表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
漂う白花  作者: 渡部ひのり
第一部 修正版
16/136

13の話~失われたもの~

「汝、ヴィンチェンツォ・バーリを王国宰相に任ずる」

「…つつしんで拝命いたします」

 ヴィンチェンツォは、国王が何か言いたげな顔をしているのが分かった。心なしか、笑っているようにすら見える。意外と情報通なエドアルドのことだ、きっと事の顛末を知っているのだろう。

 無表情のまま、ヴィンチェンツォは辞令をうやうやしく受け取った。



***



 石鹸草の葉は、籠いっぱいになりつつあった。手に取った野草の香りを楽しみながら、メイフェアが世間話を続けた。

「新しい宰相様が、お妃様達の所に、ご挨拶にいらっしゃるのよね。…まだ大丈夫だと思うけど、ビアンカは一応部屋にいた方がいいかもしれないわね」

「そうね」

「そうだわ!」と、突然思い出してメイフェアは立ち上がった。

「料理長が、今日の晩餐会用にくるみと葡萄のパネトーネをたくさん焼くから、少し分けてくれるって言ってたのよ。焼きたて貰ってくる」

 ビアンカは嬉しそうに微笑み、「早く帰ってきてね」と手を振った。

「すぐ戻るから」

 手を振り返すメイフェアの声が遠ざかってゆく。


 

 もうほとんど草は刈り終わっていた。ビアンカは後片付けを終わらせて、メイフェアを待つ事にした。

 今日も晴天であった。風がほとんど吹かないせいか、あまり寒さは感じなかったが、ビアンカは、肩にかけたショールを胸元に引き寄せた。

 確かに、今日はなにかと皆が忙しそうにしているが、この庭園では、穏やかな時間がながれていた。

 苔むした石造りの椅子らしきものに腰掛けると、ビアンカは一休みすることにした。手持ち無沙汰になってしまい、ちょっと考えてから、ビアンカはそっと歌を口ずさみ始めた。昔、花を摘みながら母が口ずさんでいた歌だった。

 最近はあまり歌う事もなくなったせいか、ところどころ、詩は曖昧になっていた。



  その名は聖なるや天の神

  

  清き翼をもって


  我らに慈悲と栄光を…


  清き翼をもって…



「忘れてしまったわ」

 寂しそうに、ビアンカは呟いた。 


 カサリ、と枯れ草を踏む音がしたのに気づき、思わずびくりと肩を震わせ、ビアンカは振り返った。

 ロッカ・アクイラが、黒髪の少年をつれていた。黒つるばみのような艶やかな髪と、大きな瞳が印象的な少年である。依然と変わらず、ロッカの眼差しには、居心地の悪さを感じた。ガラス玉のような目で、こちらを見ている。

 

「その歌は。とても珍しい、不思議な響きです」

「母に…」

「そうですか。とても綺麗な歌ですね」

 と、少年の方を見やった。ええ、と少年は、はにかんだようにロッカに微笑み返す。

「もう手の怪我は治りましたか」

 唐突に、ロッカが話題を変える。ぎくりとして、ビアンカは下を向き、「はい、おかげさまで」とだけ答えた。

「そうですか。それはよかった」

 よかったと言っているようには聞こえない口調ではあるが、悪意はなさそうだった。自分が思っているよりも、この人は優しい人なのかもしれない。と、ビアンカは思った。



「今日のパネトーネも絶品よ。たくさん貰ったわ!」

 もぐもぐとパネトーネの切れ端をかじりながら、上機嫌でメイフェアがやってきた。が、ロッカの姿を見るや否や、たちまち借りてきた猫のように縮こまった。なんでまたこの人がいるのだろう…。


「あの、よろしかったら、おひとついかがです?そちらの方も。すごくおいしいですよ」

 と、ぎこちない笑顔を作りながら、メイフェアはナプキンに包まれたパネトーネを差し出す。

「ありがとうございます」

 と抑揚のない声で礼を言うと、ロッカは二切れ受け取り、一つをエミーリオに渡す。エミーリオも、戸惑いながらではあったが「ありがとうございます」と少年らしいはきはきした声で礼を述べた。



「それでは、お邪魔して申し訳ありませんでした」

 とパネトーネ片手に歩き出す。少年は、ビアンカに向かって、まだ幼さの残る仕草で頭を下げ、ロッカの長身を追う。でも少し変わった人だ、と思いながら、ビアンカはロッカの後姿を見送った。

 

 

「あの人とお知り合いなんですか?」

 エミーリオは、不思議そうにロッカに話しかけた。ああ、と軽く呟き、その後は無言である。あまり余計な詮索はしない方がいいような気がした。ロッカ様のお考えになる事は、僕などにはとても計り知れないような事ばかりなのだから…。


 なぜだろう。いつもであれば、何のためらいもなく、聞けた事なのに、またもや名を聞くのを忘れてしまった。というより、聞き出せなかった。野に咲く小さな花のような娘に、一瞬だけ圧倒されるような感覚を覚えたのだ。

 きっと、歌のせいだな、とロッカは思った。

 古オルド語の、今は失われた言葉の歌であったから。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ