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漂う白花  作者: 渡部ひのり
第五部
120/136

117の話~記憶の翼~

 アーラ・オブリヴィアと呼ばれる聖都の古い砦は、かつてオルド教徒が所有していたものだった。

 オルド戦役での、最期の戦いの場となった砦は、長年放置され廃墟と化していた。

 再び蜂起したオルド教徒達に奪取され、国王軍は市街地まで退却を余儀なくされた。

 港に隣接した砦は、コーラーから派遣された船団に寄って強固に守られ、大規模な船団を持たぬ国王軍は、いまだ二十年前のような勝利を得られずにいる。

 いつ終わるともしれない長い戦いに、国王軍はしびれを切らし始めていた。


 

「あなたお一人でいらっしゃるとは、珍しいね」

 ゆったりとした口調ではあったが、エドアルドは書きものの手を休めることなく、その姿は無理やり何かに没頭しているようにさえ、ビアンカには思えた。


「陛下のお言葉に、皆様心を痛めていらっしゃいます」

「皆様、というと」

「フィオナ様や…宰相閣下です」

「あの人達はそろいもそろって、口を閉じていることもできないのか。となると、他の奴らも頭に血がのぼって大騒ぎか」

「いえ、さすがにお二人しか、ご存知ないと思いますけれども」


 そのようなこと、うかつに口にできるはずもなかった。

 だからこそ二人とも心の行き場を失くし、思い悩んでいるのではないか、とビアンカは憂いを帯びた琥珀色の瞳で、エドアルドを見つめ続けていた。

 自分達の思いが、どうすればこの方に伝わるのだろう。

 わかっているのに、知らないふりをし続けているのは、当のエドアルドでさえも心の負担であるに違いない。


「どうすれば、お言葉を撤回していただけますか。私にできることは、ございませんか」

「ないな」

 自分一人が直訴したところで、エドアルドが翻意するとは思えなかったが、それでもビアンカはいてもたってもいられず、国王と直接話をしたい、とただそれだけの一心で執務室を訪れたのである。


「私の進退より、まずは全て綺麗さっぱり大掃除することだ。終わってから改めて考える、と言ってあるはずだが。だいたい、聞かれたから答えただけのことであって、私から一方的に押し付けたわけではない」

「そのようなお話を聞かされて、長い間お仕えしてこられた宰相様が、平静を保てるはずもありません」

「あなたに八つ当たりでもしていたか」

「いいえ。…ただ、悲しんでおられました」

 ふうん、とエドアルドは呟くとやがて席を立ち、ビアンカを手招きした。


 エドアルドは執務室に続く小部屋に入り、更に奥にある扉の前に立つ。

 不安げに自分を見上げているビアンカに、エドアルドは苦笑いをしつつ扉を開けた。

「私の…というより、代々国王の小部屋だ。初代から伝わるものもある」


「見てごらん。これが誰だかわかるかな」

「残念ながら。ですが、お顔立ちなどから察するに、国王のどなたかのように見えます」

「そうだな。特に先々代が、この絵を大層気に入っていて、寝室に飾っていたらしい。これは、本来の聖オルドゥの姿だと、私は聞かされている」


「初めて見たのは、いつだったろう。アンジェラとそう変わらない年の頃だった。驚いたよ。自分にそっくりな古い絵を見て、この顔があなただったなら、あなたはどうする」


 すき間風の冷たさに、ビアンカは思わず身震いする。

 風のせいだけではなかった。

 その絵の人物は、あまりにもエドアルドによく似ていた。

 金色の髪をなびかせ、暗闇に浮かび上がるその人物の全身ははうろこで覆われていた。

 その背中には闇を支配するかのように、大きな黒い翼があった。



「父は、先々代によく似たこの絵と、そして息子である私を重ね合わせていたように思う」

「おそれながら先王様は、お体の弱い方だったとうかがっております。体の不安が、心にあらわれるのは、よくあること」

 わき起こる震えをどうにか抑え、ビアンカが静かに言った。

 

「父は、先王を思い起こさせるような容姿をした私とは関わりたくなかったのだろう。不憫に思ったのか、他の大人達があれこれと世話を焼いてくれた。私の一番古い記憶の中にあるのは、父の姿ではなくて、ヴィンスやランベルト達の幼い姿だ。私が孤独を感じぬよう計らってくれたのかもしれないな」

「母君は」

「父が亡くなる少し前に、先に逝った。私を産んだ責任を感じてか、心を病んで、長いことお一人で離宮で暮らしていた。そのせいかもしれない、私はあまり離宮が好きではないんだ」


「同じことの繰り返しです。あなたが今、フィオナ様になさっていることは、あなたのお父君がお母上に対して行なったことと、同じです」

 少し強い口調になるビアンカを見下ろし、エドアルドは言った。

「わかっているんだ。だから、子どもはいらない」

 では、拒絶しながらもどうしてこの方は、こんなにも寂しそうなのだろう。

「何故です」

「この先の、責任を負いたくないだけだ」


 ビアンカは何度も首を振り続けていた。

「たった一枚の絵です。いつ誰が描いたものかもわかりません。おそらく、国王のどなたかが自らの権威を示す為に描かせたものでございましょう。よくあることです。どこにでもある、全てが違う顔をした、聖オルドゥの絵です」

 

「ビアンカ、聖オルドゥとは何だ。あなたは、考えたことがあるか。実在したかもわからない人物だ。それに長い間人々は振り回され、あなたも私も振り回され、いつまでそれが続くのだろう」

 聴きなれないエドアルドの、低く響き渡る声に圧倒され、ビアンカは思わず言葉に詰まる。 


 何故、絵の聖オルドゥは、龍であるのか。

 原始オルド教は、今では忌むべきものである龍を守護神として崇めていたと、クライシュが言っていたような気がする。

 そう思えば、絵の作者から悪意は感じられない。


 一生懸命言葉を選び、エドアルドに語りかけるビアンカの声が熱を帯びていた。

「歴史は変わります。その時の権力者の都合のいいように。今は、龍を悪の化身のように見なしていても、千年の時が経てばまた違った解釈の仕方があるやもしれません」

 

 それに、とビアンカは付け加えた。

「金獅子騎士団の旗には、龍の姿があります。本当に忌まわしきものであれば、とうの昔に闇に葬られていたはずでございます。それが今でも続くのであれば」

 その日唯一の、エドアルドの心からの笑顔であった、とビアンカは後に思う。

「あれは、ヴィンスに任せっきりだったからな。所詮、遊びのようなものだったし。子どもの頃、騎士ごっこをして遊んでいた。ぼろぼろの旗を小部屋で見つけて、おとぎ話の世界で私達は英雄だった。まあ、まさか本当にやるとは思ってもみなかったけれどね」



***



 ぼんやりとしていたビアンカに声をかけたのは、果樹園で手入れをしているモニカだった。

 ビアンカは国王と別れた後、礼拝所を目指して歩いていたつもりではあったが、声をかけられるまで、自分がどこを歩いているのかも気付いていなかった。

 果樹園には、珍しい客もいた。

 ファビオが震える手を伸ばし、ひとつひとつ木の具合を丁寧に調べている。


「お一人で、どうなさいました」

 曖昧にうなずいているだけのビアンカに視線を向け、ファビオがゆっくりと腰を伸ばした。

「お忙しいだろうが、城下の帰りに、うちにも寄っていきなさい」

 ありがとうございます、とビアンカは言うと、黙ってファビオの作業を見守っていた。

「私もそろそろお迎えがきそうでな、この子に教えてやれることを徹底的に叩き込んでいるところだ。こんなにたくさん芽吹いて、蕾が膨らんできているだろう。きちんと可愛がってやらねば、実も結ばないからな」

 ビアンカが見上げた一本の木は、小さな白い膨らみが枝いっぱいに、今にも咲き出しそうなほどであった。


「東方の大国から伝わってきたものらしい。毎年、白い小花を咲かせるんだ。実をつけるまで、あと何年かかるかな。その頃まで私が生きていればいいが」

 木の幹をそっと撫で、ファビオは皺だらけの顔をかすかにほころばせた。

「この果樹園では、一番最初にこの花が咲くんだ。他の花に比べれば、地味で華やかさも控えめだ。他の花が咲く頃には、ひっそり花を散らせている」

 楽しみです、と微笑んでいるビアンカから視線を蕾に戻し、ファビオはぽつりと言った。

「これは、あんたに似ているな」


「花びらの数も、他の木より少ないんだ。花も小さい。けれど、その実は毒を持ち、毒が抜けると薬になる。はたしてあんたは、どっちだろう」

 おじいちゃん、とモニカがたしなめるように声を出す。

「皆様のお望みのままに、どちらにでもなります。それが私の、務めですから」

 いつになくビアンカの力強い声に、モニカは何かを感じ取ったのか、思わず巫女の横顔に魅入っていた。


 からからと笑い声を立てるファビオの肩に、モニカがそっとショールをかける。

 このところ体の具合が悪いせいか、祖父は寝室で過ごしている日が圧倒的に多かった。

 今日王宮に連れて来たのは、間違いでなかったかもしれない、とモニカは祖父の体調を案じつつも、ファビオの笑顔に心が洗われる思いがした。


 ビアンカは、先ほどから気になっていたことがあった。

 ここでファビオに出会えたのも、偶然とは思えなかった。

「オルドの巫女様は、絵の話をされていませんでしたか。…王の私室に飾られていたそうです」

 ファビオは眉をひそめ、遥か遠い記憶を必死で呼び覚まそうと試みていた。

「いや、記憶にない。私が、思い出せないだけかもしれないが。それが、何か」

「二枚あるそうです、ひとつは王宮に、もうひとつは、聖都のアーラ・オブリヴィアに」


 そうか、とファビオは呟くと、よっこらしょと言いながら木の根元に座る。

「日記に何か、書いてなかったかな」

「いいえ、また調べてみますけど、それに繋がるようなことは、なかったと思います」


「エドアルド様は、先々代によく似ていらっしゃるそうですが、それは本当ですか」

「そうだな。性格がまるきり違うせいもあってか、そういった印象は薄いが、確かに顔だけは一緒だな」

「今日お会いしましたが、陛下は…ご自身を疎ましく思っていらっしゃるように、私は感じました」


「お父上が、距離を置かれていたせいだろう。私にとっては今でも、エドアルド様は昔のままの、素直で可愛らしい方でしかないのだが。同年代の取り巻き連中に恵まれなかったのが、唯一の欠点だな」

 吹き出すビアンカと同時に、ファビオが笑い声を上げる。


「あやつら、毎年毎年根こそぎ泥棒のようにかすめとっていきよるのでな、ある年罠をしかけた。動物を捕まえるような単純な物だったが、それに引っかかる馬鹿な子どももいたな。あいつだ、サンティの何番目だったかな、頭の悪い息子だ。目付きの悪い奴は友達を置き去りにして、抜け目無くエドアルド様とさっさと逃げていったな」



***



 たかが一枚の絵、されど絵。

 たったそれだけのことだけれど、幼いエドアルドの心に、強烈な絶望感を与えた事実に、変わりはなかった。

 巫女の日記を初めから丁寧に目を通し、何か手がかりがあれば、と必死に文字を追う。

 翼、龍、羽根。それらの単語を古オルド語が連なる紙面からは、読み取ることはできなかった。


 その日記は、巫女がまだ聖都にいた頃から始まり、プレイシアの王に謁見する不安と喜びが入り混じる心境が綴られていた。

『本物の王のまばゆさに心の臓が止まるような気がした』

 巫女が王に対して好意を抱いていたと思えるような記述である。確かに二人は、一度は心を通わせていたのだろう。

 その後、巫女の戸惑いや哀しみを感じさせるような言葉が徐々に増えていった。

 最後の時期は彼女の心の内を語る言葉も、途切れがちになる。

 一番最後の頁は、『審判、戦い』と書かれて終わっている。


 ビアンカは、ただ悲しかった。

 何故二人は、幸せでなかったのか。

 最後の言葉は、誰に向けられたものだったのだろう。王なのか、巫女自身なのかわからなかったが、その二つの単語からは、怒りしか感じられなかった。

 

 ビアンカは日記を閉じ、書きかけだった手紙の続きに取りかかる。

 不思議と、心は落ち着いていた。

 どうかみんなが、悲しまないように。

 私は、大丈夫だから。


「随分熱心だね。誰かへの恋文だったら、即座に取り上げて暖炉に放り込むところだけれど」

 背後から突然声をかけられ、文字通り飛び上がるほど驚いているビアンカに、ヴィンチェンツォは意地の悪い顔をして笑っていた。

「いつも急にいらっしゃるから、驚きます」

「俺は、昔からかくれんぼがうまいんだ。それから、逃げ足もかな。いつも捕まるのは、要領が悪くて、すぐに嘘がばれるランベルトだった」

 すっかり自分の部屋のようにくつろいでいるヴィンチェンツォに、ビアンカは呆れながらも、やんちゃな子どもを慈しむ母親のような眼差しを向けていた。


「何か言いたそうな顔をしている。黙っていられると、居心地が悪い」

「知りません。誰かに見つかっても、私は庇いきれませんから。他の方達なら、迷わず被害者だとしらを切るでしょう。私も、それに習います」

 酷いな、と苦笑しながらビアンカを自らの膝の上に抱き寄せ、腕の中に閉じ込める。

 目が合った瞬間、まるでいたずら好きな少年のよう、とヴィンチェンツォの柔らかい笑顔を丸ごと自分の胸に抱き寄せるビアンカであった。


「陛下に、お会いしました」

「うん、知ってる」

 ヴィンチェンツォは天井を見上げたまま、軽くあくびをした。

 わざわざこのような時に話題にせずとも、とヴィンチェンツォは思うが口には出さず、無意識に隣に横たわるビアンカの栗色の髪をもてあそんでいる。

 寝屋の会話にしては、色気のないことこの上ないと思うが、生真面目に自分の次の反応を待っているビアンカは自分の良く知るビアンカで、自然とヴィンチェンツォは笑みを浮かべていた。


「大丈夫だよ、俺達が、絶対にそんなことはさせない。もちろん、フィオナ様の件も。お二人とも、互いに離れられないのはわかっているんだ。ただ、意地を張っているだけのようにも見えるし。素直になれば、簡単なのに」

 そうですね、と言うとビアンカはほんの少し上半身を持ち上げ、ヴィンチェンツォを見下ろした。

 覗き込むビアンカの瞳が、こころなしか含みのあるように見える。


「また何か言いたそうな顔をしていた」

「素直になるって、難しいものですから」

「俺に言っているように聞こえるのは、気のせいかな」

「さあ、どうでしょう」

 ヴィンチェンツォは、楽しげに呟くビアンカに気まずさを感じつつも、自分もつられて苦笑する。


「フィオナ様だけじゃない。あなたのこともだ。こんなふうに、人目を忍んでこそこそするのも、正直俺の性に合わない。…だから、負い目を感じないで欲しいんだ。今はまだ、心配しないでとしか言えないけれど、いつまでもあなたをここに縛り付けておくつもりはない」

 小さな囁き声でしかなかったが、ヴィンチェンツォの声に安らぎを感じ、ビアンカはその胸元に頭をそっと乗せた。


 その日は時間も忘れて、二人は他愛もない会話を楽しんでいた。

 幼かった日の出来事を互いに披露し合い、笑いをかみ殺していた。

 眠い、と先に根を上げたヴィンチェンツォをようやく解放すると、ビアンカは寝息を立てている隣の恋人の顔を、いつまでも眺めていた。


 幸せの続きは、またやってくる。

 だからまた、お会いしましょう。

 今度お会いする時は怒らないで欲しいけれど、きっと無理だろう、とビアンカはヴィンチェンツォの寝顔に向かって微笑んでいた。

 ヴィンチェンツォの額にそっと唇を落とすと、ビアンカは煙るような早朝の暗闇の中、その姿を消した。 

 

 

 

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