽の前を陣取っていた。ステラは、早速おかわり、とゴブレットを差し出すバスカーレを見上げた。
「…麦酒は、今年だけですから。いくらでも国産で、安くて美味しい酒はあります。よろしいですね」
「酔いが醒めるではないか、小言は後日聞くから、おかわりをくれないか」
難しい話は苦手である。バスカーレはもう一杯、息もつかずに飲み干し「美味い!」とだけ言った。
慌しかった聖誕祭も、もうすぐ終わろうとしている。だが、ここでは宴はもう少し続きそうであった。




