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漂う白花  作者: 渡部ひのり
第四部
109/136

106の話~仮面~

「遠いな。こんなことなら、正面から堂々と入るべきであったな」

 ウルバーノの自嘲気味な声が響き、後ろにいた男がウルバーノの機嫌を取るような声を出す。

「それでも、王都のあちらこちらに爪跡を残すことができました。まずまずといったところでございますかな。お役に立てて何よりでございます」


「確かにそうだね。余計なことしないで、さっさと来ればよかったのに。おかげで僕は、間に合ったけど」

 ウルバーノは暗闇で眉をひそめ、聞きなれない声の主を探す。

 月に照らされひっそりと佇んでいる男の、派手な色合いの金色の髪と、生意気そうな碧い瞳には見覚えがあった。

「ロメオ・ミネルヴィーノ。久しいな」

「覚えててくれたんだ」


「あんたも懲りずに、ウルバーノなんかとつるんでたんだね。知ってたけど。あんたの独断?それともあの棺桶に片足突っ込んだような王様かな」

 ウルバーノの隣にいる男が、気まずさを隠すように片手で自分の頬を撫でている。

 フォーレ子爵の後任となった、コーラーの大使だった。


「だからさっさと片付ければよかったのに。エディがもたもたしてるからこんなことに。僕の苦労が水の泡になっちゃう」

 ロメオはふてくされたように呟いた。

「で、あんた達は何処へ行こうとしてるの。まさかビアンカを探してるとか」

 ウルバーノは悪びれる様子もなく、黙ってロメオを眺めていた。


「アデルとは旧交を温めあっているらしいな」

「お前には関係ないだろ」

 脈絡もなく突然アデルの名を出され、ロメオは乱暴に言い返した。


「おめでたい男だな。お前のそのひねりのない思考回路は、昔から変わらないようだ。まだ気付かないのか」

 剣を抜きかけたロメオの手が止まり、反射的にウルバーノを睨みつける。

 そんなロメオの反応を楽しむように、ウルバーノは続けた。

「騙されていたとも知らずに、あの女に溺れたか。お前も含め、王宮内の出来事は逐一報告されている。アデルによって」

 絶句するロメオに向かい、ウルバーノは陰湿な笑みを投げかけた。


「あれは俺の協力者だ。何の為にあのような行動を取っていたか、考えればわかりそうなものなのに。無理もない。徹底的にお前をたらし込めと言っておいたからな」

「嘘だ。アデルは、そんなことしない。僕達の、ビアンカの仲間だ」

 この男は何を言っているのだろう。信じない、こいつの常套手段だ。騙されてはいけない。


 動揺を隠し切れないロメオをあざ笑うかのように、ウルバーノはふん、と鼻先を鳴らす。

「信じるか信じないかは、お前の自由だ。お前に楽しんでもらえて何より。誰があそこまであの女を仕込んだと思っている。あのアデルをだ。いい女になっただろう」

「黙れ!」

 ロメオの瞳が激しさを増し、怒りを込めてウルバーノに切りかかろうとする。

 しかしウルバーノの同行者達によって行く手を阻まれ、その剣はウルバーノには届かなかった。


 コーラーの大使に急かされ、ウルバーノは悠然とその身をひるがえした。

「そこでじっくり考えるといい。死ぬまでの短い時間でな」

 口元を歪ませ、楽しそうに笑いながら去っていくウルバーノの後ろ姿を睨みつけ、ロメオは思わず絶叫した。



***



 水道橋では、早くも応急処置が行われていた。

 石工の親方衆や内務省の役人達が、ずぶぬれになりながら橋の下を駆け回っていた。

「弁解の余地もない。今は、復旧が先だ。こらえてくれるか」

 自分も滴り落ちる水に濡れながら、ヴィンチェンツォは人々に向かって長い間頭を下げていた。


「問題ありませんよ。先ほど水門を閉じました。数日不便をおかけしますが、命がけで直します」

 若い役人が気遣うように微笑み、お顔を上げてください、と言った。

 幸いにも、砲撃のみで伏兵達は立ち去り、城下は人的な被害にみまわれることはなかった。


「よかったわ、略奪がなかっただけでもましよ。あいつら、何がしたかったのかしらね。これくらい、どうってことないわ」

 アルマンドが濡れたヴィンチェンツォに「お着替えされたら」と声をかけるが、ヴィンチェンツォは黙って首を振った。

  

「あんまり落ち込んじゃだめよ」

 アルマンドや親方衆の励ましの声にも、どことなく上の空で返事をする。

 責められた方が、どれだか楽だったか。

 信頼を裏切った自分に、優しくする必要なんかないのに、とヴィンチェンツォは自責の念にかられる。

 けれど、自分が落ち込んでいては、周りに影響してしまう。

 まだ終わっていない、とヴィンチェンツォは気持ちを切り替えて、次の場所へ向かう。


 それから薄煙をあげる騎士団の詰所に立ち寄り、ヴィンチェンツォはこみ上げてくる悔しさをかみしめていた。

 火は消えたようだったが、いまだにくすぶり続ける煙が辺りに立ちこめている。

 詰所の半分以上が崩壊し、瓦礫の山と化していた。


「申し訳ありません。敵の侵入を許してしまいました。王宮の方々が、ご無事だとよいのですが」

 張り詰めていた糸が切れたのか、エミーリオがすすだらけの顔をぐしゃぐしゃにして泣き出した。

 混乱するエミーリオ達の前に、数十人の男達があらわれ、あっという間に地下道を抜けていったという。

 地下道の入り口の鉄扉は外され、切られた鎖が草むらに転がっていた。


 敵を追う事もできず、自分の身を守るだけで精一杯だった自分を恥じ、エミーリオ達はひたすらうなだれている。

「大丈夫だ。陛下たちも戻られている。こちらこそ、すまなかった」

 震えるエミーリオを抱きしめ、ロッカが「無事でよかった」と何度も繰り返していた。


 心苦しさと戦いながら、ヴィンチェンツォはエミーリオ達に言った。

「アカデミアもだ。医局の倉庫から引火して、被害が拡大してしまった。あそこはまだ、近づけるような状態ではない」

 エミーリオのそばにいた少女達が再び泣き出し、ロッカは切なげに少女達を見た。

 そうですか、とロッカの腕の中でエミーリオは呟く。


 この子達の大切なものまで奪われてしまった。

 自分は何をしているのだろう。

 ヴィンチェンツォはぼんやりと、瓦礫の山を見つめていた。

 ロッカが一生懸命、子ども達を励ますように「命あってこそです」と言う。

 だがロッカのように、自分が労わりの言葉をかけるのは、許されないような気がした。


 負傷者の手当てを、と言い残すと、ヴィンチェンツォも王宮目指して走り出した。

 信じたくはなかったが、混乱に乗じて王宮へ侵入したとなると、目的はただ一つしか思い浮かばなかった。

 あんな雑魚共に気を取られて、俺は何をやっていたのか。


「俺に付き合わず、ロメオと王宮へ戻ればよかったのに」

「自分は副官ですから」

 ロッカの不安が限界なまでに膨らんでいるのが、言葉に出さずとも伝わってくる。

 もし彼女に何かあったら、ロッカは決して自分を許さないだろう。

 真っ先に、彼女のもとへ駆けつけることのできないこの身が疎ましい、と思ったのは何度目だろうか。

 どうか無事で、とヴィンチェンツォは祈り続けるしかなかった。

 


***



 何かがおかしい、とアデルは不審に思う。

 先ほどまで、妙に騒がしかった外の気配が一変し、不気味な静けさを取り戻している。 

「何かあったの」 

 と、アデルは外で警護している騎士の一人に声をかける。

「残念ながら、先ほどから連絡が取れません。何か起きたようですが」

 騎士は申し訳なさそうに言うと、「様子を見てきます」と立ち去っていった。


 アデルは礼拝堂の中に戻り、ビアンカはどこだろうと、と明かりを片手に巫女の姿を探す。

 地下から人の声がする。

 お祈りの時間だったかしら、とアデルは石段をこつこつと降り、そこで信じられない光景を見た。


 必死でもがき続けるビアンカを捕らえる男達と、ウルバーノだった。

 ウルバーノは龍の彫像に寄りかかり、無感動に「久しぶりだ」と言った。

「ウルバーノ様…」

「積もる話もあるだろうが、今日はビアンカを迎えにきた。お前も来るか」


 アデルの苦痛に満ちた顔を、何故か嬉しそうに眺めるウルバーノがいる。

「馬鹿にしないで!ビアンカを放しなさい。この王宮から逃げ出せるとでも思っているの」

「人質がいる。あなた方もむやみに手は出せまい。それに、あっけなく侵入できた。肩透かしなほどに」


「その人数で、逃げ切れるわけがないわ。もうすぐ応援が来る。終わりよ」

「王宮の中は大混乱だ。実質、お前一人きりではないか。むやみに虚勢を張る姿も変わらないな」

「裏切り者のくせに。私を騙して、利用して。あなたのせいで、どれだけの人が傷ついたと思っているの」


「目指すところは同じだったはずだ。巫女を守る、確かに同じだろう」

「違うわ!あなたは、壊しているだけよ。お願いだから、ビアンカを放して」

「俺を見逃してくれないのか、アデル」

 甘い声でささやくウルバーノから目をそらし、やめて、と叫ぶと、アデルは思わず耳を塞いだ。


「どうして、お二人は」

 ウルバーノの話など、アデルの口から一度たりとも聞いた覚えがなかっただけに、二人のただならぬ雰囲気に、ビアンカは驚きを隠せなかった。

「昔の恋人だ」

「どいつもこいつも、調子いいことばっかり。あの時、あなたを殺しておけばよかったと、ものすごく後悔してるわ」

 吐き捨てるようにアデルは言い、腰に下げた剣に手を当てた。


「これで最後よ。ビアンカを解放しなさい。どのみちあなたに、逃げ場はないのよ」

「やってみるといい。その剣を、この俺に振り下ろすことができるのであれば」

 激高したアデルが剣を抜くやいなや、ウルバーノめがけて突きたてた。

「二人ともやめてください!」

 ビアンカの声が、地下室に響き渡る。


 アデルの片頬がぴくりと動き、ウルバーノに憎しみの眼差しを向けるが、その瞳はどこか精彩を欠いていた。

 一瞬の隙を狙い、ウルバーノは怯んだアデルの細い手首をひねりあげ、剣を叩き落す。

 乾いた音を立てて落下する剣を見つめ、アデルはその場に立ちつくしていた。


「どうしていいのかわからなくなったんだろう。簡単だ、ビアンカを俺に渡してくれればいい。お前にその気があるなら、オルドで待っているぞ」

 アデルの唇が、かすかに動くが、何を言っているのかは聞き取れなかった。

「ヴィオレッタ様、逃げてください!」

 ビアンカが、放心状態のアデルに向かって懸命に呼びかける。

  

 ウルバーノが無表情のまま、アデルを壁に押し付けた。

 首を強く絞められ、アデルは必死でその手を振りほどこうとする。

「お前を殺したくない。それはお前も、同じだろう」

 言葉とは裏腹に、ウルバーノから発せられる隠しようもない殺気が、アデルをじわじわと蝕んでいく。

 かつて数え切れないほど触れ合った唇が、再び自分の唇に触れるのを最後に、アデルは急激に意識を失っていった。


「ヴィオレッタ様!」

 泣き叫ぶビアンカの腕を掴み、ウルバーノが何事もなかったかのように歩き出す。

「どうしてこんなことを。何の為に私を、巫女を利用するのですか」

「母君がオルドであなたをお待ちだ。一日も早くあなたに会いたいとおっしゃっている。私はその言葉を受けただけ」

「嘘です、ウルバーノ様のおっしゃることは、全て嘘です。私はあなたを信用していません」

 

「あの男に感化されたか。奴が何を言ったかは知らぬが、全て奴の主観でしかない。そもそも、あいつは私を嫌っていたからな」

「あなたのように卑怯な手を使う方を、どうして信用できましょう。ヴィンチェンツォ様は、あなたのように後ろ暗いところなど何一つありません。あの方は、立派な方です。あなたとは違う」

 抵抗し続けるビアンカの両手を掴み、見下ろすその瞳に、怒りが満ちていく。


 いつだって、あの方に嘘はなかった。言わないことはたくさんあったけど、嘘をつかれたことはただの一つもなかった。

 それに引きかえ、自分はどうだったのか。

 あの方と同じくらい、本音で向き合えなかった。

 嘘にまみれているのは私の方だった。


「あなたは何も知らない。あなたの知らないところではあの男も、身の毛もよだつような悪人っぷりだ」

 違います、と叫ぶビアンカの声が引きがねとなったのか、階段の上から唸り声を上げていた猫が、主人のもとへと走ってきた。

 突如襲い掛かってきた猫に足を噛みつかれ、思わず顔をしかめると、ウルバーノは忌々しげに猫を睨みつけた。


「畜生が」

 なおも必死で食いつく猫を振りほどこうと、ウルバーノは半ば強引に足ごと壁に叩きつける。

「やめて!」

 ビアンカの悲痛な叫び声が地下室に響き渡る。

 猫はずるりと床に落ち、やがてぴくりとも動かなくなった。


 凍てつかせるような瞳で猫を見下ろしているウルバーノは、自分の知らない男だった。

 かつての恋人を虫けらのように扱い、喜びの笑みさえ浮かべている。

 自分の知る従兄弟の面影は、もはやどこにもない。

 それも、自分が気付かなかっただけで、所詮は作りものの仮面であったのか。

 ビアンカの心には、身内であるという意識から、いまだウルバーノに対するわずかな信頼が残っていた。

 それもいつの間にか、風にさらわれた砂のように何処かへ消え去っている。

「あなたは、最低です」

 ほめ言葉だな、とウルバーノはビアンカの耳元でささやいた。 

 

「少し静かにしていただこうか。手荒な真似はしない」

 ビアンカの頬を伝う涙を自分の手で拭うと、ウルバーノは顎をとらえ、ふところから取り出した何かを強引に流し込む。

 咳き込むビアンカの唇を自らの唇でふさぐ。

 琥珀色の瞳が一瞬濃い色合いに変わったかのように見え、ウルバーノはゆっくりと唇を離すと、艶然とした笑みを浮かべた。

「あなたには少々強すぎるかな。その快楽に、しばらく身を委ねているといい」

 禁制品、とビアンカは呟きながら吐き出そうとよろめくが、またもやウルバーノに唇をふさがれる。


 この男の唇ほど罪深いものがあっただろうか。

 惑わせる言葉を紡ぎだし、貪り、人心を操る。

 私はこんなところで、この男の言いなりになど、ならない。


 ビアンカは自由の利かなくなった体を引きずり、けんめいに歩き出す。

 世界が回る、鼓動がいつもと違う、とビアンカはよろめく体を壁に預けた。

 自分を追うわけでもなく、ウルバーノは黙ってその様子を観察している。

 徐々に混濁していくビアンカの意識の中で、ウルバーノの瞳は例えようもない喜びを含んだ残虐な輝きを放っていた。


 

   


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