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漂う白花  作者: 渡部ひのり
第五部
116/136

113の話~旅立ち~

 外はまだ、闇の中であった。

 アデルは妙な感覚に何度か身悶えし、やがてそれが夢ではないと気付く。

 軽い吐息を漏らしつつ、ゆっくりと目を開けたアデルに、派手な色合いの金の髪が視界一杯に飛び込んできた。

 ぼんやりとしたアデルの寝ぼけまなこが、ロメオの獣のように爛々とした蒼玉の瞳と目が合う。


「…おはよう」

「…あんた、何してるの」

 悪びれるふうもなく、ごく自然にアデルの銀の絹糸のような滑らかな髪に手をやりつつ、ロメオはにっこりと微笑む。

「少し早く目が覚めたみたいで。一晩寝たら、すっきりしたし」

 いつの間にか、はだけた自分の胸元や太腿の辺りで、落ち着きなくうごめいている筋張った手があった。

 無言でその手を叩き落すと、アデルはロメオの体を寝台からすかさず蹴り落とす。

「出て行け」

 床に転がるロメオを冷たく見下ろし、アデルは一言言い放った。


 うっすらと扉を開け、何事かと眠い目をこすりながら、不機嫌そうな顔を覗かせた瑠璃であった。

 全裸で震えながら、扉を必死で叩く男が遠くにいる。 

「ごめんなさい、もうしません。だから、服をください」

「うるさい!とっとと帰れ!」

 私には関係のないこと、と金髪の男と一瞬目が合ったのも闇に葬り去り、おもむろに扉を閉める東方の巫女であった。 



***



 一度は、国王軍の圧倒的な戦力に押され、オルド教徒の命運も尽きたかのように思えた。

 その矢先、予期せぬ援軍の存在にオルド教徒が勢いづき、再び両軍はこう着状態が続く。

 数日後、国王軍の宿営所となっていた古い砦に奇襲をかけたオルド教徒達によって、砦は奪われ、両軍共に多数の死傷者を出すこととなる。

 


 荷造りも極秘に済ませ、キーファは準備万端だった。

 ごねるカタリナに足止めをくらい、いつまでものらりくらりと暇を持て余している場合でもなかった。

 一刻も早くスロへ行かねば、と厩に向かったキーファの前に、カタリナが憤怒の形相で自分を待ち伏せしているのは何故なのか。

 帝国の王子は呆然として、淡い金髪の少女を見下ろしていた。


「その格好はまさかとは思いますが」

「私も準備が整いました。あとは、出発するだけです」

 大きな荷物を背負い、カタリナがにっこりと微笑む。

 痛む額に手を当て、キーファは目の前が真っ暗になる気がした。

「まだ、お話合いが終わってらっしゃらぬとお聞きしておりますが」


「いったいいつまで、私を待たせるのかと我慢を重ねておりましたが、置いていくなど酷すぎます!私をお捨てになるつもりですか!」

「姫、そのような言い方をされると、二人の間に何かあったようにしか聞こえません。言葉を謹んでいただきたい」


「一緒に連れて行ってくださると約束したではありませんか!こうしている間にも、オルドでは犠牲者が出ているのです。あなたが船団を動かしてくださるという話も、反故になさるおつもりですか!」

「ですから、これからスロに。お願いですから、大声でわめき散らすのをお止めください」

「そう言いながら、私を捨てて逃げようとなさっているではありませんか!実はご自分だけお帰りになるつもりだったのでしょう!」


 違います、とたじろぐキーファは、自分の故郷ならいざしらず、よもや冬のプレイシアで汗をかくとは、と額に滲む汗をぬぐう。

 この娘をまいて逃げるのは、不可能に近いと直感的に悟り、キーファは時間稼ぎの為に説得を試みる。


「このような状況で、あなた自身も王都を離れるのはやぶさかではないでしょう。フィオナ様のご容態も芳しくありません。おそばで、見守って差し上げた方がよろしいかと。落ち着いたら、ゆっくりと参られるがよい。いつでも歓迎いたしますから」

「嫌です!今あなたと共に行かなければ、一生ここから出られぬに決まっています!」

 キーファの外套にしがみつき、カタリナはいやいやと首を振っている。


「それほどまでにして王宮を出たい理由は何なのか、お聞かせ願えるか。籠の鳥というわけでもなし、あなたはそれは大事に、伸び伸びと育てられているようにしか見えないのですが」

「それはわかっています。国王夫妻にも、感謝してもしつくせぬほどの愛情をいただきました。でも、それでは駄目なのです。私はいつまで経っても、役立たずのままです。このままでは、駄目なのです」

 伏し目がちなカタリナを見つめたまま、キーファは早く誰か、と困惑していた。


 突然カタリナが顔を上げ、思い切りのよい声で言った。

「お二人には、お手紙を書きました。ですから大丈夫です。さあ、参りましょう」

「それでは私が、誘拐犯になってしまうではないか」

「何でもいいです!早く!」

「よくありません!」


 長々と言い争いを続ける二人の様子が王宮中にあっという間に伝わり、続々と人が集まってくる。

 カタリナが駆け落ちをしようとしているという話もあれば、姫が誘拐されそうになっているとの話もあり、人々は混乱しつつも、厩めがけていっせいに集うのであった。

 気が付けば遠くから小走りに駆けてくる、青ざめたフィオナの姿が、遠目にもはっきりと映る。

 切羽詰った様子で詰め寄るカタリナを、困り果てたようにキーファが見下ろしていた。

 

 じわじわとカタリナ達を取り巻くように、近衛や王宮騎士団の面々が不安げに見守っている。

 ようやく自由になれる、とキーファが騎士達に向かって軽く顎を上げた。

「お迎えが来ましたよ。諦めて、あなたはここに残りなさい。あなたがいてもいなくても、ご協力すると約束しますから」

「いや!」

 普段聞いたことのない、カタリナの渾身の叫び声に人々は怯み、わけがわからないながらも「姫、落ち着いてください」と猫なで声で話しかける。


「君が行くと言えば、こんなことにはならなかったのに」

 責任転嫁のように自分を責めるクライシュを、ロメオはすかさず睨み返す。

「元はといえば、先生のせいだろ!あんた跡継ぎなんだろ、さっさと帰ればいいじゃん!さっさと王様になればいいじゃん!オルドでもカプラでも、ありったけ援軍送り込めばいいじゃん!そうしたらあんたの鶴の一声で、この国が救われるんだよ」

 だからそう言っているのに、とキーファが意地悪そうに呟いた。

「嫌ですよ、あんな所、帰るくらいなら死にます」

 クライシュの胸ぐらを掴み、ロメオがぶるぶると震えている。


「カタリナ…」

 顔色の悪いフィオナを支えているメイフェアが、乱れきった髪のまま荒い息をついている。

 自分も倒れそう、と思いながらも、その手でしっかりとお妃を支えていた。

 とっさにキーファの背中に身を隠すような素振りをみせるカタリナであったが、やがて恐る恐るその小さな顔をのぞかせた。


「フィオナ様、長い間お世話になりました。必ず、皆様のお役に立てるような人間になって、戻って参ります。ですから、どうか私の旅立ちを快く見送ってはいただけませんか」

 駄目に決まってるでしょう、とキーファは腹立ちまぎれの声を出す。


「あなたがいなくなると、寂しいわ」

 フィオナの微笑みが、いつもより頼りなかった。

 痛む胸を押さえ、カタリナが外套を握り締める手に力を込めた。

「私もです。でも、行かせてください」


「あなたを閉じ込めていたのは、他ならぬ私だったのかもしれません。あなたの気持ちを理解できず、苦しめた私を許してください」

「いいえ、楽しい毎日でした。…ただ、いつまでも守られている子どもではいけないのだと、私もどこかで、糸口を探していただけなのです。ヴィンチェンツォ様の縁談のお話も、きっとそう。結婚すれば、簡単に大人になれるのだと思い込んでいました。でもそうじゃないって、あの方が教えてくださったのです。その時はわからなかったけど、今なら、わかります。もっと他にも、私にできることがあるはずだと」


「わかりました。お行きなさい」

 静まり返る厩に、こつこつと誰かの足音だけが響く。


「お体大事に。遠くから、元気なお子が生まれますよう、お祈りしております」

 フィオナの隣には、いつの間にか国王の姿があった。黙ってうなずくエドアルドに向かい、カタリナは優雅にひざまずく。

「手紙を下さい。待っています。どんな小さなことでもよいですから、あなたの元気な姿を、知らせてください」

 零れ落ちる涙を拭うこともなく、フィオナは真っ直ぐにカタリナを見つめていた。

「もちろんです。…お母様」


「カタリナ様に、この者を預けます。お好きに、お使いください」

 いつの間に紛れていたのか、デメトリ・マレットやジョナサン・エイヴリーが、ぐいと麻色の髪をした若い男の背中を押しやり、にやりと笑う。

「ですが自分は隊長達とオルドに」


「いいから、お前はこの方をお守りして、帝国へ赴きなさい。カタリナ様お一人では、あまりにも心細いであろう」

 デメトリの強い口調に若者は気圧され、口をぱくぱくさせるだけである。

「願ってもない話だろう。カタリナ様を、可愛いと言っていたのだし。姫だと知って、落ち込んでいたのが嘘のような展開だ。よかったな。このような愛らしい方が上司なら、やり甲斐もあるだろう」

 傭兵隊長の発言に一同がざわめき、「何も知らないうちが花だ」と異口同音に言い合っている。


「隊長、やめてください」

 男が青ざめたり、赤くなったりするのを、旧知の仲であったアデルが、面白そうに眺めている。

「私の部下の、アイザックです。若輩ではありますが腕もたち、おまけにあらゆる国の言葉に長けておりますゆえ、必ずやあなたのお役に立ちましょう」

 ジョナサン・エイヴリーはカタリナの前にひざまずき、やがてゆっくりと顔を上げて少女に向かって微笑んだ。


「そんな下心丸出しの男付けて、いいわけないじゃない」

 呆れ顔のロメオの言葉をかき消すように、フィオナが威厳のある声で言った。

「よろしい、許します」

 フィオナの隣に並んでいた国王が、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 とうとうフィオナ様までおかしくなった、と呟くロメオは瞳孔が開く寸前である。


「お心遣い、感謝致します」

 カタリナが瞳を潤ませ、礼を言う。

「よかったわね、一緒に行けて」

 固まっているアイザックの背中を、ばんばんと力強く叩くアデルであった。 


「これが、最後のお別れになるのでしょうか」

 顔を赤らめているアイザックが、ほんの少し寂しげな表情を見せた。

「そうじゃないと祈りたいが。お前はお前の、役目を果たせ。それでいい。今まで、世話になった」

 デメトリの姿がほんの一瞬、ヴィンチェンツォの何かと重なったように見えたのは気のせいだろうか、とその場にいた人々はぼんやりと思った。

「ご武運を」

 アイザックの瞳にも、知らず知らずのうちに涙が浮かぶ。


「皆様、ありがとうございます。どうか、お元気で」

「カタリナ様も」

 メイフェアは短い言葉で別れを告げ、深々と頭を下げた。


 従者に重い荷物を押し付け、自分の馬に駆け寄るカタリナが、思い出したように振り返った。

「そうでしたわ、ビアンカ様とヴィンチェンツォ様にお伝えください。たくさん、ありがとうございましたと…そしてまた、いつかお会いしましょうと」

「必ずお伝えします」

 寝不足で幻覚が見える、幻聴が聞こえる、とぶつぶつ言っていたロッカが突然目が覚めたように、深く頭を垂れた。


「カタリナ様、行っちゃうの」

 ランベルトの肩に乗っていたアンジェラが、ゆっくりと地上に下ろされ、そっとカタリナの手を握った。

「ええ」

「私、お姉ちゃんになるの」

 うつむいたままのアンジェラの額にキスをすると、カタリナは寂しさを振り払うように、天使のような笑顔を見せる。

「私もよ。楽しみね」


「途中まで、お送り致します。…ほら、あんたも」

 アデルに腕を強く引かれ、ぼうっと突っ立っていたロメオが、渋々その後に続いた。



***



「ひとつ、聞いてもいいですか」

「何でしょう」

 すっかり上機嫌のカタリナを、くたびれたように眺め、ロメオが馬上で伸びをした。

「どうしてそこまでして、王宮を出たいんです。後宮暮らしが嫌なら、そう言えばよかったのに」


「そうではありません」 

「じゃあ、何で」

 晴天の霹靂とはこのことをさすのか、とアイザックはいまだに自分の運命を受け入れることができないようであった。

 酒の席であったとはいえ、自分のうっかりした一言で、こんなはめになるとは、とアイザックは何度か麻色の髪を軽く振る。


「帝国のハーレムって、どんなご様子なのかしら。私にも、見せていただけるのかしら」

「もちろん。あなたは、大切な客人ですから」

 もはやこの姫には何を言っても無駄、全ては甘やかして育てた国王夫妻のせいである。

 キーファは雲ひとつない空を見上げ、この少女の姿をした生き物はいったい何なのだろう、とすら思えてきた。


「あなたの大勢の恋人達にも、合わせていただけるの」

「…ご要望とあらば、いつでも大歓迎ですが」

 この話の流れは、何かがおかしい。

 首を傾げているロメオに、カタリナが恥ずかしそうに言った。 

「私、瑠璃様のようになりたいんです。私も、お話を書きたいの」

「そんなもの、どこでも書けると思うけど」


「ありふれた恋話もよいのですが、私が書きたいのは、そうではなくて…キーファ様のような方のお話を書きたくて。美しい男性同士の、耽美的な話を…といっても、私がそれを再現するには、修行が必要ですが。ずっと夢だったんです。お恥ずかしいわ、師匠以外の方に、初めて将来の夢を話してしまいました」

 恥らうポイントが何か違うような気がする、とロメオはカタリナを見つめた。

「そんなもの、誰が読むの」

 

「女官達は、そういう話大好きですけど。でもあまり読む機会もないので、ならば自分で書いてみようかと思ったまでです。キーファ様の世界を、そのまま物語にしてみたいのです!その為の、帝国行きです!」


 お姫様の言っていることが理解できない。

 聞かなかったことにしよう、とロメオは固く心に誓った。

 自分が想像していたより、この姫は相当変わったお方だった、とアイザックはふわりと揺れる淡い金色の髪を眺めながら、無になれ、と自分自身に言い聞かせていた。

 楽しい道中になりそうね、と微笑むアデルに、アイザックは弱々しくうなずき返すのであった。




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