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漂う白花  作者: 渡部ひのり
第四部
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103の話~苦悩する人々~

 ロメオは、昼過ぎに詰所にあらわれたバスカーレを見るなり、ぽかんと口を開けていつまでも団長を眺めていた。

「ステラはどこだ」

「えーと、鍛錬場へ」

 そうか、とバスカーレは呟き、あごに手を当て、しばらく浮かない顔をしていたが、やがて立ち上がり、どこかへと去ってゆく。

 バスカーレと入れ替わるように、ランベルトが部屋に入ってくるが、驚きを隠せず、思わず「えっ」と叫ぶと、しばらくバスカーレの後姿を穴のあくほど凝視していた。


「あれはいったい…団長だよね?」

 そうみたいだね、とロメオは気の抜けたような声を出し、自分の椅子に座った。

「なんだかいまいち、しっくり来ない…っていうか、何があったんだろう」

「そーかー?俺らが小さい頃、あんな感じだったなって今思い出したけど」

 何度も首をかしげているロメオたちを見つけ、エミーリオが「どうなさいました」と声をかける。


「団長がね…団長じゃないみたいなんだ。ひげが無くなってしまった。いったい、どうしたんだろう」



***



 稽古を終えて、ステラは詰所の入り口に急ぎ足で向かう。

 体が冷え固まってしまう前に着替えよう、とステラは見習い騎士達に「風邪をひくなよ」と声をかけた。

 ステラ、と聞きなれた声を耳にし、ステラはなにげなく振り返った。

 この人は誰だ、とステラは見慣れぬ男性の顔をしげしげと眺め、そして自分の婚約者であり、上司であると気付く。


「団長、ですよね」

「そうだが」

「一瞬、どなたかわかりませんでした」

 ステラは動揺しながら答え、思わずうつむいた。

「…似合わないか」

「いえ、そんなことはありませんけど。…着替えてきます」

 ステラは素っ気無く言い、詰所の中へ駆け込んでいった。


 全力で走り去るステラの後姿を眺めつつ、ヴィンチェンツォは執務室の扉に手をかけた。

 中では、笑い転げているロメオたちがいた。

「のん気だな、毎日楽しそうで」

「お前、見た?団長のひげ」

「見てないが、それが何か」

「全部なくなっちゃったんだよ、もう別人かっていうくらいに、つるんとして」

 たかがひげの一つや二つで、と言いかけたヴィンチェンツォは、のそりとあらわれたバスカーレの顔を見るなり、思わず吹き出しかけ、慌てて表情を引き締める。 


「ほら、ね」

「俺は笑ってなどいない。驚いただけで」

「そんなに違和感があるのか」

 憮然とした表情で、バスカーレが自分の席に座る。


 バスカーレの顔をあらためて食い入るように見つめ、「何があったんです」とランベルトが言った。

「別に何も」

 ロメオが机に足を乗せ、のんびりとした口調で言った。

「この前、二人で宴に出たあとから、何かおかしいよね。誰かに何か言われちゃったとか。あんたみたいなおっさんには不釣合いな、若くて綺麗なお嫁さんですね、とか」

「誰もそんなことは言っていない」


「まあ、いいじゃないの。すっかり若返ってしまって、びっくりしたけど、似合ってますよ。別人みたいに、爽やかな好青年じゃないですか。実はすごい童顔だったんですねえ」

 ランベルトは、落ち込む団長を慰めるつもりでにこやかに微笑む。

 みんなから酷いことを言われている、とバスカーレは傷つくが、ステラのぎこちない態度にも少なからず傷ついていた。

 まるで、喜んでいない。


「ステラは変な顔をしていたが。似合わないのだろうか」

「大丈夫です、ステラだけと言わず、王宮中の女性が群がってきますよ」とヴィンチェンツォは投げやりに言う。

「ちなみに、アンジェラは何と言っていました」

「誰?って」

 哀しみを背負い、再びどこかへ消えてゆくバスカーレであった。



 そして戻ってきたステラに開口一番、「何があったの」と口々に好奇心いっぱい問い詰める人々である。

「やはり、私がいけなかったのだろうか。あのように様変わりしてしまうとは…ひげひとつ無くなっただけで、恐ろしいものだ」

「そんな大げさな…いいじゃん、別に。すっきりして、爽やかで。ステラだって、自分の旦那様が人から恐がられるより、好かれた方がいいでしょ。お似合いだよ」

 ロメオの言葉が耳に入る様子もなく、ステラは何度も首を横に振っていた。

「団長の命のひげを、私の不用意な言葉のせいで失ってしまうなど…あってはならぬことだ」


 わなわなと震えるステラを見つめ、ランベルトはかすかに眉根をひそめる。

「だから何がそんなに嫌なんだよ。あっ、そうか、熊みたいにもっさりしてる方が好みなんだっけ」

「ひげがあってもなくても、団長は団長だ。私の心は、揺らぎはしない」

 真面目な顔できっぱりと言い切るステラを見つめ、ロメオは「清々しいくらいの、のろけっぷりだね」と言った。


 エミーリオはにこにこしながら、ヴィンチェンツォにお茶のおかわりを勧める。

 世間の緊迫した雰囲気とは別世界のような、こいつらの低次元な会話はどうしたものだろう、とヴィンチェンツォは黙って彼らのやりとりを聞いていた。


 そうだ、とステラは思い出したように呟き、「ちょっと礼拝所まで行ってくる」と身支度をする。

「ビアンカ様なら、あっという間にひげが甦る秘術などをご存知かもしれぬ」

 では、と勇み足で去ってゆくステラに向けて、「幸せそうで、いいよねー」と、まるで祝福しているようには聞こえない、心のこもらない言い方でロメオは送り出した。


「それにしても、ステラは何を言ったんだろう。よっぽどのことがないと、団長だってひげを剃らないと思うんだけど」

 ランベルトは腕組みしたまま天井を見上げる。

 さあね、とロメオはあくびをしながら呟き、「面白いネタが途切れなくて、あの人たちは本当に面白い」と言った。

 ヴィンチェンツォはお茶の香りを嗅ぎつつ、ゆったりと足を組みなおした。


「そうやって他人を馬鹿にしていると、痛い目を見るぞ。お前みたいな猫毛は、将来的に薄くなるっていう統計があるんだ。身に覚えはないか」

 そういえば、とロメオははっとして、母方の祖父や父の寂しげな頭髪の様子を思い浮かべる。

 自分も最近、額の辺りが微妙に…。

「僕も…ちょっと行ってこようかな」

 立ち上がり、外套を手に取るロメオを哀れみの眼差しで見つめながら、ランベルトは

「そんなものが世の中にあったら、はげで悩む人はいないと思うけど」と言った。


「お前も他人事だと思うなよ。そういうくるくるした髪も、危険だって知らないの」

 え、とランベルトは大きな瞳を見開き、「そうなの?そうなんですか」とヴィンチェンツォに尋ねる。

 俺が知るか、と呆れて言い捨てるヴィンチェンツォを振り返りながら、ロメオは「まさか自分だけ大丈夫だなんて思ってないよな」と恨みがましい目つきで見つめた。

「父がふさふさしているから、たぶん俺も大丈夫なんじゃないのか。そもそも俺は、はげる前に過労で死ぬと思うから」

 優雅な手つきで器をテーブルに戻し、ヴィンチェンツォは涼しい顔をして言った。


「ここは平和だな。それもいつまで続くやら」

 エミーリオは軽い吐息をつくヴィンチェンツォに、メイフェアから届けられた焼き菓子を勧める。

「でも、こうしてヴィンス様とお茶を飲むのも、久しぶりですね。たまには、のんびりなさらないと。…いつも思うのですが、毎年聖誕祭の準備で慌しくて、ヴィンス様のお誕生日のお祝いをする暇もないので、残念です」

「今更そういう年でもないし。むしろ自分の年など、忘れたいくらいだ」

 ここは暖かいな、と呟くと、二人だけになった日当たりのいい部屋を見渡し、ヴィンチェンツォはゆっくりとお茶を口に運んだ。



***



「確かに、そのようなお薬があるのは知っています」

 あるのか、とほっと胸をなでおろす男二人と、女性が一人である。

「ですけど、実際にそのような薬を用いて、髪が甦ったという実例は、見たことも聞いたこともありません。残念ですが、効き目が実証されていないということは、効かない、という証拠なのでは」


「そうよね、医局でもそんな薬を開発してるなんて話、聞いたことないわ。流行病の薬で、毎年精一杯なんじゃないかしら」

 アデルはアカデミアに併設されている医局を思い浮かべ、無意識に腕を組む。


 ビアンカは、がくりと肩を落とすステラを不思議そうに見上げた。

「でも、バスカーレ様の場合は、おひげでございましょう。自然と抜け落ちたわけではなく、ご自分の意思で剃ってしまわれたのであれば、そのうちすぐにまた生えてくるのではありませんか?」

「今すぐ、がいいのです」


 そうなのですか、と面食らったようにビアンカは呟き、いつものように秘伝の書を開く。

 隣の瑠璃が本を覗き込み、「野カンゾウの根と、ベリーの…木?皮?残念ながら、ここにはありません」と無情に言う。

「今すぐじゃなくていいから、用意が出来たら、作っておいて。お礼はなんでもするから」

 そんな、と浮かない顔をするビアンカに、ロメオとランベルトが、もみ手をせんばかりの勢いで詰め寄った。


「そうね、最初に人体実験をこの人たちでやってみるのもいいかも。うまくいったら大量生産して、一儲けするのも楽しそうだわ」 

「余計にはげあがったら責任取れませんけど」

 愉快そうに笑うアデルに向かい、ビアンカは真剣な口調で言う。

 余計にって何だよ、とロメオは不安げに巫女を見た。


「そうだ、あいつ!ちょっと毛を剃って、そこに毎日塗ってみるのはどうだろう」

 窓辺に座り、日向ぼっこをしている猫を指差し、ロメオがしたり顔でうなずいている。

「猫で実験するくらいなら、ロメオ様たちに人柱になっていただきます」

 冷たい眼差しで自分を見据える巫女様の顔が、今までになく恐い、とロメオは思った。

 噛んじゃっていいわよ、とアデルが猫に向かって話しかけている。


「壊滅的に毛根が死滅した状態から実験してみないと、なんとも言えませんが…」

「だからそうなる前に、どうにかしたいんだけど」

 口々に言うランベルトとロメオを交互に見ると、しばらく考え込んでいたビアンカは、やがてゆっくりと首を横に振った。

「やはり、そのように危険を冒してまで使用するべきではないと思うんです。どうにもならなくなったら、改めてご相談ください。その時にまた、私も考えますから」



***



 やはり、自分が軽率だったようだ。

 ビアンカの言うとおり、薬で毛根が甦るのであれば、この世にはげた人間などいない。

 そうだ、いっそのこと、頭髪がなくなってしまえばよいのだ。

 それならきっと…。


 自分は今、とんでもないことを考えていた、とステラははっとして、とぼとぼと厩屋の外を歩いていた。

「遅かったので心配していた。用は済んだのか」

 バスカーレの声にぎくりとし、ステラは慌てて「いえ、大丈夫です」とそっぽを向いて言い訳をする。


「…何故こちらを見ないのだ。そんなに、嫌か」

「嫌といえば嫌です。…いえ、似合っていないというわけではなく、その」

「なんだ、はっきり言え。今更、傷ついたりしないから」

 ステラはためらいながらも、大きく深呼吸をしてから、突然バスカーレを睨みつけた。

 その眼光の鋭さに、バスカーレは一瞬たじろぐ。


「だって、そんな、いかにも雅な貴族風のお顔をされては、心配になるではありませんか!」 

 うん?とバスカーレは首を傾げ、困惑しながらステラを見つめていた。

「ですから、悪い虫がついたら困ると申し上げたのです!そんな綺麗なお顔をされては、私は、つまらないことで、嫉妬してしまうから」

 そんなことで、と驚くバスカーレを見上げ、ステラは精一杯の勇気で、その美しい顔を見つめた。


「俺は、お前が『痛い』って言うから、やはりない方がよいのかと」

「確かに痛いです、言ってみれば、たわしで全身を洗浄されるような感覚ですが、それも団長です!私はそれでいいのです!」

 声がでかいぞ、とバスカーレはうろたえながら、きょろきょろと辺りを見渡し、涙目になるステラを笑いながら抱きしめた。


 いったいどれだけすごいんだ、とロメオは茂みの間から顔を覗かせつつ、小声で隣のアンジェラにささやいた。

「アンジェラ、ああいう大人を、バカップルって言うんだよ」

「仲良しさんがバカップルなの?」

 そうだね、とため息まじりのロメオに、アンジェラが嬉しそうに「バカップルだー」と言う。 

 そして思わずくしゃみをしそうになり、慌てたロメオに「ここじゃ駄目だよ!」となだめられる。


 可愛らしいくしゃみが辺りに響き、やがてがさごそと茂みが動くのが目に入る。

「ずいぶんと大きな猫がいるものだな」

 そうですね、とステラは呟くが、相変わらず恥ずかしそうに目を伏せたままだった。


「ほんと、どうでもいいことで大騒ぎして、馬鹿じゃないの、あの人たち」

 バカップル、と楽しげに繰り返すアンジェラと手を繋ぎ、偵察から帰ってきたロメオである。

「お前らもな。いつまで経っても、一向に打合せが始められないのだが。いつまで待たせる気だ」

 早くしないと日が暮れる、とヴィンチェンツォは苛立ったように低い声で言った。

「そうでしたっけ、遊びに来てたんじゃないんですか」

 残っていた焼き菓子をほおばりつつ、ランベルトがのん気に言う。

 そんなランベルトを悲しげに見つめ、ヴィンチェンツォは何度もまばたきをした。

「お前らは、本当に平和でいいなと、心底思うぞ」





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