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漂う白花  作者: 渡部ひのり
第五部
132/136

129の話~初夏の通り道~

 王宮中の花という花が至る所で、美しさを競うかのように咲き乱れている。

 花の種類に無頓着なメイフェアでも、この季節は心躍るものがあった。

「なんと申しましても、今日一番の花は、花嫁さんですわね。いつものステラ様とはまた違った美しさで。明るいお日様の下で拝見しますと、本当にきれいなお衣装」

「王都一のお針子の仕事ですもの」

 アデルの誇らしげな声に、瑠璃が何度もうなずいていた。


 ありがとうございます、と微笑むビアンカは、肩を震わせて泣いているバスカーレを見つめ、あんな大きな男の人も泣くのね、と素朴に感心していた。 

 そして少し離れた所に座って話し込んでいるエドアルドとヴィンチェンツォの姿を見つけ、小さくため息をついた。

「元気ないね。働きすぎじゃないの」

 気遣うロメオに向かって、ビアンカは曖昧に微笑んだ。

「いえ、働いている方が、楽なんです。暇が一番嫌いです」


 今日の婚礼式を取り仕切っていたのは母のソフィアであった。

 意味のわからない長い詠唱らしきものが続き、ランベルトには相変わらず理解不能で睡魔との闘いであったが、ソフィアと共に詩篇を歌い出すビアンカや花嫁達の声に、自然と癒されていくのであった。

 歌いながら涙を流すステラの姿にもらい泣きをするバスカーレを、ぎょっとしたようにアンジェラが見上げていた。


 式が終わった後も、一向に泣き止む気配のない新郎新婦である。

 お化粧が半分ない、とアンジェラに心配されているステラであった。

 見かねた瑠璃がぐずぐずと泣くステラの手を引き、奥の間へと消えていった。


 こんなに気分の良い日は、いつが最後だったかしら、と雲ひとつない青空を見上げ、早速メイフェアは最初の一杯を一息にあおる。

 礼拝所の外には宴の席が設けられ、ヴィンチェンツォの父から差し入れられた酒樽がいくつも並んでいた。

 外で飲む酒はまた格別だ、とランベルトは爽やかな風に吹かれながら上機嫌で、「酒の時間ですよ」とバスカーレに特大の器を握らせ、自分も麦酒をあっという間に飲み干した。


「フィオナ様達のお式も、さぞかし盛大だったのでしょうねえ。ここではなくて、正教会の大聖堂だったんですか?」

「あら、私達に婚礼の儀はないのよ。だって私、奥さんじゃないもの」

 エミーリオが席の間を縫うように歩き回り、参列者達に酒を注いで回っていた。

 二杯目の酒が自分の器いっぱいに注がれ、メイフェアは満面の笑顔であったが、思わぬフィオナの発言に、その手が止まる。


「表向きは女官の一人ですから、私も。プレイシアの王の妻は、本人達の死後に決まるのよ」

 あらおいしい、とフィオナも自分の器に口をつけながら、他人事のように言う。 

「とんだ勉強不足で…ご無礼をお許しください」

 ぶるぶると震えるメイフェアの手元を見つめ、ロメオは「こぼれるよ、もったいないから早く飲みなよ」とせわしげに声をかけた。

 

「やろうか」

 いつの間にか自分の隣に立っているエドアルドを見上げ、フィオナは「何をです?」と思わず聞き返す。

「私達の婚礼の儀を、ここで。フィオナはどう思う」

 フィオナは大きく目を見開き、しばらく無言であった。

「前例がありません」

「それだけ?」

 エドアルドが楽しそうに困り顔のフィオナを見つめていた。


 黙って鼻をすすりあげているフィオナの肩を抱き、エドアルドはソフィア達を振り返った。

「日取りが決まり次第、巫女様方にも予定を空けてもらおうかな」

 お任せください、とソフィアがビアンカそっくりの笑顔を浮かべていた。

「いいのかなあ、正教会の偉い人達が黙ってないと思うけど」

 そう呟きながらも、ロメオもどこか嬉しそうであった。


「私も!私もやりたい!役場で署名しただけだもの。ここでやりたいわ、駄目ですか。ビアンカも、お願い」 

 はしゃぐメイフェアに向かって、声がでかいよ、とロメオが思わず自分の耳を塞ぐ。

 ビアンカの返事を待たず、すかさずエドアルドが横から口を挟んだ。

「いいけど、使用料取るよ」

「酷い!ただでいいじゃん!」

「その前に、借金を返済するのが先だと思うが。まさか、晴れ舞台の費用まで奥方に全額負担させる気か」

 ロッカの冷静な声に、思わず凍りつくランベルトであった。


「商売の匂いがするわね。仲介業者が必要でしょ。どうでしょう、陛下」

 アデルから器を受け取ると酒の味を確かめつつ、これも売れる、と力強く呟くアルマンドである。

「適正価格で頼む」

「承知致しました」

 ヴィンスのサポートで、この商人もモルヴァに行くって聞いたけど、いったい奴は何をしにいくのか。

 アルマンドって何が本業なんだろう、とロメオは思わず首をかしげていた。

 


 賑やかな人々から離れ、ヴィンチェンツォは中央の庭園で、またもやぼんやりとしていた。

 むせ返るような薔薇の香りに包まれ、うっとおしいくらいに咲いているな、と派手な色合いの花々を眺めていた。

 やはりここは落ち着かない、心を静めたいのであれば北の庭園まで行けばよかったな、と王宮の向こう側にある自分の秘密基地を思い出す。


 こつり、と石畳の上で小さな足音が響き、ヴィンチェンツォは緊張した面持ちでこちらを見ているビアンカを見つけ、取りあえずうなずいたものの、その仕草はどことなくぎこちない。

「迷子か」

 宰相閣下の濃紺の正装姿が、威圧感を増してビアンカを圧倒する。

 この方にはいつも圧倒されるばかり、とビアンカはうろたえながら慌てて首を横に振る。


「違います。あなたを探して、参りました」

 思わず耳を疑う言葉だった。今の彼女が、俺に何の用があるのだろうか。

 ごくりと喉を鳴らすとビアンカを見つめ、ヴィンチェンツォは次の言葉を待っていた。

 うつむき加減のビアンカの口から発せられたのは、「明日、お発ちになるとか。ご挨拶を…」という、どこまでも社交辞令的なものであった。


 自分は何を期待していたのだろう、と自嘲的な笑みが口の端からこぼれ、ヴィンチェンツォは気まずさを隠すように下を向いてしまった。

「ああ」

 どこへ、とは聞かれなかったし、ヴィンチェンツォも敢えて話すつもりもなかった。


「私のせいですか」

 固い表情で自分を見上げているビアンカが、泣き出しそうに見えるのは気のせいだろうか。

「陛下が、あなたは邪魔だから遠くに追い払う、だからもう心配しなくていいって」

 なにげなくかき上げた髪が短くなっていることにまだ慣れていないのか、ヴィンチェンツォは落ち着かない様子で頭をかき回す。

「冗談に決まってるだろう。あなたもまさか本気にしていたのではあるまいな」

 ビアンカは勢いよく頭を下げ、驚くほど大きな声で言った。

「ごめんなさい!ごめんなさい…」

「だから冗談だと。あの人はいつも、たちの悪いことしか言わない。本当に、仕事だから」


 恐る恐る顔をあげたビアンカであったが、こちらを向く様子はなく、目の前の赤い薔薇に視線を注いでいた。

「父にも、怒られました。好きにしてみたらいいと言われて好きにしてみたら、いろんな方々に迷惑をかけていたようです。…あなたにも。ごめんなさい」

 ビアンカが拍子抜けするほど素直なのは、顔を合わせるのも今日で最後だからなのだろうか。

 いがみ合ったまま別れるよりは、と彼女なりに考えてくれていたのかもしれない、と思うと先ほどまでうっとおしかった大輪の花々も、純粋に美しいもののように感じられてくる。


「私に謝る為に、ここまで?」

 こくりとうなずき、ビアンカは真っ直ぐに自分を見ていた。

「まさか、もう酔っているのか」

「違います!お酒はこれからいただくんです」

 飲みすぎないように、と笑っているヴィンチェンツォに懐かしさを感じ、ビアンカは反論の言葉を飲み込むと、その顔を不思議そうに眺めていた。


 思えば私は、過去のこの人のことを、何も知らない。

「ここで、前にもあなたとお話したことがありますか」

「あると思う」

 あると思う、という程度の関係では、私が覚えていることも少なくて当然なのかもしれないけれど。

 

「他には」

「何か気になることでも?」

「いえ、あの」

 何が気になるというわけではないけど、どうしてだろう。

 この人の後ろに、私は誰か違う人を見ている。

 けれどもそれが誰なのか、思い出すにはほど遠かった。


 突然茂みががさごそと動き、小さな隙間から精悍な顔つきをした猫がひょっこりと顔を出す。

 その後に続き、一回りほど小さな白猫が顔をのぞかせていた。

「いらっしゃい、こっちに」

 ビアンカは満面の笑顔を見せると猫の前でしゃがみ込み、片手をそっと差し出す。

 だが猫は少しだけビアンカを見つめた後くるりと向きを変え、白猫と寄り添うように違う方向へと去っていった。

「やっぱり、駄目ね。何度か手なづけようとしたのですけど。全然近寄ってこないの」

 寂しそうに猫達を見送り、ビアンカはそっと立ち上がった。  


「あの子は、私の猫だったそうですね」

「気持ち悪いくらいあなたにまとわりついていた。それが今では、すっかり大人になって。可愛い恋人までいる」

 猫によって刻まれた傷跡は、まだいくつかヴィンチェンツォの腕や手の甲に残っていた。

 そういや踵をかじられたこともあった、と一年程前の出来事を思い出し、ヴィンチェンツォは「時の流れは早いものだ」と独り言のように言った。


「…私が変わってしまったからですか」

 猫のいなくなった石畳を見つめ、ビアンカはぽつりと呟いた。

「違う。あなたじゃなく、猫の方が変わったんだ。だから気に病む必要はない」

 こんなに暖かいお声だったかしら、とビアンカは不思議そうにヴィンチェンツォを見つめ、いつになく柔らかい表情からしばらく目を離せずにいた。


「皆が心配する。礼拝所までの戻り方はおわかりか」

 ビアンカの珍獣を見るような視線が居心地悪い、とヴィンチェンツォは思っていた。

 はい、とビアンカが答えると、ヴィンチェンツォは栗色の髪をぽんぽんと撫で、「送らないが、気をつけて戻りなさい」と言った。


 自分の頭に置かれた手のひらが、大きくて暖かい。

 お父様みたいに、私を最後まで子ども扱いする。

 でも最後だから文句を言っては台無し、閣下のお気遣いに感謝しなくては、とビアンカは思い直し、小さな声で「閣下は」と尋ねた。

「私は、そろそろお暇する。まだ荷造りが終わっていない」


 込み上げてくるものを抑え、ヴィンチェンツォは敢えて厳しい顔つきで静かに言った。

「ご自分を一番大事に。一人で抱え込んで突っ走らないように。胡散臭い人間に気をつけること。それから…」

 自分の頭の上に乗せられた手には、目に見えない力が込められているようで、ビアンカは気恥ずかしさから思わず宰相閣下を睨んでいた。

「私は、昔からそんなに手のかかる人間でしたか」

 ふてくされたように言い返すビアンカを見るのも、今日で最後だ。 

  

 もういいんだ。

 最後だから、全部忘れよう。

 あなたが忘れたままなら、自分も忘れてしまっていいだろうか。


「うん」

 言い終えてから、ヴィンチェンツォは自分で自分を不安にさせている気がする、と思い、ゆっくりと手を下ろしながら「送った方がよいかな」とビアンカの琥珀色の瞳をのぞき込んだ。

「大丈夫です。今はアデル様に護身術を習っているんですよ」

「そうか、でも過信は禁物だ」

 またもや説教くさくなった、と気まずそうな顔になるヴィンチェンツォに、ビアンカは精一杯の感謝を込めて頭を下げた。

「お元気で」



 押すなよ、痛いよ、と騒がしい茂みの一点を、諦めたように観察しているヴィンチェンツォであった。

「大勢で盗み聞きですか」

「いやあ、どうするのかなと思って。で、どうした」

 茂みの向こう側から、よく通る声が響いてきた。

 それまで藪の中で固唾を飲んで見守っていた人々が次々に顔を出し、「苦しかったー」と魚のように口をぱくぱくさせ、何度も深呼吸を繰り返している。

「どうもしませんよ、聞いてたんでしょう」

 投げやりな口調になるヴィンチェンツォを、半ば呆れ顔で見つめている面々であった。

 

「折角お膳立てしてやったのに」

 ひょっこりと茂みから顔を覗かせているエドアルドが、意地悪そうに笑っている。

「美しい花に囲まれて雰囲気満点なのに、どうして最後はただの説教おじさんになってるんだろうね」

 同年のロメオに言われたくない、とヴィンチェンツォは不機嫌に言い返す。

「おじさんて言うな」

 

「どっちかっていうと、お父さんみたいだった」

 ランベルトに同意し、メイフェアがしたり顔でうなずいている。

「そうね、お父様がビアンカにお説教する時って、あんな感じよね」

「もうやめてくれ」


 甲斐性なしは放っておいて飲み直しましょう、とクライシュが引率の教師のようにランベルト達を連れて礼拝所へと戻っていった。

 庭園に残ったのはエドアルドとヴィンチェンツォだけだった。

 二人はそれぞれに違う方向を向き、それぞれに違う色の花を眺めていた。

 時折優しい風が吹き、花の香りが二人に向かって吹き付けられていた。

 私も飲みなおすかな、と上機嫌で呟くエドアルドの背中に、ヴィンチェンツォは穏やかな声を投げかけた。

「彼女をよろしく」


「最後のチャンスをくれてやったのに」

 そう言いながらも、エドアルドの声はどこまでも楽しげであった。

「彼女は、あのような生き方しかできないんです。でも、逆に安心しました」

 ビアンカらしさを損なわず、どうかそのままでいて欲しい。

 願わなくとも、彼女が彼女でなくなることは、永遠にありえないのだろうと思う。

 何を忘れても、自分自身の生き方を忘れずにいたのだから。 


「ですが、お願いがあります。彼女の力を利用し、間違った方向に導く者から守ってやってください。彼女は、真っ直ぐすぎるから」

 そのような心配は杞憂だとわかってはいたものの、自分も最後まで未練がましいと思わずにはいられないヴィンチェンツォだった。

「そうだな」

「もしもそのようなことがあれば今度こそ俺は、ならず者を引き連れてビアンカをさらいに来ますよ」




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