22の話~恋人~
ロッカは、王宮騎士団の詰所を訪ねた。ステラが、難しい顔をして帳簿の前で腕組みしている。
「邪魔をしてすまない。ランベルトは何処に」
帳簿から顔を上げ、ステラがぶっきらぼうに答えた。
「今日はもう帰った…と思います、というか、恋人の所にでも行っているのではないでしょうか」
「そうか」
ランベルトが、イザベラ付きの女官と頻繁に会っている、という話はロッカも耳にしていた。
自分が忙しすぎて、あまりランベルトと直接顔を合わせていなかったのだが、知らぬ間にあの赤毛の女官との関係も進んでいるようだった。
だが当初、捜査すると言っていた割には、後宮内の情報が一つもランベルトから入ってきていない。
どうやら本気で、愛を育もうとしているのだろうか…。
ステラは、この年末の忙しい時期に、ろくろく仕事もせず、恋にうつつを抜かしているとは情けない、とぶつぶつ言っている。
長居は危険だ、とロッカは思い、早々に執務室に戻ろうとした。
***
「すみませんが、アクイラ様。少々お聞きしたいことがありまして」
ステラは立ち上がり、ロッカを呼び止めた。
返事を待つことなく、帳簿を指し示して言った。
「この、騎士団で振舞う予定の、聖誕祭の麦酒のことなのですが」
ステラは続けた。
「今年に入って、関税を大幅に下げたにもかかわらず、コーラーの輸入品は、大量に出回っている割には、ちっとも安くありません。仕入れ段階で交渉しましたが、それでも高い気が致します。商務省は何をやっているのか」
ステラは舌打ちして、帳簿をばんばんと叩いた。
「どうせ、あのマレット伯爵の手下共が、いい気になっているせいでしょうけども。どこかしら、不法な取引が行われているとの話も聞きます。何より、悪徳な中間業者を野放しではありませんか!我々が求めているのは適正価格です!いったい、何の為の税金引き下げか…」
イザベラの兄であるウルバーノ・マレットは、商務省勤務であり、コーラーとの取引に力を入れていた。
オルド戦役の後、コーラーとも緊張関係が続いていたが、ここ数年になり、ようやく交流が深まりつつあった。
コーラーと、相互に関税引き下げの協定を結ばせたのもウルバーノの功績、であった。その裏では、コーラーの人間と金銭的なやり取りもあったのであろう。
以前コーラー大使であったフォーレ子爵など、やる事をやり終えたら、用は無いとばかりに、さっさと本国に帰ってしまっている。
ロッカは、自分が直接関わっている仕事ではないし、どうする事もできない。
だが、商務省内での汚職の蔓延には、ヴィンチェンツォも苦々しく思っており、近々浄化する必要がある、とロッカに調査を命じていた。
「それも、まだ調査段階なので、今のところ私にはどうする事もできませんが…来年には値下がりするといいですね」
事務的に、ロッカは言った。
「今年は、団長のご希望に沿って麦酒にしましたが、来年は国産の葡萄酒に代えます」
ステラは、きっぱりと断言した。
ロッカは、ステラからの苦情を、一応ヴィンチェンツォに報告しておいた。
「まあ、急ぎではなくともよいから、調査を続けてくれ」
と、ヴィンチェンツォは結果待ちである。正直あまり待ちたくはなかったが、これ以上急かせても仕方が無い。
居ないよりはまし、なランベルトは、何か手伝わせようとしても、最近は私的な事情で忙しいらしい。
まだまだ人手不足だ、とヴィンチェンツォは思った。
***
各方面から、あまり芳しくない評価を受けているランベルトであったが、彼なりに思う所は充分あったのである。
メイフェアに衝撃的な事実を告げられ、踏み込んではいけない領域に、個人的に踏み込んでしまった感はあった。だが、それを抵抗無くいつの間にか受け入れてしまっている自分もいて、実際は相当混乱していたのである。
ヴィンチェンツォに報告もせず、このままでいいはずはないと分かっていた。それでも、自分の胸の内だけに秘めていたのは、何故なのか、ランベルト自身分からなかった。
難しい事は、自分には分からない。だが、メイフェアと、その大切な友人は、知らないうちにすっかりランベルトの生活の一部にさえなってしまっていたのである。
***
「お願い、助けて。このままじゃ、ビアンカが壊れてしまうわ。私はどうしたらいいのか分からないの」
腕の中で、くぐもった声を出すメイフェアがいた。
「ビアンカ?…お友達の事?」
無言でメイフェアは頷いた。
ゆっくりと顔を上げ、正面からランベルトを見据えた。そして悲しそうな顔を伏せると、再び額をランベルトの胸に当ててもたれかかった。
「…彼女は、イザベラ様の代わりなの。もう、王宮にはイザベラ様はいらっしゃらないわ。私達は…どうすればいいの」
その言葉を理解するのに、長くはかからなかった。ランベルトは絶句したままであったが、しばらくして、ゆっくりとメイフェアから体を離し、固い表情で彼女を見下ろした。
「…バーリ様に、言うの。私達の嘘を。その為に、近づいたの。知ってるのよ。本当は、何か探っているのでしょう」
「違うよ」
かすれた声で、ランベルトは言った。
「本当に、違う」
堰を切ったように、再びメイフェアの目に涙が溢れ出た。今度こそランベルトは、全身で閉じ込めるように、メイフェアの小さな体を覆い隠すように腕を彼女の背中に絡めた。
***
「今日は、いつになく顔色もいいし、調子はどうです」
ビアンカに向かって、ランベルトは笑顔をほころばせた。ビアンカははにかんだ様に微かに笑みを返した。
「最近は、痛みも無くなってきたようで、それだけで随分気持ちも楽になりました。騎士団の方などは、もっとすごい怪我をされて当たり前なんですよね。尊敬します」
イザベラによく似た顔で、柔らかな微笑みを返すビアンカは、ランベルトにとって一見に値する物があった。
事件の後のビアンカは、精神状態がかなり危ぶまれたが、最近は落ち着いてきたらしく、ランベルトとも普通に会話できるようになり、自分の考えは間違っていなかった、とメイフェアは安堵した。
ビアンカも衝動的であったが、今思えば、あの時の自分もビアンカ同様に衝動的であった、とメイフェアは思う時もある。
いくらでも、ヴィンチェンツォに報告する機会があったにも関わらず、ランベルトは何も言わず、時間があればこうやってビアンカを気にかけてくれる。
この人の人生を狂わせていないだろうか、と今更ながらメイフェアは本人に問うてみるが、ランベルトは至って普通に、何を気にするのか、と優しく笑って抱きしめてくれる。
今はいい。だがこの先、自分たちの前に、果たして何が待っているのだろう、とメイフェアはおぼろげに想像した。
自分達は、心から笑っているだろうか。
その可能性は未だ、どう客観的に考えても低いような気がした。どうやら、ビアンカの心配性が移ってしまったらしい、とメイフェアはため息をついた。




