25の話~疑惑~
店の女中が、ランベルトの所へやってきて、何か耳打ちした。ぎょっとした顔で、二階席の方を見上げた。ステラが、立ち上がり、こちらに向かって手を振っているのが見えた。
ヴィンチェンツォが、嫌がらせで送り込んできたようにしかみえない。
「お知り合い?何処かでお見かけしたような気もするけど…」
「無視するのもまずいな…少し、席を外すけど、本当にすぐ戻ってくるから」
嫌々ながらも、ランベルトは席を立ち、二階へ上がっていく。その後姿を見送りながら、メイフェアは「昔の恋人かしら」と見当違いな事を言った。
「心配なら、覗いてくれば」
とビアンカに言われ、とんでもない、とメイフェアは首を振った。
「私の事なら心配しなくても、二階から見えるだろうし。ここで待っているわ。ご挨拶してきたらどうかしら」
誰から見ても、メイフェアの考えている事は丸わかりであった。
挨拶はしませんけど、ちょこっと見てくるだけです、はしたないですから、と取り繕うように言い、メイフェアもこっそり二階へ上がっていった。
ヴィンチェンツォは、隅の壁にもたれて、その二人の様子を観察していた。赤毛の女官までいなくなった。イザベラ一人でぽつんと座っている。
警戒心の欠片もないのか、紙包みの中から小さな白い髪飾りを取り出し、手にとってぼんやり眺めている。
***
「素敵な髪飾りですね。よかったらお付けしましょうか」
ビアンカはびくりと体を震わせ、いつのまにか音を立てずに近寄ってきていた、異国風の男を見上げた。帽子を目深に被り、顔はよく見えなかったが、ゆるく癖のかかった金の髪でなぞる様に、すっきりとした顎のラインが、美しかった。
「驚かせて申し訳ありません。怪しい者ではないのですが、お一人だったので声をかけてしまいました」
ゆっくりと帽子を取ると、満面の笑みを湛えて、若い男がビアンカに微笑みかける。
甘い声が、ほろ酔い気味の頭に心地よく流れ込んでくる。
「いえ…大丈夫です」
何処かで聞いたような声だったが、気のせいだろうか。
男は、座ってもいいかとも聞かず、不躾にビアンカの隣に座った。
ビアンカは俯いたまま、髪飾りをもてあそんでいる。それを取り上げると、一つにまとめただけのビアンカの髪に、差してくれた。
「よくお似合いです」
「…ありがとうございます」
***
ビアンカの指先を捕らえてすくい上げ、羽を扱うかのように優しく自分の手に乗せると、彼女の伏せた手のひらをゆっくりと指先でなぞった。背中を一瞬震わせ、ビアンカが怯えたようにこちらを見た。
男は満足そうに、にっこりともう一度笑みを見せ、彼女の指先を、自分の大きな手で包み込んだ。
ビアンカの薄い琥珀色の瞳が、一瞬大きく見開かれたが、すぐさま、また目を伏せた。
ヴィンチェンツォは、イザベラの態度に違和感を感じた。
初めの頃は、一度ならずともイザベラから、露骨でしつこいアプローチを受けた事があった。
こちらも露骨に侮蔑を含んだ台詞でお断りしたせいだろうか、あれからイザベラから、必要以上に敵視されるようになったのだ。
仮に彼女の性格が申し分なくとも、輿入れしたばかりの妃に手を出すほど、見境がないわけではない。
たかだか女で身を滅ぼすなど、考えられない事である。
彼が知りうるイザベラという女性は、いつもなら初対面であろうとも、喜んで手当たり次第に捕食するはずなのに、今日はむしろ、迷惑そうにしている。
この前の脅しが相当効いたのか、こちらの意図する事を知ってか知らずか、一向に乗ってくる気配がない。
何より、まるでヴィンチェンツォに気付いていないようである。
調子が狂うな、とヴィンチェンツォは思い、軽薄な男を演じ続けるべきがどうか迷う。赤毛が、こちらの様子に気付いて戻ってくるかもしれなかった。
「あまりお邪魔をしては嫌われそうですので、失礼します、またお会いできるといいですね」
立ち上がって、ようやく手を離すと、男は帽子を被り直し、つばを深く下げた。
メイフェアが柱の影から、そうっと覗くと、奥まったテーブルで「だから今日はサボりじゃなくて護衛だってちゃんと報告してあるし」と情けない声で言い訳しているランベルトがいた。よくよくみれば、副団長様だった。
よかった、と胸をなでおろし、ビアンカの所に戻ろうとした。
ビアンカが、何やら知らない男に話しかけられている、とメイフェアは気付いた。男は席を立ち、こちらに向かってくるようだった。
階段ですれ違うと、メイフェアは男を胡散臭そうに睨みつけた。そんなメイフェアの視線を無視して、異国風の男はそのまま上がっていく。
「大丈夫だった?」
やはり一人にすべきではなかった、とメイフェアは後悔した。が、ビアンカは打たれ強くなってしまったのか、よほどのことでない限り、騒ぐのも大人気ない、と思えるようになっていた。
「ええ、何も。大丈夫よ。でも、そろそろ帰りましょうか」
とだけ言った。
***
「よくばれませんでしたね。…いつもなら、無視するか嫌味しか言わないくせに、わざと接触したりして、あまり刺激しない方がお互いの為なのでは」
ロッカは、呆れたように言った。
「さあな…飲み過ぎたのかもしれん。少しからかってやろうと思って」
馬上で揺られながら、ヴィンチェンツォは投げやりに言った。
「珍しく、しおらしい態度だったな。いつもああなら、可愛げがあるものを」
「…可愛いとおっしゃいましたか」
「恐い声を出すな。…心配するな。そんなんじゃないのは分かっているだろう」
「…あなたは何かおかしいと思いませんでしたか」
馬を止め、ヴィンチェンツォは後ろのロッカを振り返った。ロッカが馬を進め、ヴィンチェンツォの横で歩みを止める。
「イザベラらしくなかったな。毒気が抜けきってしまったのか、別人のように見えた。まるで小動物のように…いつもの猛々しさは何処へ行ったのやら。あれも新しい技だろうか」
しばらくロッカは無言であったが、けげんそうな顔をしているヴィンチェンツォを見て、重い口を開いた。
「もしかしたら、本当にイザベラ様ではないのかもしれません」
ロッカは、かねてより疑問に思っていた。
「何故、そう思った」
ヴィンチェンツォの声は固い。
ロッカは、馬屋でアンジェラの言った言葉を思い出していた。




