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漂う白花  作者: 渡部ひのり
第五部
128/136

125の話~一緒に帰ろう~

 自由に行き来できる場所があるなら、水路を目指した方が危険が少ないというロッカの見解から、一行は水路を目指し、細い通路を全速力で駆けていく。

 先ほどよりも大きな揺れが起こるたび、時々立ち止まるものの、薄明かりの差す方向へと再び走り出す。


 渦巻くように風が吹きぬけていくと同時に、ビアンカ達は船着場らしき場所へとたどり着いた。

 だがロメオのかすかな期待を裏切るように、小舟はどこにも見当たらなかった。

 最後の一艇と思われる小舟には既に先客がおり、ヴィンチェンツォ達から逃れるように悠々と運河を滑ってゆく。

 何のためらいも見せず、ヴィンチェンツォが水路に飛び込んだ。

 胸元まで水に浸かりながら必死で寄せる波をかき分け、ヴィンチェンツォが舟を追いかける。

 徐々に増えつつある水位のせいか一瞬大きな波に飲まれ、ヴィンチェンツォの姿が消えた。


 口々に自分の名を呼ぶ声を聞きながら、再びヴィンチェンツォは水面に顔を出すと、悔しさを滲ませ遠ざかる舟に向かって大声で叫んだ。

「サビーネ・ダルトワ!」

 水の中で格闘し続ける宰相の姿をおかしそうに見つめ、サビーネも大声で叫び返す。


「あなた方の涙ぐましい努力に免じて、カプラの兵は引きましょう」

「お前にそんな権限があるとでも」

 言いかけたヴィンチェンツォが頭から波をかぶり、思わず咳き込む。

「あの方は自分が女王になれるって信じ込んでいたみたいだけど。馬鹿ね。最初から決まっているのよ。王になれる人間は、生まれた時から」

 鼻先で笑い飛ばすようなサビーネの仕草に、ビアンカは初めて怒りをあらわにし、無言でサビーネを睨んでいた。


「なんだその言い方は。さも自分が王であるかのように」

 さあどうかしら、と艶然とした笑みを見せてサビーネは呟くが、その声はヴィンチェンツォ達には届くことはなかった。

「生きていたら、戴冠式でお会いしましょう。悲しい行き違いもありましたけど、私達は長年友好的だったはず」

「ふざけるな、売女が!」

 苛立ったようにヴィンチェンツォが両手で水面を叩き、サビーネに向かって罵声を浴びせる。

 舟を漕いでいた男が顔をあげ、そしてエドアルドに向かって深く頭を垂れた。


「子爵様」

 ビアンカが戸惑いを隠せず、徐々に小さくなる二人の姿を呆然と見つめている。

「彼も、いたのか」

 眉間に皺を寄せるエドアルドに向かい、ビアンカは黙ってうなずき返した。


「戴冠式とは、新しいコーラーの国王の、でしょうか。あの口ぶりでは明らかに彼らのどちらかが該当すると思われますが」

「だろうな」

 諦めたように二人の姿を見送り、エドアルドはぽつりと言った。

「調査不足でした。申し訳ありません」

 全くもって自分は役立たず、と一人暗くなっているロッカを横目に、泳ぎながら引き返してきたヴィンチェンツォにご苦労、とエドアルドが声をかける。


 ずぶぬれのヴィンチェンツォを引き上げ、ロメオが「追いつけるわけないじゃん」と呆れたように言った。

「私が皆様の足を引っ張ってしまったせいで。もっと早くに、追いついたかもしれないのに」

 思い詰めたように、ビアンカが何度も「ごめんなさい」と言う。

「そんなことはない。全部、大事なことだ。最後に話ができて、よかった」

 イザベラも巫女も、ウルバーノも全ての人が、自分の一部であった。

 生き方は違えどビアンカにとって、何にも替え難い存在であった。

 ヴィンチェンツォの気休めのような一言で、更にその思いが確固たるものに変わっていくのをビアンカは感じていた。


 全員で泳ぐのは無理、と来た道を途中まで戻り、分岐の手前でアデルと出くわす。

「泳ぐ計画は無しになったようで」

「達者なヴィンスですら難儀していたし、まさかご婦人にそのような真似をさせるのも気が引ける」

 さむかった、と呟くびしょぬれのヴィンチェンツォを眺め、アデルは同情の眼差しを向けていた。


 今までには耳にすることのなかった、大勢の人々の叫ぶ声がだんだんと近づいてくる。

 煙の量が以前とは比較にならないほどに通路にたち込め、ビアンカの鼻を突いてきた。

 隠し扉、と嬉しそうにロメオが言い、我先にと踊り場へ飛び出した。

 正面の入り口には、緋色の制服に身を包んだランベルト達がいた。

「お前ら!どっから湧いて出た!」

 喜びを全身であらわすランベルトがまるで子犬のようだ、とロメオは思った。


「今行くよ!って、道がない!どうやって降りるの!」

 ロメオの視線の先には、今しがた崩落したばかりとみられる、石造りの階段が瓦礫と化していた。

「さっき、奥の方で火柱が立ったとかで、しばらくしてからあっちもこっちも崩れてきたんだよ。でもみんな逃げたよ。お母さんも、他の人も、みんな大丈夫だよ、ビアンカ!」

 ランベルトの声に安堵の色を浮かべ、ビアンカが瞳を潤ませながら微笑んだ。


「相当古いらしいからな。仕方ない」

 再び大きな振動が起こり、その場にいた人々は思わず身を伏せた。

 限界ですね、とロッカが淡々とした口調で呟いている。

「仕方ないって言ってたら死んじゃいますけど」

 瑠璃がはらはらしたようにエドアルド達を見上げている。

 もう少しで手が届くのに、届かない。

 もどかしそうに瑠璃は辺りを見渡したが、彼らと自分達を繋ぐ道はどこにもなかった。


「我々は他に出口を探そう。残っている者は撤収だ。えーと団長は…いないんだった」

 エドアルドは瑠璃を安心させるように柔らかく微笑み、そしてしばらく考え込んでいた。

「俺!俺副団長だから」

「では先生、皆をよろしく。私達もすぐに行きます。全員退避!」

 こちらへ、とロッカに先導され、エドアルド達が移動する。

 了解、とクライシュがエドアルドの背中に向かって答え、「逃げますよー」と周囲に声をかけた。

 俺何しに来たんだろう、とランベルトは腑に落ちないものを腹に抱え、ぱらぱらと落ちてくる砂のようなものを避けながらクライシュ達に続き、出口へと走り出した。


 広場に面した部屋の一つに入ると、ロッカはすかさず大きな窓のそばに歩み寄った。

「バルコニーの下は幸い水路です。この高さなら飛び降りても問題ないかと」

 そうか、と言い残すと、エドアルドがすたすたと窓に近づき、勢いよく開け放った。

 

「俺は死にたくない。何故なら死んではいけない人間だからな、一番偉いから当然だ」

 お先に、と言うやいなや、エドアルドがバルコニーの手すりに足をかけて立ち上がり、天を仰ぐ。

 にやりと不思議な笑みを残し、国王はあっという間に姿を消した。

「豪胆な方ねえ。惚れるわ」

 バルコニーの下を覗き込み、アデルがゆったりと泳ぐエドアルドに向かって手を振った。


「自分も行きます。また仕事がひとつ増えてしまったので早速手配しないと」

 早口で言い終えると、ロッカは一度だけビアンカを見た。

 そしてごく自然に繋がれている、ヴィンチェンツォとビアンカの手を眺め瞬きをした。

 そのすき間に自分が入り込むのは、無理だとわかっていた。

 自分が先に見つけたのに。一番最初に気付いたのは、この自分だったのに。

 残念だ、とロッカは心の中で呟きながら、いつの間にか笑みをもらしていることに、自分は気付いていなかった。

 ロッカは二人に背中を向けると、「では後ほど」と風のような身のこなしで飛び降りていった。


 バルコニーから水路を見下ろすロメオの顔から、血の気が完全に失せていた。

「早くして、行かないなら私が先に行くわ。早い者勝ちよ」

 アデルが苛立ちを隠さずに言い、ロメオを見捨てたかのように一人手すりによじ登る。

 慌てたロメオがアデルを引き戻し、「置いていかないで!」と必死の形相で叫んでいた。

「ちょっと!僕泳げないって言ってるのに!」

「じゃあ階段でも探せば」

 冷たく言い、アデルが再び「よいしょ」と手すりに足をかけた。

「うろうろしてるうちに壁の下敷きになったらどうするんだよ」


「いい加減にしろ。往生際が悪い」

「後がつかえてるのよ。巻き添えは御免だわ」

「申し訳ありませんが、ロメオ様は一番最後で…」

 ヴィンチェンツォ達に罵倒され、ロメオは観念したようにため息をつく。

 不機嫌そうに自分を見下ろしている、アデルの隣に這い上がった。

 下を見たら、怖い。

 目眩を覚え、ロメオは思わず固く目を閉じた。

 水も恐いけれど、高い所も苦手だった。

 人生でもっとも最悪の状況の一つだった。


「じゃあ一緒に。手、握っててくれる?」

 目を閉じたまま、恐る恐る片手を差し出す。

 震えながらどうにか立ち上がったばかりのロメオの背中を、無言でアデルが蹴り飛ばした。

 断末魔のような叫び声と共にロメオが落下していくのを、ヴィンチェンツォが気の毒そうに見守っていた。

「頭から落ちたようだが。大丈夫かな」 

 浮いたままぴくりとも動かないロメオの姿に舌打ちし、アデルが「回収してきます」と勢いよく水路に向かって飛び込んだ。


「大丈夫か。怖いなら、目を瞑って」

「平気です。皆様がご無事なようですから、私も大丈夫です」

 そうか、とヴィンチェンツォは先に手すりに上り、思い出したように手を差し出した。

「そうだ。ビアンカ、鍵を」

 脈絡のない話の流れに、ビアンカが何の話だろうかと首をかしげている。

「礼拝堂の鍵」


「戻ったら、お返しするつもりだったのです。でも、すみませんでした」

 ありました、と取り出した鍵を受け取り、ヴィンチェンツォは軽く睨むような顔つきをした。

「全くだ。おかげで、俺は酷い目に」

「鍵は開けておきましたけど」

「知ってるよ」


 自分の手のひらに載せられた鍵を見つめ、ヴィンチェンツォは苦笑いをしている。

 やがて空に向かって放り投げられ、鍵は空中で円を描きながら、水路のどこかに飲み込まれていった。

 困惑するビアンカの目を見ず、ヴィンチェンツォがもごもごと呟いている。

「新しい鍵が必要だな。礼拝堂ではなくて…」

 黙って自分を見上げているビアンカの栗色の髪を、通り抜けた風がふわりと撫でていった。

「必要ないんだ。ビアンカが帰るのはあそこではなくて、その」


 何してるの早くしてー、と自分達を気遣うランベルト達の怒鳴り声が、今日は雑音のようにうるさかった。

 エドアルドが上着を脱ぎ、両手で水を絞りながら「お前今何捨てた!」と大声で叫んでいる。

 目ざとい、とヴィンチェンツォは忌々しそうに首を振った。

 あまり二人きりで長居できるような状況ではなかった。

 なんとも間の悪い、いやいつものことだ、とヴィンチェンツォは眼下に向かって「うるさい!」と怒鳴り返す。

 

「一緒に帰ろう。王都の、あの家に。だからあの鍵はいらないんだよ」

 おいで、と再びビアンカに向かってヴィンチェンツォの大きな手が差し伸べられた。

「陛下に怒られます。それに私は」

「なんとかするって言っただろう。だから、なんとかする。策はまだないけど」

 言い終えてからヴィンチェンツォは、もしや自分は自分で思うほど賢くないのかもしれない、とぼんやりと思った。

 しばらく二人は無言で、見つめ合うだけである。


「そうだな。…そういえば俺は無職だから、あの大きな家には住めないかもな。二人だけで住めるような、古くて小さい家になるかもしれないけど。…それでもいいかな」

 無職、と不思議そうに繰り返すビアンカに、ヴィンチェンツォは「俺も大概計画性がない…」と他人事のように言う。

 はい、と突然うなずくビアンカを驚いたようにヴィンチェンツォが見つめた。

 いいのか、と聞き返すヴィンチェンツォの手を取り、ビアンカは微笑みながら「帰りましょう」と言った。

 いつもどおり、ヴィンチェンツォの手は大きく、暖かだった。


「これからも、戦います。世間と、許してくださらない人達と。正面からきちんとぶつかります。それでも駄目なら、二人で逃げましょうか」

 明るいビアンカの声に、うん、と笑うヴィンチェンツォの顔を、雲の切れ目から差した光が照らしていた。

 目を細めながらヴィンチェンツォは「行くか」と呟き、二人は並んで手すりの上に立っていた。

「下を見るな」

 ビアンカを抱き上げ、ヴィンチェンツォは耳元で小さくささやいた。


 下の広場では、二人を不安げに見上げているランベルト達の姿があった。

 みんなが待っている。

 今度こそ、一緒に帰ろう。

 私には帰る場所がある。


 二人の姿が水面に吸い込まれ、大きな水しぶきがあがった。

 全身を突き抜けるような、鋭い衝撃が体に走った気がした。

 「引き上げろ!」

 と叫ぶよく知る人々の声が、ビアンカの耳にとても心地よかった。



***



「首謀者を生きたまま捕らえることもできず、この落とし前はどうつけるのかと、議会で問題になるかもしれませんよ」

「そんなことを気にしていたのか」

 エドアルドは、入り口で立ったままのアデルに、「飲むか」と声をかけるが、アデルは無言で首を振った。

「イザベラらしき女性の遺体はあがっていない。日も落ちたし、まず無理かな」

「…せめて私が、伯爵の首だけでも持って来ていたら」


「あなたにそのようなことは望んでいなかったし、私は後から来るようにとウルバーノに言ったはずだ。生きたウルバーノが必要だった。今でもそれは変わらないよ。あまり思い詰めないように」

 申し訳ありません、と頭を下げるアデルに、エドアルドは面倒くさそうに片手を振った。

「下がりなさい。まず食事をして、寝ること。いいね」

 本人は精一杯冷静なつもりなのだろうが、アデルが興奮状態にあるのは見間違えようもなかった。

 糸が切れないように誰かが彼女を見守ってやらねば、とエドアルドは思うが、自分が思うよりもウルバーノとの関係は根深いものがありそうだな、とやり切れなさを抱えていた。


「お前、知っていたのか」

「つい最近ですけどね。だからといって、彼女を疑う気持ちはありませんでした。情の深い、優しい女性です」

 甘いな、と皮肉げにエドアルドが呟き、「俺は甘いですよ、よく人に勘違いされるけど」と悪びれる様子もなく宰相は言ってのけた。 


 その話は置いておくとして、誰が責任を取るかという話になるだろうな、とエドアルドは手にした杯の中を見つめていた。

「俺が責任取って辞める、で一件落着じゃないかな。我ながら名案だと…」

 全然、とヴィンチェンツォが短く言い切った。

「自分が辞められなくなったら困るから、俺は辞めさせたくないとでも。残念だったな、お前が辞めるには実にたくさんの人々の署名が必要だ。仮に全部集まったとしても、それが揃うのは果たしていつになるやら。でも俺の場合は違う。そうだ、王都で蜂起させて、無能な王を引きずり下ろし真の人民の為の国造りをするとかいう方法もある。縛り首は御免だが」


 そっちがもっと面倒くさいし、金がかかります、とヴィンチェンツォは即座に却下した。

「そうではありません。落ち着いて考えてみても、俺のように直情的では、務まりません。不適格です」

「だから優秀な部下がいるんだろう。お前一人でどうこうという話じゃないんだ」

「それはあなたにも当てはまることですよね」

 二人は同時にうーんと唸り、それぞれが手にした杯を口にしていた。


「ところで、サビーネ・ダルトワ及びギヨーム・フォーレの件だ。あの二人は何だ。サビーネなど、単なる豪商の娘ではなかろう」

 完全に話題を変え、エドアルドが誰にともなく意見を求めた。

「案外、王族の一人かもしれません。そうであれば先ほどの発言も、不思議と納得できます」

 ロッカが相変わらず暗い顔をしたまま、ぼそりと言った。

 イザベラは女王にはなれないが、自分はそれが可能だとでも言いたげであった。

 再びヴィンチェンツォは不機嫌になり、一口で杯の中を飲み干した。


「なるべく早く、調査結果を」

「御意」

 ロッカは酒気漂う天幕から外へ出ると、深呼吸をしながら雲の厚い夜空を見上げた。

 暗闇で目をこらすと、ほぼ全壊に等しき姿になった砦の一部が、目に入ってくる。

 全員退避してからほどなくして、ロッカ達の目の前で砦が崩落し、この状況ではとてもウルバーノを探せるとは思えなかった。

 誰も尋ねようとしなかったが、アデルの様子ではおそらく、砦の崩壊以前にウルバーノは息絶えていたのだろう。


「ヴィンス様は」

 何もしていないのに、何故一日でこれだけ服がぼろぼろになるんだろう、と後ろに佇むランベルトを振り返り、ロッカは「まだ中だ」と言った。


「ちょっと呼んできて…呼んだ方がいいのかな。どうしよう」

 ランベルトの様子がおかしい、とロッカは険しい表情で友人の真剣な顔を見つめ、そして天幕を振り返った。



 

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