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漂う白花  作者: 渡部ひのり
第五部
125/136

122の話~カウントダウン~

 眼下に集う軍勢の視線が一点に向けられ、鳴り響く鐘を誰もが見上げていた。

 ビアンカは息を弾ませながら、懸命に背伸びをして塔から顔を覗かせ、飛び上がりながら何度も手を振る。

「人がいます。あれは、ビアンカ様では」

 いち早くビアンカに気付いたロッカが、遠眼鏡でビアンカを捕らえた。

 ロッカの幾分か興奮した口調に、眠気も一気に吹き飛んだランベルトが、大きく目を見開いて遠眼鏡を奪い取る。


 人間がかろうじて足場を確保できそうな細い城壁に足をかけ、ビアンカは自分の姿がよく見えるように尖塔の外壁をよじ登っていた。

 震えながら柱にしがみつくビアンカの姿に、人々の呼吸が一瞬止まる。


 一歩足を踏み出せばたちまち落下しそうなビアンカに、ランベルトが思わず叫び声を上げた。

「危ないだろ!何してんだよ!早く降りろよ!」

「高い所は、好きなんです!」

 そう怒鳴り返しながら膝が落ちかけ、がくりとなるビアンカに、兵士達が「ああっ」とどよめきの声を上げた。


 大丈夫、と呟きながら再び体を起こし、しっかりと柱に手を回したまま、ビアンカは力の限りを尽くして大声を出す。

「お願いです。女性や子どもが、それから怪我人もたくさんいます。ですから、ですから」

「わかってるよ!大丈夫だから!もうすぐ行くからな!だから早く降りてー!」

「怒ってましたけど、怒ってませんから。皆で、迎えに来ました!ですから安全な場所で、お待ち下さいねー!」 

 慌てふためくランベルトや瑠璃が、口々に叫んでいる。


「ビアンカ、もうよい。後は任せなさい。皆で帰るぞ!」

 エドアルドがビアンカに向かって大きく手を振る。

 予期せぬ王の姿に驚いているビアンカに、エドアルドは励ましの意味を込めて、精一杯微笑んでみせた。


 はらはらしながら見守る人々をよそに、ビアンカは引きつった顔で微笑み返す。

 片手で小さく手を振ると、慎重な足取りで城壁から内部へと戻っていった。

「危ないなあ、生きた心地がしないって、こういうことを言うんだな」

「落ちなくてよかったですねえ、本当に」

 クライシュが、ビアンカのいなくなった鐘楼を見上げ、しみじみとため息をついていた。


「見たか。私はあの勇気ある乙女を救いに、ここまでやってきた。あの方は紛れもないオルドの巫女である。反逆者どもに誘拐され、この地に閉じ込められていたあの哀れな美しい人を、どうか皆で救ってやってほしい」

 大声ではなかったが、エドアルドの張りのある声に耳を傾け、兵士達は高揚したような眼差しでビアンカのいない尖塔を見上げていた。


 美しい女性を救い出すという大義名分は、都合のよい餌になったようだった。

 明らかに飢えた狼のような眼差しで、アデルを食い入るように見つめる今朝の兵士達の姿を思い出し、エドアルドは更に撒き餌を追加してみたのである。


「人の使い方が、ヴィンスみたいになってきましたね。前からそうだったような気もいたしますが」

 どうせ今しがた思いついただけで、適当に喋っているくせに、とロッカは呆れ顔である。

「彼女もなかなか、わかっているな。実に絶妙のタイミングであらわれてくれた。皆、すっかりやる気になってくれたようで。士気の上がり方が尋常ではない」

「そこまで考えているようには見えなかったけど…言ってる内容といい、相変わらずだ」

 ビアンカの無事な姿を確認でき、ランベルトは嬉しそうに言った。


「人のことはよくわかるようで結構だが。ランベルト、今回は冷静に状況判断をしてくれ」

 浮かれているランベルトの気を引き締めるように、年下のロッカが自然と説教じみた口調になる。

「いつもしてるよ」


「足手まといになるなと奥方に釘を刺されたのを忘れたか」 

「俺がいつ足手まといになったんだよ」

 鳥達と戯れながら、ランベルトが面倒くさそうに言った。

「ついさっきまでそうだったではないか」

 ため息をつくエドアルドは、「鳥以下の記憶力か」と残念そうに付け加えた。

「予感的中ですね。メイフェア殿はよくわかっていらっしゃる」

 ロッカの淡々とした口調に、ランベルトはぐうの音も出なかった。


「あんた、みんなに迷惑かけるんじゃないわよ」

 見送りに来たメイフェアが、別れを惜しむ素振りも見せず、開口一番そう言い放った。

「メイフェアは知らないんだよ。俺がどれだけ頼りになるか、前回の襲撃事件の時だって、誰より一番働いたのはこの俺なのに。今回も任せとけって」

 上機嫌で返すランベルトに対し、言葉を濁す態度をとる人々を見つめ、メイフェアは「そうでもないみたい」と言った。


 そんな妻の反応に傷ついたのか、ランベルトはすねたような口調で言った。

「赤い悪魔と敵を震え上がらせたこの俺の大活躍を、メイフェアに見せたら惚れ直すかもしれないのになあ」

 しかし、ランベルトを擁護するような発言をする者は皆無であった。

「世の中には、知らない方がよいこともある、といったところだろうか…」

 宙を見つめながら、皆を代表するかのような発言をするステラを見つめると、メイフェアは首を傾げながら何度も瞬きを繰り返し、「ふうん、そうなんだ」とだけ言った。


 確かに、知らない方がいいのかもしれない。

 普段の、口やかましくメイフェアに怒られている自分で丁度いいのかもしれない、とランベルトは不服ながらもそう思うことにした。


「そろそろだな。フェルディナンドとマフェイを呼べ」

 エドアルドは、もう一度天に向かって高く伸びる鐘楼を見上げた。



***


 

 先ほどの余韻なのか、まだビアンカの膝は震え続けていたが、まだまだやることが残っている、と壁を伝い、足早に螺旋階段を降りていった。

 居場所はわかっている。

 今の混乱した状況なら、誰にも咎められずに巫女に会うことができるだろう。 

 突然、地下から突き上げるような振動に、ビアンカはとっさに身をかがめる。



「朝の会議では、砲撃は中止になったはずだが。おかしいな」

 細い通路を一直線に突き進んでいたデメトリ達も、ビアンカ同様に揺れる足元に眉をひそめていた。

「こんな狭い所で壁やら天井が落ちてきたら、誰も助からない気がする」

 ロメオが不吉なことを口走り、「いいから早く行け」とアデルに蹴りを喰らう。

「まだなのー?どこに出るの。いきなり頭のおかしい奴等に大勢に囲まれたら、いくら僕らでも死んじゃうよ」

「やはり、盾にも剣にもなるランベルトを連れてきた方がよかったかな」

 とヴィンチェンツォでさえ不安げな言葉をもらしていた。 

 

「なんとも言えない状況ですが、見限った傭兵達が数日前から離反し始めたと聞いています。二十年前と違い、実質的なオルド教徒の数は激減しています。それを補う為に、ウルバーノ・マレットがどこからか雇った兵士達の集団と言った方が正しいでしょう。表向きはオルド教徒ではありますが、大半はウルバーノ及びコーラーの私兵に他なりません。既に、内部崩壊は始まっています」

 ジョナサン・エイヴリーは言い終えると、後ろのヴィンチェンツォ達を振り返り、「案外、早く決着が着くかもしれませんね」と微笑んだ。


 出口だ、とデメトリが声をひそめ、立ち止まる。

 もうすぐ、会える。

 ヴィンチェンツォははやる鼓動を抑え、ごくりと喉を鳴らした。



 砦が揺れている、とビアンカは恐怖と戦いながら、人気のない階段を上がり、廊下を歩き続けた。

 やはり、戦闘が避けられない状況にあるとは、ビアンカにもわかっていた。

 時折怒号のような声が、遠くからうっすらと聞こえてくる。


 突き当たりの角部屋の前に立ち、ビアンカは軽く深呼吸をした。

 重い扉を押し、広い部屋の中に足を踏み入れるやいなや、ビアンカは息を飲み、目の前の光景に言葉を失っていた。 


 神の間の名に相応しい、神々しいまでの光り輝く翼を広げた聖オルドゥの姿が、ビアンカの視界に飛び込んできた。

 王都にあった龍の絵と同じ作者のものだと、絵心のないビアンカにでさえ、ありありと見てとれるほどに、聖オルドゥの顔はエドアルドと同じ顔をしていた。


 絵を見上げたまま、身動きできずにいるビアンカに、隣の続き部屋らしきところから「誰」と警戒したような声を投げかける人がいた。

 その声は若くもなく、さりとて老婆のようなしわがれた声でもなく、不思議な深い響きを持ち合わせていた。


「私はビアンカ・フロースと申します。初めて、お目にかかります」 

「その女は、私の名を語る偽者です。このような者に、耳を貸す必要はございませんわ」

 中から、イザベラの叫ぶような声が聞こえてきた。 

 ビアンカは負けじと声を幾分張り上げ、イザベラの言葉を打ち消すように続けた。

「そちらに行ってもよろしいですか」

「私は、構わないが」

 非難の声を上げるイザベラを制し、その女性は「おいで」と言った。


 隣の私室らしき部屋に足を踏み入れ、ビアンカは驚きの声を上げる。

「サビーネ様」

 イザベラの侍女であったサビーネ・ダルトワは、無言でビアンカを見つめている。

 フォーレ子爵と取引があったのかは知らぬが、イザベラの腹心の侍女は、コーラーであっさりと主人を見捨てた、とヴィンチェンツォから聞かされていた。

「あなたがこちらにいらっしゃるとは、思いもしませんでした」

 サビーネは何も答えず、天蓋の中の女性に何事か耳打ちしていた。


 イザベラは苛立ったようにそっぽを向き、バルコニーへと姿を消してしまった。

 黒煙が立ち昇る海を見つめているイザベラの背中からは、以前と同じような敵意がみなぎっているのが、ビアンカには見てとれた。

 ビアンカは音もなくそろりと天蓋に近づき、立ったままで中の人の気配をうかがっていた。


 天蓋の奥から、先ほどの女性の声が聞こえる。

 顔は、見せてもらえそうになかった。

「初代と同じ名を持つのだな。お前の親もそのような重い名をつけるとは、酷いものだ。故意かそうでないのかはわからぬが。異教徒に騙され、堕落したお前の母よりは、少しは賢そうにも感じるが、どうかな」

「堕落ではありません。人として当然の生き方をしただけです。それを、あなたが壊そうとしたのではありませんか。…ご自分の復讐の為に」

 母に似て気が強そうな子だ、と巫女は不機嫌そうに呟いた。


「異教徒に奪われたものを奪い返すのが、私の務めだ。長かった。やっとここに、帰って来ることができた。あの鐘の音を聞くのも、何十年ぶりだろう」

「鐘を鳴らしたのは、私です。皆さんに、終わりを告げる為に」

 ほんの少しだけ笑みを含んだような声になり、巫女は静かに言った。

「そうだな。不思議な子だ、お前は」


「巫女様の、お妃様のお名前をうかがってもよろしいですか」

「私の名を聞く者は、お前で初めてだ。残念だが、私に名はない。かつてはあったやもしれぬが、あまりにも遠すぎて、忘れてしまった」

 その声が、寂しげにビアンカの胸に響く。


「今でも王を、プレイシアを憎んでおいでなのですか」

 思わず、ビアンカは悲しくなりながら長年の疑問を口にしていた。

「邪悪なものを憎んで、何がいけない」

 そう言いながらも巫女の言葉には、怒りは感じられなかった。


「邪悪とは、何を指すのです。あなたの一方的な思い込みで、何十年も、多くの人々が犠牲になりました。王とあなたの間に何があったのか、私にはわかりません。ですが、あなたが王都から逃亡した理由を知りたいのです。それほどまでに、王宮での生活は耐え難いものでありましたか。何十年と人々を影で操り、それがあなたの願いだったのですか」

「今となっては、どうでもよいこと」

 巫女の口から直接、真実を聞きたいと思っていた。

 けれどこの女性は、おそらく最後まで沈黙したままなのだろう、とビアンカは悲しくなりながらも悟っていた。


 それ以上質問することなく、ビアンカは天蓋の中を見つめたまま、きっぱりと言った。

「砦を明け渡します。それをお伝えする為に、参りました」

「手遅れだ。お前が、鐘を鳴らしたばかりに、たくさんの血が流れることになる」

「いいえ、止めます。無抵抗で明け渡すよう、今から皆さんに私が伝えます。きっと陛下も、ご協力してくださいます。王自ら、こちらにおいでくださいました」

 天蓋の中の巫女の様子が、変わったような気がしたのは気のせいだろうか。


 生真面目に返すビアンカに向かい、突然巫女が弾かれたような笑い声をあげた。

 明らかにビアンカを嘲笑するような声であった。

「この砦は、もうすぐ瓦礫と化すだろう。誰にも止めることなど、できない。王とやらも瓦礫にのまれ、朽ち果てるがよい。私と共に」


 どうして、と不安げに言葉を返すビアンカに、いつの間にかバルコニーから戻ってきたイザベラが、吐き捨てるように言った。

「鐘と、地下の火薬庫が連動しているのよ。そうとも知らず、愚かな子。自分は英雄気取りでしょうけども」

「なんということを…」

 ビアンカは青ざめた顔で見えない巫女の顔を睨んでいたが、皆さんに知らせなければ、と踵を返す。


 だが、「お待ち!」と声を荒げたイザベラが行く手を阻むように、ビアンカの前に立ちはだかった。

 イザベラの頬が時折痙攣したようにぴくりと動き、歪んだ笑みを浮かべていた。

「最後まで、目障りな子だったわ。お前の顔を見るのも今日で最後よ。始末して、さっさと逃げるわ」

 イザベラの手に光る物を見つけるとビアンカは息を飲み、少しずつ後ずさった。


 バルコニーの外から、「開いたぞ!」という怒号が聞こえてくる。

 止めなければいけないのに、とビアンカは焦燥感にかられながら自分に向けられた刃を見つめ、恐怖に固く口元を引き結んでいた。




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