16の話~事件~
「引き止めてしまって、すみません。…そうだ、お名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「…申し訳ありませんが…」
赤毛の女官とは服装こそ違え、親しいようだし、彼女の立ち居振る舞いは、身分の低い者のようにも見えなかった。だがこの下女は、必要以上によそよそしいような気もした。
何より、年頃も同じくらいのようなのに、自分達に全く興味を示していない。迷惑そうにすらしているのは気のせいか。ロッカが反応していたのは、こういう事なのだろうか。
こんなところをイザベラに見られたら、大変な事になる、とビアンカは気が気ではなかった。挨拶もそこそこに、一つ頭を下げると、逃げるように裏戸の向こうに消えていった。
「お友達は、とても奥ゆかしい方のようですね」
少し、寂しげにランベルトは言った。
「ご気分を害してしまったようなら、申し訳ありません。彼女は、イザベラ様の衣装係でして、忙しいんです」
言い訳がましいな、と思いながらも、メイフェアは取り繕うように言った。
「気にしないで下さい。そうですか、だからあまり姿をお見かけしないんですね。確かに、イザベラ様の衣装係はいろいろ大変そうだ」
「それでは失礼致します。今日は大変楽しゅうございました」
今更そんな口調をしてみても、素はとうにばれてしまっているのだが、メイフェアも先程聞いたことを、部屋に戻って早く書きとめておかないと、一瞬で忘れてしまいそうであったので、自分も中に戻ることにした。そろそろ、イザベラに呼ばれそうな気もする。
「ええ、お知りになりたいことがあれば、なんでも聞いてください。是非お暇な時は、騎士団の詰所を訪ねて下さい。あなた方なら大歓迎です。メイフェアさん」
露骨に驚いた顔をして、メイフェアはランベルトを見上げた。
「すみません、使用人の名簿を見てしまいました。お名前を知りたかったので」
「はあ」
ここで嬉しそうな顔をしてしまうのは、よくない。駆け引きは、まだまだ続けた方がよさそうだ、とメイフェアは思った。
「では失礼します」
と、ランベルトは微笑み、メイフェアの手を、両手で軽く包み込むように握り締めた。
メイフェアもビアンカを追い、裏戸に向かう。彼女の姿が見えなくなるまで、ランベルトは手を振り、見送った。
***
ビアンカは、明け方になったらイザベラの寝室へ来るようにと、メイフェアに告げられた。早朝に外出は珍しいと思ったが、そのままビアンカは自室に引きこもった。
明日は、公式な行事も予定されていなかったので、安心してよさそうだ、とビアンカは思っていた。
王宮では祝い酒が振舞われ、聖誕祭を前に、早くもお祭り騒ぎであった。
時折、風に乗って、遠くから人々のさざめきが聞こえてくるような気がした。
明日に備えて、今日は休もう、とビアンカは布団に包り、丸くなった。
だが、ざわめきが途切れることはなく、ビアンカの眠りはいつもより浅いようであった。
今日はよく知らない人と接触したりしたものだから、余計に頭が冴えてしまっているのかもしれない。
ようやく明け方になってからうとうとしかけた頃、メイフェアに扉をどんどんと乱暴に叩かれ起こされる。
メイフェアは転がるようにビアンカの自室に入ると、まだ半分眠っているビアンカを窓際まで引きずっていった。
「イザベラ様が、いなくなったわ」
ビアンカは、ぼんやりとメイフェアの顔を見た。
自分を待たずに、外出してしまったのだろうか。
「だから、わざと逃げたのよ、荷物をごっそり運び出されていて」
信じられないといった顔で、ビアンカは息を飲み、メイフェアを見つめた。メイフェアは、泣き出さんばかりの声を上げる。
「あとは頼むとお手紙を残されていて…大変な事になったわ!」