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漂う白花  作者: 渡部ひのり
第四部
107/136

104の話~目覚め~

 中庭で鳥笛を吹き、伝令を待つ。

 徐々に空気が鋭さを増してくる。

 冷たい風が、咲き誇る冬の薔薇の香りを運び、ロッカの鼻先をかすめて通り過ぎていった。

 やがて、白と灰色の混ざった小ぶりの鷹が、弱々しい日差しを背に受けながら、空から舞い降りてきた。


「ランベルトのところへ」

 ロッカは鷹にささやき、幾度か翼を撫でると、大空へ再び解き放つ。

 ロッカはしばらくその姿を目で追っていたが、やがて鷹の姿が見えなくなると、次の仕事に取りかかるべく、宰相府へと急ぐ。

 走り回る人々の間を縫うように、ヴィンチェンツォの執務室にすべり込むと、若き宰相は既に支度を終え、少々伸びすぎた髪をまとめるべく、四苦八苦している。


 うまくいかない、とぼやくヴィンチェンツォの背後に近づき、ロッカは不器用な上司の手を止めた。 

「手伝いましょう。気になるなら、切っておけばよかったのに」

「首が寒いのは嫌だ」

「ならば、そのままでよろしいのでは」

「目に入ったら、邪魔だからな。以前それで、ランベルトに一本取られた」

 そうですか、とロッカは抑揚のない声で答え、あっという間にヴィンチェンツォの髪をまとめて結い終わる。


「自分でやるから、うまくいかないんだ。人にするなら、俺にでもできる。お前はそのままでいいのか」

 すっきりしない顔でヴィンチェンツォが、ちらりとロッカを振り返った。

「一年中、この状態ですから問題ありません。結構です」

 そうか、とそこで話が終わり、ヴィンチェンツォは「ありがとう」と礼を言うと革手袋を両手にはめた。

 

 準備を終えたヴィンチェンツォに続き、ロッカも上着を脱ぐ。

 ヴィンチェンツォは何も言わず窓枠に腰かけ、右往左往する人々を見下ろしていた。

 そして黙々と着替え続けるロッカに視線を移すが、一見いつもどおりのその表情からは、今彼が何を思うのか、全くといっていいほど、うかがい知ることが出来なかった。



「今日は、騎士団の方々もお忙しいようですね」

 ふと窓の外を眺めれば、王宮騎士団の人々が慌しく、詰所を頻繁に出入りする様が目についた。

 昼ごろに、瑠璃がランベルト達に呼ばれたきり、戻ってこない。

 何があったのだろう、と不穏な空気を感じつつも、ビアンカは平静を装い、明かりを手に歩き出す。

 護衛役の猫が一歩後ろを歩き、ビアンカのお供をした。


 地下へ降り、泉を囲むように配置された燭台にも、一つずつ丁寧に明かりを移してゆく。

 全ての燭台に炎が宿り、ビアンカはいつものように、祈りを捧げる。

 芳醇な大地をもたらす、聖なる川の流れに感謝の言葉を述べ、ビアンカは詩篇の一節を口ずさんでいた。


 自分が今までに暮らした土地の中でも、王都の豊かさは、抜きん出ていた。

 この恵まれた地が、いつまでも繁栄の象徴であり続けますように、と古オルド語で呟くビアンカの姿を見つめるヴィンチェンツォが、静かに階段の端に佇んでいる。

 声をかけるタイミングを見計らっているのか、ヴィンチェンツォは奥にある龍と獅子の彫像のように、指一つ動かす気配もなかった。

 明かりの下に浮かび上がるビアンカの横顔にしばらく魅入っていたヴィンチェンツォは、やがて石段にかすかな音を響かせ、巫女のそばへと歩み寄る。


 私のよく知る、あの人の声がする。

 自分の名を呼ばれ、ビアンカは閉じられた目をゆっくりと開いた。

 背中を這い回るような、ぴりりとした感触が波のように、ビアンカを何度も刺激する。

 宰相様のまとう空気がいつもと違う、とビアンカは思った。

 

「騒がしくてすまない。明日になれば、いつもどおりだ。何も心配せず、ここで普段どおりにしていて欲しい」

「お忙しい中、わざわざご報告に足を運んでいただき、恐縮にございます」

 いくつもの疑問がビアンカの頭の中に浮かび上がる。

 白いヴェールを被った頭を持ち上げ、ヴィンチェンツォの後ろに佇んでいる騎士達を見つめた。


 いつもの修道服とは違う、完全装備の姿で現れた瑠璃を一目見るなり、ビアンカは全てを悟る。

 そして、ヴィンチェンツォや瑠璃と同じような制服に身を包んでいる、クライシュやロッカもいた。

 

 オルド教徒らしき武装集団が、王都へ向かっている、と聖都のフェルディナンドやマフェイから報告を受けたのは昼過ぎのことであった。

「城下に一兵たりとも入れるな。手前で食い止める」

 エドアルドの命を受け、王都にある兵力が、続々と郊外へと集結しつつあった。


「オルドから進軍する数、およそ二、三千とのことだ。それが多いのか少ないのか、俺にはわからぬが、取りあえず行ってくる。言うまでもないが、ここが戦場になるなど、あり得ない。何も心配はいらない」

 

 宰相様自ら出陣されるとは、と次第に顔を曇らせるビアンカに、瑠璃はあくまでも優美で落ち着いた笑顔を向けた。

「私達は、この国の騎士としての務めを果たしたいと思います。少々巫女様のおそばを離れますが、アデル様、後のことは頼みましたよ」

 アデルは「仰せのままに」と答え、あでやかな騎士達に向かってひざまずいた。


 この場に相応しい言葉を見つけることができず、ビアンカはもどかしさを抱えながら、「皆様、お気をつけて」と言うのがやっとであった。

 無言で一つうなずき、背を向けて歩き出すヴィンチェンツォは、振り返らずにそのまま姿を消した。

 では、とクライシュ達と軽い抱擁を交わし、ビアンカは人々を地下室から見送った。

 

 階段の途中でこちらを振り向くロッカにどきりとしながらも、ビアンカは目を逸らすこともできず、ガラス玉のような瞳を見つめ返していた。

 何を言えばいいのか、いまだに心の準備も出来ていないのに、自分は何故振り向いてしまったのか、とロッカは思わずうつむきかける。

 先に沈黙を破ったのは、ビアンカだった。

「無事のお帰りを、お待ちしております。どうかご無理のないように」

  

「ありがとうございます。ビアンカ様も」

 もっと気の利く返し方はないものだろうか、とロッカは自分の機転の利かなさを歯痒く感じるが、ビアンカの労わるような微笑みに、自然と自分もつられて笑顔になっていることに気付いていなかった。

 軽やかな足音を残して去っていくロッカは、春の日差しの中を駆ける、駿馬のようであった。


 かわいいわねえ、とアデルは含みのある笑みを浮かべて呟く。

「あんなたわいもないやり取りだけで、随分喜んでたわね。反応が素直で、初々しいわ。いつも笑っていればいいのに」

 あの中ではロッカが一番年下だと聞かされ、アデルはにわかに信じられなかった。

 何もかも見透かすような無機質な瞳は、若者にしては妙に落ち着き払った雰囲気をかもし出していたが、今の反応を見る限り、確かに年相応なのかもしれないと、ようやく納得がいく。


「残念だけどロッカは、年上のお姉さんはまるで駄目なんだよ。特に君みたいな人に、色気丸出しで攻められると、あっという間に壊れちゃうからね」

 遅れてやってきたロメオが、緊迫した状況をまるで無視するかのように、のんびりとした口調で言った。

「私は何も言ってないわよ。私にもあんな頃があったのかしらって、懐かしくなっただけ」

 アデルはむっとしたように言い返し、へらへらと笑っているロメオを軽く睨みつけた。


「君も昔は可愛かったのに、どうしてそんなふうに恥じらいも可憐さも無くなっちゃったんだろうね?」

「人のことを不細工だと、さんざん馬鹿にしていたくせに」

「そんなこと言ってないよ。はつかねずみみたいで可愛いって言っただけだよ」

 嘘をつくな、とアデルのすみれ色の瞳が無言で語っていた。

 それがどれだけ自分を傷つけたか、いまだにこの男はわかっていないらしい。


 あまり好ましい展開ではないようだ、とビアンカは逃げるように「それでは…」と二人を置いて、そそくさと階段を上がっていった。  

「あんたも一応、頭数に入ってるんでしょ。さっさと行きなさいよ。たまには役に立ちなさい」 

 冷たいなあ、とロメオはいつものように皮肉混じりの笑みを投げかける。


 不機嫌そうな表情のまま、立ち去ろうとするアデルの腕を掴み、ロメオは「気をつけてねとか言ってくれないの」と不満そうに言った。

「なんで私が」

 いつだか、私とはかかわりたくないと言ったその舌の根も乾かぬうちに、よくもそのようにずうずうしい言葉を吐けるものだわ、とアデルはロメオの腕を振り払う。


「どうしてそんなに冷たいのかなあ」

「嫌いだから。さっき『はつかねずみ』って言われて、あんたが嫌いな理由を思い出したわ」

「別にいいよ、嫌いでも」

 言葉に詰まり、目を背けたアデルの背中に、ふわりとした温かい感触が伝わってくる。

「またね」

 その声はいつになく寂しげで、アデルは肩越しにまわされた冷たい手を思い切りつねりながら、「そういうところもずるくて、嫌い」と言った。 


 ある程度の破壊をもって、こちらに物理的及び精神的な打撃を与えるにしろ、それだけで奴の気が済むわけがない、とヴィンチェンツォは何度もロッカ達と練り上げた「ウルバーノ及びオルド教徒が牙を剥いてきた場合の対処法」を今一度頭の中で整理するが、今がその時なのだという実感はあまりない。


 厩に見送りに来ていたフィオナ達が、ヴィンチェンツォ達に向かって頭を下げる。

 エドアルドが「そろそろ行こうか」と狩りにでも行くような口調で言った。

 勢いよく駆け出していくエドアルド達の後姿を見つめ、カタリナが何度も首をかしげていた。

「あれは、何ですか。近衛とも、王宮騎士団とも違うようですわ。私、初めて拝見いたしました」

「そうでしょうね。私も初めてです。過去のおとぎ話の中から抜け出してきたのでしょう」

 女官長のマルタが目を細め、いつまでもその後ろ姿を名残惜しそうに見守っていた。


 既に王都の郊外では戦闘が始まっているとの報告が届き、ヴィンチェンツォ達は疾風のように城下を駆け抜けていった。

 鉄鎚を片手に、倉庫の入り口に板きれを打ち付けていたアルマンドが振り返り、走り去るヴィンチェンツォ達をうっとりと眺めながら「美しいわ」とため息をつく。


 全員分が間に合ってよかったわ、と制服の出来栄えを自画自賛しつつも、こうしちゃいられない、と緩んだ頬を引き締める。

 城下には一兵たりとも入れぬと宰相様はおっしゃっていたけど、万が一の場合に備えないといけないわ、とアルマンドは鉄鎚を握る手に力が入る。

 そして外で同じようにそれぞれの店の前で「急げよ」と怒鳴り声を上げている親方衆に目をやり、再び自分も作業に戻るのであった。


 水道橋の下を抜け、ヴィンチェンツォ達は街道をひた走る。

 道はだんだんと緩やかな上り坂に変わり、ヴィンチェンツォ達は斜面を上ってゆく。

 その遥か先の小高い丘の下辺りからなのか、大勢の人間が発する怒号混じりのざわめきが、徐々に大きくなってくる。

 どうやら腹をくくらねばならないようだ、とヴィンチェンツォは葉を落とした木々の間から見える双方の軍勢を、鋭利な瞳で一瞥した。



***



 敵は正規の訓練を受けた兵ではない寄せ集めにもかかわらず、妙な粘り方をする戦いにくい相手だ、とプレイシアの兵士達は苦戦していた。

 聖都でことあるごとに暴動を繰り返していた奴らだろう、と苦々しく思い、兵士達もあまりなめてかかってはいけない、と変わらぬ戦況に苛立ち始めていた。


 王宮騎士団の到着をいまかいまかと心待ちにしていた指揮官は、丘の上にようやく姿をあらわした濃紺の騎士団に安堵するが、その中で際立つ、見慣れぬ騎士達の姿が目に映り、まさか敵兵では、と思考停止に陥った。  


 あの緋色の騎士達は何者だ、とその場が不安げにざわつきながらも、その中に国王エドアルドや若き宰相の姿を見つけ、兵士達の士気が一気に高まっていく。


 顔色一つ変えずに、平然と旗を持つクライシュの頭上では、金色の獅子と黒色の龍が炎の中でうごめくかのように、風にあおられた緋色の紋章がたなびいている。

 その横では、少年のように小さな瑠璃が、自分よりも大きい槍を持ち、斜面の上から戦況を確認している。

 ステラの束ねられた長い黒髪が、まるで紋章の龍のごとく、時折うねりながら風に舞う。

 バスカーレは、隣で不敵な笑みを浮かべるロメオとランベルトに何事かささやいているが、その声は風にかき消され、周囲の騎士達には届かないようだった。


 エドアルドは腕組みした手をほどき、風に揺れる金の髪をかきあげ、辺りをゆっくりと見回した。 

 ロッカが、あまりの強風に顔をしかめ、自分の肩までかかる赤い髪を手早くまとめあげた。

 そしてヴィンチェンツォに一歩歩み寄り、ロッカは「団長、ご命令を」と耳元でささやいた。

 それに呼応するかのように、ほんの一瞬、不気味な音を上げ続けていた風が止まり、ヴィンチェンツォは辺りを切り裂くような瞳で正面を見据えた。

 血を連想させるかのような、彼らの緋色のマントが風になびき、まるで死の象徴であるかのようだ、と誰もが息を飲む。

 ヴィンチェンツォの、雄たけびにも等しい低い声は、味方でさえ思わず震えさせた。


「金獅子騎士団、参る」



 

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