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漂う白花  作者: 渡部ひのり
第一部 修正版
23/136

20の話~メイフェアの決意~

 ヴィンチェンツォは、剣を突きつけたまま、無言でビアンカを見下ろしていた。その表情は、いつもにも増して冷え切っていた。

 部屋には、メイフェアの嗚咽する声だけが響いていた。


 漸く、ヴィンチェンツォが低い声を放った。

「あなたがそこまでおっしゃるからには、私も信用しないわけにはいかないようだな。陛下も、無駄な流血は望んではおられぬ。あくまでもあなたに非が無ければ、の話だが」

 ヴィンチェンツォは続けた。

「あなたに、機会を与えよう。だが、次は無い」


 震えて硬直する両手を、それ以上傷つけないように、少しずつ開かせる。ビアンカの目は定まらず、呼吸は乱れきり、ようやく手を離した後も、体を震わせていた。

 ヴィンチェンツォはゆっくりと刃に付着した血を拭い、鞘に収めた。その間も、ビアンカから視線を外す事はなかった。


「止血を。医師を呼んで下さい」

 ロッカはメイフェアに言い、ビアンカの手のひらを、手持ちのスカーフで抑える。メイフェアは涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、転げるように部屋を飛び出していった。

 ヴィンチェンツォは軽く顔をしかめると、ひざまずき、ビアンカのもう一方の手に、自分のスカーフを握らせた。

 

 マルタは、口を挟むことなく、一部始終を見守っていたが、ビアンカの隣に座ると、そっと、ビアンカのがたがたと震える肩を抱いて目を閉じ、一言だけ、二人に言った。

「お引取り下さい」



 二人は立ち上がり、ビアンカから数歩下がった。今度こそ、部屋は沈黙によって支配される。それ以上二人を咎める事もなく、マルタは黙ってビアンカの肩を抱いて、呼吸を整えさせるように、彼女に向かって何事か囁いた。

 ややあって、老人や中年の女官を「早くして!」と叱咤しながら連れて来たメイフェアが、部屋へ駆け込んできた。

 その姿を確認すると、ヴィンチェンツォとロッカは頭を下げ、扉へと向かっていった。

「ご不便ではありましょうが、表に警備兵を立たせます。あなたは依然、監視対象から外れてはおらぬ」


 その言葉に、メイフェアは激高していた。

「帰れ!二度と来るな!」

 宰相に対しての暴言に、その場にいた侍医や女官が凍りついた。

 ヴィンチェンツォは軽く苦笑するが、その言葉を気に留める様子も無く、無言で退室していった。


 

 ビアンカの手の傷を見るなり、老医師は「なんてことだ…」と絶句した。幸い、傷はそれほど深くはなかったが、これはしばらく、相当痛みが続くでしょう、と悲しげに医師は言った。沈静用の液体を、海綿に含ませ、ビアンカの鼻先に持ってくると、ゆっくり呼吸をするように言った。

「少しお休みになられた方がよろしいようです。もうすぐ、眠気がやってくるでしょうから、ご安心下さい」


 

***



「ヴィンス、少しやりすぎではないですか」

 ロッカは、ヴィンチェンツォを非難するつもりはなかったが、女性が刃によって血を流す事には不快感を感じていた。

「やりすぎなのはあの女だ。…あれでは、こちらも剣を収めるしかない。随分と思い切った事をするものだな」

 イザベラの行動は、ヴィンチェンツォにとっても予想外だった。愚かな女の浅知恵だ、と吐き捨てるようにヴィンチェンツォは言った。


 ロッカはふいに立ち止まり、少し何かを考えているようであった。そんなロッカの様子に気付き、ヴィンチェンツォも足を止めて振り返る。

「何かまだあるのか」

「いえ…少しまとまりましたら、改めてご報告させていただきます。ですが今はまだ何とも」

 控えめに言い、ロッカは再び歩き始めた。

 


***


 

 ビアンカが落ち着いて眠りに着くのを見届けると、マルタはメイフェアに向かって「貴方も少し休みなさい。私が側におりますから」

と言った。渋るメイフェアを部屋から退室させ、マルタはビアンカの寝顔を眺めていた。

「似てるけど、似てらっしゃらないわね、やはり」

 いつまで隠し通せるのか、マルタにも正直、分からなかった。極秘に、イザベラの行方を探らせてはいるが、まだ確実な報告を受けるまでには至っていない。

 最初からこの方がお妃であったなら、と想像してしまった自分に、マルタは苦笑せざるを得なかった。



 メイフェアは、珍しくぼんやりとしたまま所在無く歩き、いつの間にか幽霊庭園の辺りまで出てしまっていた。一人の散歩なんて、つまらない。ビアンカが一緒だから、いつだって楽しかったのだ。

 今朝の行動は、ビアンカらしくなかった、とメイフェアは思った。あそこまで激しい彼女を見たのは初めてだったし、ビアンカを失ってしまうのではないか、と初めて恐怖したのも今しがただったのである。


 先程の恐ろしい出来事を思い出すと、自然にまた涙が出てきた。

 よくよく考えてみれば、ああまでなってしまったのは、ビアンカが衝動的な行動を起こしたからであって、ヴィンチェンツォに非はないのだが、今だ彼に対して激しい怒りを覚えた。そして彼に対する暴言を思い出し、やっとそこで、自分が何をしたか実感した。

 そのうち、お咎めがあるかもしれない…。

 メイフェアはその場にへたり込んで一人、ぐずぐずとすすり泣いた。


「…もしかしてメイフェア?どうしたんで…」

 ゆっくりと、メイフェアが顔を上げる。

「よくお会いするわね。お菓子ならないわよ」

 ランベルトが、すっかり化粧の剥げ落ちたメイフェアの顔をみるなり、「おおおお…」と低い声で呟くと、驚いて後ずさった。

「酷い…そんなに驚かなくても…傷つくわ…。でも、もうどうでもいいわ…」

 鼻をすすり、ハンカチーフで鼻をかむ。ランベルトもメイフェアの横に膝を抱えて座った。

「何かあったみたいだね…バタバタしていたし。イザベラ様と何かあったんでしょう」

 静かに頭を横に振り、メイフェアは黙り込んだ。


「今日はお友達は一緒じゃないんだね」

「ええ…ちょっと」

 泣きやんだらしいメイフェアに、ランベルトは優しく声をかけた。

「本当に、何か困った事があったら、いつでも相談に乗るから…と言っても、聞くだけしかできないけどね」

「ありがとう」

「騎士だからね、一応。困ったご婦人は放っておけない」

 メイフェアはくすりと笑った。


「本当に、困った時は、助けて下さる?…無理よね、貴方の立場じゃ」

 ぼそりと、メイフェアは呟いた。

「そんなに深刻な事態なのか?まあ、時と場合によるけど」

 若干焦ったように、ランベルトが言う。

 そうよね、と再びメイフェアは呟き、ゆっくりと枯れ草を払いながら立ち上がった。

「ありがとう、少し落ち着いたみたい」

 ランベルトも、ゆっくりと立ち上がり、メイフェアの泣き笑い顔を見つめていた。


「あなたが笑っていないと、寂しいな」

 ランベルトは、いつもエミーリオにするように、メイフェアの頭をぽんぽんと軽く撫でた。

「大丈夫。ごめんなさいね、こんな所を見られてしまって、ちょっと恥ずかしい」

 ランベルトはにやりと笑った。

「なんか、もういろいろ慣れたみたいです。今更恥ずかしいだなんて」

 ランベルトは軽く深呼吸すると、メイフェアの手を引き、その柔らかい体をそっと抱きしめた。メイフェアは驚いて思わずランベルトにしがみついたが、そのまま、意外と逞しい腕の中に収まっていた。

「…お願い、助けて」

 メイフェアは腕の中で、呟いた。頬を一筋、涙が伝った。





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