15の話~犬と女官~
パネトーネをほおばりながら、エミーリオはロッカの後ろを数歩下がって歩いていた。
後宮側にある、警備兵の詰所前までやって来ると、珍しく騎士団の正装をした、
ランベルトに出会った。
濃紺のダブルブレストのジャケットと象牙色のシャツの間から、光沢のある濃鼠色のスカーフがのぞいている。ランベルトの部下達が、ロッカに向かって敬礼した。
「ランベルト様、とてもお似合いです」
エミーリオが嬉しそうにランベルトに駆け寄った。
「そうだろう。エミーリオもヴィンス様の所にいるより、俺達と毎日楽しく遊ぼうぜ。綺麗な女の人もいるからな!」
と、ランベルトはご機嫌でエミーリオの頭を撫で回すと、ふと二人が手にしているパネトーネを見つけた。
「あの、赤毛の女官にもらった」
何かと問われる前に、ロッカは答えた。
ランベルトは、何故自分だけ仲間はずれなのか、と理不尽な事を半ば本気で言った。
「運がよければ、まだ会えるかもしれないな。秘密基地で、会った」
俺は少し持ち場を離れる、と言い残すと、ランベルトは脱兎のごとく駆け出した。
「おなか、空いてらしたんでしょうか…」
ロッカは何も答えず、再び歩き出す。
「そういえば、秘密基地って何ですか。先程の、あの幽霊庭園の事でしょう」
エミーリオは不思議そうに訊ねた。
百年ほど前に自殺した女官の幽霊が出る、と王宮勤めの者達は聞かされていた。
「子どもの頃、陛下やヴィンス達が、あの庭園で、隠れて基地ごっこをして遊んでいた。俺は、幽霊は一度も見た事ないが、ランベルトは見たと言い張っていたな」
***
ランベルトが死にそうな顔をして、二人の目の前にいる。
「ロッカが、君達がここに居ると教えてくれて…間に合って、よかった」
荒い息を吐きながら、喘ぐ様にランベルトが言った。
そんなランベルトの姿に、若干面食らったように、メイフェアが答えた。
「…ああ、パネトーネの事でしょうか。貰いすぎたので、よろしかったらサンティ様も是非…そのご様子では、飲み物がないと辛いと思いますが…」
ちょっと待って、とランベルトは腰に掛けた皮製の水筒の蓋を開け、勢いよく中身を飲んだ。
「いつもと違って、何もかもが重たいから、走るのも一苦労なんだ…」
蓋を閉じるのも慌しく、早速残りの切れ端を貰って噛り付く。
「…美味い!」
そんな大げさな、とメイフェアは思ったが
「偉い人や後宮の女官達は、こんな美味い物を毎日食ってるのか。騎士団とか近衛用の食堂は、こんな繊細な食い物は出ないんだよ…」
と感動しながら、ランベルトはおかわりを貰っている。
餌付け、とメイフェアは心の中で呟いた。
***
すっかり腹も心も満たされ、ランベルトは上機嫌この上ない。満足げに、先程までビアンカが腰掛けていた、石造りの椅子に女性二人を座らせると、ランベルトは二人と向かい合い、石畳の上に直に座り込む。
「こんな所で、会えるとは思ってなかったから、今日は本当によかった」
メイフェアには、自ら獲物が罠の中に飛び込んできたように思えた。パネトーネの件は、全くの偶然であったが。
「…申し訳ありませんが、差し支えなければ、所属をお聞かせいただけますでしょうか。宰相府の方ではないようにお見受け致しますが」
イザベラの侍女っぽく、少し高飛車な調子で訊ねてみる。
「失礼しました。俺は王宮騎士団のランベルト・サンティです。この前まではヴィンス様に駆り出されてたんだけど、騎士団に戻ったばかりなんです」
気を悪くした様子も無く、嬉しそうにランベルトが答えた。
「先程お会いした大きい方は」
メイフェアは、真意を悟られないように、そのまま尋問を続けた。
「えーと、あいつはヴィンス様の秘書官の、ロッカ・アクイラ。さっきの小さいのがヴィンス様の小姓のエミーリオです」
メイフェアは、まあ、そうですの、と適当に相槌を打つ。
「すみません、私、そろそろ戻らないと…お先に失礼いたします」
ビアンカは部屋に帰りたかった。根掘り葉掘りメイフェアが聞いているが、何処の誰だろうが正直どうでもよかった。…基本、自分とは接点のない人々のはずなのだから。
確かに、こうも度々宴などに出席させられては、多少の情報を仕入れておかないとまずいのだが、痛い目を見ているせいかビアンカは、今後人前に出るのはお断りさせてもらうことにしよう、と珍しく決心していたのである。