14の話~女王~
式が滞りなく終わり、ヴィンチェンツォ以下、副宰相と書記官達は、お妃達のもとへ挨拶に訪れる予定になっていた。嫌な事は先に終わらせたい、とまずはイザベラのもとへ向かう。
女官達は、正装したヴィンチェンツォの美しい姿を一目見ようと、用もないのにうろうろし、女官長のマルタから「見世物ではありません」と叱責されていた。
濃紺の外套は、肩から胸の辺りまで、豪華な金の刺繍が施されていた。裾裁きも美しく、流れるような足取りでヴィンチェンツォは歩いてゆく。もっとも、実用性に欠け、滅多に着用するものではなかったので、さっさと挨拶をすませて、この華美なだけの縛めを早く解き放ちたかった。
イザベラの部屋に案内され、足を一歩踏み入れた途端、ヴィンチェンツォはわずかに顔をしかめた。が、美しい笑みを浮かべて下を向き、妃に対して片膝をつく。
イザベラ愛用の、異国の香水の香りが、ヴィンチェンツォの鼻をつく。官能的、と形容される種類のもので女性に人気らしかったが、ヴィンチェンツォは、この香りが大嫌いだった。
彼女に対して、性格以前に、生理的に嫌悪感を覚えるのは、このせいかもしれない。女王蜂め、とヴィンチェンツォは心の中で毒づいた。
「この度の宰相任命、誠におめでたい事でございますわね。私たちも我が事のように喜んでおりますのよ」
イザベラは、もったいぶった口調で、心にもないことをさらりと言ってのける。
「恐縮にございます」
ヴィンチェンツォは短く言うと、わずかに顔を上げた。
いつもであれば、嫌味の一つでも口走ってしまうのだが、今日は他の者達の手前もあり、ヴィンチェンツォは休戦状態を貫くことにした。
天敵のヴィンチェンツォを目の前にしながら、イザベラも何故か今日は機嫌がよ過ぎるように見えた。少し気味が悪い。
「これからも、どうぞ陛下や私達のお力になってくださいませね」
そのわざとらしい甘い声も、鼻につく。
「承知いたしました。今後とも、陛下の御為に微力を尽くす所存にございます」
深々と頭を下げ、ヴィンチェンツォ達はイザベラの部屋を後にした。
蜂だか蟻だか知らないが、巣ごと駆除するのは時間の問題だ。
いずれ、その時が来る。それまで、せいぜいお好きに振舞うがよい、とヴィンチェンツォは心の中で呟いた。
その後ヴィンチェンツォは、カタリナの部屋を訪れた。都合のよい事に、フィオナも同席していた。これで少し早く終われる、とヴィンチェンツォは思った。
恥かしがり屋のカタリナは、控えめに祝いの言葉を述べてくれた。
十五歳であるカタリナは、少しずつではあるが、大人の女性らしき雰囲気を漂わせるようになってはいるが、いかんせん、国一番の世間知らずである。実際の年齢よりも幼いようにさえ感じた。
エドアルドはまた従姉妹であるカタリナを可愛がっていたが、どちらかというと父か、年の離れた兄のように接している。もう少し大人になるまで待っているのか、とヴィンチェンツォは思ったが、どうやらそうでもないらしい事が、最近わかってきた。
王族出身とはいえ、カタリナの生家は決して豊かではなかった。早くに父を亡くし、気位が高いだけの元王族の母親のせいで、家はますます傾いた。彼女の実家を救済する意味で、カタリナを後宮に上げたのだと、ヴィンチェンツォは後から知った。
お妃一人でも、金がかかるというのに、どうしてこの人は不要な「妻」を何人も抱えてしまうのか…とヴィンチェンツォは不満だった。
あれは私とフィオナが、大事に育てている宝物で、いずれはよい人がいたら嫁がせるつもりでいる、と信じられない事を打ち明けられた。
それなら最初から、養女にしておけばよかったものの、うるさい小バエがたかるのを嫌い、妃としてそばに置いていたらしかった。
ある日、いずれカタリナを嫁にどうか、と酔った勢いでエドアルドに言われ、ヴィンチェンツォは更に驚いた。
「今は遊んでいてもよい。だが嫁にもらったらそうはいかないが」と、返答次第によっては殺されそうな雰囲気だったので、ヴィンチェンツォは首を縦にも横にも振れず、「恐れ多いことです」としか言えなかった。
恥かしそうにもじもじしているカタリナを、慈母のような眼差しでフィオナが見つめている。忙しさゆえに、フィオナに会うのは久しぶりだったが、昔から変わらぬ優しい笑顔に、ヴィンチェンツォは心癒されるのを感じた。
「お忙しいとは思いますけれど、無理をしてはいけませんよ。貴方が倒れてしまったら、オルド・レンギア自体が麻痺してしまいますからね」
「その時は、クロトーネ閣下をお呼びして下さい。どうせ毎日遊んで暮らしていらっしゃるんですから」
と、すねた口調でヴィンチェンツォは言う。
「今は、単なる引越し作業で多忙なだけです。何かあれば、というより何もなくても、遠慮せずにお申し付け下さい」
十年前、フィオナが妃に上がると聞いてから、まだ少年であったヴィンチェンツォは、心に決めた。エドアルドと、エドアルドが選んだ真の妃の為に、自分はあるのだと。
お互い初恋を実らせ、めでたしめでたしに見えたが、数年が経ち、一向に世継ぎに恵まれず、フィオナは肩身のせまい思いをしていた。フィオナの父であるバルバドス公爵が亡くなると、フィオナに対して、重臣の風当たりはいっそう強くなった。
生真面目な性格であるエドアルドは、他の女官に手を出すこともないが、いずれは新しい妃がまた増えるのだろうな、とヴィンチェンツォは思っていた。その為にも、イザベラのような明らかに不要なお妃など、とっとと追い出したい。
そうするには、イザベラの兄であるウルバーノの力を削ぐ必要があった。商務省内で着実に発言力を強めていくウルバーノはやり手で、かなり実績を上げてはいたものの、影では黒い噂も付きまとう。
背任行為の数々を調べ上げ、いつでも失脚させられる用意をしておかねばならない。だが、ヴィンチェンツォは、思うように成果が上がらないことに苛立ちを感じていた。
何か手立てはないものか、と新しい宰相はこの状況を有利にすべく、糸口を探していた。