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漂う白花  作者: 渡部ひのり
第五部
130/136

127の話~いつかの二人~

 父親から誕生祝いに自分と同じような栗毛の馬を送られ、ビアンカは嬉々として乗馬に励んでいた。

 筋がいい、と教師役を買ってでたロッカは、満足そうにビアンカの上達ぶりをヴィンチェンツォに逐一報告していた。

「領内を馬で散策するのが楽しいようです。もっと早くにお教えしておけばよかったですね」

 ビアンカの目覚しい変化を喜んでいるロッカとは対照的に、苦虫を噛み潰したような顔をするヴィンチェンツォだった。


 やがて乗馬熱も徐々に冷めたのか、暇を持て余し始めたビアンカを連れ、メイフェアとランベルトは城下の商店街を散策していた。

 初夏の城下は、みずみずしい野菜や果物、豊富な種類の花々の露店が立ち並び、いつものように賑わっている。

 カプラやオルドから移住してきた人々で王都の人口は膨れ上がり、住民のメイフェアでさえも人の多さに辟易する毎日である。


「あの大きな橋は、見覚えがあるような気がするわ。いいえ、知ってる。それにしても人がたくさんいて、びっくりね」

 遠くの水道橋に目をやり、ビアンカは嬉しそうな顔をしていた。

 笑顔を全開にするビアンカを見つめ、メイフェアもつられて笑っていた。

「聖誕祭の頃になると、もっともっと、すごいのよ。一度、一緒に来たことがあるのよ」

 少し悲しげに自分を見つめるビアンカにはっとし、メイフェアは「ごめんなさい」と謝罪する。

「いいの。思い出せなくてごめんなさい。でも少しずつ、思い出せるように努力するから」

 いつもの笑顔に戻り、ビアンカは明るく言った。


 この繰り返しだ。

 口にしてはビアンカを悲しませるとわかっているものの、メイフェアはつい「以前も」と言ってしまう自分が恨めしかった。

「思い出せなくても、また楽しい思い出をいっぱいにすればいいんだよ」

 ステラだけではなく、落ち込んだ様子を見せる大人達に向かい、アンジェラは呪文を唱えるかのように「また一緒にたくさん遊べばいいじゃん」と言い続け、励ましている。

「一番の大人はアンジェラかもしれぬな」

 とようやく現実を受け入れつつあるステラが、ある日自分の娘をそう評していた。


「ほら、あそこ。砂糖菓子がおいしいの。女性に大人気なのよ」

 メイフェアが指差す店先では、色とりどりの砂糖菓子の籠がたくさん並べられていた。

「私も、好き。この前たくさんいただいたの。くるみが入ってるのが、一番好き」

「だって俺が買いに行かされて」

「…宰相様に?」

 ふうん、と人の悪い笑顔を見せるメイフェアに、ランベルトは気まずそうな顔をしていた。

「花や食べ物じゃなくて、他に贈るものがあるんじゃないのかしらねえ、煮え切らないわね」

 余計な事言わないで、と困り顔になるランベルトを、ビアンカは不思議そうに見上げている。


 妙に警戒されている、とヴィンチェンツォは傷つきながらも、野生の生き物を餌付けするかのごとく、事あるごとにビアンカへと届け物をしていた。

 ただし自分は直接持参せず、ビアンカの好感度が抜きん出て高いエミーリオに託すのみであった。 

 第一印象ってものすごく大事だよね、とロメオが哀れんだ眼差しで自分を見ていた。

「ほぼ同じ顔のつくりなのに、何が違うんだ。年か。確かに俺は、エミーリオよりは年をとっているが」

 ある日、自宅でぼそぼそと暗く呟くヴィンチェンツォに対し「僕ですら、最近更にヴィンスの顔がきつくなったなあって感じるくらいだから。無理ないよね」と即答するロメオだった。


「かもし出す雰囲気というか、その目つきのせいで、いかにも腹黒そうな感じが伝わるんじゃないのかな。純朴なエミーリオと自分が同等だとでも言いたいの。今度じっくり見てみたら、あのつぶらな瞳を。そうしたら、そんな身の程知らずの寝言なんか言わなくなるから」

 それから、とロメオはあくびをしながら付け加えた。

「お前はエミーリオの年の頃よりもっともっと前から、どうしようもなく悪そうな顔してたから、年は関係ないと思う」



「ちょっと、ビアンカは?人ごみに流されちゃったんじゃないでしょうね」

 大量の砂糖菓子が入った袋を抱え、メイフェアはふとビアンカの姿が見えないことに気付く。

 必死で辺りを見渡すと、ビアンカは露店の前で座り込み、熱心に品定めをしていた。

「女の子だね」

 安物ではあるものの、次から次へと異国風の首飾りやかんざしを興味深く手に取るビアンカの姿に、ランベルトは和んだように頬を緩ませていた。 

「ああいうところは、結局変わらないのよ」

 ほっとしたように呟いたのもつかの間、ビアンカの背後に近づく黒髪の男に、メイフェアは緊張で顔を強張らせていた。


「何をしている」

「…ごきげんよう、閣下。先日は美味しいものをいただいて、ありがとうございました」

「一人なのか」

「いいえ、メイフェア達と一緒ですけど」

 緊張した面持ちで立ち上がったビアンカのそばに、メイフェアとランベルトが慌てて駆け寄った。


「珍しいですね、こんなところでお会いするなんて」

「何故きちんと見張っていない」

 そんな怖い声出さなくても、とメイフェアが困ったようにヴィンチェンツォを見上げていた。

「はい?」

 ビアンカの表情がみるみる険しくなっていくのを、ヴィンチェンツォは黙って真っ直ぐに見ている。

 ランベルトがうす笑いを浮かべ、隣のメイフェアに同意を求める。

「たまたま、お一人で見ていただけで、先ほどまでは一緒だったんですけど」


「赤子同然の彼女を一人にするなど、もってのほか。ご両親にもあなたの身辺には充分気を配るようお伝えしているはずだ。人の増え方が尋常ではないし、治安も悪化している。あなたのような若い女性に悪意を持って近づく輩もいるのだ、ここはあなたのお屋敷の庭先ではない」

 待ち構えていたかのように、即座に言い返すビアンカである。

 ランベルト達は呆気に取られ、早口のビアンカをただ見つめるしかなかった。 

「確かに今の私は、何も知らない赤子のようなものかもしれませんけれど、分別くらいつきます。それに、今日はお二人が私を気遣ってお誘いくださったのです。楽しい時間を台無しにするようなことは言わないでください」

 雲行きが怪しくなってきた、とランベルトはおろおろしながら二人を見ている。


「私どもの不注意でした。申し訳ありません」

 普段は即座に反論するメイフェアが、今日はヴィンチェンツォに向かって素早く頭を下げた。

「メイフェアは悪くないわ」

 ぴしゃりとさえぎるように言うビアンカの瞳には、隠しようもない怒りが浮かび上がっている。

「それに、治安が悪いとおっしゃいますけれど、そうなったのはあなたのような方々に責任のあることだわ。違いますか」


 血の気が引いた顔で、ランベルトがビアンカを凝視している。

 夫と同じような表情をしたメイフェアが、そっとビアンカの袖を引いた。

 怖い、とランベルトがひたすら二人の会話の終わりを待ち続け、沈黙している。

「確かに、あなたのおっしゃるとおりだ。あなたのような方でも安心して暮らせるよう、精一杯努めさせていただく」

 間を置いてから発せられたヴィンチェンツォの冷ややかな声が、ランベルトの脳に突き刺さった。

 怒ってる、久しぶりに宰相様があんなふうにお怒りになるのを見た、とメイフェアがランベルトの後ろで縮こまっている。


「ただ、ご自分の立場をお忘れなきよう。単なる町の娘とはわけが違うと、ご理解いただければ」

 周りが無害な人間ばかりとは限らない。

 脅威が去ったとはいえ、どこからかやってきた工作員が潜り込んでいる可能性は否定できず、まだまだ巫女であったビアンカの身が安全とは言い難かった。

 プレイシアは弱体化していると目され、隣国につけ入る隙を与えてはならないという思いが、増えすぎた人の数を目の当たりにするたび、ヴィンチェンツォの中で強くなっていた。


 だが、まだ怒りが収まらないのか、たまり始めた不満をぶつけるかのように、再びビアンカの口調が激しくなった。

「私が、伯爵家に相応しくないとおっしゃったらよいではありませんか。爵位だけで教養もなく、せめて貴族らしい振る舞いでも身に着けろとおっしゃりたいのでしょう」

「今更あなたに、そのようなことは求めてはいないが。自覚があるなら、結構」

 ヴィンチェンツォの皮肉めいた視線が一瞬泳ぎ、やがてビアンカに注がれた。

 違う、そんなことを言いたいんじゃない。

 何故そんなことを気にする。

 

 悔しさを滲ませ、自分を睨みつけているビアンカの顔がどこか懐かしくて、そして悲しかった。

「楽しいひと時に、水を差して申し訳なかった。気を付けて帰られよ」

 青ざめて立ち尽くす若い夫婦には目もくれず、ヴィンチェンツォは足早に雑踏に紛れて消えていった。

 まるで仇に会ったかのような爆発寸前のビアンカに、メイフェアは恐る恐る話しかけた。

「ビアンカ、あのね、違うのよ。本当に、宰相様はご心配で」

 メイフェアの言葉を遮り、ビアンカは投げ捨てるような口調で言った。

「あの人、やっぱり嫌いだわ。前にお会いした時も、何故か怒った顔で私を睨むんですもの」

 だから違うんだってば、と言葉を飲み込み、メイフェアは心の中で泣いていた。


 路地の影に隠れるように佇むロッカの姿を見つけ、ランベルトはほっとしたように息をつく。

「何だか、ぴりぴりしてるね。あれじゃ逆効果じゃないか。ただでさえあの人苦手って言ってるのに」

 苦手がとうとう嫌いにまでなってしまった、とランベルトは文字どおり頭を抱えていた。

 頭ひとつ飛び出た長めの黒髪を追い、ロッカは軽くビアンカ達に挨拶すると、そそくさと離れていった。

 いい加減切り時ではないだろうか、と乱暴な手つきで頭をかきむしる上司の後姿を見つめ続けながら。



***



「私、わかっているのよ。今の生活が自分に合っているとも思えないし、何かしっくり来ないの。無理もないわね、誰かに使われることはあっても、使う立場になどなかったから。田舎者が貴族のふりをして、傍から見たら滑稽なんでしょうね」

 二人の冷戦を久しぶりに目の当たりにし、自分の心臓が止まるのではないかと冷や汗を流していたメイフェアである。


「そんなことないわよ。あれは売り言葉に買い言葉というか、ちょっと大人げなかったかもしれないけど、あの方は全然そんなこと思ってないから。顔はあれだけど、いい方なのよ。面倒見がよいというか、ビアンカのことも、すごく心配してるだけだから」

 本当に宰相様は、あるがままのビアンカしか求めていなかった。 

 そしてきっと、今も。

 自分の嫌いな人種ではあるが、それだけは評価する。

 私の大切なビアンカを、命がけで愛した人だから。

 ふいに鼻の奥がつんとして、メイフェアは気付かれないよう、ゆっくりと鼻から息を吸う。


「だから貴族とか全部取っ払ってさ。ビアンカはどうしたいんだよ。この際だから、生まれ変わったと思ってやりたいことやればいいじゃないか。なんだかもう、見てられない」

 苛立ちを吐き出すようなランベルトの言葉に弾かれたのか、メイフェアがぱあっと快活な笑顔を見せた。

「そうだわ、どうせなら私と一緒に働けばいいじゃない。フィオナ様もお喜びになるわ。フィオナ様はあなたのことが好きだったし。私も助かるし。」

 はたしてヴィンス様が首を縦に振るだろうか、とランベルトは思ったが、案外それも悪くない、とうなずいた。 


 けれどもビアンカは顔を曇らせたまま、ぼんやりと馬に揺られていた。

「わからないの。何をしていいのかわからなくて、でも本当はやるはずだったことがあるような気もして、霧がかかったような感じが消えないの」

 先ほどの勢いはどこかに消え去り、いつの間にか頼りない声になるビアンカがいた。

 しょんぼりと肩を落とすビアンカにかけられたランベルトの声が、いつになく力強かった。

「だったら、手当たり次第にやってみればいいんだよ。そうしたらビアンカの大事なことも、意外とするする思い出せるかもしれないだろ。ヴィンス様は無理させるなって言うけど、俺は違うと思うな。何より、ビアンカがもやもやしてるのは、やっぱり思い出したいことがあるからなんじゃないかと、俺は思うわけよ」

 あんたが力説するのも珍しいわね、とメイフェアが慣れない手つきで手綱を握っている。


「私、思い出せるのかしら」

「大丈夫よ。だって、少しずつ思い出してるじゃない。断片的にだけどね」

「もっとビアンカは知った方がいいんだよ。言えっていうなら、知ってる限り教えてあげるけど」

 矢継ぎ早にたたみ掛けてくる友人達を振り返り、ビアンカは不服そうな表情になる。

「そんなに私は、知らないことが多すぎるのかしら」


「そうだね。ヴィンス様は、一度に記憶を詰め込まれたらビアンカが耐えられないだろうからって。…それくらい、君のことを心配してるんだよ。そうは見えないかもしれないけど」

 また宰相閣下の話、とビアンカはふてくされた様子で馬を進める。

「それでは、教えて下さい。隠さないで、全部」

 さばさばした口調のビアンカが、頼もしいのか、頼りないのかランベルトには判別がつき難かった。

「俺の一存では決められないんだけど」

「何故です」

「ヴィンス様がそうおっしゃるから」


「あの方はそれほど偉い方なのですか。私の人生を左右するほどの力がお有りなの」

 ビアンカの地の底から響くような低い声に圧倒され、ランベルトは助けを求めてメイフェアを振り返る。

「偉いというか…ほとんどの責任は、最後にあの人のところに行くから…やっぱり偉いのかな」

「人ひとりに、そのような重荷を背負わせて、果たしてよいのでしょうか。あの方ひとりのご決断だとしたら、稀に間違うこともあるかもしれないのに」

「だから、ランベルト達がいるんじゃない。意外と素直に聞いてくれるわよ。ビアンカが思っているほど、暴君じゃないわ」

 さすが奥さん、ありがとう、とランベルトが片目をつむり、メイフェアに笑いかける。


「何よ」

「ヴィンス様の味方するなんて、珍しいと思って」

 メイフェア自身でさえ、複雑な胸の内を整理できずにいた。

 あの方は私も好きじゃないけど、だけどこの展開は何、とメイフェアは何処へ怒りをぶつけてよいのかわからず今に至っている。


 元の自分に戻れたら、あんなふうに「赤子」なんて言われなくなるのかしら。

 思い出せないだけで、どうして子ども扱いされなければならないのだろう、とビアンカはまたもや不機嫌の虫となりつつあった。


 いったい自分は、何に腹を立てているのだろう。

 宰相閣下に、いいえ、自分自身に。

 半分八つ当たりだったのかも、と次第に落ち着きを取り戻し、ビアンカは感情的になってしまったことに若干の後ろめたささえ感じていた。

 そうね、と呟いた後、ビアンカは突然馬に鞭を入れ、「競争!」とはじけんばかりの声で言った。




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