24の話~日暮れ時~
「ビアンカ、もういいわよ」
背中を向けたままのビアンカに、メイフェアは声をかけた。が、反応がない。
どうやら本気で買い物をしていたようだった。
意外とたくましい、とメイフェアは思った。
「とても綺麗な貝細工の小物入れを買ったの。そうしたら、髪飾りをおまけしてくれたわ」
アンジェラとさよならできなくて、ビアンカは少しがっかりしていたが、思いがけない戦利品を手にして嬉しそうだった。
***
人ごみを抜け、バスカーレ達は預けておいた馬を引き取りに行く。馬屋の入り口で、ロッカに出会った。彼は、これから馬を預けるところであるらしかった。
アンジェラは、ロッカに会えて興奮を隠せなかった。何故か子供は、ランベルトよりもロッカに懐きやすいらしく、アンジェラも例外ではなかった。
小さな貴婦人の前で、ロッカはひざまずいた。
急いでいるロッカを引きとめ、くまちゃんを見せると、今日の出来事を一生懸命報告する。ロッカも、黙ってそれに付き合ってあげた。
「メイフェアとビアンカとお友達になったの。今度お城に行ったら遊ぼうって約束したの」と、アンジェラは得意げに言った。
「イザベラ様ではなく?」
ロッカは、イザベラのお針子が、ビアンカという名であるのをようやく確認できた。だが、今日外出しているのは、イザベラとメイフェアではなかったのか。
目立たぬように、外では違う名を名乗っているのだろうか、と思い、ロッカは静かにもう一度聴き直す。不思議そうに、アンジェラが首をかしげた。
「侍女のビアンカだよ。おててに怪我をしてた。…黒い髪の」
ロッカは音を立てずに立ち上がった。
「…すみませんが、人を待たせているので、これで失礼します。アンジェラ、今度会ったら、またたくさんお話を聞かせて下さい」
***
折角だから食事をして帰ろう、とランベルトが提案した。美味しくて安い、という食堂へ案内してくれた。
二階建ての大きな食堂は、吹き抜け天井の造りになっており、二階も満席のようであった。
普段から行きつけの店らしく、店の女中が、すぐさま空いているテーブルを探してくれた。いつもの、とランベルトは言い、それから葡萄酒を一瓶頼んだ。
店内は既に酔っている客達で騒々しく、まだ素面の三人は、少し大きめの声で話さなければならなかった。
それも食事や酒が進むにつれ、気にならなくなってきたようで、自分達のペースで寛げるようになっていた。
ランベルトお薦めの鶏の煮込みや、豆のスープが美味しかった。ビアンカは、イザベラになってから、いつのまにか飲めない酒も、多少飲めるようになってしまっていた。
院長様がこの姿を見たら、なんとおっしゃるだろう…と、何やらおかしくなってしまったらしく、一人でクスクス笑っている。
「お酒を最近まで飲んだ事がなかったから、こうしているのがとても不思議なの」
と言い訳する顔は、赤く火照っていた。
「両手に花で、随分早い春が来たようだな」
ヴィンチェンツォが、二階の席から三人の姿を観察しながら、疲労回復用に頼んだ、なつめ酒に口をつけた。落ち着き無い動作で、珍しくドレスを着たステラが隣に座っている。ここからは、一階が綺麗に見渡せた。
もちろん、下からはほとんど上の様子を伺う事が出来ず、ヴィンチェンツォは、自分の手のひらで、ランベルト達を転がしているような気分さえ感じ、心地よかった。
念の為、ヴィンチェンツォは金髪の鬘を被り、知り合いが来てもわからないように変装していたが、周囲を圧倒させるような鋭い眼光は、隠しきれていない。
ヴィンチェンツォは店の者に、もしランベルトが来ることがあったら、ここから見える位置に誘導するようにと幾らか駄賃を渡しておいた。
だが、あまりにもランベルトの行動が安直過ぎて、拍子抜けするほどである。そもそも、ここ以外の店を、ランベルトが知っていないと確信していたからこそ、なのであるが。
早めに昼食を終えて、執務室にヴィンチェンツォが戻ってくると、机の上にランベルトからの置手紙があった。
『イザベラ様が午後より城下でお買い物したいと希望しています。自分が護衛に付くのでご心配なく』
女官長に確認させると、もう既に三人で出発しており、夕食もいらないそうです、と言われ、ヴィンチェンツォは頭にきた。
自分が、不意打ちで出し抜かれた事に腹を立てていたのだが、報復処置を取る事にした。
自ら監視役を買って出た、というか実際は単なる野次馬根性で、ランベルト達の様子を探る為、宰相自らが後を追うことにしたのである。
たまには、自分にも娯楽が必要だ、と思った。
***
店の裏口から入ってきたロッカが、ひっそりと姿を現した。
「今日はあなたにまかせっきりで申し訳ありませんでした」
と、ヴィンチェンツォに謝罪した。
「いいんだ。今日は早い時間から、ゆっくりと飲ませて貰っている。奴等のおかげでな」
椅子に座りながら、ロッカは階下のテーブルに目を走らせた。ランベルトが、女性二人と食事をしているのが見えた。
「何を話している」
一口、自分もなつめ酒に口をつけると、ロッカは三人に再び視線を戻した。
「『もう少し頼もうか』…『私はお茶でよい…歩けなくなったら困る』…『私はデザートが欲しい』…というような感じでしょうか」
ロッカは、三人の唇の動きを追う。
恐ろしく普通な会話だな、とヴィンチェンツォは感想をもらした。
もっと意外だったのが、イザベラが違和感なく、周りに溶け込んでしまっている事であった。あんな、苔みたいな色あいのドレスではあるが、いつもの服装よりしっくりきているのが、不思議である。化粧をほとんどしていないせいか、別人にさえ見える。
「女は化けるんだな…そこは評価して差し上げないと。俺の変装など、まだまだのようだ」
「化粧一つで如何様にもなれますから。私達が思っていた以上に、イザベラ様は変装の達人ですね」
ステラも妙に納得して、頷いている。
ロッカに偵察を続けさせ、ヴィンチェンツォは自分も三人の様子に見入っていた。
「随分と親密そうだな。すっかりあの女に気に入られているようではないか」
「まさかとは思いますが、任務を忘れ、本気でイザベラ様に情が移っていないとも限りません」
ステラは辛辣な言葉を吐く。
「ありえないな。そこまでランベルトも馬鹿ではないと思うが」
「そうでしょうか。普段とのギャップに、ころりと騙されて夢中になるとか、男性ではよくある事なのではないですか。女性は計算高いですからね」
と、自分が女である事を棚に上げて言う。
ヴィンチェンツォは、ステラの含みのある言い方に、一瞬不安になった。
ロッカが、口をはさむ。
「ランベルトでは、イザベラ様の愛人リストに載るには、いささか毛色が変わりすぎています。…彼女の好みが変わったのなら、別ですが」
何より、一介の騎士でしかなく、しかもヴィンチェンツォの信頼が厚いランベルトと深い関係になっても、金銭的及び社会的なメリットがない、とロッカはきっぱりと言った。
「面白いな。…俺は少し、下の女性達と接触してくるから、ランベルトを二人から引き離せ」
ヴィンチェンツォは立ち上がり、器に残った酒を、一気に飲み干した。不安そうな顔で、ステラとロッカがこちらを見ている。
「…ばれても知りませんよ。こんな所で騒ぎを起こされても困るのですが」
「大丈夫だ。何処から見ても、異国の旅人のように見えるだろう」
と、更につばの広い帽子を目深に被る。
そう思っているのは、あなただけじゃ…と言葉を飲む二人であった。




