18の話~嵐の前は~
まず最初に、マルタはビアンカに、髪をイザベラと同じ色に染め付けるように促した。
不測の事態に備え、万が一かつらが転げ落ちるような事は困る、とマルタは言い、メイフェアは、光に当たってブロンズのように、きらきら光るビアンカの地毛を惜しんだが、当のビアンカは逆に励ましながら、
「あなたがいつも言っているように、物事にはいつか終わりが来るのよ」
と言い、一日かけて黒色に染めきった。
次にマルタは城下にいる、コーラーと取引している王室御用達の商人のアルマンド・カンパネッラを呼びつけた。
「イザベラ様が、コーラー風のお召し物を数着所望しております」
コーラーでの服の色使いは実に多様で派手であり、確かにイザベラ好みと言ってもよかった。
派手でもいいから、せめて趣味の良い物を選びたい…とビアンカは思っていたが、最近流行りの、変わり織りの生地で仕立てたドレスを数点見せてもらい、数着購入する。
「イザベラ様のお買い物ですから、派手にお買い上げ下さいよ」とメイフェアは入れ知恵する。
とは言われていても、いまいちイザベラらしくあるかどうか、核心が持てずにいたビアンカであったが、アルマンドは、知ってか知らずか、実に的確な見立てをして協力してくれた。
「最近は、花や紋章を細かく柄にした生地が流行りだそうですわ。イザベラ様には本当にお似合い!一見控えめですけど、色を選べば、とても豪華で申し分ないわ」
とても似合っているようには思えなかったが、イザベラなら、それでいいのかもしれない、とメイフェアは思った。ついでにメイフェアも、薄紅色の、花柄のドレスを一着注文しておいた。
***
それから数日は、部屋に篭って、さまざまな予備知識を徹底的に叩き込む為に、マルタが付きっきりであった。イザベラが外出や遊興をを控えるなど、ありえない事であったのだが、「稀になく体調不良」とマルタが言い張って事なきを得た。
今までであれば、女官長とイザベラがというより、イザベラが後宮で、誰かと懇意にするような事もなかったので、いったいイザベラ妃に何がおきたのか、と勘繰る者もいたが、マルタの一睨みは、絶大な威力があった。
メイフェアなどは、改めて女官長の力の大きさを実感したものである。
イザベラが失踪して、十日以上経っていた。今までに二、三日戻らぬ時もあったのだが、
このように長く戻らないのはビアンカも初めてであった。自分が予想しているよりも遥かに長く、イザベラは戻ってくるつもりはないのだと、漸く諦めもつくように、というか腹も据わったのはこの時からだろうか。
同時に、だんだんと自分が誰なのか分からなくなる不安に襲われ、ビアンカは夜通し外を眺めて、自分と対話し続ける日々を送った。
***
ある日、ヴィンチェンツォからの私的な書簡を携えて、ロッカがエミーリオを連れ、王宮騎士団の詰所を訪れた。
扉を叩き、返答を待っていると、突如ランベルトが見た事もない形相で飛び出してきた。ロッカやエミーリオには目もくれず、そのまま廊下を走って消えてゆく。
唖然としてエミーリオがランベルトの後姿を見送っていたが、詰所からは「誰かあの人を捕まえてきなさい」と叫ぶステラの声が聞こえた。
あの方が、ランベルト様が以前おっしゃっていた「綺麗な人」だろうか…。
エミーリオはロッカに続き、恐る恐る中に足を踏み入れる。
中には、バスカーレの姿はなく、代わりに、他の騎士や騎士見習い達の前でステラ・クレメンティが仁王立ちする姿が目に入った。
ロッカが軽く咳払いすると、一斉にその場にいた者達の目線が、自分達に集中するのを、エミーリオは感じた。
「これはアクイラ様、ご苦労様でございます」
騎士の一人が口を開いた。
「何やら、取り込み中のようですね。…自分はこれを団長にお届けに参りましたが、団長はどちらに?」
ロッカは騎士団の異常を気に留めるふうもなく、淡々と言った。
「団長も、ランベルトも、逃亡中にございます。見つけ次第、連行して下さいませ」
ステラが騎士を遮るように、ぴしゃりと言った。
「そのおっしゃりようでは、何か問題ごとでもあるようですね…とは言っても、自分には関係ないので出直してきます」
とロッカは言い捨て、そそくさとその場を後にしようとしたが、ステラが素早くロッカの上着の裾を捕らえ、獲物を追い詰める鷹のごとき目でささやきかける。
「…私は、決して間違った事を申しているわけではありません。それをアクイラ様にもお認め願いたいのですが」
かすかに、ロッカの表情に異変が見られたのは気のせいだろうか…とエミーリオは思った。
「私が今まで詰めておりました交易管理局では、相互の国からの、実に多彩な疫病との闘いでございました…悪しき病は、その門で食い止めるを、私達は毎日、何よりの使命に感じておりました」
ステラの目が、異常な輝きを放っているのが、エミーリオにも分かった。
「ある日、日頃出入りしている商人から土産に、ある旅籠名物の鶏の揚げ物を貰ったのですが、それを口にした役人が数時間後に次々と、腹を抱えて汗を流し倒れたのでございます。私も例に漏れず、その揚げ物を口にした為、数時間後には皆と同じ症状で何度も意識を失いかけました」
あまりのステラの物言いに圧倒され、ロッカは何も言えずに頷くだけだった。
「幸い皆、大事には至りませんでしたが、よく聞けば似たような症状で命を落とす者が後を絶たないとか…。私は思います。私の母が常日頃から申しておりましたが、手洗いうがいに清掃を心掛け、清潔を旨とすれば、こういった命にかかわる疫病を沈静化できるのではないかと」
そこでロッカは漸く、ランベルトが逃げた理由が分かった。
「疫病を大陸中に慢性化させない為にも、まず私の出来る事と申せば、王宮の、騎士団詰所の衛生管理にございます。この詰所は、あらゆる疫病を想定させるに充分過ぎるほどの汚さでございました。なので、今後、掃除は当番で…という事を話し合っていたつもりなのですが」
それが果たして、話し合いと言えるような内容であったのか、ロッカに知るよしもなかったが、そういった面倒事をバスカーレやランベルトが好むとは思えなかった。
ロッカは、「ですから」といいながら『当番表』と書かれた木の板に、ステラがバスカーレやランベルトの名を書き込むのをぼんやり眺めていた。




